英語教育について−#4(最終回)
|
季節はずれの話。先月末,私の住むマンションで,「ハロウィンの雰囲気を楽しむ会」が行われました。これは,簡単に言えば,仮装したマンションの小学生が,参加者の家庭を徒党を組んで訪問し,お菓子をもらって回るというものでした。オランダで仮装用の衣装を持ち帰った私達,皆の期待を裏切らないように仮装して場を盛り上げ(たつもり),お菓子もたっぷり準備して,やってきた子ども達を室内に招じ入れて一興,とやったわけですが,"Trick or treat!(=いたずらか,もてなしか。つまり,「お菓子をくれなければ悪戯するぞ」という意味)"と言って練り歩く子ども達を見て,漠然とした違和感を持ちました。 ※ ※ ※ 英語教育について考えるシリーズの4回目です。 現在のところ,
1回目……現行の公教育で英語のコミュニケーション能力が身に付かない理由
という感じで続いています。2回目……公的部門での英語教育改革 -- 小学校での英語教育の現状 3回目……私的領域での外国語教育の問題点 (1)社会環境を多言語の環境とした場合 今回はシリーズ最終回。3回目の続きで,私的領域での英語教育の問題点,特に日本で英会話スクール等に通う場合について考えます。 ※ ※ ※ 前回のエントリでご紹介したとおり,私の子どもには,日本語に関して失われたものがある。しかも,覚えている日本語も,言葉のニュアンスや使い方は渡蘭した4歳当時のままなので,かなり幼稚だ。そして,オランダ生活の2年間で覚えたオランダ語は,すぐには思い出せなくなっている。 だからといって,在外生活は子どもにマイナスにだった,と悲観的に考えるのは一面的だし,うじうじと悩んでも仕方のないことなので,そういった不利な条件をも前向きに受け止められるようにしたい。幸いにも,私の子どもはオランダ時代にたくさんの友人を作ることができた。そして,彼には今後も友人達とコミュニケーションを取りたいという現実的な希望があり,そのために英語を学びたいと言うので,「日常会話で使える英語を学ぶ」ことを目標として,彼が希望する英会話スクールへ通わせることにした。ちなみに,ツールとして英語を選んだ理由は,日本での学びやすさとオランダ人の英語能力の高さである。オランダ語のキープについては,コストパフォーマンスを考慮し早々にあきらめた。 英会話学校には,指導者に関し3つの形態がある。1)日本人のみ,2)日本人と外国人(多くは英語のネイティブとされる),3)外国人 という具合。日本人が指導する場合は,レッスン中に日本語のフォローが入るしレッスンの雰囲気もわりと親しみやすい。ところが,外国人が指導する場合は,欧米式の指導方式も売り物とされ,レッスン料も割高となるようだ。つまり欧米式の方が「価値あるもの」と認識され,貨幣に変換されているということ。 色々考えた結果,私達が選んだのもネイティブ先生のレッスン。その理由は,これまでに習得したことを後退させないためだ。その一つは,外国人と出合った時に「外国人」ではなく,人として対峙できること。これは多国籍なオランダで,彼がオランダ人だけでなくイスラム系の人々やアフリカ人等と対等にやってきたことによる強みだ。それと,もう一つは,アルファベットの発音である。よく言われるのは,"r"と"l"の発音。オランダの小学校で子どもの成績について担任の先生との面談した際,彼女は「日本人にこれらの区別がつかないのは有名な話」と言っていた。彼のアルファベットの発音はオランダ式で英語とは異なるが,日本人には難しいと言われる音の区別はできる。それで,言葉を英語にかえてもこれをキープしたい,なるべくネイティブの音を忘れずにいて欲しい,と思ったのだった。余談だが,オランダ語(オランダ人)の"r"は,スペイン語同様,かなり巻き舌がきついので,聞き取りやすいし,巻き舌ができる人には発音も意識しやすい。 周囲にはかなり幼い頃(例えば1歳とか)から英会話レッスンに通っているお子さん達がいるが,彼女たちに前のエントリで指摘したような問題――社会化やセンスのズレの問題――はなさそうだ。ただ,何年通っても,なかなか自分から大きな声で話しかけることができないというような話は聞いた。これは,すぐに外国語を使ってみる積極的なタイプと,文章構造が理解できるまで話し始めないタイプがあるようなので,そういうことかな,と思った。ちなみに,私の子どもは後者に当て嵌まる。彼もなかなかオランダ語が出なかったが,話し始めると文法的にかなり正確だったので驚いた。話を戻すが,週に一度のレッスンでは,外国語なんてなかなかマスターできるものではない。より早く身につけようと思えば,多少家庭でフォローしたり,レッスンの回数を増やして濃度を上げてゆくしかなく,そうでなければレッスンを受ける期間を長くするしかないというのは分かりきった話。 余談だが,英会話教室で知り合った人の中には,以前通っていた別のスクールの方針で,幼稚園児のお子さんに英語の試験などを受けさせたという方もいた。話によれば,試験中にお子さんが先生に日本語で質問の意味を確認したのだが,先生は試験中なので応えることができなかった。試験終了後,その先生による何らかのフォローがあったのかどうかは分からないが,帰宅したお子さんは「先生にいじめられた」と言って大泣きしたのだそうだ。結果,このお子さんは英語レッスンが嫌になりそのスクールをやめてしまった。こういう話は極端なのかもしれないが,このお子さん(またはご両親)の英語教育のゴール地点は何だったのだろうかと少し疑問に思った。暫くして,そのご家族は来年の4月から転勤で香港に住むことが決まったため,私の子どもと同じスクールで英会話に再チャレンジしている。 だが,配慮が必要なこともある。 日本の英語教室,特にネイティブ先生を売りにしている教室では,英米(主としてアメリカ)の言葉を学ぶというルートを通して,アメリカ人の思想や行動様式を学んでしまう。しかも,子どもは,レッスンに通わせる親がそれを奨励しているように感じるかもしれない。従って,子どもはアメリカ式の人間関係のあり方を「良いもの」,「普遍的で正しいもの」,「世界標準」として捉えてしまう可能性があると思うのだ。 例えば,レッスンでは,子ども達は先生をファーストネームで呼び捨てにするケースが少なくない。日本は年長者に対し呼び捨てやあだ名を使用しないという文化を持っているが,レッスンでは向こう側の流儀に立ち位地を移してしまう。最初のハロウィンの話もこれに似ている。英語のレッスンでは,ハロウィンについて学び,教室によってはパーティをするところもあるそうだ。「お菓子をくれなきゃ悪戯するぞ」と誰かを脅かすような関係性を,日本では子どもに正当なものとしては与えてこなかったはずだが,そういう流儀について私達が感じるほど子どもは新鮮には感じずに,あたかも日本に既存のものとして受け入れてしまう恐れがある。私がマンションの子ども達の嬉々とした表情を見て抱いた不安はそういったことだ。 言葉として英語を学ぶだけなら,祭りや流儀といったものをアメリカ化する必要はない。だが,それを「異文化」として体験させるのであれば,その自覚のない子ども達が,それらを正しいものとか世界標準だと捉えながら,同時に何かを失ってゆくことを,――それが悪いとは決して言わないが――私達は知っておくべきで,英語教育を通して何を身につけさせたいのか,技術としての英語なのか,欧米の行動様式なのか,その目的を見失わないように,十分に配慮する必要があると思うのだ。 こういう心配があるので,私はなおさら英語教育は公的部門に任せたいように思う。小学校での英語カリキュラムが十分に検討され,英語の技術だけではなく言語能力そのものを高めるような方法で実施されることを希望する。 ※ ※ ※ 蛇足になるが,「英語」の話。11月27日(月)の神戸新聞朝刊に社会言語学者,田中克彦氏のインタビュー記事があった。田中氏は,早期の外国語教育に基本的には賛成だが,学習する外国語を英語に限定すべきではないというようなことを話している。確かに,ヨーロッパにおける英語の地位は少し微妙だ。オランダ人が英語を話せるのは,その学びやすさ――英語とオランダ語は,どちらもインド・ヨーロッパ語族ゲルマン語派西ゲルマン語群にカテゴライズされる――も関係していると思う。だが,ヨーロッパを旅行した方ならご存知だと思うが,英語が通じにくい国も結構多い。例えば,フランスやスペイン。ベニスやブリュッセルも通じにくかった。東ヨーロッパも厳しい。もっと意外だったのは,一人当たり国民総所得世界一位の経済大国で,住民の3分の1を外国人が占めるルクセンブルク。公用語がルクセンブルク語,ドイツ語,フランス語だからか,ケーキ屋の店員は「アルコール」という英単語を知らず,「このケーキには白ワインが入っているので子ども向きではない」ということを私に伝えられなかった。(隣のお客が通訳してくれた。) なので,田中氏の話(例えば北海道の方はロシア語を,とか)は分かる。ただ,諸文化の中心がアメリカに移った今,そして日本はアメリカとの関わりが密接なので,公教育で学ぶ外国語としては現状では英語が最も適切だろうと思う。 それと,美しい発音で英語を話すことに価値を認める人がいる。そういう人を貶めるつもりはないが,今や世界の共通語としての地位を持っている英語なので,話者の出身により発音は実に様々だ。私が一番苦手なのはフランス人の話す英語で,母音の発音が不正確で理解しにくいと思うことがある。フランス語を学んでいれば,対処できるのかもしれない。英国人とて分かりにくい訛りで話す人はいるし,オーストラリアの話も有名だ。そして,言い回しについても出身国ごとに特徴があり,例えば,南アフリカ出身者(ネイティブ)の話を聞きながら耳慣れない表現に軽く驚いたし,オランダ人の英語にもしばしば苦笑するような間違いがあった。ジェスチャーだって多種多様だ。つまり,日本語訛りで日本人的言い回しで話すことについて,全然臆する必要はないということ。英語を使う場合に限ったことではないが,相手の話を分かるまできちんと聞いて,きちんと思考し,きちんと発言(説明)して理解させること。これが世界を相手にするときに最も大切だと私は思う。 ※ ※ ※ |
