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現在、HPを鋭意制作中の架空企業・架空地図に関することを書きたいと思いす。ここでは架空物創作の裏話や架空物創作の指南を掲載する予定です。
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神戸市営地下鉄中央線

こんばんは。当ブログの管理人をやってますNorth×9です。今夜は架空鉄道の仮公開に行きたいと思います。前回の名古屋環状線は如何でしたでしょうか?。
 
さて、今宵の架空鉄道の舞台は神戸。神戸と言えば日本を代表する港町の1つです。それと同時に日本でも十本指に入る大都市。そんな神戸を舞台にした架空鉄道。題して神戸市営地下鉄中央線です。神戸市営地下鉄の架空路線なわけですが。前置きはこの辺にして早速参りましょう。
 

今回の舞台は兵庫県神戸市。兵庫県の県都であるとともに約150万人の人口を有する日本屈指の大都市だ。そんな神戸にも大都市を象徴するかの如く地下鉄がある。
 
神戸の地下鉄事業者は2社ある。1つが神戸高速鉄道である。神戸高速鉄道は阪急電鉄、阪神電気鉄道、山陽電気鉄道、神戸電鉄からの直通電車が全ての運用にあたる車両を持っていない鉄道事業者だ。
 
もう1つが今回取り上げる神戸市交通局である。神戸市交通局は名前の通り神戸市による地方公営企業。神戸市内で地下鉄と路線バスを運営している。ルーツは1971年(昭和46年)3月に全廃となった市電である。
 
今回はそんな神戸市交通局が運営する神戸市営地下鉄中央線を紹介しよう。早速神戸市営地下鉄の世界へ飛び込んでいきたい。
 

神戸市営地下鉄は1971年(昭和46年)3月13日の神戸市電全廃からちょうど6年後の1977年(昭和52年)3月13日に西神・山手線が開通したのがルーツである。今回取り上げる中央線は西神・山手線に次ぐ歴史を持つ神戸市営地下鉄の路線。開業は1980年(昭和55年)である。
 
まずは中央線の路線概況から説明するか。神戸市営地下鉄中央線は六甲道〜須磨を走る神戸市交通局による地下鉄路線。JR京阪神緩行線と相互直通運転を行う路線だ。京阪神緩行線と相互直通運転を行うため車両は20m4ドア。18m3ドアの西神・山手線とは大違いだ。軌間も西神・山手線が1435mmなのに対して中央線は1067mmである。西神・山手線とは似ても似つかぬ相反する路線なのである。
 
さて駅名を羅列するとしようか。神戸市営地下鉄中央線の駅は次の通りだ〜。
 
六甲道、大石川、西灘、敏馬、春日野道、三宮、元町、新元町、神戸、七宮、浜崎通、松原、東尻池、新長田、大橋、鷹取、須磨水族館、離宮道、須磨。
 
ナンバリンクCである。ナンバリンクがCなのは「中央線」という名前が由来なわけである。ラインカラーはだ。神戸市の中心部を東西に貫通しているためラインカラーも目立つ色遣いなのだ。大阪市営地下鉄御堂筋線のラインカラーがなのと同じ理屈だ。
 
神戸市営地下鉄中央線が計画されたのは1967年(昭和42年)のことである。当時の神戸市内は巷で発生していたモータリゼーションの影響で路上の自動車が急増。市電の定時運行が難しくなっていた。また市電は路面を走るため車両の通行の妨げとなってしまうため邪魔者扱いされるようになった。
 
更に市電の利用者はモータリゼーションをはじめ神戸高速鉄道の開業、京阪神緩行線の躍進で利用者が減少。路線によっては赤字となってしまった。そこで神戸市は市バスと市営地下鉄を建設し市電を段階的に廃止していく方針で固まった。これを受け神戸市電は1966年(昭和41年)から1971年(昭和46年)にかけて廃止された。
 
神戸市営地下鉄中央線はそんな市電の代替に該当する交通機関として計画されたのであった。併せて神戸市内における国鉄の混雑緩和を目指してのプロジェクトであった。
 
1968年(昭和43年)に「昭和六十年までに建設すべき鉄道路線」と位置づけられた。またこの当時、日本国有鉄道(国鉄)が首都圏で行っていた通勤五方面作戦に準えて神戸でも似たようなことができまいか?というわけで計画された。
 
国鉄の通勤五方面作戦では中央・総武緩行線を地下鉄東西線に直通させたり常磐緩行線を地下鉄千代田線に直通させたりして国電に集まる乗客を分散しようというのが意図であった。いわばバイパス路線の建設である。
 
神戸でも同じように京阪神緩行線の混雑を緩和・分散させるべく建設した地下鉄路線こそ神戸市営地下鉄中央線である。単刀直入に言えば国鉄のバイパス路線なわけだ。この路線の建設で京阪神緩行線の混雑緩和を狙った。そして末端駅で国鉄と線路を繋げて相互直通運転を行うというものだった。
 
神戸市は1970年(昭和45年)3月に運輸省へ建設を申請。運輸省はこれを受理。建設・開業が決まった。併せて開業に際しては国鉄京阪神緩行線と相互直通運転を行うことも決められた。
 
神戸市は市電全廃以降、市営地下鉄中央線を開業させる準備を進めた。神戸市からすると当初は1985年(昭和60年)3月までに開業できればいいと考えていた。
 
しかし1981年(昭和56年)に神戸ポートアイランド博覧会(ポートピア'81)が開催されることが決定。神戸市はポートピア開催に間に合わせたいという思惑を抱くようになる。このため建設・開業は前倒しされた。
 
そんなこんなで1977年(昭和52年)12月に建設工事は着工。建設工事は順調に進み1980年(昭和55年)10月1日の国鉄ダイヤ改正に併せて六甲道〜須磨が一挙に開業した。開業するやいなや京阪神緩行線との相互直通運転を開始した。こうして全線が開業しているという素晴らしい体制で翌年のポートピアを迎えた。
 
ポートピア閉幕後も神戸市民を中心に多くの人々に利用された。常に神戸高速鉄道とのデッドヒートを繰り広げる路線であった。神戸市営地下鉄西神・山手線と並ぶ神戸の公営地下鉄の先駆け的存在となった。
 
1995年(平成7年)1月17日に阪神・淡路大震災が発生。阪神・淡路大震災で1ヶ月以上に渡り全線不通の状態が続いた。全線が復旧したのが1995年(平成7年)2月24日のことである。1995年(平成7年)2月24日の全線復旧からJR京阪神緩行線が全線復旧するまでの1ヶ月弱に渡り京阪神緩行線の迂回路として非常に重宝された。
 
震災からの復旧以降も神戸市営地下鉄中央線は神戸市内を貫通する公共交通機関の一員として毎日乗客を運んでいる。しかしルートやテリトリーが京阪神緩行線、阪神本線、神戸高速鉄道東西線、山陽電気鉄道本線とほぼ重複するため存在意義を疑問視する声が震災の少し後から散見されるようになった。ネガティブ志向の有識者は少子高齢化が進む中でこのまま行けば地上鉄道と共倒れするのでは?と危険視している。
 
もっともこれはあまりにも悲観的な見方であり京阪神緩行線の混雑緩和に貢献していることや地域密着型の交通機関であることから必要性の高さを提唱する有識者も多い。計画当初に意図していた京阪神緩行線の混雑緩和という役割をしっかりと担っていると言える。東京都区部の中央・総武緩行線が地下鉄に直通することによって都心部の混雑を和らげているのと同じように兵庫県神戸市でも京阪神緩行線の混雑が神戸市営地下鉄中央線によって和らいでいるわけだ。
 
一方で東京都区部と神戸市とでは圧倒的に東京都区部の方が都市規模が大きいため、必ずしも神戸市営地下鉄中央線が必須アイテムかと言われると少々疑問も残る。運賃的にも本線のJRの方が安いので乗客が本線に流れてしまっている。その結果、本線の混雑分散ができているとは言い難い。難しい問題である(汗。
 
でも不必要な存在ではないのは確かだ。これは断言する。そしてこの神戸市営地下鉄中央線は神戸の街を豊かにする存在だ。神戸市営地下鉄中央線があることで神戸の街は繁華な雰囲気を醸し出しているのだ。
 
神戸市営地下鉄中央線の車両はC1000系とC2000系、C3000系、C5000系によって構成されている。どれも白地にの帯を巻いた塗装をしている。車両の詳細に関してはまたの機会に述べるとする。
 
神戸市営地下鉄中央線の電車は全車が10両固定編成を組んでいる。京阪神緩行線の電車のうちこの神戸市営地下鉄中央線に直通する電車は東は新大阪、西は西明石で折り返している。原則としてJR東西線と片町線へは直通しない。西日本旅客鉄道(JR西日本)と神戸市交通局の相互直通運転である。
 
JR側の神戸市営地下鉄中央線への直通電車に使用される車両形式について手短に記述しよう。
 
国鉄時代は103系2000番台と201系2000番台が神戸市営地下鉄中央線直通電車に使用されていた。その後207系3000番台へと世代交代した。103系2000番台は現在阪和線で活躍している。201系2000番台はリニューアル工事を受け岡山と広島に転属した。
 
神戸市営地下鉄中央線に関しては近々また取り上げたいと思っている。その日を楽しみにして頂ければ何よりだ。とても一晩で語り尽くせるような地下鉄路線ではないのである。

今夜はもうかなり遅いですし字数制限もあるのでとりあえずこの辺にしておきます。本文にもあるとおり近々また神戸市営地下鉄中央線の記事を書きたいと思います。
 
皆様からのご意見・ご感想・私案・ダイヤ案など何でも募集中です。下部のコメント欄で随時受け付けております。どしどしコメントお寄せ下さい^^。

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名古屋環状線

こんにちは!!。素敵な週末をお過ごしでしょうか?。管理人のNorth×9です。さて前々から「やる」と言っておきながらサボっていた架空物について扱いたいと思います。
 
私は現在架空物のHPを作成しています。規模が尋常でない上、その大規模なものが複数あるので公開はまだまだ先になりそうなんですが、ブログという情報発信アイテムを持っている以上、その一部を先行公開していきたいと思います。
 
今回はその記念すべき第1回。中身はズバリ架空鉄道です。架空鉄道だけでもネタは貯まってますがまず最初に公開するのが題して名古屋環状線です!!。名古屋市内を環状に走るJRの路線です。早速参りましょう。

名古屋環状線東海旅客鉄道(JR東海)の路線。名前の通り愛知県名古屋市の中を環状運転している。東京都区部の山手線や大阪府大阪市の大阪環状線と同じだ。起終点は千種駅。名古屋市都心部を取り囲むかのようにぐるぐるまわっている。名古屋環状線の車両基地は日置駅のすぐ傍にある。
 
駅は次の通りだ。外回りの電車が走る駅の順番で表示する。
 
千種、千石、千早、鶴舞、向田橋、金山、尾頭橋、日置、名古屋、栄生、児玉、庄内通、中丸、志賀、上飯田、山田、大曽根、豊前、千種。
 
如何であろう?。正しく名古屋の都心部を取り囲む形で走っていることがわかる。電車は全車10両編成の4ドアロングシート車だ。中京緩行線とならぶJR東海の国電路線の代名詞と言うべき存在である。
 
名古屋環状線は1965年(昭和40年)11月1日の日本国有鉄道(国鉄)のダイヤ改正で開業した路線だ。東京では戦前に山手線が開業。環状運転を行っていた。大阪でも1961年(昭和36年)に大阪環状線が全通。数年間ののの字運転を経て1964年(昭和39年)には環状運転を開始した。
 
国鉄は名古屋環状線を大阪環状線とならぶ大都市中心部のビッグプロジェクトとした。全区間のうち庄内通〜大曽根は完全なる新線の建設。建設時の反対運動は凄まじかった。だが名古屋市内の交通の利便性向上のため市民の大半は賛成にまわった。愛知県議会、名古屋市議会でも名古屋環状線の建設は賛成多数で可決された。
 
これ受け1960年(昭和35年)に庄内通〜大曽根の建設工事が着工されたのであった。東海道本線と中央本線と犬山線(架空)に重複する区間は同区間を複々線化して対応。新幹線が開業する1964年(昭和39年)の開業を目指した。
 
だが反対派による工事現場への襲撃事件が多発したことから新幹線開業には間に合わず1965年(昭和40年)7月に工事は竣工。その後試運転を行い1965年(昭和40年)11月1日のダイヤ改正に併せて開業した。
 
開業時は72系と101系が営業運転に充当されていた。1970年(昭和45年)2月に103系が営業運転を開始。相次ぐ103系の入線で1972年(昭和47年)に72系は撤退している。
 
103系が名古屋環状線で新米だった頃は正しく101系の天下であった。しかし月日の流れとともに103系が増殖。いつしか101系は脇役的存在になってしまった。そしてゴーサントオこと1978年(昭和53年)10月2日のダイヤ改正で101系は撤退。名古屋環状線は103系の独壇場となった。
 
名古屋環状線における103系の黄金期はその後の10年ほど。国鉄最後のダイヤ改正となった1986年(昭和61年)11月1日のダイヤ改正で205系が入線し営業運転を開始した。103系は旧型国電が残っていた犬山線(架空)や鞍掛線(架空)へと移籍した。
 
205系の増備は国鉄分割民営化によるJR東海の発足後も続き1993年(平成5年)3月18日のダイヤ改正で103系は名古屋環状線から撤退。これにより名古屋環状線は205系の独壇場となった。
 
1993年(平成5年)3月19日より205系は名古屋環状線の主力車となった。以後そんな日々が約10年続いた。2003年(平成15年)頃に名古屋環状線へ新車を入れるという話があったが、中部国際空港(セントレア)の開港でイメージチェンジが必要な知多線(架空)や2005年日本国際博覧会(愛知万博)の影響を強く受ける中央本線への新車の投入が優先されたため実現しなかった。結局、名古屋環状線は205系の独壇場のまま愛知万博を迎えた。
 
変化が訪れるのが2006年(平成18年)1月。東海旅客鉄道(JR東海)は兼ねてから進めてきた103系全廃計画を本格化させるべく103系がまだ残っていた中京緩行線(架空・東海道本線岡崎〜岐阜の緩行線)や犬山線、鞍掛線に201系や205系、207系を転属させることとした。これにより205系の独壇場であった名古屋環状線に新車を入れる必要が生じた。
 
2006年(平成18年)6月より中京緩行線で既に走っていた313系2500番台の名古屋環状線への投入が始まった。これにより205系は103系の残っていた他線へ転属した。2007年(平成19年)からは313系6000番台も入線し名古屋環状線は313系の独壇場となり始めた。
 
2008年(平成20年)3月に205系は名古屋環状線から撤退。以後、2011年(平成23年)10月29日の今日現在まで名古屋環状線は313系の4ドア仕様である313系2500番台と313系6000番台が全ての運用にあたっている。それにしても205系から313系への置き換えはハイスピードだったがや。
 
名古屋環状線で使用される313系は4ドアである。通常の313系は3ドアだが名古屋は日本屈指の大都市でラッシュアワーの混雑は(東京ほどではないが)凄まじい。なので名古屋環状線には伝統的に4ドア車が運行されている。もちろん車内もロングシート。10両編成だがピーク時の混雑は中京圏でも随一だ。
 
名古屋市内の交通事情も地下鉄網の整備で昔と比べると随分と改善されてきた。1974年(昭和49年)春の名古屋市電全廃後、地下鉄鶴舞線が開業するまでの約3年間は名古屋の鉄道利用者にとっては名古屋環状線が頼みの綱であった。特に名鉄小牧線の利用者は市電の全廃以降、上飯田から都心へ出るのに使う手段は名古屋環状線だけと言っても過言ではなかった。
 
ここは2003年(平成15年)に名古屋市営地下鉄上飯田線が開通するまで名古屋環状線のみが都心へアクセスする唯一の鉄道路線であった。地下鉄上飯田線の上飯田〜平安通が開業した今でもフリークエンシーや運賃の安さから名古屋環状線が支持されている。
 
名古屋環状線のラインカラーは赤色である。車両はローズピンクに塗られている。計画当初は大阪環状線と同じオレンジバーミリオンの塗装を身にまとう予定であったが、名古屋鉄道管理局が大阪と同じ塗装にするのを嫌がったのと当時計画されていた中京緩行線がオレンジバーミリオンの塗装を身にまとうことになったため変更された。
 
ローズピンクを身にまとった国電は名古屋環状線が初の事例でありファンや有識者のあいだでも衝撃が走った。72系はチョコレート色のままであったが101系がローズピンクの塗装で登場したときは「ケバい」という声も散見された。
 
しかし実際にローズピンクの101系や103系が走ると評判は上々であった。205系や313系もそのステンレスボディにローズピンクの帯を走ることとなった。今やその姿は名古屋人の生活の一部になっている。
 
名古屋環状線は地球が滅びるまで大都市名古屋の通勤輸送を支えるだろう。皆様は名古屋環状線でどこへ行きたいだろうか?。

私の考えた名古屋環状線はざっとこんなところです。名古屋環状線を考えている方はネットをすれば私以外にも一定数見つかります。皆様、名古屋にJRの環状線があったら…という妄想を膨らましているようです。今更言うまでもないですが私もその一人です^^。
 
皆様からのご意見・ご感想も下部のコメント欄で四六時中募集しています。どしどしコメントお寄せ下さい。

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こんばんは。日本のどこかで当ブログを一人で仕切っている肉食系男子のNorth×9です。このところなかなか更新できず申し訳ない限りです。
 
さて昨年5月22日のブログ開設以降、当初から用意されていながらスッカラカンだったこの架空物の書庫ですが今週から埋めていきたいと思います。今週からと言うと月曜日が週の一番最初と考えている方にとっては無理が生じますが、管理人は日曜日を週の一番最初と考えているクチなので今週からとしました。
 
あくまで予定なので本当にできるかどうかはまだわからないのですが当ブログのこの書庫において私が現在鋭意制作中の架空物のホームページの概要と予告をここでHPに先んじて行いたいと思います。
 
中心となるのは鉄道です。鉄道から派生する形でバスや流通、ホテル、外食産業、プロ野球球団なども公開していくつもりです。出来は悪いですが宜しければお楽しみあれ。
 
実際にホームページ作りも暇さえあればどんどん進めています。内容としては架空企業が中心となっています。先述したとおり鉄道が中心ですがそこから派生してグループ企業を展開しているという設定です。大規模なものが複数あるうえHTMLの知識もまだまだ乏しいので完成には程遠いのですが(^_^;。
 
とりあえず鉄道、流通、ホテルの3つを優先して制作・公開していきたいなと思っています。正直言って質より量であり画像を作成する技術もなければ才能もなく根気もないのでやたらと文章だけが羅列してある見ていても何の面白味もないものばかりなんですがご覧になって頂ければ幸いです。
 
なお、これらにはリアリティーを追求するためにあらゆるところに実在の地名・人物・団体等が登場しますが一切関係ございません。なのでこの書庫で登場する架空物について実在する機関へのお問い合わせはご遠慮下さいますようお願い致します。この書庫で登場する架空物に関してご不明な点がございましたら管理人にご連絡下さいm(__)m。

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