厳島神社(神戸市中央区)
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神戸市中央区の花隈城跡付近を散策していたら「厳島神社」(花隈)を見つけたので参拝しました。
平清盛が信仰、社殿を造営した安芸の宮島(廿日市市)に鎮座する厳島神社を、福原に拠点を持った清盛自身が勧請しました。厳島神社七社、七弁天ともいわれ、付近に花隈を含めた7つの神社が建立されました。祀神は市杵島比売命(宗像三女神の1人で弁財天と同一視)と大物主命です。何度か移転しており、明治時代に現在地に落ち着きました。
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神戸市中央区の花隈城跡付近を散策していたら「厳島神社」(花隈)を見つけたので参拝しました。
平清盛が信仰、社殿を造営した安芸の宮島(廿日市市)に鎮座する厳島神社を、福原に拠点を持った清盛自身が勧請しました。厳島神社七社、七弁天ともいわれ、付近に花隈を含めた7つの神社が建立されました。祀神は市杵島比売命(宗像三女神の1人で弁財天と同一視)と大物主命です。何度か移転しており、明治時代に現在地に落ち着きました。
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平清盛の五男重衡(1157〜1185)。以仁王の令旨以後、全国的に反平氏の挙兵が始まり、寺社勢力の強い南都奈良にも出陣しました。「南都焼打」で東大寺と興福寺を焼き打ちして、大仏を炎上させたという汚名が伝わっていますが、意図的なものではなく明かりを取ろうとして民家に放った火が炎上したといわれています。
一の谷の戦いでは、生田の森の副大将を務めましたが、馬を射られて落馬ました。源範頼・義経の源氏方の捕虜となり、この地の松に腰をかけて涙を流しました。村人提供の酒を飲んで喜び、「ささほろや 波ここもとを 打ちすぎて すまでのむこの濁酒なれ」と詠みました。現在松はありません。
重衡は鎌倉に護送、南都の要求で木津川畔(京都府木津川市)で斬首され、奈良の般若坂で首を晒されました。木津川に供養塔があるそうです。
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開設日: 2009/2/10(火)