桜の開花も宣言された3月末の土曜日に、5ヵ月振りに公道復活をしたRZワンツーで東青梅にあるお気に入りのランドマークに会いに行って来ました。

その前に、前から訪ねたかった八王子市戸吹にある町の会館へちょっと寄り道をしました。
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この建物、今でこそ町の会館ですが、その昔は学校だったんだそうです。

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学校の名前は「明化小学校」、明治9年にできました。
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八王子Web事典に
「戸吹町.第64番明化学校.市立加住小学校の前身の一.1873年(明治6)留所学舎の支校として無量寺に校舎開放.76年3月戸吹村開戸に校舎新築.同9月1日明化学校と改称.84年9月桑営明化小学校と改称.その後,93年に第二加住尋常小学校と改称し,明化学校の幕を閉じた.1917年(大正6)加住村の学校統合により旧校舎は戸吹分校となった.23年5月校舎改築にあたり取り壊しとなったが,戸吹青年団が中心となり建物の払い下げを受け,現地に移転,保存されている.現存の「明化」の揮毫は神奈川県令野村靖による.建物も明化期の学校の一面を残す貴重なものである.

とありました。
貴重な歴史的遺産です、どうかこれからも末永く町のランドマークとして遺りますように


さて次はいよいよ本日のメインエベントのランドマーク・・・と行きたかったのですが、途上にこんな施設もあるので電車旅でしたら途中下車をして ^ま^
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ここは青梅にあります織物工業協同組合です。
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ずいぶんと綺麗になってしまってはおりますが、横目板張りが美しいです。
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織姫様の社もあります。
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ノコギリ屋根の工場も健在です。
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ちなみにこれらの建物は、今年の2月、青梅市の美しい風景を育む条例第15条第1項の規定にもとづき、景観の形成に重要な価値がある建造物として景観形成重要資源に指定されました。
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ついつい寄り道小道をしてしまいました;;;
次はいよいよ本命の東青梅にありますランドマークで~す。

三菱の商標スリーダイヤが誇らしげに輝く建物です☆☆☆ !!!
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三菱鉛筆が考案し、1903年に商標登録されたというスリーダイヤが建物の真ん中で燦然と輝いています☆☆☆

そんな看板を背負ったいにしえの建物が東青梅駅の目の前に現存しているんです。
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この建物、元はといえば昭和8年に開店をしたガソリンスタンドなんだそう。
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今でこそくすんだ薄紫色をしていますが、当時は真っ赤に萌えていたんでしょうね。
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三菱マークの安否確認もできましたので、最近仕入れた歴史的建物を見に行くことに。

道草小道の癖は消せません ^ま^;
青梅市の中心街を抜けたところにある廃なお店もお気に入りで、前を通るとつい足を止めてしまいます;;;
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よっちゃんの目には間違いなく「オッパイ洋品店」と読めるに違いありません ^ま^♪
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その先の旧道にはこんなものもあるんです。
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馬の水飲み場跡です。
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目を凝らして文字を読むと「東京府 馬医畜産組合 ○合会」と読めました。

さて、○に入る漢字は何なんでしょー・・・
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ちなみに八王子の野猿峠にも馬の水飲み場が現存しています。
これって今でいうところのガソリンスタンドですね。


先を急ぎます!

それでもお気に入りの建物の前に来るとつい足を止めてしまいます;;;
今も現役の町の本屋さんです!
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青梅を抜けて奥多摩に向かう途中にありますので、気が付いたら立ち寄ってみてくださいね。

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さてやっと到着しました。
吉野街道に今も残る
旧養魚場の建物です。
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建物の正式名称は「東京都水産試験場吉野養魚場」。
大正11年に建てられたものだそうです。
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この建物がある広い土地を見回すと水槽が一つだけ残っていました。
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この建物は、多摩信用金庫さんが季刊で発行をしている「多摩のあゆみ」を読んでで知りました。

多摩のあゆみ第156号で次のように養魚場の紹介をしています。
「敷地の横を流れる多摩川はアユやヤマメ、イワナ等、冷水性の魚が豊富な漁場で、江戸時代には多摩川の鮎を将軍家に献上したと言われています。明治に入り東京府が施行されると、東京市の人口は急激に増加しました。淡水魚も動物性タンパク質資源として需要が増え、天然産の供給だけでは需要に対応できない状態となっていました。また、人口が増え続ける東京の飲料水を確保するために、明治24年(1891)に羽村に取水堰が設けられましたが、この堰が魚の遡上を阻害し、上流のアユの数が激減する結果となったのです。このような状況から、需要に対して安定的に魚を供給するために柚木に養魚場が建設され……。」

現在は某運送会社さんが駐車場として使用している広大な土地に現存しています。

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横に回って見ると、後ろにも当時の建物が現存していました。
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養魚場のことをもっと知りたい方は、多摩信用金庫さんが発行している「多摩のあゆみ」を読んでください。


さて、お目当ての建物すべてに会うことができたので、吉野街道で帰ることにいたしましょー。
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途中、花まつりの提灯が賑やかな商店街で道草です;;;
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青梅市観光協会さんの作る吉野梅郷花まつりのもくじより花まつりの紹介をさせていただきます。

「吉野梅郷(よしのばいごう)とは、JR青梅線日向和田駅から二俣尾駅までの多摩川南側、東西4キロメートルに広がる地域で、 青梅市梅の公園をはじめ、吉川英治記念館、青梅きもの博物館などの観光スポットが点在しています。

毎年2月下旬から3月31日まで、吉野梅郷梅まつりが行われていましたが、ウメ輪紋ウィルスの感染拡大を防除し、また梅の里の早期復興のため、多くの梅樹を伐採しました。 これにより、当分の間梅まつりは開催されません。

吉野梅郷ではあらたに、菜の花や日本スイセン、福寿草等の花を植栽し、3月上旬から4月上旬にかけて、「吉野梅郷花まつり」を開催することになりました。」

梅の里梅郷が一日もはやく復興するようただただ祈るばかりです。

青梅から奥多摩に向かう途中、へそまんじゅう屋さんが何軒かあります。
梅郷商店街にも1軒ありましたので家族へのお土産に買い求めることにしました。
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奥多摩名物へそまんじゅうの8個入りを一箱、買いました。

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奥さんが温かいへそまんを一つおまけにくださいました。
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さっそく戴っただっきま〜す♪
どうです?とっても美味しそうなあんこでしょ?
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美味しいおまんじゅうを頬張りながらふと空を見上げると、綺麗なお月様が出ていました。
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青梅から日の出町に抜ける道すがらにあるわら葺屋根の旧家をパチリ。
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家族5人でへそまんを食べて、旅が無事に終わりました。

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1月22日は私の大好きなカレーの日☆☆☆
カレーだけにナンでも(何でも);全国学校栄養士協議会が1982年のこの日に学校給食がはじまって35周年を迎えたことを記念して、1月22日の給食のメニューをカレーにすることを決め、カレーの日と定めたんだそうです。
てなことで、先日、愛する妻を急に誘って市内にあるカレー&シチュー屋さんにカレーを食べに行って来ました。

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お店の名前はこれく亭。

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お店の看板下にはこんなメニューが。
季節限定のスープカレー、とっても美味しそうです。


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チキンも美味しそうですし、ヘルシーに野菜も取りたいし・・・

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白の横目板張りに赤と黄色の看板ががいい感じです。

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可愛らしい表紙のメニューを見て、カミさんはスープカレーを、私はチキンと野菜のカレーコンビを注文しました。
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お願いをした料理が来る間、ちょっと店内をキョロキョロと・・・
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カレー屋さんだけにたくさんの香辛料が並んでいます。
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飲み屋さんでいうところのお通しが出て来ました。
じゃが芋のカレースープ煮とでもいうのでしょうか・・・
美味しくいただきました。

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どん!と一杯のお水も出て来ました。
カレーにはやっぱり美味しいお水ですよね☆

そしてやって来ました!コンビカレー。
大盛りをお願いしたので、ライスピラミッドがどん!と二つです ^ま^♪

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チキンの方は「岩手県産のカレー用鶏もも肉をすぐ近くにある磯沼牧場のジャージーミルクで煮込んだスパイシーカレー」。

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そして野菜の方は、「香味野菜とフルーツを煮込んだカレーソースに素揚げした季節野菜をトッピング」☆

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たしかにカレーが違います。

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こちらはカミさんが頼んだスープカレーです。

ではではアチャールをトッピングしていっただっきま~す♪
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そして、じゃが芋とひき肉のスパイシーな包み揚げ、サモサもいただきました。
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カレーを美味しくいただいた後は、これまた磯沼牧場産のジャージーミルクの入ったチャイを。
表面に張った膜はカミさんに差し上げました ^ま^

お店の出口に置いてあった口臭消しのスパリーを一つまみいただいて息もすっきりです。
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お店の道を挟んだすぐ先にある磯沼牧場に羊さんが休んでいました。

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かつては川町にあったこれく亭。
店の前を通る度にいつか寄ろう寄ろうと思っているうちに、お店が閉店しておりました。
平成23年の11月27日だったんですね、最後の営業が。
それから2年後の平成25年12月15日に小比企町に再オープンしていたのを知ったのはいつだったでしょー・・・
今回、はじめてお邪魔させていたきましたが、とってもアットホームで温かい雰囲気のお店でした。
これを機会にちょくちょくカミさんと2人でお邪魔をしたいと思いました、夫婦の愛を確かめ深めるために。
よっちゃん夫婦の愛にはとても太刀打ちできませんが ^ま^;

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ごちそう様でした☆☆☆











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Tokyo


井上陽水 TOKYO

Tokyoへ・・・
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銀の鈴の前で待ち合わせる相手もなく・・・

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ただ百周年を迎えた駅に会いたくて・・・
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顔を出して笑ってくれるヒトもいませんが・・・

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百年の記憶をたどるため・・・

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改札をあとにして・・・
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東京の街には黄色いはとバスがとってもよく似合います☆

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はとバス乗り場があるのは丸の内1丁目10番です。
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ドームな帽子が見えない横顔が好きです。
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おまけで赤いスカイバスの画像です;;;

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はとバスのマークをよく見ると4羽のはとが飛んでいます。
これは、バスとホテルと旅行と料飲販売という
事業4部門と、安全、快適、信頼、繁栄の4つの願いと、夢と未来と飛躍と旅立ちという4つのメッセージを表しているんだそうです。
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へ〜!!!
よっちゃん、お互い、もう少しじじぃになったら、孫を連れてはとバスに乗って、スカイツリー見物にでも行きましょうね ^ま^
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ひかりの町

この夏に有楽町から銀座、築地、日本橋あたりを散策して、東京駅へ。
東京駅は今年で開業100周年。
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そして東海道新幹線が開通して50周年、ということでこんな幟がありました。
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それじゃあということで、近隣にある0系新幹線に会いに行って来ました。

まず1両はこちら。
昭島市にある新幹線電車図書館です。
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さっそく愛車TLを横に並べて記念撮影をしました☆
そして気が付きました、FTってもしかしたら0系ファンだったホンダマンが手掛けたのかな?って。
見てください!こんなにもお互いの青/白のツートンカラーがまったく違和感なくコラボしているんですよ!

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今日は10月の連休初日、近所の女の子がピンクの自転車に乗って図書館にやって来ているようでした。
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ひかり図書館で本を読めば、今でも博多まで連れて行ってくれそうな気がしました。
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それにしてもとっても美しい流線型です☆
曲面が凸凹なのは、ハンドメイドだったから。
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朝日新聞の’08年3月25日付コミミ口コミというコーナーにこんな記事がありました。
前略〜
オデコの骨組みに合わせてアルミ板を微妙に曲げ、つなぎ合わせていく。板の切断や曲げには機械が導入されたが、最終的に微妙な流線形曲面を作り出すのは職人が振り下ろす金づちだ。その手法打ち出し板金は、0系新幹線の頃から変わっていない。

なぜ、ここまで手作業が残っているのか。鉄道車両は、多品種少量生産品の典型。なかでも、先頭車両は前後2両しかないため、作る数が限られる。このため、高額な金型を必要とするプレス成型や、厚い板からの切削成形では、採算が合わない。結局、手作業で曲げて溶接する打ち出し板金が、最も効率的なやり方になるのだという。〜後略


そんな逸話を読んだあと0系の顔を見ていると、何だか生き物のように見えて来ますよね。
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新幹線図書館のすぐ脇は歩道と広い道になっています。
現役時代は220㌔という最高速度で走っていたこの車両、解体の憂き目に遭うこともなく、今は子どもたちを乗せてのんびりと余生を送っているのかと思うとうれしくなりました。
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さて、昭島市の0系に別れを告げ、国分寺市にある0系に会いに行って来ました。
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ここ、国立駅北口からすぐ北側は国分寺市。
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そして町の名はその名もズバリ!の光町なんです!
町の名前の由来が国分寺市のH.Pでこんな風に紹介されていました。
光町は、951形新幹線が誕生する少し前、昭和41年2月1日の「町名整理」および「地番整理」の実施により誕生しました。
この地域は、大部分が大字平兵衛新田と呼ばれていましたが、当時より東海道新幹線の開発研究を行なった鉄道技術研究所(現在の鉄道総合技術研究所)があったことから、新幹線「ひかり号」にあやかり、「光町」と名づけられました。


ということで、さっそく光の文字を街中で拾ってみました。
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そしてやって来たのは第1回ひかりまつりの会場です。

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光商栄会のテントでは、昔懐かしい頃の国分寺の写真を展示していました。
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そんな中にあったのがこれ、トレーラーがひかり号を搬送しているときの写真です。
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そして運ばれた車両がこれ。
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昭島市にあった0系とはずいぶんと雰囲気が違います。
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この車両について、国分寺市のH.Pにこんな風に紹介されていました。

この新幹線は、951形という名称で、昭和44年(1969年)に製造された2両編成の試験車両です。
見た目は0系新幹線とほとんど変わりませんが、車体はアルミ合金製で、ボディーマウント構造を採用するなど、中身は大きく異なります。
その頃、山陽新幹線が岡山駅まで延びることになっており、それに合わせて当時の最高速度時速210キロを上回る250キロの営業運転を目指して開発されました。
そして、昭和47年(1972年)には、度重なる試験走行の結果、開通前の山陽新幹線新神戸から西明石間で、当時の最高速度286キロを記録しました。
その後、昭和49年(1974年)に廃車となり、鉄道技術研究所(現在の鉄道総合技術研究所)に引き取られ、1両(951-2)は試験に使用された後、解体となり、残りのもう1両(951-1)がひかりプラザに残っているのです。

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なるほど、この車両はそんな貴重な1両だったんですね。

さてせっかくですので、新幹線の中に入ってみました。
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そこには、当時の風洞実験モデルなどが展示されていました。

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こういう子たちが未来の鉄道マニアとして立派に成長していくんでしょうね ^ま^
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ひかりまつり会場のすぐお隣、鉄道総合技術研究所では平兵衛まつりが開催されていました。
中に入れたのは午後3時まで。
私が入口にたどり着いたのは3時10分過ぎ;;;残念!!!
来年の今月今夜にまた訪ねることにいたしました;;;

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ということで、本日の0系新幹線を訪ねる小旅が終わりました。

帰り道、お隣の国立市を通ると、一橋大学入口に学園際までをカウントダウンする大看板がありました。
普段はなかなか入ることができない構内も、学園祭のときなら大手を振って入ることができるというものです。

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ここ、一橋大学の校舎はどの建物もとっても魅力的なんです。
一昨年、昨年に引き続き、今年もぜひ訪ねてみるつもりです。
あと21日、楽しみに待ってま〜す☆☆☆

未来に向かって輝く光の町、とっても素敵な名前ですね。



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久しぶりにTL125の掲示板に長投稿をして、真っ白に燃え尽きているうちにいつしか月が変わっておりました;;;

さて、毎週のようにあちこちと出掛け過ぎていて、何を備忘してよいのかわからないまま、本日に至っております ^ま^;

とりあえずは、久しぶりに直近の様子などを備忘してみたいと思います;;;

時は昨日、仲良くお付き合いをしていただいているバイク友の開成さん、シベリアさんと今も山梨県に残る擬洋風建築の学校を訪ねて来ました。

待ち合わせ場所は道志の森の道の駅。
集合時間が9時のところを43分も前に着いてしまいました;;;
これから向かう道順の予習や散策、今夜いただくつまみの漬物などを買い求めてもまだ9時5分前;;;
朝方は小雨も落ちたりで細身の私は震えながらシベリアさん達が到着するのを首長竜して待っておりました。
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9時を7分ほど過ぎてシベリアさん達が到着しました。
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さ、お2人が用を済ませるのを待って、さっそく最初の目的地である都留市に向けて出発です!

峠道を快適に走り、都留市街に出ました。

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奥に見えるのはリニア見学センターです。
もちろん今回はセンターを見学している暇もなく、スルーです。
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ふとこれから向かう先を遠望すると、これから訪ねる学校がちょこんと頭を出して見えました!
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そしてやって来たのは尾県郷土資料館。
さっそく館長さん自らが出迎えてくださいました ^ま^
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現在は尾県の郷土資料館になっておりますが、元は尾県地区の学校でした。
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山形県令、藤村紫朗の命により、明治10年6月に起工をし、建築費約1200万円をかけて翌年5月に竣工しました。
昭和16年3月に廃校になって後は集会所などとして利用され、現在は資料館として活用されています。

ところは山梨県都留市小形山1565-1。
嬉しいことに、入館料は無料!
さっそく拝見させていただきました。
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中に入ると、先生と男女の生徒が勉強をしていて思わずドキッ!
よくよく見たら、人形さんでした ^ま^;

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とっても充実した当時の資料がてんこ盛りです!!!

目にとまったのはこれ、教育勅語。
母親が健在の時、よくこの教育勅語を聴かせてくれましたっけ。
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ちん思うに我・・・
そして最後にぎょめいぎょじ

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当時はこんな時間割りで一日が暮れて行ったようですね。
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当時はどの地区も予算が無くて、資材はもっぱら町内にある樹を伐採し、使われていたんですね。

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ビックリしたのはこれ!
学校及び隣接する神社のすぐ裏にはこんなにも立派な巨樹があったんです!!!

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さっそく館長さんにその樹があった場所に案内をしてもらいました。
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さて、肝心の学校の委細をご紹介いたしましょー。

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ベランダのッ天井はお決まりの菱組天井です。
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ベランダです。
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ベランダの手摺など。
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車止めになっている2階にあるベランダはやっぱり超気持ちがいいですね ^ま^♪
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建物の角にある意匠。

本来は四角い石をたがい違いに積み上げているんですが、その実は、ただ漆喰を盛り上げて、黒い色を塗っているだけなんです;;;
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そんな尾県学校の移築当時の画像です。
本来の壁は横目の板張りだったことがよくわかりますね。

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ちょっと詳細部分もご紹介いたしましょー。
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外観も遠景からズームまで取り揃えてございます ^ま^;
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能書き特にはいたしません。
ただただ当時の建物に触れることができて幸せいっぱいの一日になりました。

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ということで、山梨に今なお残る擬洋風な学校を巡る旅。
本日はその1ということで終わりにいたします。



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