末摘花の整形疑惑
|
常陸宮の姫君のご面相
前回、『蓬生巻』の常陸宮の姫君(以下、面倒臭いので「蓬生の姫君」と呼びます)が、
『末摘花巻』の常陸宮の姫君(同様に、「末摘花の姫君」と呼びます)に比べ、
歌の技術がめざましく向上していることを指摘いたしました。
そのことから、二人の姫君は、本来別人であると推理したわけですが、
当然、それだけでは、根拠として薄弱です。
急に成績が上がったからといって、「お前はうちの子じゃない!」と親から言われたら、
おちおち勉強もしていられないでしょう。
しかしながら、もし、二人の容貌が違っていたら、どうでしょうか?
急に勉強ができるようになっただけではなく、顔まで変わっていたとしたならば、
「お、お前は誰だ!?」と親に言われても仕方がないのではないでしょうか。
実は、末摘花の姫君と蓬生の姫君では、その容貌に大きな差があるのです。
まず、末摘花の姫君の容貌を見てみましょう。
故常陸宮邸で朝を迎えた源氏は、雪明かりの中、末摘花の姿をはっきりと見てしまいます。
座高の高さから、髪の毛の先まで、まじまじと観察している様子からは、
驚きの余り目が釘付けになっている源氏の姿がうかがわれます。
容貌の描写に絞って抜き出してみましょう。
あなかたはと見ゆるものは鼻なりけり。
普賢菩薩の乗物とおぼゆ。あさましう高うのびらかに、
先の方すこし垂りて色づきたること、ことのほかうたてあり。
額つきこよなうはれたるに、なほ下がちなる面やうは、おほかたおどろおどろしう長きなるべし。
(なんと不格好なと思われるのは鼻なのであった。
普賢菩薩の乗物(白象)かと思われる。あきれるばかり高く長く伸びていて、
先の方が少し垂れて赤く色づいているのが、ことのほか見るには堪えない感じである。
額つきはとてつもなく広いうえに、下半分も長い顔だちは、多分おそろしく長顔なのであろう。)
「かたは」「あさましう」「うたて」「おどろおどろしう」
……源氏は余程驚いたとみえます。
奈良時
この仮面は外国人をモデルにしたという説もあるようなので、
末摘花の姫君も、外人っぽい顔つきをしていたのかもしれません。
今ならば、ひょっとしたらもてはやされるやもしれませんが、
引目かぎ鼻がもてはやされたこの時代に於いては、
象のような鼻を持つ末摘花は、醜女の代表的な顔つきだったのでしょう。
源氏も、あまりの醜さに、目を逸らすのも忘れ、その容貌に見入っています。
末摘花の姫君は、残念ながら目を見張るほどのド・ブスであったと言わざるをえません。
ところが、蓬生の姫君は、それほどではないのです。
末摘花の姫君と違って、蓬生の姫君は、プチ・ブス程度なのです。
三島由紀夫氏の言葉を借りれば、
「そこらに在り来りの、見ようによっては美しく見える平凡な顔や、心の美しさが透けて見える醜女」
ということになりましょうか。
にわかには信じがたいことでありましょうが、証人がいます。
一人目の証人は、姫君の叔母さんです。
この叔母さんは、自分が受領の妻におちぶれたので、姫君に対して敵意を持っています。
地方に連れて行こうとしているのも、自分の娘達の使用人にしようという魂胆があるからです。
その叔母さんが、姫君に対して憎まれ口をたたくのですが、その発言を拾ってみましょう。
「あな憎。ことごとしや。心ひとつに思しあがるとも、
さる薮原に年経たまふ人を、大将殿もやむごとなくしも思ひきこえたまはじ」
(まあ憎らしい。ご大層にもったいぶって。自分ひとりでどんなにお高くとまっていらっしゃっても、
あんな薮原で長年暮らしていらっしゃる人を、大将殿もまさか大事にお思いになるわけがないでしょう)
「さればよ。まさにかくたづきなく、
人わろき御ありさまを、数まへたまふ人はありなむや。」
(それ見たことか。いったいこのようによるべなく、
みっともないお暮らしの方を、誰が一人前に扱ってくださるものですか。)
この叔母さんは、心根がいささかいやしい人だったので、口さがなく、
遠慮することなく、姫君の痛いところをついてきます。
その無神経で好き放題言っている叔母さんが、
姫君の醜さについては、一言も言及していないのです。
姫君が、大将殿から顧みられず、一人前として扱われない理由として、
みっともない生活を長年続けている事実をしか上げていないのです。
あの手この手を使って、姫君を誘い出そうとしている叔母さんですから、
姫君の最大の弱点をついて、自信とプライドをズタズタにし、
自暴自棄になったところを拉致するというのは有効な作戦だと思われるのですが、
それをやってはいません。
さんざん悪態をついている叔母さんが、姫君の醜さについて触れていないということは、
姫君の容貌がさほど悪くなかったことを間接的に証言していることになるのではないでしょうか。
二人目の証言者は、源氏の君です。
源氏は、『蓬生巻』の中で、次のように語っています。
かの花散里も、あざやかに今めかしうなどははなやぎたまはぬ所にて、
御目移しこよなからぬに、
咎多う隠れにけり。
(あの花散里も、目立って当世ふうになど派手になさらない方であって、
そちらにお目移しになられたところで大差もないのだから、
こちらの姫君の欠点もさほど目だつこともないのであった。『古典全集訳』)
つまり、源氏は、蓬生の姫君が、花散里と引き比べても、それほど遜色はないと証言しているのです。
もちろん「咎」は多い訳ですが、当世風の派手さのない花散里と見比べると、
その欠点が薄れて感じられるのですから、たいした「咎」ではありません。
もし、末摘花の姫君の持っているような「咎」であったならば、
少々のことでは、隠れることはなかったでありましょう。
やはり、蓬生の姫君の容貌は、「中の下」ほどのプチ・ブスであり、
もし、末摘花の姫君と同一人物であるとしたならば、
腕のいい美容整形外科のメスが入ったとしか思えません。
当時、美容整形というものがなかったことを思えば、
やはり、蓬生の姫君と末摘花の姫君とは、別人であると判断するべきなのではないでしょうか。 |
