ドクトリン発展の歴史(7−1)
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櫂船(ガレー船)時代の海軍力 人間は当初、川や湖や海の水辺に木が倒れかかり、あるいは浮いて入るのを見て、それを利用することを考え、、木の幹に跨ることを覚えた。これが水上交通及び航海術の初めであった。 移動の容易さと安全性から、筏を作り、棹を動かし、櫂を工夫した。 丸木船、刳り船を造り、航行に利用し、そのうち風を利用することを考え、帆を発明し、海岸の航行から大洋へ乗り出した。 最初船は、水上を渡る交通から漁業に、商業に、商業上の利益を保護するため戦闘用に用いられるようになった。戦闘用には専ら櫂船が用いられた。 ギリシャの船は、フェキニアの船に似て商船は、幅広く主として帆によって疾走し、軍艦は幅狭く細長い櫂が主な動力となった。 一列櫂(モネーレ)、三列櫂(トリェーレ)、五列櫂(ペンテーレ)と大きくなった。帆柱は1本で、前端には衝角があり、後尾舷側に舵を備えた。沿岸航法で航海は会場の穏やかな時期に限定されていた。 最初の海軍は、軍隊若しくは兵站を川や沿岸沿いに移動させる技量がもたらす戦略的優位にあった。 海上戦は地上戦よりも高くつき、海軍の運用には相当規模の余剰所得が必要であった。更に海軍の制約要因には、富のみならず、天候と動力不足があった。 櫂船は機動力に富み、衝角で敵船を沈めることができた。しかし、櫂船は悪天候時航行はできず、多数の乗組員(櫂漕ぎ手)に必要な食糧、水の船内スペースがないため、補給港を離れることができなかった。したがって、櫂(ガレー)艦隊は、自立した戦略手段となったことはなく、地上軍の延長、パートナーであった。櫂(ガレー)艦隊の沿岸側の船団は、通常は、並走する地上軍の海側の部隊に依存し、厳密に言えば、作戦展開の上では水陸両用部隊であった。艦隊は、その海軍力で沿岸基地の敵軍の補給を断ち、地上軍は補給物資を運びながら艦隊への補給が可能な地点に 前進した。陸海の共同作戦であった。 (続く) 註:箕作元八『西洋海事史』富山房、1923年
ジョン・キーガン『戦略の歴史 抹殺・征服技術の変遷』遠藤利国訳、心交社、1997年 |




日本が国家規模で、船を用いた物資流通を経済活動に組み込んだのが、江戸時代初中期。遅すぎです。そして今や、世界最高の造船技術。日本人がバカなのか、優秀なのか・・・。船の発展から考えると分からなくなります。
2007/5/4(金) 午前 4:17
C.MAKUN様、和船には竜骨がなく、隔壁もなかったため、弱かったようです。江戸時代の大船建造禁止が技術の発展を阻害したようです。
2007/5/4(金) 午前 9:34 [ hiromichit1013 ]