『「反原発」の不都合な真実』
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藤沢数希『「反原発」の不都合な真実』は、福島原発事故以来原発を絶対悪と決め付け、その廃絶こそが「正義」だという論調がマスコミでは吹き荒れ、テレビ文化人コメンテーターがしたり顔で経済よりも絶対安全を主張し、命の大事さを説いている状況の最中、この世にリスクのない技術は存在しないとして、原子力と自然エネルギー転換するリスクや懸念材料を冷静に見つめ、原発怖いという感情論を超えた議論のために、原子力技術、放射線と健康被害、経済的影響を検討し、将来を見据えた冷静なエネルギー政策を提言している。 マスコミの反原発論調は、感情的に世論に影響を与え、政治家を動かし、原発再開安全障害となり、再開の目途すら立っておらず、原発をなし崩し的に廃絶しようとしている。誰の責任でも在りはしない。民意という、世論という曖昧なものに動かされている。国民、消費者の代表を僭称する政治家、マスコミ、コメンテーターが、その結果に責任を取る訳ではない。単なる無責任であるが、当事者は、それを思想信条の自由とその表現であり、結果責任は、批判される側にあると信じているから議論は成り立たない。そこで決められない政治は続くのである。 原子力を代替できるという自然エネルギーの不安定さ、自然エネルギーは補助金ビジネス、原発事故の死者ゼロ、火力発電=化石燃料の使用=地球温暖化=化石燃料の枯渇化と指摘している。 原子力発電は、自然エネルギーで代替できないという現実を指摘してる。自然エネルギーは、ものにはならない。それをあたかもすぐにでもものになるように言うのは、自然エネルギー補助金ビジネスである。 著者が指摘しているように、原発事故では人は死ななかったが、目に見えない放射線は不安を高め、統計上安全だというのは、理性的には理解できても、マスコミ、補助金ビジネス、原発アレルギー論者には埒外のことであろう。 対話は成り立たず、原発は決められない政治、決めさせない政治の下で漂流し続けるしかないのであろう。その結果、現実にぶち当たり、経済よりも安全を選択し、原発を廃止し、原発を廃止するにも莫大な費用がかかり、電力不足で企業は海外に逃げだし、大気汚染を出す火力発電は化石燃料の高騰化、枯渇化により使えず、貧しくても安全を選択した国家になるであろう。そのとき、反省なきマスコミは、誰を批判するのであろうか。 註:藤沢数希『「反原発」の不都合な真実』新潮社、2012年、700円+税
「テレビ文化人」http://blogs.yahoo.co.jp/hiromichit1013/63263884.html 「原発のウソ」http://blogs.yahoo.co.jp/hiromichit1013/62843245,html 「原発大崩壊!」http://blogs.yahoo.co.jp/hiromichit1013/62666496.html |
