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前回の続きです。
エジプトのトトメス3世に次いで、名前が上がっていたのは、アッシリアのティグラトピレセル3世でした。
この2人の間には約700年以上の時間の隔たりがあります。もちろんその間に様々な諸国家の興亡が有りました。
ほんの少しだけ・・・オリエント文明は、これまで大まかに分けて、メソポタミア、エジプト、小アジアと3ヶ所でそれぞれ発展してきました。
トトメス3世の時代(1480−1448)は、エジプトと小アジアのミタンニが強国として対立していました。(ミタンニや、後にミタンニを滅ぼしたヒッタイトはメソポタミア諸国まで影響を及ぼしていました。バビロニアではカッシート人が支配権を確立し、アッシリアはミタンニに長く支配されていたわけです。)
ここで、その後の他の優れた支配者達をざっと紹介しておきましょう。
さて、エジプト最大版図を獲得したトトメス3世の後継者として征服を続けたアメノフト2世、トトメス4世。その後衰退した18王朝に代わって、エジプト19王朝(1345−1200)のセティ1世と、その子でヒッタイトとのカデシュの戦で知られるラムセス2世は遠征を再開します。
ラムセス2世はトトメス3世には及びませんでしたが、彼に次ぐ軍事的な英雄王として有名ですね。
小アジアのライバルだったミタンニでは、地中海からアッシリアまで勢力を伸ばした王国最盛期はシャシャシャタルの時代です。
ミタンニを滅ぼしたヒッタイト新王国(1380−1200)のシュッピルリウマ1世、さらにムルシリュ2世、カデシュでラムセス2世を撃退したムワタリも優れた統治者でした。
アッシリアはようやく歴史上に浮上してきます。アッシリア中王国(1375−1047)の誕生です。
まず、ミタンニの長期の支配から、ヒッタイトの協力でアッシリアを解放したのは、アッシリア中王国アッシュール・ウバリト1世でした。
その後継者として征服戦を展開したのは、アダドニラリ1世、シャルマナセル1世、
そして、ついにメソポタミアの拠点バビロニアを征服したのは、トゥクルティニヌルタ1世です。
しかしその後、アラム人が侵入し、ヒッタイトの没落と同時期に再びアッシリアは衰退します。
紀元前11世紀頃
エジプトでは、第20王朝のラムセス3世が海の民と戦い、エジプトの最後の栄光の時代が過ぎ去っていく頃、
アッシリアでは、ティグラトピレセル1世は一代で王国を再建しますが、その死後再びアラム人との抗争等で再び領土が縮小します。
ようやくアッシリア新王国(883−612)が登場。
この時代から大征服時代が開始されます。
騎兵隊を始めて導入した征服王アッシュルーナシルパル2世、その後継者シャルマセル3世、シャムシアバド5世は近隣諸部族を平定し勢力を拡大していきます。アラム人やバビロニア、ウラルトゥ王国等との戦いが繰り広げられました。
(この頃他の国では、800年頃、小アジアでヒッタイト滅亡後にフリギア王国が勃興。最盛期はミダスの時代です。また、アッシリアの北方ウラルトゥ王国が800年頃には王国として全盛期となり、アルギシュティとセルドゥリ2世の時代は最も強大でした。)
ここまで、非常に簡単に流してきましたが、ようやく、ティグラトピレセル3世の登場です。
ティグラトピレセル3世(統治745−727)は、アッシリア史上名前が最も良く知られた人物の一人ですが、アッシリア世界帝国の建設者と呼ばれています。
アッシリアが最初の世界帝国と呼ばれるのは、メソポタミアからエジプトまでを支配した初めてのオリエント世界の大国だったためです。(さらに小アジアからも朝貢させることに成功します。)
アッシュルーナシルパル2世以降の諸王も優れた征服王なのですが、その後シャムシアバド5世の妃のシヤムラマト(セミラミス)が摂政として幼王に代わって統治した時代から数代の間に、宦官が権力を握り、各地を征服したアッシリア総督が地方での支配権を確立した時代があったために、その後に登場したティグラトピレセル3世が、真の世界帝国建設者の名誉を得たのです。
彼は偉大なカリスマ性を発揮し、地方総督の力を弱め、これまでに無い強力な王権を確立し常備軍を整備しました。彼の軍事改革により、これ以降100年の間にアッシリアはたちまちオリエンントの覇者となります。
さて、古代オリエントの戦いに関しては、古代エジプトのメギドの戦いとカデシュの戦いの2例を除き、具体的な戦いの記録がある場合は非常に少ないので、アッシリアの征服戦も、個々の戦いでは無く、戦争や作戦全体(キャンペーン)で論じられることになります。
ティグラトピレセル3世は、前743年頃から過去数代に渡る、宿敵ウラルトゥ王国との長い戦いを継続し、前736年首都ヴァンを攻撃してこれを陥落させることに成功します。
またシリア周辺にしばしば遠征し、前740年にシリアの反アッシリア同盟諸国の中心であったアルパドを包囲陥落させることにも成功します。
そしてシリア周辺諸国から貢納を取り立てますが、これに対し、イスラエルやアラム(ダマスコ)等が反アッシリアの同盟を結成し反乱し始めます。
彼らは同盟を結び、さらにユダに同盟参加を要請しました。しかし、ユダ王アハズがこれを拒んだため、ダマスコのアラム王レツィンとイスラエル王ペカは、ユダに対して戦いを仕掛けました。
これを「シリア・エフライム戦争(前734年―732年)」と呼びます。
(ここで聖書の話題です。ユダヤ王国は、ソロモン治世の後、北王国(イスラエル)と南王国(ユダ)に分裂しましたが、北王国の首都はサマリアで、サマリアは12支族エフライム族の領地だったため、エフライムと呼ばれ、北王国イスラエルをそのものもこう呼ばれます。アラムと北王国イスラエルの連合軍が南王国ユダに対し「アラム・イスラエル」戦争を起こしたのですが、歴史的には「シリア・エフライム戦争」と呼ぶのが通例です。)
この危機で、ユダ王アハズはアッシリアのティグラトピレセル3世に援助を求めます。アッシリア軍はたちまち反撃し、イスラエルの都サマリア、ダマスコ(ダマスカス)を攻略し完全に占領します。(前733−732)
また南方では前729年にはバビロニア遠征してこれを征服し自らバビロニア王となりました。
2年後、ティグラトピレセルは死去しますが、その後継者として征服戦を行ったサルゴン2世、セナケリブ、エジプトを征服し最大版図を獲得したエサルハルドン、アッシュールバニパルといった帝王達により世界帝国は完成されていきます。
世界名将100選には、アッシリア代表として、多くの候補がいます。アッシュルーナシルパル2世も有力候補ですし、ティグラトピレセル3世の後継者のサルゴン2世は、ウラルトゥ征服戦などティグラトピレセル3世以上に軍事行動は良く知られているかもしれません。
しかし、ティグラトピレセル3世は初の世界帝国の創設者としての名誉を持っています。彼の政治と軍事の改革が最強の軍団を生み出し、以降100年間オリエントを制覇したのです。
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