京都を感じる日々★古今往来Part1・・・京都非観光名所案内

写真容量の関係で、過去の記事をかなり削除していますが、よろしくお願いします。

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京都市右京区には西院(さいいん)という地域があります。
平安時代の淳和天皇(786〜840)の退位後の離宮・淳和院に由来し、御所の西の離宮ということから「西院」と呼ばれるようになったようです。


淳和院は元々南池院と呼ばれ、淳和天皇の即位前からの御所でしたが、天長十年(833)の譲位後に淳和院と改称しました。四町四方規模の景勝地として、度々詩会が行われたと言うことです。承和七年(840)に上皇は淳和院で亡くなり、その後は皇后正子内親王(810〜79)の御所として仏道修行場となったようですが貞観十六年(874)に焼失し、後に尼寺となり西院とも称されたと言うことです。現在の西院地域の西淳和院町、東淳和院町、高山寺町辺りはこの淳和院(西院)があった地域で、平成五年(1993)、大型家電量販店が建設された際に、発掘調査が行われ、淳和院の建物跡が発掘されました。現在、家電量販店の壁に淳和院の説明板が取り付けられています。

さて、今回の西院高山寺町にある高山寺も、淳和院の跡地に建つ寺院です。門前には淳和院跡を示す石標が立っています。(写真)
高山寺は、山号を日照山という浄土宗鎮西派の寺院で、創建年代は不明ですがかっては高西寺と呼ばれたようです。本堂に子安地蔵と呼ばれる地蔵菩薩像を安置していて、この像は足利尊氏が近江の堅田にあったものをこの地に移し、足利義政の妻・日野富子も、この地蔵尊に祈って義尚を生んだと伝えられます。この子安地蔵は、室町時代には洛陽の六地蔵の一つとして人々の信仰を集めました。

特に、江戸時代には西院(当時は「さい」と読んだため)=「賽(さい)」として、「賽の河原」がこの西院と考えられるようになり、地蔵信仰を詠った「賽の河原地蔵和讃」の舞台として信仰を集めました。(賽の河原で、多くの子どもたちの霊が、親を偲んで河原の石を積んでいると、地獄の鬼がやってきて積んだ石を崩してしまいます。すると地蔵様が現れ子ども達を救ったという伝説で、この高山寺の子安地蔵がその地蔵様として信仰されたと言うことです。)また、本堂前の大きな地蔵石仏は、京都東山の黒谷から移したと伝えられます。

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