京都を感じる日々★古今往来Part1・・・京都非観光名所案内

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油懸地蔵(西岸寺)

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伏見区下油掛町にある西岸寺(さいがんじ)は、山号を油懸山(あぶらかけざん)、正式には地蔵院西岸寺という浄土宗寺院で、天正十八年(1590)雲海上人により創建されました。
通称「油懸地蔵(あぶらかけじぞう)」として有名で、町名の下油掛町もこの地蔵菩薩に由来します。(尚、同名の地蔵が右京区嵯峨天竜寺油掛町にもあります)



桃山時代に西岸寺が創建される以前からこの地に寺院があったようですが、詳細は不明な点が多いようです。寺伝によれば、鎌倉時代の伏見天皇や桃山時代の正親町天皇の信仰が篤く、正徳三年(1290)不思議な霊験があったことにより、文保元年(1317)に伏見院の離宮跡(西岸寺の現在地)を賜って、地蔵院の称号を賜ったと伝わります。当時は広大な敷地があり、その頃から役の行者像や弘法大師像を祀っていたと伝えられます。

有名な地蔵堂にまつられている「油懸地蔵」も西岸寺の創建より古くからこの地に祀られていたようです。この「油懸地蔵」の由来は、寺伝によれば、昔、山崎(京都府乙訓郡)の油上人が、この地蔵菩薩の前で転んで油桶を壊して油を流してしまいました。当時、油は非常に貴重なものだったので落胆しましたが、残った油の残りを地蔵菩薩に注いで供養して行商に出かけたところ、その後、商売が大いに繁盛し店は栄えたといわれます。それ以来、この地蔵菩薩に油をかけて祈願すると願いがかなうとして、人々の信仰を集めました。

油懸地蔵は、花崗岩に彫られた高さ1.7m、幅80cm花崗岩に彫られた像高1.27mの石仏で、地蔵菩薩の立ち姿が浮き出るように厚彫りで彫刻され、右手に錫枝、左手に宝珠を持っています。なで肩、大きく胸の開いた彫法で縁の部分の大きな像ということから鎌倉時代の石仏と考えられています。銘文が刻まれているようですが、昔から油を掛けて祈願され、今では油が2cmも厚く積もっているので調べようが無いということです。



また、境内には「我衣にふしみの桃のしづくせよ 芭蕉」と自然石に刻まれた句碑があります。
これは貞亨二年(1685)、西岸寺の第三世住職の任口(にんこう 宝誉)上人の高徳を慕って寺を訪ねた芭蕉が、出会いの喜びを当時の伏見の名物だった桃に事寄せて、その特に欲したいと願って詠じたもので(「野ざらし紀行」)、碑は文化二年(1805)に建てられました。任口上人は松江重頼(維舟)門下の俳人で、法名は如羊と称しました。西山宗因に連歌を、や松江重頼(維舟)から俳諧を学んで、晩年は談林の長老として慕われました。
そのため、西岸寺を訪れる客は多く、西鶴、其角、玖也、季吟、意朔等の当時の著名な俳人も訪れたようです。尚、任口上人は貞享三年(1686)81歳で死去し西岸寺の墓地に眠っています。

尚、地蔵堂は明治維新の鳥羽伏見の戦いで類焼したため、明治二十七年(1894)に一度再建されました。現在の地蔵堂は、その後、昭和五十三年(1978)に再び建立されたものです。
また、現在本堂を建設中です・・写真で遠くに建築中の姿が写っています。

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良い写真が載っていてうれしいです。
京都の「油掛地蔵さん」は京都にもう二体おられるそうです。
一つは右京区嵯峨天竜寺油掛町におられて、ブロ友の京にゃんこ京ねずみさんが、取材して記事にして下さいました。
もう一体は右京の長福寺らしいです。
との事で、知っている人と、記事を、探しています。

2011/11/28(月) 午後 4:39 みぃにゃん

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私も嵯峨の油掛地蔵について、もうひとつのブログに記載していましたので、下にトラックバックしてみます。
さて、長福寺の油掛地蔵にちついては、以下の方の記事に写真が掲載しています。実は、私もずっと以前に長福寺をブログに掲載しようとして、この地蔵堂を訪れたことがありますが、山門を固く閉ざした非公開寺院なので掲載は見送ったことがありました。
http://plaza.rakuten.co.jp/sokonashicage/diary/200906270000/

2011/12/1(木) 午後 2:33 [ hiropi1700 ]

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油掛け地蔵 (伏見以外にもこんなにたくさん有ります)

京都市伏見区に、その名前も油掛町と言う地域があり、油掛け地蔵さんが有ります。 商売繁盛とか、現世利益の信仰もあり、結構有名でしちゃが… 京にゃんこ京ねずみさんが、京都市右京区嵯峨天龍寺油掛町にも、油賭け地蔵さんが有ると、書いてくださりました。 あれと驚き、調べてみると、お地蔵さんと呼ばれるけど、『鎌倉時代後期 延慶三年(1310)の銘がある貴重な阿弥陀仏石像で、油掛地蔵と呼ばれ信仰を集めている』そうです。 詳しくは、お写真も載っている [東京の京にゃんこ&京ねずみの京都観光見聞録

2011/11/28(月) 午後 4:40 [ 眠り猫のみぃにゃん ]

嵯峨の「油掛蔵地」

今回は、嵯峨野散策の際に寄ってみたい小さなお地蔵様です。 JR山陰本線の嵯峨嵐山駅から北東、または京福電鉄(嵐電)の鹿王院駅から真っ直ぐ北へ、それぞれ約三百メートル進むと、有栖川沿いの道路脇に小さな地蔵堂があります。これが油掛地蔵尊です。(京都市右京区嵯峨天龍寺油掛町) 京都市内では、西岸寺 (さいがんじ 伏見区下油掛町 ブログパート1参照)境内の油掛地蔵、右京区梅津の油掛地蔵等もありますが、西岸寺の油掛地蔵が京都と大阪との中継地として発展した江戸期の伏見商人の熱心な信仰を感じさせるのに

2011/12/1(木) 午後 1:59 [ 京都を感じる日々★古今往来Part2・・京都非観光名所案内 ]

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