「磯谷温泉」探索(平成20年4月再湯)
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鹿部から国道278号を走行すると磯谷川が流れる双見地区の右手に磯谷第2発電所を確認。そこからいきなり急峻な林道を上っていく。林道を走行すること約2km、磯谷第1発電所の手前までやってくると硫化水素臭が漂ってくる。擁壁の上から湯滝が流れ落ち、空き地には誰かが持ち込んだポリバス・ステンレスバスが無造作に放置されている。
古くから磯谷温泉は知られ、弘化2年(1845年)に松浦武四郎も「蝦夷日誌」に粗末な笹小屋の様子を著している。明治以降、所有者が何人も代わり、明治35年に熊泊鉱山主となった横浜の押野常松が譲り受けてから湯治・宿泊客で賑わうようになったようだ。大正に入って浜谷きくが譲り受け、2階建ての温泉旅館を新築して「はまや温泉旅館」を経営している。大正12年から磯谷川発電所の開始により戦後も長く繁盛したとある。昭和になって「磯谷温泉朝日旅館」の名も見える。その後、昭和48年に東海不動産の所有となるも昭和60年に建物は解体されたという。 参考:南茅部町史 北海道新聞・源泉を訪ねて 空き地の左手に朽ち果てた廃社が放置されていた。その手前を白濁した湯が流れている。湯流れに架かる橋の向こうに倉庫代わりに利用したような洞穴があった。
擁壁に穿ったような湧出孔から源泉(磯谷温泉A)が湧出している。ステンレスバスとの間に配管が渡してあり、ステンレスバスは乳白濁色の激熱湯に満ちていた。
湧出孔で計測すると53.8℃(計測時以下略)、pH7.8(50℃以下に自然冷却後pH計測)、ステンレスバスの湯温は53.5℃をマーク。知覚的には、硫化水素臭、微弱塩味。泉質は硫黄泉と云われている。配管を除けて、30分ほど放置しながら冷めるのを待ったが、30分経っても50℃を切らないので入るのを諦める。
磯谷温泉Aから約10m右の擁壁上部から54.7℃、pH8.2の湯滝(磯谷温泉B)が流れ落ちている。知覚的所見は磯谷温泉Aに準ずる。この近くにもステンレスバスが放置してあった。
冷たくなった湯は黒化し、湯の華が堆積しヘドロ状になっていた。地面に放置した配管を湯滝とステンレスバスの間に渡して、源泉を継ぎ足してみる。白濁した源泉が適度な湯温になったところで、湯浴みと洒落込む。数分間湯に浸かった後で下腹部は白いエイリアンにまみれていた。急いで磯谷温泉Aのステンレスバスに駆け寄り洗い落とす。誰も見ていないのが救いである。
湯滝から約20m右手の擁壁が途切れるあたりに冷鉱泉(磯谷温泉C)が白濁した流れを作っている。湧出箇所で22.0℃、pH7.0をマーク。知覚的には硫化水素臭、微弱塩味。
念のために、擁壁の上を歩いて湯滝(磯谷温泉B)の湧出箇所を探し当てる。黒い引湯管が突き刺っている箇所から多量に源泉が湧き出し、排水路に流れ込み湯滝となって落水しているのが分かる。
黒い配管の出口を計ってみると、68.0℃をマーク。pH計測割愛。
微妙に青みを帯びた乳白濁色した湯溜まりは長径約3m×短径約1.5m、深さは約50cm。湯底はヘドロ状で湯の表面には緑藻が繁殖し湯に浸かると緑藻が浮遊する。
湯溜りの中ほどで、41.1℃、pH8.0を計測。ぬるつるした浴感と緑藻の感触がこれぞ野湯の醍醐味といったところだろうか。湯溜りから上ってみると、下半身エイリアンにならずに済んだ。ちなみに、磯谷川は高い護岸から降りることになるのでかなり面倒だ。
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先日行ってきましたが結局入れず…しかしこの記事を書いて下さった方には本当にありがとうございますと言いたいです。そしてご苦労様でした!
2008/7/2(水) 午後 9:14 [ sto*_se*_99 ]