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Kato's TRICKS

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祈りと勇気

 ホクレアとアリンガノ・マイスが多分あと二三日のうちにはビッグ・アイランドを出てミクロネシアに向かいますな。ミクロネシアね。日本じゃないんだよ。ホクレアが行くのはミクロネシアなんだ。何故って、ナイノアの師匠はミクロネシアの人だからね。勇気ある男、ピウス・”マウ”・ピアイルック。サタワル島の頑固オヤジ。ホクレアがミクロネシアに向かうのはこの大恩人に挨拶する為。もしも30年前にこの偉大なる航海者が「断る」という英語を知っていたら、ホクレアは今頃ビショップ博物館の庭に「一度だけミクロネシアの男の航法でタヒチに行った船」って説明書きを添えて置いてあっただろうね。

 そう、冗談じゃないんだよ。マウ先生は断りたかったらしいんだ。ただ上手く英語でそれを言えなかった。

 こんな話もある。1975年だ。チェチェメニという航海カヌーが沖縄島を目指すことになっていた。航法師は偉大なる航海者の一族の一人、レパングルグ。でもこの時、彼はもういい年だった。本当はレパングルグはマウを沖縄に行かせようと思っていたんだな。でもマウは断り方を知らなかったから、翌年にはホクレアを導いてタヒチに行かなきゃならなかった。本当だぜ。1975年にサタワル島に居た人に俺が直接聴いた話だ。

 わかるかな。ホクレアってのはミクロネシアの勇気ある(そしてお人好しの)航海者たちの力が無ければただの屁の突っ張りだったんだ。でっかい割り箸みたいなもんだったんだ。だからホクレアはミクロネシアに行くんだよ。日本航海なんて添え物みたいなもんだ。大事なのはミクロネシアだ。

 そのレパングルグ先生。カロリン諸島の航海カヌー文化を蘇らせた大功労者の一人だ。レパングルグ先生は日本語がバリバリに話せた。テレビで聞く限り、俺はレパングルグ先生の日本語の方が吉本興業や太田プロのバカどもの日本語より遙かに美しいと思うくらいだ。

 話を戻そう。ホクレアが目指すのはミクロネシアだ。そして主役はアリンガノ・マイスだ。マウ先生に贈られるハワイ式の航海カヌー。一時は完成も危ぶまれていた。金が集まらなかったからな。そんな時にビッグ・アイランドに駆けつけてこの船を造り続けたのは、ネットには名前が出ない頑固者の船大工の棟梁や、やはり名前は知られていないビッグ・アイランドの人達。日本からも二人の勇者がカワイハエに駆けつけて何日も何日も泊まり込んでこの船を造った。マウ先生の息子さんやお弟子さんたちもビッグ・アイランドに何ヶ月も滞在して応援した。

 大事なのはここだ。この船を造ったのはナイノアじゃない。ハワイやそれ以外のポリネシアにはナイノア以外にもマウ先生を敬愛する人間が数限りなく存在していて、そんな人達の思いがこの船を完成させた。ナイノアじゃないのよ。

 ナイノアがホクレアでサタワル島に行くのはそんな貴重な船を送り届ける航海の応援だ。じゃなきゃあ、お天道様が許さないだろ。日本まで来るのはついでなんだ。重みが違う。

 でもな。そんなホクレアの出航。ホノルルを出航する時だよ。まずは英語でナイノアが航海の無事を祈る。その次。嬉しいじゃないか。その次は何と日本語で航海の無事と感謝の祈りが捧げられたって話さ。荒木汰久治さんだ。今や隠れもないホクレアの中核クルーの一人だ。俺たちは感謝しないといかん。荒木さんや内野かな子さんみたいな勇気ある日本列島の子供達がハワイに渡って凄い仕事をやってくれてるんだもんな。

 それでだよ。ホクレアがついでに日本まで来る理由。まあ表向きの理由は色々あるだろうし、裏の理由も色々推測されている。でも、俺が思うに、今日本列島人がホクレアに学ばなきゃいけないのは次の二つだ。勇気、そして祈る心だ。

 勇気。血の気が引くことに、今日本でホクレアの記事を書いている雑誌のかなりのところは、ホクレアの魂、人類史上最も勇気ある男の一人、エディ・アイカウのことを書かない。多分知らないんだな。冗談よせよ。勇気ってものをローマ字にしたらcourageじゃなくてEddie Would Goになるんだよ。それってどうなのよ。全く駄目でしょう。お話にならん。エディの勇気が無かったら今頃ホクレアはモロカイ海峡の水底だ。命をかけてホクレアを生かした男の事跡を語らないでどうする。

 そして祈る心。荒木さんが俺たちの代わりにホクレアの旅立ちに際して祈りを捧げてくれたわけだが、祈りってのは船出の時にだけ捧げるもんじゃない。人間も人間社会も、それだけじゃあ自分のケツを拭けない。これは端的な事実だ。だから人力を越えた何かに祈る。祈って何かが確実に起こるわけじゃないが、祈ることで人間は人間以上の何かとコミュニケーションする。それが実在しているかどうかは問題じゃない。人間が無敵じゃないってことを対話のなかで理解する。その為の行為が祈りだ。

 ポリネシアの航海カヌーが旅立ちの前に必ず祈るのは、それで実効的な何かを呼び起こそうとしているんじゃないと俺は思う。あれはコミュニケーションなんだ。宇宙との。

 勇気。祈り。今の日本社会に割と足りないもんだろう。もちろん俺が言いたいのは例の軍国主義カルトのことじゃない。あんなものは勇気とも真の祈りとも無縁だ。あんなものよりも自分の今立っている土地の魂に祈るべきなんだ。俺の息子にエディ・アイカウの強さを。最高の優しさと強さを。ホクレアとアリンガノ・マイスの航海の無事を。

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