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「ホルン」の名器を生み出したドイツ工房「クルスペ」について書いています。
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↑ルディ・シュナイダー氏の写真(1960年代のカタログに載っている写真ですが・・・当時のシュナイダー氏はもう少しお年を召した様子の写真が残っていますので、この写真はおそらく・・・ですが、戦前のもう少しお若い時だと思っています。ということは、この組立中の楽器、ホーナーモデルは戦前のオールド(^^;。つまりオリジナルホーナーと言われる名器の可能性大(^^;。)
 
さてルディ・シュナイダーについて前々回のブログで書いていますが、その後もいろいろ情報が入ってきたので追加で書いてみたいと思います。なにせ30年数年前まではご存命だった方ですし、浜松の工房主さまは直接お会いになってらっしゃる方ですので、そう古く(^^;はない。・・・と思われがちですが、実はシュナイダー氏は1930年代にはすでにクルスペで修行を始めていますし、戦前あたりの楽器の多くも手掛けていますので、オールドの楽器を作った人、と言っても過言ではないですね。私の師匠がよく「戦前のオールド」「戦後のオールド」という言葉を使ってらっしゃいましたが、すでに戦後72年も経っていますので、楽器として戦後であろうが、オールド、と銘打っても、あながち間違いとは言えないでしょう(^^;。さてシュナイダー氏の境遇についてですが、やはり戦争という波に翻弄された人生であったことは間違いないでしょう。もしあの戦争さえなければ、ホルンメーカーとして大きな会社になっていたであろうことは想像に難くありません。戦争に負けて国が分割され東に入ったことで会社の命運は尽きたのかも知れません。戦後のシュナイダー氏は国の政策のために、思うように楽器作りはできず、部品の供給のないまま修理を主に生き延びてきたようです。ただそんな中でも新しい楽器は作りました。というのも、戦前大きな工房だったクルスペでは、ほぼ全ての部品を自社制作していましたので、ベルもかなり大量に作り置き(^^;していたという資料が残っています。つまりホルンにとって非常に大事なベルという部分は、かなり残っていたようです。本体を組み立てて、昔作ってあったベルを付けて作るということができたようです。ただロータリーの部品や支柱などは時が経つにつれ供給品になり、ストックされていたベルも底をつくと、もちろん自分で作るしかなくなったようで、これがおそらく1970年代前後のことではないかと推察されます。またその頃になると部品も少なくなってきたので、黄色の楽器の一部に赤を混ぜたり(その逆もあり)、その時ある部品で楽器を組み立てた形跡もあります。こんな様々な推論(^^;から、現代に残るクルスペのオールドは、年代がベルやその他の部品などにより、およそ何年くらいに作られたのか分かるようになりました。もちろんこればかりは絶対!はないですが(^^;。シュナイダー氏が手掛けた(と思われる)楽器の中では、セミダブルのヴェンドラーモデルとフルダブルのホーナーモデルは特に多く残っています。少し話はそれますが、オールドクルスペを話題にいろいろな方と話をしていて、よく交わされる話題に「戦時中に楽器なんて作っていたのか?」という疑問。ドイツの当時の方々やその歴史を生きてきた末裔達の方々は「そんな大変な時期に楽器なんて作っている訳がない」というご意見。ただ、私は、当時のドイツについて調べたり、実際自分の親達の戦時中の話(もちろん日本ですが)を聞くと、戦争で大変であっても、戦争に行ってない人は生きるための生活があるわけで、やはり商売はやっていくしかない訳です。楽器作りも、戦時中には軍楽隊のための楽器を作る必要があるわけで、当時の軍楽隊の楽器を調べると、クノッフやクルスペのFシングルが使われています。ということは少なくともそういう楽器は作り続けているはずなんですね。ですので、1940年頃から45年の終戦までの戦中であっても楽器の製造はあったのではないか?と私は勝手に思っています。閑話休題。さてシュナイダー氏の作った楽器、日本にもたくさん入ってきました。もちろん東独時代には少なく、当時は「幻の名器」と言われていたほどですから、数は少ないですけど・・・。その後本国ドイツはもちろん、ヨーロッパの各地(特にチェコやハンガリーなど)やアメリカから古いクルスペが沢山日本に渡ってきました。1980年代頃、私の師匠が所属していたN響では、シュナイダーが作ったクルスペを4名ものホルン奏者が使用していた時期もあります。別のブログで詳しく書いていますので、興味のある方は是非ご覧ください。ただし・・・肖像権などの問題が発生しましたら写真は即削除させていただきます、すみませんm(_ _)m
 
http://ameblo.jp/horntry/(こちらも更新いたしまた。ご覧ください。)

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クルスペ工房ではホルンに限らず信じられないほど多くのタイプの金管楽器が作られていました。クルスペというとホルンやトロンボーンが有名ですが、実は金管楽器のほとんどが作られていました。縦、横のトランペット、コルネット、テナーホルン、アルトホルン、バリトン、そしてチューバーなどの大型金管楽器。そしてホルンでもシングル、ダブルはもちろん(元祖ですから(^^;)、ワグナーチューバからデスカントホルンまで作られていました。さすがにトリプルホルンの歴史は新しいのでトリプルは作っていませんが、B−ハイFのデスカントダブルはあります。実際何本かのクルスペB−ハイFのダブルホルンはお目にかかりました。さすがに下吹きの私には必要のない楽器ですし、デスカント管の吹き方は分かりませんので、実際そのB−ハイFのクルスペを吹いても、扱いがなんとなく分からず(^^;、あまり興味の持てないままでした(^^;。ところが、今回出会った「ハイFシングル」のホルンはあまりに衝撃でした(^^;。クルスペがこんなホルンも作っていたことには驚きませんでしたが、でも実際モノを見たときは感激しました(^^;。まずは作りが「美しい」のです。ベルも通常のクルスペの広げ方をそのまま小さくしたような感じで、ハイFシングルなのにとりあえず「太ベル?」っぽいのがなんとも言えず嬉しいですね(^^;。しかもこの楽器は「赤」で且つ幅の広いクランツ付き。これで通常の甲高い?明るいハイF管が、なんだか落ち着いたしっとり感のある音色で、ハイF管を吹いたことのない私でもしばらく手放せなくなるほど良い響きで鳴ってくれるのです!通常デスカントは「高い音が出る!」という意味ではなく「高い音が当たりやすい」という意味で、高い音を出すために使う楽器ではありません。つまり高い音が出ない吹き方をしていたら、デスカントでも高い音は出ないものなのです・・・が・・・この楽器は、高い音が出る!・・・という楽器・・・のように勘違いしてしまうほど、高い音が吹きやすいのです(^^;。下吹きの私がいうのでその勘違いは勘違い以上のモノといえるでしょう(^^;・・・・・!やはり余計なモノが付いていないのが良いのでしょうか?私の師匠がシングルホルンにこだわっていた理由がココにあるような気がします。ともあれ、ハイFシングル・・・おそるべし!(^^;です。

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ルディ・シュナイダー。クルスペ工房の先代マイスターのひとりです。我々世代では当時(1970年代)いわゆるニュークルスペと呼ばれ、戦前や戦後のオールドとは区別されていました。当時クルスペ工房のある東ドイツは外交関係の遅れた日本とは輸出入が盛んではなく、東ドイツ製品が日本に入ってくるのは非常に稀なことでした。ただ東ドイツ政府に従ったホイヤーなどはそれでも数多く入ってきた時代です。クルスペはこの当時「幻の名器」と言われ、日本では非常に入手困難な楽器でした。それでもシュナイダー氏の作る新品の楽器が数少ないものの日本に入って来ました。当時シュナイダーがクルスペ工房を引き継いだのが1956(しかし当時は1961年と言われていた)ですので、それまでは先代のマイスター(エドワルドと言われていましたが、これは間違いでした。ただ当時我々はそう信じていました(^^;)が作っていて、それが戦後のオールドと区別されてシュナイダーをニュークルスペと呼んでいたのです。ところが調べていくうちにそれが大きな間違いであることがわかってきました。シュナイダー氏がクルスペに丁稚奉公(日本風に言えば(^^;)でクルスペに入ったのは1930年代であり、その後修行をして(当時のマイスター制度では一度外に修行に出されるのが通常だったようですがシュナイダー氏がそうしたかどうかは不明です)楽器を作り始め、その後クルスペで作り続けていたのです。となると戦前のオールドも戦後のオールドもシュナイダー氏が作ったものが沢山あるわけで、彼が工房主になった時に作り始めた訳ではなく、それまでも彼が作ってきた訳です。ですので、当時我々がニュークルスペと戦後のオールドは全く別物!と言われていたのは全くの間違いで、同一人物の作がほとんど!という訳だったのです。もちろん、違いはあります。作り方はおそらくほとんど変わってないと思いますが、使われた板材やロータリーや支柱部品などは、戦前モノと戦後モノは全く違いますので、そこで差が出ることはあります。ただ作り手はほぼ変わってないのです。戦前のものに関してはシュナイダー一人ではありませんでしたので、他の職人が作っていたものも多くあるでしょう。また戦後もシュナイダー一人でという資料をよく見ますが、1950年〜60年代までは彼の他にもまだ職人がいたようです。これは先代マイスター、ヘルドマン氏から直接お会いした時に聞いた話なので間違いはないでしょう。彼も1950年代クルスペで働いていたからです。日本ではどこでどう間違ったのかは分かりませんが、シュナイダー氏についてかなり間違った情報が入ってきたようです。これは現在にも続く勘違いで、今でもシュナイダー氏の作をオールドとは別物として扱っている風潮があるようです。とは言え我々世代はそういう時代でしたので仕方ないことかもしれません。なにせ情報の少ない時代でした。ただ現在に至っては日本でニュークルスペと言われた1970年代からすでに50年近く経っているのです。50年前の楽器と言えば全くオールドですよね(^^;。金管楽器を使用する多くのプロ奏者や、世界中にいるアマチュアのホルン吹きのおそらく9割は10年以内に作られた楽器を使っていると思います。ですので50年前に作られた楽器は、りっぱ?なオールドですね!シュナイダー氏のクルスペも今やオールドクルスペなんですね。私の師匠が昭和33年頃(1958)に入手した新品のBシングルのクルスペ。この時代にはベルカットモデルも作られていて、その為に専用のマークも考案されました。師匠の楽器にもこのマーク(昔我々はリボンマークと呼んでいましたが)が付いていました。師匠がこの楽器を初めてケースから出した時「手が震えたよ!(初めてクルスペを持つ感激で)」というお話と、「なんだ・・・ワシマークが付いてないじゃないか!」というちょっとしたガッカリ感を持った、というお話をよくされていたことを思い出します。私が入手した赤のセミダブルの1本も師匠の楽器と同じマークが付いていますし、作りや部品から、この時代の楽器と同じ時期に作られたもので、つまりはこの楽器、私と約「同級生」(^^;ということになります。自分が生まれた時代と同じ時期、地球の裏側で作られた楽器を今こうして吹けることに幸せを感じますね。これも全てシュナイダー氏という偉大なマイスターがいたからこそです。シュナイダー氏に感謝!ちなみにこの楽器、ベルリングはヤマハ製(^^;で、またロータリー部品の一部はオリジナルではありません。しかしその他の部分はオリジナルのままで、60年近く経った楽器にしてはまだまだ元気いっぱい(^^;です。材料(特にロータリーヴァルブの)が重いため、セミダブルにしては重量があります。普段自分が使用している楽器を持ったあとにこの楽器を持つとかなりのズッシリ感が(^^;。ただ音は赤のオールドの音がして心地良く、重い割には楽に鳴ってくれるのが嬉しいですね。
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↑こちらのブログでお知らせした「バンドライフ」誌の特集記事の中で、何枚かのホルンの写真を提供して説明に使わせていただいたのですが、持ち主の方から「もしかしたらコレは私の楽器ですか?」と問い合わせがありました。もちろん写真を出すからにはそれなりの告知はしていましたが、コレは元々の所有が自分でしたので、特にお譲りした方には連絡いたしませんでした。なぜ分かったかといえば、ホルンのベルに映った人影がどうも自分ではないか?と思ったからだそうです。まさかベルに映る人影があったとは全く気が付きませんでした。なるほどよく見ると人が映ってますね(^^;。さて、この楽器、間違いなく1930年代のクルスペ、オリジナルホーナーモデルです。なぜこの当時にオリジナルと付けていたかと言えば、おそらく当時のクルスペの工房主であったヴェンドラー氏がホーナーモデルの改良モデルをいくつか作ったため、それと区別するために「オリジナル」と付けたようです。もちろん正式にこの当時のカタログに載っています。ですので1924年より前のモデルはオリジナルホーナーという言い方はありません。もちろん現在よく言われているプレホーナーという言い方もありません。ホーナーモデルは長い間、何度もマイナーモデルチェンジをしてきましたので、後世、区別するために呼び名を付けたのでしょう。さて、この楽器はおそらく一番素晴らしい時代のもので、当時アメリカでは、フィラデルフィアのメイソン・ジョーンズ氏をはじめ、アーサー・バーブ氏ら、多くのホルン奏者がこぞってこのホーナーモデルを使用しました。フィラデルフィア・ボストン・ニューヨークのオーケストラのホルンの基礎になったと言っても過言ではないでしょう。このモデルをコピーしたのがコーン8Dです。オリジナルホーナーの主な特徴は、F−B切り替えのロータリーが少し小さく120°のもの、B調整管がないもの、などです。現在作られているクルスペのホーナーモデルは、この1930年代のオリジナルホーナーをモデルに作られています。音色はクルスペ王道(^^;の音色で、これぞクルスペ!という音色が楽しめます。白と黄色ではもちろん吹き心地、音色は変わりますが、吹きこんだ時の鳴りや響きの豊かさ、力強さは、非常に魅力的です。吹いていると、しばらくは楽器を手放したくないくらい吹き続けていたくなります(^^;この時代の楽器はさすがに少なく、アメリカでは圧倒的に白が多いのですが、それでもかなり希少です。通常多く使われている黄色の楽器はそれより少なく(これはあくまで私が見てきたものの中で、という意味です)ヨーロッパから出てきます。この時代のヨーロッパの主流はおそらくセミダブルでしたので、フルダブルは、元々非常に少なかったようで、つまりは現在においてもこの時代のホーナーモデルは非常に希少です。最近の世界各地のオークションなどで出品されるクルスペの中でも(最近めっきり減りましたね〜・・・さすがに買い手のほうに楽器が行き渡り、値段が下がってきたもので、売り手のほうがあまり出さなくなったのかもしれませんね・・・)特に希少で、なかなかこの時代の楽器に出会うことはありません。実はこの写真の楽器もドイツから出てきたもので、黄色のオリジナルホーナーは私もこれともう1本しか知らないくらいです(^^;ドイツにはまだ眠って(^^;いるのではないかと期待していますが、またどこからか出てくることを期待しています。チャンスがあれば、多くの皆さんに吹いていただきたいお薦め(^^;の楽器です!

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友人にも多くのクルスペ吹きがいらっしゃいます。私が紹介させていただいた楽器もありますし、浜松の工房にメンテナンスをお願いした楽器も数多くあります。この度もその中の数本を定期メンテナンスのために預かることになりました。この写真の楽器もそのうちの1本です。これは私がとりあえず海外から購入した楽器でオーバーホール後、新しいご主人様のところへ渡った楽器です。1924年以降〜1930年代前半(おそらく)に作られた名器です。この時代にはもちろんヴェンドラー氏もご存命で、もしかしたらご本人も試奏されたかもしれませんね。この時代のヴェンドラーモデル(セミダブル)の魅力はなんと言っても、音色にあるでしょう。音色や吹き心地の感想は個人の好みの問題ですので、良し悪しではなく、あくまで以下に書くのは私個人の感想にすぎませんことをお含みおきいただくとして、まずは「甘い」音色であること。「甘い」というのは「柔らかさ」や「暖かさ」という表現にも通じるもので、逆に言えば少しダークな音色とも言えると思います。現代のホルンのイメージからすると一般の方が思うホルンの音よりも違ったイメージになるのではないかと思います。そこがクルスペの特徴と言っても過言ではないでしょう。また「密度が濃い」「実の詰まった音」という表現が言えると思います。息を楽器に入れて響いた時の感触、また楽器を持つ掌に伝わる振動、それらは、密度が濃く、実がしっかりと詰まった果実のようなイメージの響きがします。吹奏感は、人によってはある程度の抵抗感を感じられるかもしれません。それがこの密度の濃い音色を生む要因とも言えます。「抜けるような青空」のようなものでなく「深い森の中」といったイメージと言えるでしょう。ちなみに以上述べた表現は全て私の師匠、安原正幸氏が使った言葉でして、クルスペを語る師匠には欠かせない表現方法でありました。懐かしい想いをかみしめながら師匠の数々の名言と音色が思い浮かびます。さて、もちろん楽器には個体差があり、特にオールドの場合は1本1本が純粋な手作りですから、個体差がないと言えばウソになります。ただオールドの場合は、このヴェンドラーモデル全てに関して、今まで述べてきた私の勝手な感想が、まず間違いなく味わえると信じています(ただし!・・・きちんとオーバーホールされた楽器)。この写真の楽器もできれば、多くの人に吹かせてあげたい!そんな思いにさせる楽器です。

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