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シンフォギアの4期と5期を見届けるまで、生きることを諦めないっ!

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「ゲームやアニメについてぼそぼそ語る人」さんの企画
≪今期終了アニメ作品(3月終了作品)の評価をしてみないかい?20≫
 
今回は多くのアニメ作品を評価してきましたが、この作品は
もう一度軽く観返してから記事を書いてみました。
 
『新世界より』
評価 21点
 
ストーリー ☆☆☆☆☆
原作が小説というのもあって、5話くらいまでは様子見だろうと思い待ってたら
4話で作品世界の壮絶な歴史が露見し、そこからじくじくと世界の毒素がにじみ出てくる様が恐い。
 
特に、超能力によって人を殺すことに罪悪感の無い存在である
悪鬼のおぞましさを殊更に見せつけ、しかし終盤に立ちはだかったものは
主人公の早季たちの身近にいた存在だったというどんでん返しがお見事!
 
同時に、超能力を無意識に放出し自分の周囲を変質させる業魔の
悲痛な顛末も織り交ぜ、単なる超能力ものに収まらないようにしてあるのも良い。
 
そして更に、超能力を持たない“バケネズミ”の存在が
作品の中でウェイトを占めているのがとても興味深かった。
 
ただ思うのは、14歳編でのボノボる描写って必要あったのか?ということ。
終盤においては26歳(大人)になったからかそうした描写がなくなってたので余計に疑問。
 
キャラクター性 ☆☆☆★★
主要キャラ5人は、典型的な利発な少年とか生意気な少年
平凡な少女などオーソドックスなもの。
まあ、作品の本質が主人公たちの活劇ではないので
物語の中心にいるキャラの魅力は少なくてもよかったのだろう。
 
逆に、主要キャラたちが出会うキャラクターにこそ
個性が付けられていなければ、作品で定義したい物事に説得力が生まれないからだ。
 
奇狼丸やスクィーラ、富子さまのあたりは正にそのためのキャラだった。
何につけても、奇狼丸が超シブくてカッコイイ!
バケネズミなのに頭身やら何やらがスクィーラたちと違う(種族が違うから?)うえに
その生き様がまさしく武人のようで、それに声が平田 広明さんなのもポイント高い!
 
そんな奇狼丸と対照的に、知略を駆使するスクィーラも“人間らしい”。
早季たち“カミサマ”にへりくだり、自らを貶めるその態度は社会に住む者の処世術だし
彼の最期の言葉の非合理性(自分は同胞のためにやった、勝利の為には犠牲もやむを得ない)は
よるところが複数ある人間のようだと、自分には思えてならなかった。
 
画 ☆☆★★★
前半の作画の統一性のなさが目立った。
中には奇怪な印象を与えることに成功していることもあったが
全体的には「もうちょっと何とかできないのか!?」という箇所がある。
 
後半には一定のレベルを維持できており、それにより
最後まで絵にストーリーが阻害されなかったのがありがたい。
 
演出 ☆☆☆★★
クセのある演出、と言えばいいのかそれとも作画環境が悪いのか。
内容自体が、単なる超能力描写や怪奇描写とは違う映像を
求められているので、製作陣はかなり悩んだことと思われる。
 
それでも、悪鬼の描写や瞬の最期については
個人的には概ね満足いく出来だった。
 
あとは、4話での歴史露見によってこれまでの冒頭映像が
歴史をかいつまんでいたものと分かり、二重に驚いた。
 
それと、終盤の悪鬼をおそらく演じている矢島 晶子さんの左には役名が無かった。
これは彼女の悲しい境遇を物語っているように思えわれる。
そして最終回のクレジットでも、スクィーラを「野狐丸」と記したりするのは悪辣。
 
また悪鬼や富子などの、故人が回想で声を担当した声優さんの左に役名が無かったのは
「死んだら皆同じく無になる」という意趣があるように思われるが…これはさすがに自分の勘ぐりすぎ?
 
声優関連で凄いと思ったのは、12歳の声と14歳の声で
男の子の声優さんが変わったのに気づかなかったところ。
 
そして、瞬役の声優さんがふたりでよく合って
瞬というキャラクターの分析を行なって演技に反映していたという話。
 
音楽 ☆☆☆☆★
前半のEDは、映像の不可思議さも相まってかなり好き。
後半のEDは…ちょっと麻利亜のキャラの声すぎてイマイチ。
そしてBGMは精神にジワジワとくるものがあった。
 
総合的な評価 ☆☆☆☆★
話はとても興味深かった。
観ながら、色々と思うところがある。
それらをいくつか挙げると
 
結局は、登場するキャラのだれもが“人であって、人でなし”
しかし相反する原理に立っているということこそが
人らしく、そしてその現状から脱却しようとするのもまた人らしい。
 
現代にPKを持つ者が現れた時、その者たちは果たして【人】と定義してよかったのだろうか?
人が初めて道具そ使って狩りをした時や、人が銃というたやすく他人を殺せる道具を得た時のように
誰もが持ちうる道具ではなく、特有の【人】にしか持ち得ない性質。
 
そうした新しい特性を持った彼らは、もう人ではなくて
【新人類】と言ってもいいんじゃないだろうか?
そうして、ネアンセルターレンシスとホモ・サピエンスの争いのように
人と新人類が戦ったのは、仕方のないことだったのかもしれない。
 
そうした生存競争の末に、作品世界で人類が衰退していることは
作者が異種との対立についての提議なのかもしれない、とも思う。
 
そして作中で、スクィーラたち“バケネズミ”と【友好関係】を築くということが
スクィーラを【野狐丸】と人間のように名づけたり、農奴のように酷使していることなのだろうか?
それはかつての【植民地化】や【同化政策】に類する、“ニンゲン”側が上位の考え方ではないのか?
 
それでは、早季たちとスクィーラたちの関係はカミサマとヒトなのか、
人と獣なのか、それともひと同士と呼んでいいのか?
だとしたら、この作品では子どもの覚が人殺しをしていたのか
それとも子どもがよくやるように、虫やらを意地って遊んでいるのと同義だったのか?
 
そうすると、悪鬼がやったような虐殺と、バケネズミの駆除とはどこが違うのか?
最終話で分からなくなった早季はおかしいのか、同胞でないと言い切る覚がおかしいのか?
 
 
 
貴志祐介さんの作品を、自分はこれまで『クリムゾンの迷宮』しか読んでいないが
そちらとこの『新世界より』の両方で見られるのは、作品の壮絶な展開の果てに
「人間とそうでないモノの境目は何なのか」を読者に問いかけている点だった。
 
ひどく当惑する議題ではある。
けれど、それを考えてしまいたくなる力を持った作品だった。
原作小説に、是非とも挑戦しようと思う。

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閉じる コメント(2)

原作小説、お勧めです!
原作→アニメだともやもやが残って、アニメ単体だと難しすぎる。
アニメ→原作の順で、不明点を補いながら楽しむのが一番の作品だと思います。

貴志裕介なら、漢和辞典の由来炸裂の『ISORA』、
犯罪者のおっかなさはホラー界イチの『黒い家』が面白いかと。
最近の作品より、初期作品の方がやっぱり迫力ありますよ。

2013/6/18(火) 午後 10:28 [ --- ] 返信する

小説の感想記事までトラックバックありがとうございます!
『新世界より』の小説も興味深いようで、早く読んでみたいなぁ〜。
今ならアニメで観た景色とかを再生しながら読めますしね。

貴志先生の著作のオススメまで、感謝です。

2013/6/19(水) 午前 7:45 [ horoy ] 返信する

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