「石炭は豊富にある」という常識が覆る
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この手の話は、採掘コストや資源探査の精度、消費動向、経済動向で大きくぶれますが、少なくとも有限であることは間違いないでしょうから、その依存度合いを下げることは色んな意味で重要です。
転載
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「石炭は豊富にある」という常識が覆る「可採年数200年」は過去のもの日経ビジネス 2012年5月28日(月)
私はこれまでの連載のなかで、シェールガスの生産およびシェールガスを日本が輸入することについての問題点やリスクについて数度にわたって述べてきました。なぜ私がそうした情報を発信するかと言えば、最近の日本語で入手できるシェールガスについての情報が、ただ期待感だけを助長するようなものばかりであることに強い疑問と危機感を感じているからです。
シェールガス以外にも、いかにもすべてのエネルギー問題を解決してくれるかのような有象無象の話題が毎日のようにあふれています。確かに、閉塞感の強い現在の日本のエネルギー問題の情勢では、何でもよいから真新しいポジティブな情報に餓えているという背景はあると思います。しかし、地震が発生したという理由で技術が1年で急に刷新されることはありえないので、よほど新しいものでない限り基本的にはどの技術やアイデアも震災前と同様の課題を抱えていると考えて間違いはないでしょう。過去からあったもので、世に出て実力がいまだ評価されていないものであれば、何らかの負の側面が隠されている可能性が高いです。当然のことですが、社会に広く影響する事柄であれば、何事も良いところと悪いところの両面の評価を事前にできる限り行い、その結果をもって判断をするべきだと考えます。
石炭は“トレンディ”なエネルギー? レベッカ・コスタ氏は著書『文明はなぜ崩壊するのか』(原書房)のなかで、社会の問題が複雑化し過ぎると人間の脳は理解が追いつかなくなる「認知閾(いき)」という状態に達し、以下のような非合理な思い込みや行動に走る傾向にあると述べています。
・反対はするが対策はない
・個人に責任を転嫁して問題を解決したと酔いしれる ・怪しげな因果関係に飛びつく ・物事の原因が不明でも何か一つにこじつける ・緩和策や応急処置に満足し根本問題を先送りする ・問題を細分化してより複雑にしてしまう ・行き過ぎた経済偏重行動をとる ・何もしないことを罪悪視する風潮になる (翻訳者があとがきで追加したもの) どれも現在の日本のエネルギーの議論にぴったり当てはまるようで、もしかしたら私たちの社会は本当に崩壊のプロセスに向かっているのではないかと思ってしまうと恐ろしくもなります。
一方、日々の様々な一面的情報や、これらの非合理な思い込みに惑わされがちな状況のなかで、その重要度の大きさにもかかわらず話題にすらなかなか上らないエネルギー源もあります。それが石炭です。
石炭は環境に悪影響を及ぼし、既に過去のエネルギーといったイメージが大きいですが、依然として世界の発電電力量の40%以上を占める基幹エネルギーです。意外に思われるかもしれませんが、石炭は世界で消費量が最も大きく増加しており、古くて新しい”トレンディ”なエネルギーでもあります。といっても、米国を除く先進国では温室効果ガス排出削減の流れもあって消費量は減少傾向で、実際の消費増加量のほとんどは中国の経済成長によるものです(図1)。消費量世界第1位の中国と第2位の米国を合わせると、世界全体の6割をこえています。
図1 石炭消費量の推移
![]() (BP統計より筆者作成) 石炭の特徴は、石油や天然ガスなどのエネルギーと異なり、生産量のほとんどが各々の生産国内で消費されており、いわば“地産地消”のエネルギーと言えることです。つまり、日本や韓国のように石炭消費のほとんどを海外に依存している国は全体のなかでは少数派で、石炭は一般的に国際的な関心の対象となりにくい側面があります。
石炭埋蔵量は期待していたほどない さらに、中国やインドなどの主要産炭国では、埋蔵量の統計は国家によって直接管理されているため、国内のエネルギー専門家であっても情報へのアクセスは制限されています。また、石炭の分類もそれぞれの国でまちまちです。その意味では、石炭を客観的に評価することは、世界で取引され情報開示の需要が大きい石油よりも困難と言えます。
国際的な石炭埋蔵量の統計は、WEC(World Energy Council:世界エネルギー会議)で取りまとめられたものを引用することがほとんどで、BPやIEA(国際エネルギー機関)などの統計もすべて同じです。しかし、各々の国が公表している数値と大きく異なる場合もあり(石炭の分類や定義の違いによるものと思われる)、国際統計か本国の統計かどちらの値を採用すればよいのかの判断は悩ましいところです。
近年になって、石炭埋蔵量を再評価する動きがあります。かつて主要な産炭国であった英国、ポーランド、ドイツでは、近年の再評価によって埋蔵量のほとんどがなくなってしまいました(図2)。インドも同様に埋蔵量を大幅に下方修正しています。
また、米国でも最近になって再評価が始まっています。2007年、米国科学アカデミー(NAS)は「期待されていたほどの石炭埋蔵量はない可能性がある」との予測を発表し、米国のエネルギー戦略を考える上で最新の手法によって石炭埋蔵量を正確に把握することの重要性を指摘しました。それを受けた中間報告が2008年末に発表されています。
その分析結果によると、米国最大規模で最も生産性が高い炭鉱の一つであるワイオミング州のジレット炭鉱における再評価において、採算性がある(1トン当たり10.5ドル以下)のは、資源量のうち6%にすぎないと結論付けています。また、1トンあたり60ドルの価格であれば資源量の47%が生産できるものの、その価格では他の資源と競争ができないとしています。今後、全国規模の再評価が公表されるでしょう。
図2 主要産炭国の石炭埋蔵量の推移
![]() (BP統計より筆者作成) みなさんは、石炭の可採年数(埋蔵量/年間生産量)は何年くらいあると思われるでしょうか。200年というイメージをお持ちの方もいらっしゃるかと思います。確かに、2000年時点の統計では可採年数は227年でした。また、日本の石炭情報を一手に扱う財団法人石炭エネルギーセンター(JCOAL)のウェブサイトにある一般向け説明資料の中には193年と記載されています。私が検索した限り、193年という数字を今も引用されている文献はまだ多くあるように思われます。日本語版Wikipediaの石炭の項目では、「150年以上の埋蔵量」と記載されています。
状況は近年急激に悪化している図3 各化石燃料の可採年数の推移
![]() (BP統計より筆者作成) しかし、上述の近年の消費量の急増と埋蔵量の減少によって、可採年数は大きく変化しており、現在の値は118年(BP統計2011年版より)となっています(図3)。わずか10年あまりで可採年数が109年も減少してしまったとは、驚くべき変化です。多く見受けられた193年という数値は2003年時点での値で、翌年には164年となっています。これは全く意味のない分析ですが、この変化が続くと仮定して直線をひくと、2020年の手前で可採年数がゼロになってしまいます。
可採年数という指標だけで語ることには、いろいろと問題が多いのですが、石油や天然ガスの可採掘年数がここ数十年ほとんど変化していないことと対比すると、石炭の状況が近年急激に悪化しているということは言えるかと思います。
また、石炭は石油や天然ガスにも増して、その質の差が激しい資源の一つです。ですから、火力発電所を設計する場合は、通常どの産地のどの性状の石炭(およびいくつかの産地の混合物)を使うかを想定してボイラーの仕様を決めます。石炭の分類の仕方には様々あり、その境界線も国によって異なります。
IEAでは発熱量によって簡単な区分を行なっており、1キログラム当たり23.9メガジュール(1ジュールは約0.24カロリー)以上を無煙炭および瀝青炭(れきせいたん)、同17.4〜23.9メガジュールを亜瀝青炭(あれきせいたん)、同17.4メガジュール以下を褐炭および亜炭と定義しています(厳密にはもう少し細かい条件があります)。
カロリーの低い石炭が増えていく 問題となるのは、今後生産される石炭は徐々に熱量の低い亜瀝青炭や褐炭などの割合が増えていく傾向にあるということです。図4は米国の例ですが、既に生産量に占める亜瀝青炭や亜炭の割合が増加傾向にあり、全体の平均発熱量は減少しています。この傾向は今後ますます加速すると考えられ、石炭を議論する場合は重さではなく熱量で比較することが重要になっていきます。また、石炭大国の一つインドでは、国内に埋蔵量はあるものの質が悪いため、輸入を余儀なくされているという側面があります。
図4 米国の種類別石炭生産量の推移
![]() (米国エネルギー情報局統計) ただ単純に、「環境に問題はあるが量だけは莫大にある」と考えられてきた石炭ですが、詳しく見ていくと、量・質ともに徐々に問題が顕在化しつつあり、当然ですが石炭もまた永遠の存在ではないということがわかります。
今回述べてきたことをもって、すぐに石炭の供給が危ぶまれるということにはなりません。確かに埋蔵量は膨大にあり、新しい開発が多くなされています。しかし、次に重要なのは埋蔵量は存在してもその入手に問題がある場合です。輸入石炭に依存する日本にとっての問題はここにあります。次回は石炭の入手に関する問題を取り上げたいと思います。 |





