ブログ版「長崎遠めがね」

長崎港を出入りする船と 大浦周辺の出来事などを紹介しています

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書物やWEBでも よく紹介されていることですが、
「大浦天主堂」は西坂の丘に向けられ建てられている。
これは 都市伝説のようです。

大浦天主堂は正式名は「日本二十六聖殉教者天主堂」
西坂で殉教した26聖人のために建てられた教会です。

そのため 大浦天主堂は西坂の丘を向いていると語られているようです。

しかし 26聖人の殉教の地が 西坂の丘であることが
わかったのは昭和になってからだそうです。

さらにグラバースカイロードが完成して
大浦天主堂を背後から見ることができるようになり 
「都市伝説」であることは決定したようです。

2番目の画像は グラバースカイロード3号橋の上から撮影
黄色い丸の部分が 西坂の丘です。
赤い線は 大浦天主堂から真北の方向
天主堂は真北よりも やや西を向いているようです。

クリックすると大きくなります。

http://hoshinabe.ojaru.jp/404_tosiden/404.html

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閉じる コメント(5)

すばらしい‥パチパチ。なるほどですね‥とてもわかりやすい写真ですね。言葉が出ません‥。ポチ★です

2008/9/20(土) 午後 8:17 erippe 返信する

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さるくガイドはいつもそんな説明をしてますよ。
有名な田上ガイドも!

2008/9/20(土) 午後 10:47 パソ親父 返信する

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ありがとうございます。
今度 図書館で 26聖人の殉教の地について 戦前はどのように
書かれていたのか 調べてみたいとおもいます。

2008/9/21(日) 午後 2:46 ほしなべ 返信する

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ネットでは当たり前の様に語られている話で、
ウイキペディアでも記載されています。
とても貴重な調査になりますね♪

2008/9/25(木) 午後 5:58 [ - ] 返信する

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あすみさんありがとうございます。

中間報告ですが
図書館で調べたところ 大浦天主堂を作った プチジャン神父は
26聖人の殉教の地は「立山」と考えていたようです。
そして 昭和11年発行の本では「法泉寺」と書いてあります。

「西坂」の名前が出るのは 戦後からのようで
昭和27年の本に「26聖人の殉教地である西坂の丘に向けて
建築にとりかかった。」と書かれていました。

2008/9/25(木) 午後 9:05 ほしなべ 返信する

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