労働相談奮闘記

労働者の悲痛な叫びを伝えたくて、そして解決に役立てて頂く為に

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●沖縄は何故怒っているのか(その1)【文科省、検定意見を撤回せず】は→http://blogs.yahoo.co.jp/huchisokun/51225813.html

【石山久男氏の沖縄の話し】
11万6千人も集まった沖縄の9月の超党派による抗議集会が、風太郎の住む町の9条の会で話題になりました。教科書の記載に文科省が検定意見をつけたことで、あれほどの怒りが爆発する理由を知る必要があるということになりました。

12月2日に沖縄の勉強会をすることになり、講師に検定意見を付けられた教科書の執筆者の1人でもある石山久男氏にお願いすることにしました。石山氏は、私たちの町に住み、社会科の教師をリタイアしてから歴史教育者協議会の事務局の仕事をしています。家永訴訟にもかかわり、最近は沖縄の検定の問題で大変忙しく活動をされています。今回の記事は、石山氏のお話を中心に記載することとします。

【日本の近代史を知らない日本人】
石山氏の話を聞いて、知らなかったことが沢山あったことです。お聞きして良かったと思いました。考えてみると、高校の歴史の教科書は江戸時代の途中までしかやらなかったように思います。高校の歴史教育は、大学入試と密接に繋がっていて、入試試験に出ない近・現代はネグってしまう傾向にありました。最近は、どうなんでしょうか。

話は変わりますが、先日、ベトナム戦争を体験したアメリカ人で今は平和活動家であるアレン・ネルソン氏の著書「戦場で心が壊れて」を読みましたが、その中に“日本人が戦前に中国や朝鮮で何をしてきたのか知らない人の多いのに驚いた”と書いていました。戦後生まれの多くの日本人が近・現代史を勉強しなかったことを良いことにして、歴史の事実を塗り替えようとしているように思われます。

【文科省は教科書をどのように変えたのか】
話を、石山氏の話しに戻します。石山氏が執筆した教科書のコピーが資料として配られ、それを見ながら話が始まりました。文科省に訂正される前の教科書の一部分(これを「白表紙本」というそうです。)をここに転載します。本ブログの訪問者も高校で現代歴史をネグられて、本当の沖縄の歴史を勉強してこなかった方も多いでしょうから、一度読んでみても損はないでしょう。

【歴史の窓 沖縄戦】
1945年3月下旬、戦後のアジアでの沖縄の戦略的位置を重視したアメリカ軍は、55万の兵力で沖縄攻略作戦を開始した。これに対し、日本の沖縄守備軍は9万6000の兵力だったため、一般県民を防衛隊に召集し、中学校などの男女生徒を鉄血勤皇隊や女子学徒隊などに編成した。守備軍は、本土決戦準備の時間稼ぎを目的に、徹底した持久作戦を採用したため、沖縄県民は3ヶ月におよぶ地上戦にまきこまれ、「鉄の暴風」と呼ばれる激烈な砲撃と爆撃にさらされて多くの犠牲者をだした。
 この過程で、日本軍は、県民を壕から追い出し、スパイ容疑で殺害し、日本軍の配った手榴弾で集団自害と殺し合いをさせ、800人以上の犠牲者をだした。こうして沖縄では、県民の4分の1にあたるおよそ15万人が命を失うなか、6月末に沖縄守備軍はほぼ壊滅し、沖縄島はアメリカ軍の占領下にはいった。

これがいわゆる白表紙本(検定前の教科書)ですが、これに「沖縄戦の実態について誤解するおそれのある表現である。」との文書による検定意見が付きました。検定意見だけでは、何がいけないのか分りませんが、結果として、上の文章の後半のパラグラフ(「この過程で・・」以降)が次のように変えられました。

【検定後の教科書の表現】
この過程で、日本軍は、県民を壕から追い出したり、スパイ容疑で殺害したりした。また、日本軍の配った手榴弾で集団自害と殺し合いがおこった。犠牲者は、あわせて800人以上にのぼった。こうして沖縄では、県民の4分の1にあたるおよそ15万人が命を失うなか、6月末に沖縄守備軍はほぼ壊滅し、沖縄島はアメリカ軍の占領下にはいった。

白表紙本では、「日本軍は」という主語が「県民を壕から追い出し」と「スパイ容疑で殺害し」と「集団自害と殺し合いをさせ」の全てにかかっていますが、修正後の文章は2つに分けられたため、「集団自害と殺し合い」の主語にはなっていません。しかも、「集団自害と殺し合いをさせ」が「集団自害と殺し合いがおこった」と自然発生的におこったかのような文章に変えられています。

【日本軍の住民虐殺は認めても、集団自決への軍の関与は認めないとの態度】
文科省は、日本軍が住民を壕から追い出し米軍の戦火にさらして殺したことは認めています。米軍に捕まって釈放された住民をスパイとして虐殺したことも認めています。検定意見は、集団自害と殺し合い(他の教科書では「集団自決」と表現している)に対しては軍の関与は無かったと言いたかったようです。では何故、軍の住民虐殺は認めたのか、それについては、後から説明します。

【味方であるはずの日本軍に殺された住民が多数いた】
沖縄戦での日本側の戦死者は、沖縄の一般住民9万4000人、沖縄県出身の軍人・軍属(鉄血勤皇隊や女子学徒隊を含む)2万8000人、とされていますが、この他に強制連行された朝鮮人などを含めると約15万人となります。

沖縄戦の特徴は、この犠牲者の中に味方であるはずの日本軍に殺された住民が多数いたということです。その殺され方には次の二つの類型があります。
• 日本軍による虐殺(敵に投降したり、捕まって解放された住民をスパイとして殺した。又は、壕を軍が使うとの理由から住民を壕から追い出し戦火にさらして殺した。)
• 日本軍による集団自害(自決)の強要

長い間、この二つの事実に対して検定意見が付いたことは有りませんでした。今回の検定意見は、この二つの類型のうち集団自決の方でした。

【82年には、日本軍による虐殺に検定意見が付いた】
06年検定で、日本軍による虐殺には検定意見が付きませんでしたが、それには歴史があります。1982年に実はこの日本軍による虐殺という表現に対して検定意見が付いていたわけです。この時は、今回と同様に激しい抗議行動が巻き起こり、沖縄県議会が超党派で決議して代表団が上京して抗議しました。その結果、検定意見は取り下げとなり、それ以来、この表現は、教科書で使い続けられてきたわけです。

これが、今回の検定問題の経過です。それでは、沖縄戦の実相はどうだったのでしょうか。
石山氏が語る沖縄戦の実相と戦後の歴史については、次回に回します。

●沖縄は何故怒っているのか【沖縄戦の実相と戦後史】(その3)は、→http://blogs.yahoo.co.jp/huchisokun/51318672.html

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