原発停止と初期盤狂

イメージ 1五月五日こどもの日、どうやら日本国内の原発は止まった(ことになっている)らしい。まぁ、止まったといっても厄介なブツを取り出して何処だかの安全?な場所に埋めこんだとか、廃炉に向けた工程が始まったとか、そういうことではないようなので、エネルギー政策の先行きが不透明なまま、社会不安と経済不安を引き起こしつつ火力発電分のコストだけが余計に嵩み続けるという奇怪な状況になっている。さて端午の節句とはいったい何の象徴なのであろうか。
といった七面倒臭いハナシは措くとして、LPマニア就中オカルト系初期盤狂の方々にとっては、またとない絶好の音盤再生環境が到来した至福の日々であります。そう、どんなに個人の尽力で1950〜1960年代製造のビンテージ装置とオリジナル盤をかき集め、当時の再生環境を忠実に再現したところで、大本の電気までは手の施しようが無く、沖縄を除く列島各地では定期点検などで一時的に原発が停止でもしない限り、初期盤初出時のような「水力+火力」メインの電気によるレコード再生は叶わなかったわけです。厳密には火力発電といっても石炭、石油、天然ガス等の配分も違えば、発送電システムも段違いなので再現性にも限界はあるけれど、それなりの「あの頃」サウンドが楽しめる次第。

◎聴いたレコード◎
《 モーツァルト : 『ケーゲルシュタット・トリオ』変ホ長調 K.498、他 》(洪クオリトン)
フェレンツ・ラドシュ(p)、ベラ・コヴァーチュ(cl)、ゲザ・ネーメトゥ(va)
 
東京電力「バランス良いがモッサリ遅い」関西電力「高域ヌケ良いが特徴薄い」等々、オカルト系にはお馴染みの「電力会社の違いでも味付けにサがでるガイドライン」ではないけれど、原発抜きの電力で聞く初期盤は心なしか管球アンプのぬくもりと相性良く響いた気がして、ひと時の愉悦に浸った。

東海原発が1966年、敦賀原発と美浜原発が1970年に商用スタートということで、それ以前のLPは製造過程にも一切原発の電気は使っていなかった筈だけど、はて、輸入盤についてはどうなんだろうか。英米仏独ソあたりの初期盤には、案外原発の電気が使われてるかも知れないね。

さて、僕のお気に入りモーツァルトなこのハンガリー盤はどうなのかな。余計なことは抜きにして、心のそこから愉しめる素敵な素敵なレコードです。

閉じる コメント(0)

閉じる トラックバック(0)

春になったら

イメージ 1先だって、半年ぶりくらいに中古レコード店へ足を運んだところ、モーツァルトの特設コーナーが作られていて、数百枚を遥かに超える夥しい数のLPがギッシリ並べられていた。もちろんモーツァルトのLPは新入荷や常設のコーナーにもたっぷりとあるから、特設コーナーのLPはどこぞのコレクターかその家族が纏めて処分したものなのだろう。店の人に経緯を尋ねようかと一瞬思ったけれど、概ね想像がつくから止めにした。大半が輸入盤で国内盤は少々、高価な初期盤やオリジナル盤もちらほら混じっている。骨董的レア盤やマイナー盤の類はほとんど見当たらないので、既に売れてしまったのかも知れない。
それにしても衝撃だったのは、その夥しい数量が並ぶモーツァルトのLPの大半を僕も所蔵していたり聴いたりしていることだ。とても他人事には思えない。いろいろ考えさせられる。本だのLPだの、やたらと持ち物が多くある。これからどんどん年をとってゆくのだから、少しづつでも身軽にならなくちゃな、と己の欲望の残滓と向き合うたび意を新たにしてみるものの、収蔵物のエントロピーは一向に改善してはくれない。俗に「女は灰になるまで」と言うけれど、僕としては「女とコレクターは灰になるまで」を痛感したレコード店探訪であった。
 
◎聴いたレコード◎
《 モーツァルト : コンサート・アリア『どうしてあなたを忘れられよう』K505、他 》(墺アマデオ)
エリカ・シュミット(s)、アウグスト・レオポルダー(p)、ゲルト・ハイデガー指揮ヘッセン放送交響楽団
 
あなたのことが忘れられない。
これは恋人に愛する気持ちを伝えるアリアだけれども、いざコレクションを手放さんとするコレクターの心根の呟きにもとれる。などと酷いこじつけをしながら、エリカ・シュミットのやや大人びた歌いぶりに耳を傾ける。この曲は若草の瑞々しさを湛えたベルガンサのデッカ盤での歌唱が絶品とされていて、古楽のカークビー盤ともども清新なものが好まれている。ここに聴くシュミットとフランクフルトの音楽家たちによるしっとりとした風情もなかなか好ましい。

閉じる コメント(0)

閉じる トラックバック(0)

これもジャケ買い

イメージ 1先日テレビニュースを見ていたら、宝塚のお屋敷に住むコレクター品川征郎さん宅が全焼する火事となり、自宅にあった蓄音機やSPレコードがすべて燃えてしまったと、報じていた。諸行無常。いろいろ考えさせられる。
 
◎聴いたレコード◎
仏パテ社の、雰囲気たっぷり、懐かしい一枚。

閉じる コメント(0)

閉じる トラックバック(0)

猫の日には

イメージ 1ジャケ買いの一枚を聴くのも良し。

閉じる コメント(0)

閉じる トラックバック(0)

ボッセさんを悼む

イメージ 1ゲルハルト・ボッセ氏が亡くなった。レオンハルトもボッセも、まだこれから「前人未到の境地」に遊ぶ様を聴かせていただけると思っていたのに、残念です。
 
◎聴いたレコード◎
《 ベートーヴェン : 『ラズモフスキー絃楽四重奏曲』作品59 》(日本ビクター)
ライプチヒ・ゲヴァントハウス四重奏団
ゲルハルト・ボッセ、ギュンター・クラス(vn)、
ディートマル・ハルマン(va)、ユルンヤコブ・ティム(vc)
(1977年坂戸文化会館にて録音)
 
LPでボッセさんのヴァイオリンを聴くのならば、やはりこのセットだろう。瑞々しくて、しかしどこか古木の馨りするベートーヴェンだ。ボッセさんの独奏を聴くためだけに、マズア指揮のリストやベートーヴェンのLPを手もとに置くという筋金入りのファンも僕は知っている。

近年は高槻の繁華街を少し離れた北摂の静かな街に住み、地域に根差した音楽活動をなさっていた。大阪でのコンサートには、地元のみならず日本中からボッセさんを慕う人たちが毎回集まって来た。ボッセさん安らかに。

閉じる コメント(2)

閉じる トラックバック(0)

落下盤、もしくは落果盤 (バッハ編)

イメージ 1引き続き地震で散乱したLPから、バッハの無伴奏。
とっくにお気づきのことと思うが、10吋盤の棚がもっとも派手に散らばったのである。あらためて聴き直してみると、やはり10吋盤は音が良い(ような気がする)。
 
◎聴いたレコード◎
《 バッハ : 『無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第2番ニ短調』BWV1004 》(独アルヒーフ)
ウォルフガング・シュナイダーハン(vn)
 
ライトナーの指揮するウィーン響と録音したモーツァルトのヴァイオリン協奏曲での独奏があまりにも素晴らしかったせいで、昔はシュナイダーハン名義のレコードを片っ端から掻き集めていた。いつしか熱も醒め、この柔らかでたおやかなバッハも、レコード棚の片隅に眠っていたのだった。

閉じる コメント(0)

閉じる トラックバック(0)

落下盤、もしくは落果盤 (モーツァルト編)

イメージ 1引き続き地震で散乱したLPから、モーツァルトを二枚。ふたりの敬愛して止まないピアニストによるコンチェルトの名品なれど、やはり永く聴かずに放置していたもの。
 
◎聴いたレコード◎
《 モーツァルト : 『ピアノ協奏曲14番変ホ長調』K449 》(独DG)
ミエチスラフ・ホルショフスキー(p)
ルドルフ・バウムガルトナー指揮ルツェルン祝祭弦楽合奏団
 
14番から19番までのピアノ協奏曲にはシュナイダーがサポートしたピーター・ゼルキンの素敵なセットがあり、弾き振りにもペライアを筆頭に名全集がひしめいていて、嬉しい限り。ついつい手近にある彼らのレコードに手がのびるけれど、そんな彼らの先生だったホルショフスキー盤は埃をかぶったままだった。反省。

イメージ 2こちらは、さらに名盤ひしめくハ短調。片っ端からレコード棚やダンボール箱にレコードを突っ込んで整理していないため、自分でも同曲異演盤をどのくらい所蔵しているのか把握していない。反省。
 
◎聴いたレコード◎
《 モーツァルト : 『ピアノ協奏曲24番ハ短調』K491 》(独DG)
カール・ゼーマン(p)
フェルディナント・ライトナー指揮ベルリンフィル
  
なぜホルショフスキーやゼーマンのコンチェルトのレコードをお蔵入りさせていたのか不思議だけれど、なんとなくこの二人に共通した僕なりのイメージがあったからだと朧気ながら気がついた。これまでに取り上げたホルショフスキーのレコードは晩年のリサイタルとモーツァルトの四重奏曲集、ゼーマンのレコードはモーツァルトピアノ曲集とシューマンのヴァイオリンソナタ集で、僕は室内楽をやるときの彼らを何より好んで聴いてきたからなのだ。次いで、バッハやモーツァルトの独奏曲をひくときの彼らが好きで、とくにホルショフスキーの平均律とゼーマンのパルティータは、折に触れて聴いてきた。だからといって、この素敵な協奏曲のレコードを放置してきた言い訳にはならないけどね。

閉じる コメント(0)

閉じる トラックバック(0)

落下盤、もしくは落果盤 (シューベルト編)

イメージ 1年明けに取り上げた『四つの最後の歌』のベーム盤と一緒に地震で散乱したLPが何枚かあって、多くは仕舞い込んだまま何年も聴かずに放置の「積ん読」盤だった。一枚一枚を手に取りながら、胸の疼きと共に彼ら彼女らを久しぶりに聴き、啄木よろしく「ぢっと手を見」て、己が様を省みたのであった。
 
◎聴いたレコード◎
《 シューベルト : 『デュオ』イ長調作品162 》(米アレグロ)
フレデル・ラック(vn)、レオニード・ハンブロ(p)
 
女流ヴァイオリンのひくシューベルトのモノラル盤。女流のシューベルトと言うと、真っ先にマルツィやオークレールの名が挙がり、モノラル盤のシューベルトならば、ロスタルやボスコフスキーの名の挙がるのが、何かに染められてしまった僕の性なれど、たまには虚心になってこういうチャーミングなのを聴くのも楽しい。因みに、一番好きなこの曲のレコードはシュナイダーハンとゼーマンの懐かしいモノラル盤で、ウィーンの光と影がもっとも美しく刻まれた得難い一枚だと思う。

イメージ 2前にもまったく同様なことを書いた気がするけれど、おっさんの繰り言みたいなものだから、容赦願いたし。これも久々に聴いて、ゆったりと歌うチェロのエロティックな喘ぎにドキドキした。
 
◎聴いたレコード◎
《 シューベルト : 『アルペジョーネ・ソナタ』 》(米デッカ)
エンリコ・マイナルディ(vc)、グイド・アルベルト・ボルチアーニ(p)
 
テンポの遅いことで有名なレコード。マイナルディおじさまのチェロは、男の色気と言うか艶気に満ちている。男臭いチェロでは「剛」のヘルシャーに対して「柔」のマイナルディ、この二人が双璧と勝手に思っていて、それぞれ硬式チェロと軟式チェロの代表格と分類している。これは米盤で、オリジナルのDG盤とはまた違った魅力がある。

閉じる コメント(0)

閉じる トラックバック(0)

終末予言を吹きとばす

イメージ 1あけましておめでとう
 
今年もまた『フィガロの結婚』で年明けを、と思ったものの平成十八年から続けた「フィガロで初投稿」はひとまずお休み。EMIに限ってもグイ、ジュリーニ、クレンペラーなどまだまだ取り上げたいフィガロのLPがあるので、いずれまた時機を改めて登場を願うとしよう。
2012年は「マヤの予言」や「白川伯王家の予言」など「予言業界(?)」を賑わす終末予言の当たり年ということで、ノストラダムス以来のハラハラドキドキな一年になるやも知れぬ。ともあれ内憂外患に満ち満ちた、大変な状況であることに変わりはない。

年明けは家族で近所の産土(うぶすな)さまにお参りをして来た。世の中が少しでも良くなることを祈って、がんばりましょう。

◎聴いたレコード◎
《 シュトラウス : 『四つの最後の歌』 》(英デッカ)
リーザ・デラ・カーザ(s)、カール・ベーム指揮ウィーンフィル

去年の地震の際、倒れたレコード棚から散乱したLPの内の一枚がこの『四つの最後の歌』で、ひと頃これを何度も何度も繰り返して聴いた。なんだか同士のような感じがして、レコード相手に「お互い、頑張ろうな」と(心の中で)声をかけたのだった。

モノラルではアッカーマン指揮のシュワルツコップ盤と共に、もっとも聴き親しんだ愛して止まぬレコード。『四つの最後の歌』のLPを一枚だけ選べ、と言われたらこのベーム盤しかない。ベームのLPを一枚だけ選べ、と言われたらこのデッカ盤しかない。座右の盤を十枚だけ選べ、と言われたらこのレコードは外せない。何もかも素晴らしい。

閉じる コメント(2) ※投稿されたコメントはブログ開設者の承認後に公開されます。

閉じる トラックバック(0) ※トラックバックはブログ開設者の承認後に公開されます。

やっぱりモーツァルトに感謝します

イメージ 1今年はあまりレコードを聴かなかった。そもそも、ゆっくりと音楽を聴くことが、少なかった。
時間はあったものの音楽を聴かなかった。俗事多忙のなか、僅かの時間を工面してレコードを聴きまくる年もあれば、今年のように時間を空費する年もある。

今年はもうひとつ例年にない傾向があって、気がつくと同じレコードばかり繰り返し聴いていた。ただでさえレコードを聴く時間が少ないのに、「あれも聴きたい、これも聴きたい」という開拓精神というか気力の漲りがなく、偶々手近にある盤、即ち前回聴いた盤を「またコレでいいか」と飽きもせずに聴いていたのだ。

◎聴いたレコード◎
《 モーツァルト : ヴァイオリンソナタK454、K379、他 》(仏ハルモニア・ムンディ)
エドゥアルト・メルクス(vn)、パウル・バドゥラ・スコダ(p)

そうした消極的な状況で今年もっともよく聴いたモーツァルトのレコードが、メルクスとバドゥラ・スコダのこのヴァイオリンソナタ集だ。以前ならば、こういう素晴らしいアンサンブルのレコードを聴くとすぐに触発され「バドゥラ・スコダのモーツァルトって言うと、バリリと共演したウェストミンスター盤がウチにあったよなぁ」「そう言や、オイストラッフとの共演盤も持ってたっけ」とばかりレコード棚やダンボール箱を漁り、次から次へと聴きまくったものだった。

でも今年は「ああ、いいレコードだなぁ」としみじみしたら、それっきり気が抜けたまま、まったりして終わり。べつに憑き物が落ちた、というわけでもなく、変わらずレコードは大好きだし、「歪んだ」蒐集欲からもまったく解脱は出来ていないと思うのだけれど、僕も人並みに「枯れて」来たのかな。

来年は、もっともっといっぱい聴くぞ、モーツァルト。

閉じる コメント(0)

閉じる トラックバック(0)

[ すべて表示 ]


.

hur**ama
人気度

ヘルプ

Yahoo Image

  今日 全体
訪問者 19 31336
ブログリンク 0 11
コメント 0 200
トラックバック 0 19
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31
検索 検索

開設日: 2005/4/24(日)


プライバシーポリシー -  利用規約 -  ガイドライン -  順守事項 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2012 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.