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戦記 〜わがルバン島の30年戦争 小野田寛郎〜

戦記 〜わがルバン島の30年戦争 小野田寛郎〜

海軍航空隊のエース岩本徹三の戦記を読み、そして時同じくしてサイパン戦の映画「太平洋の奇跡」が映画化されることとなりましたので、その大場大尉の原作と同じサイパン戦の田中大尉の戦記、そして同時期のグアムで戦った残留日本兵の横庄一さんの戦記を読みました。

北から、サイパン、テニアン、グアムはマリアナ諸島の中核を為す島々で、日本本土攻略を目指すベ米軍が昭和19年から激しい攻勢をしかけました。マリアナ戦は陸海空とも日本軍があいつでほぼ全滅に近い戦いを余儀なくされた激戦、玉砕の地で、手記を読みますと悲惨な状況が手に取るように分かります。

さて横井さんといいますとグアムでの残留日本兵と言うイメージしかありませんでしたが、手記を読みますと昭和19〜20年にかけて大変悲惨な戦闘を潜り抜けて来たと言う事が良く分かりました。

そして、残留日本兵といいますと、1972年帰国の横井さんに続き、1974年、フィリピン、ルバング島から帰還した小野田寛郎が有名で、今回小野田さんの手記を読んでみました。
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小野田さんは大正11年1922年、和歌山に生まれブラジルに永住、現在89歳でご存命です。概要については、wikiを見られると大変分かりよいと思います。
小野田寛郎

中国戦線から内地へ一旦帰還、士官学校を経てスパイ学校と知られる陸軍中野学校へ入り、いわゆる諜報員的な任務を負い敗色濃い昭和19年12月多くの同士と共にフィリピンに渡り、小野田さんはルバング島で29年間にわたり戦闘を継続する事となりました。
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昭和20年はフィリピンでも日本軍は敗走を続け、ルバング島でもアメリカ軍が上陸し、激しい戦闘が始まり多くの兵士が倒れましたが、小野田さん初め残った数人の兵士は終戦後以後もずっと潜伏し戦闘を続ける事になり、最後の3人のうち赤津、小塚の兵士も現地の軍との戦闘でなくなり、ついに小野田さん一人となりましたが世界を旅していた鈴木青年に発見され、谷口少佐から任務解除口令を受け’74年生きて再び日本の地を踏む事となりました。
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海軍は、船が沈む前に退船命令などで退却し命を永らえる事が認められており、陸上戦となった場合でも退却しつつ戦闘を継続するのに抵抗が無かった様ですが、陸軍は決死の突撃で負けて戻らないという教育が徹底されており、「生きて虜囚の辱めを受けず」と戦陣訓にもあるように、万が一捕虜となって戻った場合死刑となり、故にこれが玉砕戦法、バンザイ突撃という多くの戦死者を出す原因ともなりました。この陸軍にあって諜報撹乱活動をする中野学校卒業者は、全く逆に玉砕は求められず生き残って戦闘を長く続けるという教育思想があり、これにより小野田さんは長く生き長らえ戦闘を継続した様です。

横井さんが食べ物に苦労し、細々と戦闘と言うより潜伏と言える生活を続けたのに対し、小野田さんは
投降時も多くの実弾を持ち、島民や軍と度々の戦闘を交えており、まさに30年近く戦争状態であった事は大変驚くべき事でした。

これは小野田さんが士官学校と中野学校で大変厳しくしつけられた結果で、良くも悪くも不撓不屈の精神があったが為に、忠実に教えに従ったまでで仕方のないことだろうと思います。

投降時、「私は30年間一体何をしてきたのだろう」という下りなどは、虚無になる小野田さんの心情が大変よく分かり、小野田さんも生きていたとは言えこれもまた戦争の被害者で、読むものも複雑な心境になります。

小野田さんの命令に忠実で不撓不屈の精神は、多くの国内外の軍で模範となるべきものだろうと思いますが、戦争が戦死病者を出すだけでなく、生き残ってもその人の人生までも狂わせてしまうものだと考えさせられます。

なぜもっと早く投降しなかったのかと思われますが、同じくフィリピンで、ルバング島の南にあるミンダナオ島では、戦後も投降する残留日本兵が島民の手で殺害される事が多くあった様で、投降するのも命がけの博打で、安易に投降しなかった小野田さんが長らく生き長らえたのは、この慎重さのお陰だったろうと思います。

途中3人になりながらも一緒だった同士の赤津、小塚さんが亡くなったのは、小野田さんや遺族の方にとっても大変残念なで悲しい事だったろうと思います。

本書の半分以上で、山間でのゲリラ戦と細々とした30年間の生活が描写されていますが、マリアナの横井さんと違って、いかにも生粋の陸軍軍人らしい気骨溢れる小野田さんの当時の実像が伝わってきます。

小野田さんは現在もご存命で、陸軍医官をしていて戦後ブラジルに渡ったお兄さんを頼ってブラジルに渡られ、牧場を経営成功され、日本の福島県に小野田自然塾を作られ、公演等の仕事で時折日本に来られる様です。

悲惨な戦争に悲嘆し、無責任無能な軍上層部に怒りを表す横井さんとは好対照に、気骨に溢れかくしゃくとして生き抜いた小野田さんの戦記を読まれるのもまた戦争のあり方、軍人の一人一人のあり方の違いが分かってまた良いかと思います。
一度小野田さんにこの目でお会いしてみたいですね。どんな感じなのでしょうね。

そう言えば、明日はサイパンでの大場大尉の映画、「太平洋の奇跡」の封切りですね。
最近映画は1700円で、前売りは1300円ですが、20時以降のレイトショーですと1200円になります。また14日は東宝の日で1000円になります。さぁ〜いつ行きましょう〜〜 皆さんも是非見に行きましょう〜特に時間がなくて戦記本を読む時間の無い方、一度見てみたらよいかと思います。
私は、田中大尉、横井さん、小野田さんの姿を重ね合わせながら見てみたいと思っています。


最後にフィリピンを初め各戦地で無くなられた多くの軍民の方、未だに異境の地で倒れ白骨となり埋もれたままで日本の地に戻られぬ方に哀悼の意を表します。

合掌


参考リンク

残留日本兵

ルバング島
白い砂の浜辺が続く美しい海岸線があることから、観光開発の期待も高まっている。
戦闘機紫電改搭乗員の菅野直が不時着した島としても知られる。


ICARUS

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小野田さんは自分の住んでいる近くの中野学校出身でしたので講演に何度か来られていたのですよ〜自分は聞く機会はありませんでしたが、戦記趣味仲間の高校在学中にそこに来られたのでその様子を知る事が出来ました。
古いその本も読みましたよ〜小野田さんは今で言う特殊部隊のようですね。

2011/2/10(木) 午後 6:22 [ ヤス ]

ネンジーさん、小野田さんは静岡県二又(現浜松市)にあった陸軍中野学校二俣分校出身ですね。昭和40年当時ですとまだ多くの旧兵士の方が健在で戦争の話というとまだきな臭く思われる時代だったかもしれませんが、70年近くたった今となっては語り継がねばならない話かもしれませんね。

そうですね、中野学校は諜報謀略部隊と言われ軍人からではなく一般人からの登用が多い様ですが、小野田さんはグリンベレーの様な訓練を受けたようです。まぁ、敗色濃い昭和20年頃にフィリピンに派遣ちゅうのも陸軍もわらをも掴む思いだったのでしょうね。

2011/2/11(金) 午前 9:06 ICARUS

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