二人の方を紹介したい。
水野源三さんは、戦時中にうまれ戦後間もなく9歳の時に高熱を発し、一週間以上もの高熱との戦いの末、小児麻痺にかかり、まばたき以外自分の意志で動かせるところがなくなっていた。お母さんと家族が献身的に世話をするが、最初の4年間家族は彼を家に隠し、彼もまったく希望の見えぬなか苦しみの時を送る。そんな中ある宣教師がそれを聞きつけ長野の家までやってきて聖書を一冊おいていったことがそもそもの始まりであった。
かれは、むさぼるように聖書を読み、ラジオのルーテルアワーで勉強をしてのちにキリスト教の洗礼を受けた。そして、お母さんの手伝いで一文字一文字、まばたきをもって五十音の表から文字を選び、詩を書き始めたのだ。
水野源三さん
その一生を六畳一間でおくり、かれにとっての自然と言ったら、縁側から見える軒先と若干の空のみ。しかし、姪っ子が話してくれる木々や花々の話を聞き、実際見ている者よりもリアルに神の被造物を認知していることをその詩から読み取れる。
そんな彼の詩を一つ。
こんな美しい朝に 水野源三
空には
夜明けとともに
ひばりが鳴き出し
野辺には
つゆに濡れて
すみれが咲き匂う
こんな美しい朝に
こんな美しい朝に
主イエスさまは
よみがえられたのだろう
苦しみの底を見ているはずの源三さんの詩は、自然の描写と希望に満ち、多くの人の心をいまだ動かしつづけている。
彼の詩は、また多くの作曲家の心を刺激し、多数の作曲家が彼の詩に曲をつけている。「武義和(たけよしかず)」さんもその一人である。武さんは私の出身高校(基督教独立学園:山形県の田舎にあり、内村鑑三の流れをくむ無教会派のミッションスクール)の大先輩で、作曲科を出た方だ。
武さんは河野進や星野富弘などをはじめ多くのクリスチャンによる宗教詩に曲をつけているのだが、とりわけその中でも源三さんには、とくに大きな比重を置いている。
このお盆に里帰り(4年前から、私の父が母校の独立学園の校長に赴任し、学校の敷地にすみこんでいるため、里帰りが、母校帰りになるわけだ。)をしたときに、独立学園から車で5分のところに住んでいる武さんに会ってきた。
左が作曲家、武義和さん。独立学園で音楽の講師をしている。
武さんの曲は、親しみやすく歌いやすい。声のことをよく配慮して作られていて、しかし簡素なメロディーの中に心を揺さぶる跳躍が入り、和声から歌詞の内容が香ってくる。もともと「よい讃美歌を作曲したい」と作曲を勉強し始めたと聞いている。簡潔な短い作品が多い。
源三さんの詩を、自分の人生経験とともに読み取り、それを、多くの耳に届きやすい形で作品に置き換えてあるので、何度歌ってもあきは来ず、ゆっくりと深まっていく。言葉と音楽が良く結びついているからだと思う。
私は高校時代に彼の作品を多く歌ってきた。
全寮制の学校だから朝起きてから寝るまでクラスメートと一緒である。もちろん友達や先輩後輩同士のいざこざも絶えない。そんな仲間と歌うのであるから、「生活する」=「生きる」=「うたう」のレベルで私は武さんの曲と源三さんの詩に慣れ親しんできた。
当時は好きではあったが、特に作曲家武さんを意識したことはなく、むしろ曲に乗って語りかけてくる源三さんの詩に、若き魂を震わせたものだ。
今思うと、それを可能にしたのも、作品の力が伴っていたからだと思う。
話は飛ぶが、10年のドイツ滞在で、とりわけドイツの宗教音楽におけるテキスト(詩)と音楽の関係について多く学び、自分なりに譜面を読み込めるようになってはきたと思っている。
しかし、帰国をしてしばらく、日本語の宗教作品の少なさにまず驚き、そしてテキストと音楽があまりにかけ離れているこの日本の宗教音楽の現状に打ちのめされていた。探せど探せど、納得のいく作品がほとんど見つかず、当時チャペルクワイアのレパートリーを真剣に探していた私は、くたびれ果て、詩と音楽の織り成す世界に飢え果てていた。そんななか、ふと口をついて出てきたのが武さん作曲の「こんな美しい朝に」だった。心が動き、わらをもつかむ思いで彼に連絡を取り一冊送ってもらって、夜を徹して他の作品もあわせて、歌詞と譜を読んだ。
高校時代の思い出から完全に自由になれたというわけではないが、ノスタルジーに浸る愚だけは犯すまいと、きちっと批判的に読んでなお、魂が揺さぶられた。
その曲集がこれである。
武義和さんと吉原康さん(やはり独立学園の卒業生)の二人が、信仰を生きる中で出会った源三さんの詩に共鳴した作品が、多数おさめられている。
20年近くたっても私の中に深く深く根を張っていた作品と詩が、いままた教会音楽家安積をとおして、再び自分の中によみがえってきた。
そんなことがあって、私は今、チャペルクワイアにこの源三シリーズを、確信をもって歌わせている。
武義和さんは、山形県の小国にフォルケ・ホイスコーレという家を作り、いろんな方を支援もしている。
詳しくは是非彼のブログをご覧いただきたい。
いろいろな詩が紹介されていたり、作曲家としてのコメントが書かれていて面白い。
http://www6.ocn.ne.jp/~folke/
武家とフォルケ・ホイスコーレ。大自然の中に立っている。
しかし、武さんは最近残念ながら宗教詩への作曲が少ない。チャペルクワイアのため、と言うわけではないが、今後の日本のキリスト教合唱音楽界のために、再び源三さんの詩に正面きって取り組んでいただきたいと、一教会音楽家として切に願っている。
ちなみに、先に紹介した「こんな美しい朝に」は演奏時間1分ちょっとの小作品であるが、実に良く構成されていて、内容が深い。チャペルクワイアの学生は、「あれ好き」とは言わず、「あれ、また歌おう」とねだってくる。問答無用に迫ってくる何かがある作品である。
9月6日18時より、西南学院大学チャペルで関西学院大学聖歌隊とともにジョイントコンサートをするのだが、西南チャペルクワイアは第一ステージで「こんな美しい朝に」をプログラムに入れている。興味のある方はぜひご来校いただきたい。
聴きに行きたいけれど遠すぎて…
せめて楽譜見たいです
2011/8/23(火) 午後 7:59 [ 萩本さわ子 ]
きっと源三さんはイエス様を愛し、信頼していらしたのですね。
こんなに綺麗な詩だから、きっと曲も素敵なのでしょう。
ぜひ聴いてみたいです。時間に間に合わなさそうですが…
2011/8/23(火) 午後 8:56 [ honey bee ]
「こんな美しい朝に」「私の胸に」に惚れ込んでいます。ヴァイオリンとピアノで弾いても(礼拝の前奏、後奏に使ったことがあります)好評でした。本当にいい曲です。
2011/8/23(火) 午後 10:06 [ ets*k*194*1010 ]
さわこさま
場所はご存じでしょう?飛んできてください!(笑)
2011/8/23(火) 午後 11:35 [ azuminus ]
honey beeさま
確かに素敵な作品です。
武さんと源三さんの、信仰と自然に対する感覚がとてもよくマッチしている作品だと思います。
2011/8/23(火) 午後 11:38 [ azuminus ]
ets様
私もクワイアで礼拝で何度も歌いました。礼拝の中では、また特別な力を発揮します。なるべく学生に詩を朗読してもらってから歌うようにしています。これが学生さんにとって、強烈な経験になっているようです。
2011/8/23(火) 午後 11:41 [ azuminus ]
記憶があいまいですが、「主よなぜ」、「雪が降る」は私たち(33期)が初演だったと思います。いまだに歌いたい曲ですね。私が在学当時の東北学院聖歌隊では(私は工学部なので所属できなかった)、学園OBもいたことから、武、吉原作品がうたわれていましたよ。
2011/8/24(水) 午前 0:55 [ おりゅう ]
あ、関学・水野先生はmixiでお友達だったりします。
2011/8/24(水) 午前 1:23 [ おりゅう ]
「主よなぜ」は震災直後に伺ったある教会でクワイアと歌いました。事情が事情だけに、凄みと重みを持った響きとなりました。忘れることができません。「雪が降る」は武さん本人曰く、外国でとても人気のある作品だそうです。「日本的なんだってさ」といっていました。故郷新潟で縁側に座って見上げた雪が、落ちてくるその時のしんしんとした響きを髣髴とさせ、ある意味本当に「日本的」な歌だと思います。水野先生にも、武さんのことを是非お話ください。
2011/8/24(水) 午後 5:20 [ azuminus ]
さっそく水野先生に、このブログをお知らせしました。「雪が降る」が日本的とのこと。日本的かはわからないけれど、叶水の雪を体感したものとして、実に心に響きます。在学中、3年生の冬でしたが、八重山にあるセブンスデーの学校(神学校だったかも)が、修学旅行?で訪問されたことがありました。その交流会で歌ったのが恐らく初演。あちらも合唱を得意とされていて、正直なところ我々3年生より上手だった。しかし、南国にくらす彼らには、「雪が降る」に非常に感じいるものがあったようでした。懐かしい思い出です。
2011/8/25(木) 午前 2:32 [ おりゅう ]
「雪が降る」は良い作品です。しかし、きちっとはもらせてあの曲のよさを出すには、一苦労必要な作品です。いずれ僕もクワイアと一緒に挑戦してみたいと思っています。
2011/8/27(土) 午前 0:28 [ azuminus ]
アカペラでの九州の知人が、バッハでしごかれてるそうです。
世間は狭いなあ,とビックリしました。
武、曲,吉原曲ともに、体に染み付いています。
僕は残念ながら水野さんのを詩として噛み締めることは少なかったけど、素晴らしい曲がついたことで、曲と一緒に口をついてくる詩が幾つもあります。奥田先生を天に送った次の週、3年生の食堂でのコラ練後に、叶水の夕陽を眺めながら何曲か一緒に歌わせてもらいました。学生の時とはまったく違う受け止めを、ようやく出来るようになってきたこのごろです。
2011/9/16(金) 午前 2:34 [ 地塩 ]
地塩様
ご無沙汰しています。バッハは今日これから本番です。神様へのアプローチの東西の差はありますが、神様からの音楽を通したアプローチは、変わりません。
源三さんの詩は、私にとっても歳とともに受け止め方が変わっていきます。これから自分のどのように語りかけてくるのか、楽しみにしています。
2011/9/16(金) 午前 11:15 [ azuminus ]
こんな場所での呼びかけ,申し訳ありません。
来る11月12日神戸にて開催の独立学園同窓会西日本ブロック総会の案内は届いていますでしょうか?誰の陰謀か幹事の一人に加えられ、本番で水野さんの曲をやってくれ、という要望を受けています。名簿を見ながらふと安積君を思い出しました。もし当日予定が無いようでしたらブロック総会に参加して合唱指導をしていただけないでしょうか?また、前後の期の方に呼びかけ、歌える人集めに協力してもらえませんか?幹事の主軸である一桁台から十期台の方々は讃美歌のメロディが精一杯らしく、水野さんのコーナーは聞きてに専念されるそうなので、30期台以降をどれだけ集められるかにアトラクションの成否がかかっているのです。
お力添えいただければ幸いです。
2011/10/13(木) 午後 6:32 [ 地塩 ]
残念ながら、その週末はこちらで仕事です。ご協力できずに申し訳ございません。アトラクションのご盛会とご成功を心よりお祈り申し上げます。
2011/10/14(金) 午前 10:32 [ azuminus ]
こんばんは。
今、地塩君が来訪しています。
「水野源蔵=武義和作品を歌いたいねぇ」と話してます。
2011/10/15(土) 午前 1:35 [ おりゅう ]
「雪が降る」,,,こんな雪の日はこの曲が思い出されひとりでうたっておりました。友人に紹介したくて検索してたら、あら!まあ!azumiくんじゃないですか!記事+コメント楽しみました。ありがとう。
2012/1/31(火) 午後 7:32 [ メグミヨシイケ ]