安積道也 〜教会音楽家のひとりごと〜

ドイツで教会音楽家として働いていましたが、2008年に帰国しました。福岡で活動中です。

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西南学院オラトリオ・アカデミー合唱団 練習初日終了

以前にお伝えした西南学院オラトリオ・アカデミー合唱団立ち上げの第一回練習(モーツァルト レクイエム)がありました。
その報告です。


はたしてこのご時世にあつまるかな〜
まあ、徐々に増えていって、2016年の西南学院創立100周年に100人集まったらすごいですよね、

と西南学院の委員会でほのぼの話し合って始まったこの企画、

ぼくの頭の中では危険信号が鳴っていた。


・・・本当に人数が集まらんかもしれん。下手すると、モツレクが、「合唱伴奏によるオーケストラ作品」になってしまう。(実は結構良くあるパターン)

そこでこれまで関わった合唱団のみなさんに、
「たすけてね」要請をだして、何が何でも第一回のコンサート11月3日「モーツァルト レクイエム」を
乗り切って軌道に乗せようと頑張った。


来すぎちゃったらどうしましょ〜?
と委員会で一度ぼやいてみたら、わははと笑い飛ばされた。
僕も、一緒に笑い飛ばしたが、

委員会が終わってから、腹が立ってきた。


練習開始に先立って、説明会を開いた。
説明会は連休前に2回を予定し、2回目は「体験練習」も含んでいる。



説明会初日。



前日までの説明会参加申し込みは14名。
その段階での入団者15名。



まあ、そんなものか。でも、予想よりちょっと多めかとは思うが、よしとしよう。



と思って準備していたら、当日説明会の参加応募が25名に増えたという。
結局申込をせずにきた人を含め、50名強のおお入りとなった。


ふむ。まあそんなものか。まあ、みんながみんな、入団するわけではないし、
この中で少しでも残ってくれればいいかな・・・



しかし、その後、状況は一転する。



何があったが知らないが、
第二回説明会当日で、入団者決定者がすでに80名に達していた。



・・・どういうことだろう。

この段階で、僕の頭の中では再び警報が鳴りだした。


やばい、練習場所であるチャペルのステージに乗り切れない。

最大の売りである「チャペルで練習」が出来なくなる。
即ち、本プロジェクトの基本前提が崩れることを意味するのだ。


恐る恐る第二回説明会申込者数を聴くと、
「90名を超えていますよ!」と喜びの(?)返答が事務室から帰ってくる。


ぴーぴーぴー! 頭の中の警告音がうるさい。


一応体験練習用の資料を160部用意してもらったが、
案の定足りなくなった。

大学の学部の協力を得て、おかりしてきた椅子50脚に、チャペルのパイプ椅子40脚。
中央にグランドピアノを置いてその左右にずらりと並べた。

セッティングを終え振り返ると、
どうみても、200名以上いるようだ。


きーきーきーきー!警報が止まらない。


平静を装い、説明会を終え、
そして、体験練習に突入。


発声は、僕がひとりで「オンステージ」。後は皆さん客席で発声。
200人みんなで伸びをしながらあくびをした(発声の一部です)。
これは壮観であった。
通常のコンサートにもこれくらいの人が来てくれたら、などと思いつつ、発声を終え、
いざ練習場のステージへ。

当然あふれた。

客席前方左右が合唱団員で埋まる異常事態である。


練習を始めたものの、僕の声も届かないし、皆さんの声も散らばってしまい、何が何だか、よくわからない。

無我夢中、というか五里霧中で練習を進めた一時間。



練習後、、むさぼるようにビールを1.5リットル飲みほした。



次の日、事務室から連絡が入り、
「あの後、50人入団していきましたよ!」と満面の笑み。
その後彼が何をしゃべったのか、頭の警報音がうるさくて良く覚えていない。
二日酔いの頭痛がひどくなったのだけを覚えている。

譜面の申し込みなどがあったので、あと2日待つことにして、一応第一段階をこれで締め切ることにした。

結果188名に膨れ上がった。
メンバーリストを眺めると、
合唱歴が僕の人生よりはるかに長い方から、
僕が日本にかえろうと決意した頃に生れた子(7歳)まで、年齢層はかなり幅広い。

合唱経験値も、
譜面読めません、歌ったことありません、から、モツレク完全暗譜組までかなり幅広い。


しかし、何といっても問題は「練習場所」である。
客席で歌ってもらうことは出来ない。練習にはならないからだ。
全員をステージに乗せられなければ、僕の合唱指導の基本コンセプトがすべて崩れてしまう。
これは即ちプロジェクト失敗を意味する。


さらなる椅子の調達を事務方に指示し、
ステージ上のスペース確保のために、
頭の中で椅子配置のシュミレーションを繰り返す。


連休中も
ステージに乗り切らなかった合唱団員に叱責されて練習が中断されたり、
本番中ステージから団員が落っこちたり、
ひな壇の底が抜けたり、
結局合唱団を解散せざるをなくなったりする夢を、本当にみた。

見た夢の対応をリアルに考え、
最悪の状態をいくつも頭に思い浮かべ、対応策を練った。

しかしやってみなければわからない。
やるしかない、と前だけ向くことにした。

そしてとうとう当日。

来ました来ました、188人。

椅子も並べに並べました。188脚。








発声を終え、




ステージに皆を乗せた・・・




・・・乗った・・・!



イメージ 1


いざ練習が始まるとなかなかの迫力である。
(声の、というより、ひとの存在感)

ここまでくれば後はもう大丈夫である。
後は、僕次第で、プロジェクトの出来が決まってくる。
ようは頑張ればよい。

Deo Gratias!

練習は第一回にしては、それなりの成果が出たように思う。

本番は、このステージ一杯ににひな壇を4段ほど重ねあげ、
合唱団員は、「壁」のように客席に向かって立ちはだかる。
客席の最前列から2列を取り払い、オーケストラは、横に広がるように配置する。
ソリストは二階の右手奥から天使さながらに歌う。

僕は、アマチュア合唱団の場合、
視界の問題さえクリア―できれば、
合唱団を前にして、オケを後ろにしてもよい、と考えているので、
これはこれで、理にかなっているかもしれない。

いろいろと前代未聞のことが多いこのプロジェクト、
是非成功をお祈りください。

また、「おたすけ」要請に快くお答え下さった合唱団の方々、
終始微笑みを絶やさず、フォローしてくれた関係者のみなさま、
そして特に、本来ならば、学院関係者(でも合唱のことはまったくの素人)がこなさなければいけない、
練習運営の現場実務を、快く引き受けてくれたコーロ・ピエーノ合唱団のみなさん! 
心から感謝申し上げます。

これからが正念場。全力で頑張ります。


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教会音楽のしらべ



フライブルク紀行がなかなか書き進まず、すみません。

今回はコンサートのお知らせです。

今週土曜日16時から、白金の明治学院大学チャペルでコンサートをします。

(詳細はこちらのサイトから
http://www.meijigakuin.jp/concert/)

「教会音楽のしらべ」と銘打って、オルガンと合唱の共演です。
合唱とオルガンのコラボレーションは、ヨーロッパでは頻繁に聞かれる響きでありますが、
日本ではなかなかありません。
教会音楽を代表する響きを再現しよう!というわけです。


ちなみに、なぜヨーロッパで「オルガン+合唱」が頻繁にあるかというと、


1.どの教会にもオルガンがある。
2.オルガンだと古典派までのオーケストラ曲なら、アレンジできてしまう。
3.複数の器楽奏者にギャラを払うより、教会専属のオルガニスト弾かせたほうが安い。

そして

4.アカペラだと、ハモってないのがばればれ・・・・


などの現実的な理由から、オルガンはよくつかわれるのです。



ではなぜ日本でめったに聞かれないのか。

1.オルガンのある教会がほとんどない。
2.このてのレパートリーを歌える聖歌隊がほとんどない。
3.混声のレパートリーがおおい(=聖歌隊に男性がいない)
4.日本語じゃないから、いや。

などなど



さて今回はなかなかヘビーなプログラムとなっています。
指揮は、日本を代表するバッハ学者樋口隆一先生。明治学院大学芸術学科の教授です。
合唱は樋口先生率いる「明治学院バッハ・アカデミー」です。
かれらは、東京近郊の非常にコアな合唱好きが、樋口先生のところで歌いたいと言って、集まった集団です。
毎年アマチュアとは思えないほどのプログラムをこなしています。
最近はサントリーホールで歌ったり、何年か前はライプチッヒまで行って、バッハ・フェスティヴァル中に礼拝で歌ったそうです。
私は帰国当時、樋口先生に拾ってもらって、しばらくこの合唱団の副指揮者をしていました。
なかなかの逸材ぞろいの合唱団です。

今回私はオルガンソロと、オルガン伴奏を兼任です。

教会音楽家であれば、「弾きつつ振る!」なんてことになるのですが、
今回は弾くことに集中できそうです。

ソロには、
バッハの前奏曲とフーガ ト長調 (フーガははまりが悪く、卒業試験で敬遠される代表格)
バッハの二男エマヌエルから、ソナタ ヘ長調 (喜劇、悲劇を見ているような曲)
ブラームスのコラール前奏曲から一曲 (泣けます)
ベームのパルティータ (音楽的に難しく、泣きました)
バッハ オルガン小曲集から一曲 (ベームの後に続けて弾くので、多分バッハと見破られないでしょう)

合唱は、
ブラームス、ブルックナー、シューベルトのモテット群に、
ハイドンの小オルガンミサ、にバッハのモテット。

これに樋口先生のお話しが加わるので、
まさにたっぷりです。

ちなみに同じプログラムを来週末21日に、西南学院大学チャペルでも行います。

(詳細は以下のサイトで
http://www.seinan-gu.ac.jp/event/2072.html)


これは西南のチラシです。
(このチラシ、本人は実は随分はずかしい・・・)


イメージ 1



イメージ 2




私は、明治学院出身者です。
かつて明学グリークラブで毎週歌っていたチャペルで
コンサートが出来ることはうれしい限りです。

また、このごろ西南学院もいろいろと明治学院とのつながりが出来てきて、
様々な分野で明治学院をお手本にしています。

今回の音楽を通した学校間交流は、
西南学院では非常にポジティヴに受け取られていて、
私も、気合が入ります。

しかし、
今日気合を入れて練習していたら、
季節の変わり目なので仕方は無いのですが、
オルガンの調子が・・・

1、.ある鍵盤が下がらない。
2、でも、ある鍵盤は上がってくれない。

3、あるパイプが鳴らない。
4、でもあるパイプは鳴りやんでくれない。

5、カプラー(鍵盤同士をつなぐ装置)の調子が山のお天気なみ。(=日によってかかったりかからなかったり)
6、演奏家の調子は桜の如く(=ピークが一週間しか持たない・・・)

そんなわけで、夜分にビルダーに電話をして、来週来てもらうことにしました。

明治学院でも、西南でも全力を尽くします。
お時間のあるから是非ご来場ください。





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西南学院オラトリオ・アカデミー


ドイツ旅行記をちょっとお休みして、
宣伝です。


西南学院は、2016年で創立100周年を迎えます。
この4月からの年度が、100周年事業のキックオフの年となります。

「西南の教職員のみんな、がんばれよ〜」

とタカをくくっていたら、

お偉い様から、

「音楽主事!なにかやれ」

とお達しが。

それで、どうせなら、ということで念願の
オラトリオ(オーケストラ付き合唱曲で内容は教会音楽)をうたう合唱団を立ち上げることにしました。
チャペルクワイアをのぞいて、
日本で責任をもって練習から本番まで指揮指導をする初めての一般合唱団です。

めだまは、

・西南学院大学チャペルが練習会場であること。
・毎回、託児があること。
・会費は高くない。おまけにチケットノルマ、演奏会参加費用がない!
・本番は、チャペルでオーケストラと、ソリストつき。
・学院の全面バックアップ体制がある。

第一回目の演目は、今年の11月3日にモーツァルトのレクイエムです。
もちろん練習の指導ならびに本番指揮者も僕です。
いままで身につけてきた、合唱に関するありとあらゆる技術と技と「情熱」を注ぎ込む予定です。

以下のアドレスのサイトを見てください。
そのチラシのサイトに行きますので、興味のある方は、ご一読ください。
(あるいは「西南学院オラトリオ・アカデミー」と検索すると出ます)


http://www.seinan-gu.ac.jp/assets/users/1/files/ORATORIO%20ACADEMY.pdf

夢は、
一般合唱愛好家+学生(小中高大学生:学校問わず)+熱烈西南OB・OG という合唱団に育てて、
皆で、マタイ受難曲を歌うこと。

風呂敷、広げられるだけ広げて始めてみます。
請うご期待。

ご参加、お待ちしています!!





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2012 ドイツ旅行 2

電車(ICE)は南下する。
 
サラ。彼女は、ライプチッヒのアンゲリカと同じく、僕の同級生。アンゲリカは、「教育音楽学科(Schulmusik)」だったが、サラは僕と同じ「教会音楽科(Kirchenmusik)」だ。その学期は二人しか入学者がいなかったので、つまり、本当の意味で僕の唯一の同級生である。ちょっと気難しい女の子で、打ち解けるまで丸2年かかった。
 
忘れられないことがある。まだ、渡独一年目で、ドイツ語もおぼつかなかった頃、一緒に受けたオルガンの中間試験で上手くいかなかった彼女はひどく落ち込んでいた。そんな彼女を何とか慰めようと、ここぞというシチュエーションで、
 
„Hab keine Angst“(ハープ・カイネ・アングスト = 心配しないで )
 
と言おうとして、
 
„Hab keine Ahnung“(ハープ・カイネ・アーヌング = さっぱり分からん )
 
と真顔で言い間違えて、ひっぱたかれた。
 
その傷を修復して以来、僕の良き理解者である。
ちょうど2歳児ぐらいの子供が片言をしゃべっていると、なぜかお姉さんだけが、何を言いたいか分かって代弁してくれる、そんな関係だった。
 
 
・・・その辺容赦なかったのが、アンゲリカだったが。
 
 
そのサラに、シュツットガルトで途中下車して会ってきた。
教会音楽家の職を離れ、オルガンをやめ、目下歌い手を目指して、新たな歩みを始めていた。


教会音楽を収め、しかしその後教会音楽家であることをやめる友は、実はかなり多い。
実際の仕事はきつく、人間関係、雑務に激務。そして過酷に要求されるオーガナイズにマネージメント能力。しかも、土日が「仕事」としてつぶれるので、とりわけ婚活中のものにはつらい(冗談ではない)。
数ある教会音楽の分野から、サラのように、「声楽」とか、あるいは「オルガン」とか「作曲」に特化し、「専門家」としてキャリアを積む人も結構いる。

 
 
サラは、自分の声の成長と今後の展望についてうれしそうに語り、
「もうオルガンは弾かないわ。結構、せいせいしてるの」
と、すっきりした顔である。
 
まさかあの時の中間試験をまだ引きずっているとは思えないが、そのことには触れずに
また数年後に!とさようならをして、市電に乗り換えバックナングへ。
 
 
そこには、ライナーがいる。


僕がシュツットガルトに入学したとき、彼は4年生だった。そのまま教会音楽科の院に入って2年後にみごと修了。3年間音大で一緒だった。院の時にチェンバロ科の彼女と学生結婚をしたのだが、その結婚式は素晴らしかった。
すでにかなり大きな教会のポジションを持っていた彼と、少年少女合唱団を中心に活躍していた彼女クリスチーネのゆかりの人々と、われら教会音楽科の学生らが寄ってたかって、結婚式ミサを音楽で飾り立てたのだ。
オルガニストは、われらのオルガンの師匠ヨーン・ラウクビックが担当し、新郎新婦はラウクビック演奏のバッハの前奏曲変ロ長調にのって入堂(なんと豪華な!)。ミサ固有文は、4つの聖歌隊と音楽学生有志からなる120人もの巨大な合唱団が、大オルガンの伴奏でドボルザークのミサニ長調Opus 86を歌い上げ、固有唱では、音大や地元の著名な音楽家が、それぞれ祝福の思いを込めて熱演した。なんと3時間もかかった「荘厳ミサ」となった。
(ちなみに、そのあとの司祭館大ホールで行われた披露宴パーティは、5時間もやっていた)


 
 

ところで、教会音楽家を目指す人間には、いろいろなタイプの人間がいる。相当な総合力を求められるのだが、在学中、好んで「総合的」に勉強するものは少ない。大抵、オルガン演奏ばかり練習してしまう。すると、
歌を練習するのはレッスンの時だけ、
理論の宿題は常に一夜漬け、
即興演奏はレッスンで「即興」すべしと、ほとんど運試し。
そして指揮に至っては、「練習すべきものではない」、と思う輩が実は結構多かったりする。
あるいは、かなりの分野に能力が突出しているものの、「人間性」や「人間関係」に問題のあるものも少なくない。

そんななか、ライナーは、すべての分野に一流の腕を持ち、企画運営、マネージメントに優れており、また、人間的にも本当に温かみのある「バランスのとれた」良き教会音楽家である。同年代(在学時期がかぶっている人たち)の教会音楽家の中で、「こいつはすごい!」と、僕が心から尊敬をする数少ない人物の一人である。
 
彼とは、昨年の冬、ライプチッヒの街のど真ん中で、8年ぶりに「偶然」ばったり出会った。その時は興奮のあまり、お互いあまりしゃべれないほどであったが、アドレスを交換したので、今回はどうしても訪ねたく思い、行ってきた。
 
彼は、いま2児のパパ。9歳と7歳の息子がいる。お兄ちゃんは、トロンボーン。弟はドラムをしている。うちに帰ると、部屋ではお兄ちゃんと一緒にトロンボーンの二重奏をし、地下の音楽室では、弟のドラムに合わせて、ロックをピアノでガンガン弾く。相変わらずの腕前である。居間には、チェンバロが当たり前のようにおいてある。
 
彼は、教区教会音楽家長であり、そのあたり一帯のカトリック教会音楽家たちを仕切っている。おまけに卒業後に、通信教育のようなもので二つも修士を取ったらしく、今では某会社の「社長」にも就任している。
 
「社長は昨日でプローベツァイト(お試し期間)が終わって、今日から正式に社長なのさ」とうれしそうに話している傍ら、携帯が鳴り、
「ああ、わたしが社長だ。」と言い切る姿もすでに堂に入っていた。実は、僕よりたった一歳だけ年上らしいことが今回判明した。
 
 
社長は別にうらやましくないが、嫁さんと息子二人には、なぜか敗北感を覚える。
 
 
次の日彼の務めるヨハネス教会のオルガンを弾かせてもらう。
 
以下のサイトでサンプルが聞けます。
 
オルガンを弾いてくれるライナー
イメージ 1


 
午前中いっぱいこのミューライゼンオルガンを独り占めしてきた。素晴らしい響きのオルガンでしかも久しぶりのフランス様式のオルガンに大興奮。今度来るときは、コンサートをさせてくれることになった。
 
 
 
ところで、教会音楽家が自分の弾いているオルガンを仲間に見せるときは、たいていふたとおりの仕方がある。


一つは、ライナーのように、そのオルガンの特徴的な笛をどんどん使い、即興しながらオルガンの響きをプレゼンテーションしてくれるタイプ。ざっと1015分、それでほとんど、空間の中に鳴るオルガンの響きに関しての概要を頭に入れることができる。そのあとは、「どうぞご自由に!」という具合である。こういう時に「作品」を弾く人はほとんどいない。たいていすべて即興でしてくれる。要は譜面を開いて、その音色にみあう曲を探すより面倒が少ないうえ、効率よく、響きを示すことができるからだ。
 
もう一つが、ライナーの次に訪ねたヴィンネンデンに住むペーターのタイプ。ペーターは、シュツットガルトで同じ教会音楽科にいて、その後フライブルクでは指揮科でも一緒であり、とても気の合う親友である。
彼の場合、「どうぞ!」と言って、オルガンに僕を座らせる。
そして自分のオルガンの特徴的なストップを組んでくれる。僕はそのストップを見ながら、その音色に合わせて即興する、という具合だ。
 
これはこれで楽しい。
お互いの先を読みあって、即興的に協演するような面白さがある。その場でストップの組み合わせ方や音色を指先と耳から体に入れていく。ライナーのところと同じくミューライゼンのオルガンだが、教会の響き自体はこちらのほうがよい。
最後に、ロマンチックなピアニッシモを作ってくれたので、メシアンの第二モードで遊び始めたら、ニヤニヤしながら少しずつストップを足して、クレッッシェンドをかけてきた。結局5分かかって巨大なクレッシェンドを行い、最後のTutti終和音は二人で指20本、足3本使って鳴らした。
久々にエキサイトした。
 
ペーターの弾くオルガン。
演奏台上に横に伸びているパイプが、スペイン風のトランペット管。「水平管」というニックネームで呼んでいる。直接会堂の空間に向いているので、非常にダイレクトに力強く響く。ただ、演奏者の耳には、あまり良くない。ミサで用いるのは年に二回(クリスマスとイースター)ぐらいだとか。
イメージ 2

 
彼は、それほど大きくないこのポジションで、教会音楽家として働き食い扶持を得ながら、主に、通奏低音奏者、オルガンソリストとして自分でコンサートをオーガナイズしながら、活動している。ソリストとしての活動を維持するために、わざと小さめのポジション(要は仕事が少ないので、自分の時間が多くある)で、良いオルガンのあるところを狙う教会音楽科出身者は結構いる。
 
もちろん、生活と収入の安定はない。しかし、
 
「僕は僕の上司なのさ」
 
と、ポジションに縛られない音楽家としての自由な生き方を自負していた。
ライナーとは全く違ったあり方である。
 
いろいろな生き方があるものだ、と思った。
 
ペーターと再会を誓い、
旅は最終目的地、第二の故郷フライブルクへ。
 

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2012ドイツ旅行 1

 
 
なぜか空港の職員は、「音叉(おんさ)」に興味があるようだ。
行きも帰りも、手荷物検査で引っ掛かった。
 
きっとなにか怪しい「電波」でも出すものと思われたのかもしれない。
「ら」、しか出ないのに・・・
面白いので、今後も必ず筆箱に入れていこう。
 
そう、ドイツに行ってきました。
今回は、中11日で、なんと30件もの予定が入ってしまった。別個にゆっくり会った知人・友人・先生方は、総勢48人。そのほか、ドイツフランス合唱団(25人)、ギュンタースタール聖歌隊(20人)そして、ミサの後教会のみなさんと延々1時間にわたるお話・握手・抱擁タイムが入り、合計100人近くの人と会ってきました。
 
11日間全力疾走し、帰りの飛行機で体力回復を図ったのですが、機内で遊びまわっていた子どもについちょっかいを出して遊んであげたのが運のつきで、一晩中(?)つきまとわれ、殆ど眠れず。お昼の14時に福岡の自宅について、16時には、西南学院で仕事を開始し、自宅ではいまだにトランクが口を開けたままです。
 
 
この強行軍は、着いたフランクフルト空港で、すでに始まりました。
たまたまその日の夜の便で帰る日本の友達とおちあい、空港で駆けつけ一杯。ビールで乾杯。ドイツの現状や日本の原発云々についての話になると思いきや、ひたすら「婚活」の話に盛り上がり、お互いの傷をなめあって分かれ、幸先良いのか悪いのか・・・・
 
そのまま酔っぱらってワイマールまでひと眠り。ワイマールの劇場でオペラ合唱団副指揮者をしている友人ファビアンにあってきました。彼は、シュトゥットガルトで教会音楽家Aをおさめ、その後ワイマールで指揮科を修了し、そのまま地元の劇場で働いている非常に有能な男です。それこそ婚活はさておき、旧東ドイツを引きずるワイマールの現状をいろいろ聞いてきました。かつての文化の中心都市ではありますが、旧東ドイツの時期を経て、今に至ったその名残が、音楽文化の現状にどのように表れているか、うかがい知ることができました。
 


オペラ合唱団のリハーサル室。窓が無いのが不満だそうだ。
イメージ 1


 
 
彼のところに二泊して、ひとしきり観光し、仕事場を見せてもらい、二人で電車に揺られること30分。ナウンブルクへ。ナウンブルクには、バロック期に完成し、J.S.バッハが鑑定をした大オルガンが鎮座する聖ヴェンツェル教会があります。オルガンは、完成すると著名なオルガニストによって、その出来を鑑定してもらいます。バッハはオルガン即興家ならびに鑑定家としても当時有名でした。ヒルデブラントの大オルガンは、バッハが3日もかけて鑑定し、太鼓判を押した名器です。時代ごとの度重なる改善(改悪ともいう)で原型を失いつつあった楽器でしたが、最近オイレというオルガン工房が見事に修復を完成(すなわち、当時の状態を可能な限り復元)しました。
その由緒正しいオルガニストのポジションを、シュトゥットガルトの学友ダヴィットが3年前に勝ち取ったとのこと。かれは、今は母校シュトゥットガルトで即興の先生としても活躍しているらしく、そのうち間違いなくドイツを代表するオルガニストの一人になるでしょう。


聖ヴェンツェル教会のポジションは、春から秋にかけては多忙を極め、毎週二つ以上のコンサートがあったり、数え切れないほどのオルガン見学グループに演奏を聞かせたりと、教会も本人もまったく余裕がありません。しかし、冬季は、まったく暖房の効かない建築のゆえ、教会は一切締め切りだそうで、比較的ゆっくり時間を取って、われわれのためだけに鍵をあけてくれました。

バッハが触れたその鍵盤は黒く鈍く光り、ペタペタ撫でてているとうまくなった気分に(勝手に錯覚)。そして、音を鳴らしてみて、その迫力と美しさに圧倒されました。その後ダヴィッドは即興を含め3曲も演奏をしてくれて、われわれを歓迎してくれました。久しぶりに体が響きに包まれ、魂が響きに揺さぶられ、涙が流れ落ちる体験をしました。魂が響きに飢えていたことを思い出しました。
 


ヒルデブラントのオルガン。
イメージ 2


 


鍵盤をペタペタしてご満悦。
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「やっぱり、オルガンって好きだな」とか、「オルガンやっていて良かった」と思いつつ、気がつくと震えが止まらず歯の根が合わない。3週間前の大寒波(マイナス20度!)の寒気でいまだ教会が冷え切っていて、外(マイナス1度)より教会内のほうがよっぽど寒いので、冷凍庫の中で演奏するようなものでした。もし、冬季にコンサートをしたら、確かに死人が出そうです。こんな中、バッハの速いパッセージを軽々と弾ききるダヴィッドの指はいったいどうなっているんだろう。
 


ナウンブルクの駅にて、ファビアン(右)とダヴィッド(左)
イメージ 4


 
 
 
明日は日曜日。予定を急きょ変更して、その足でドレスデンへ。十字架教会とフラウエン教会のルター派の典礼をみるためです。どちらの教会のオルガニストも学生時代からの知り合いですが、時間がなかったので、今回は声をかけず、両教会で日曜の礼拝を掛け持ちして堪能してきました。
 


十字架教会内部
イメージ 5


 
十字架教会は、かつてハインリッヒ・シュッツがいたところです。その日歌いに来ていた合唱団も非常に素晴らしく、きちっとはめられた5度と3度がこれほど美しく豊かに広がって行くとは!と改めて感動しました。これをうちの学生さんに聞かせてあげたいものだ、と心から願いました。いや、そのうちここに、連れてきてやる、と目をぎらぎらさせて教会内をうろうろしながら夢想していたら、観光客から声をかけられ、いろいろ尋ねられてしまった。よっぽど態度がでかかったらしく、関係者と間違われた模様。
 

その後ライプチッヒへ。シュトゥットガルトの同級生で、6年間もの間、朝から晩まで一緒に喧嘩をしつつ勉強を重ね、もはや実の兄弟よりも近い感じの、人生の友アンゲリカになんと8年ぶりの再会。
ドイツに社交辞令は無いとかいう人もいるが、そんなことはない。ドイツ人も日本人と変わらず、このような久しぶりの再会では、普通「かわってないね〜、すぐわかったよ。相変わらずだね!」 から始めるものであるが、彼女は、駅で遠くからぼくをみつけ、駆け寄ってくるなり、

「道也!!あんたも老けたわね!あたしも歳くったわ!」

から始まり、その毒舌とマシンガントークは「相変わらず」。その後の話をまとめると、どうやら長年付き合っていた彼氏にふられ、目下婚活中で、でもどうしても納得のいく男が見つからず、早く家庭が持ちたいのに、年だけは取って行く・・・というくだりで、このような口火を切ったらしい。


・・こういう勝手な我がままなあたりも、変わっていない。本当にこいつ「歳くった」んだろうか。
 

しかしこのアンゲリカ、もっかライプチッヒのトマーナー(バッハのいた聖トーマス教会の少年聖歌隊のこと)のスカウトウーマン&年少クラスの発声指導を担当している、すなわちトマーナーの一番底を支えている重要かつ有能な女性。年間50もの小学校や幼稚園を訪れ、子どもたちに歌わせ、その中から「これは」と思った子どもの親に招待状を送りつけ、オーディションを受けさせる。3回の審査の後、トマーナーの寄宿舎への入寮を許可し、そして、自分で発声や曲を指導するということらしい。そして、その子たちは、数年間して実力をつけると、ビラー氏のもとで日曜日の礼拝などで歌うようになる、という訳だ。
 
すごいなあ、と思いつつも、「そんだけ毎日子ども相手に仕事してるくせに、自分の子どもはまだなんだねえ」といじってみたら、
 
「あんたこそ、その歳でこれだけのうのうとドイツに来れるんだから、ひまよね!」
 
とやり返された。
 

友達としては最高だが、パートナーとしてはなんとしても避けたいタイプである。
 

ところでドイツではすべての「道」に「名前」がついている。これがアンゲリカの住んでいる道の名前。こいつはうらやましい。(Straße=ストリートのこと)
 
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バッハがらみで、ぎりぎりの時間を利用して、一つ確認してきた。
モールテン(モールテン・シュルト‐イェンセンとの出会い:http://blogs.yahoo.co.jp/ichbinderweg/29371491.html  もしくは、福岡古楽音楽祭:http://www2.odn.ne.jp/~cco69970/index.html/  参照)がロ短調ミサ曲を振った時に、リハーサルでたびたび「一人の人間としてのバッハ」に言及し、その生活感あふれたバッハの証拠を、打ち上げでしゃべっていた。
 
トマス教会わきのバッハ像。


ごついかつらにいかめしい顔。
 
物々しいマントの内側のベストに注目すると、
 
・・・確かに二つ目のボタンが外れていた!!
 


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翌日、「あたしの人生のために祈ってね!」という熱い応援エール(?)を背にライプチッヒを出発し、南ドイツのバックナング(シュトゥットガルトから電車で25分)へ、新幹線で6時間。ドイツを一気に南下する。
 
旅は続く。
 

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