半年ぐらい前のことだろうか。
生まれて初めてジャズダンスをした。
ところで近頃考える。「専門家になる」ということは、一つのことに対し、多くの視点を身につけることでもあるが、逆に、多くの視点を失うことでもある。たとえば、僕は合唱指揮・指導の専門家であるし、実践も日々こなしている。しかし、僕はもうどう頑張っても「合唱の初心者」には戻れないのである。
僕が週三回指導している大学聖歌隊の学生のほとんどが、いわゆる「初心者(=楽譜読めない。歌ったことない。etc.)で入ってくるわけで、僕は「専門家」としてあらゆる配慮を払うものの、本当の意味で彼らの立場に立つことができない。「配慮」といってもあくまでも、僕の側から見たものでしかないことは自明の理である。ここに、自己矛盾を感じ、苛立つことも多い。
それはともかく、僕は学院音楽主事として演奏業務(指揮、オルガン演奏、その他)がある以上、スポーツ選手同様、自己の体調管理と楽器を操作するための筋力トレーニングは欠かすことができない。そのようなわけで2年ほど前からジムに通っている。
僕の通う某ジムクラブは非常に充実していて、器具によるトレーニングはもちろん、トレーナーが僕の仕事内容に必要な筋力トレーニングのメニューを立ててくれる。そして、ふたつあるスタジオで、さまざまなクラスが曜日別・時間別に開かれていて、いつでも参加して構わない。それがまたうれしい。体の硬い僕はおもにヨガのクラスに参加している。(会議等で上がった血圧を下げる目的もある)
仕事の都合で、行ける曜日が決まっているのだが、ある日珍しくいったことのない曜日にジムに行った。ルーティーンワークとしてバイクをこぎ、いつもの時間にひょいと「ヨガ」のクラスに、時間ぎりぎり飛び込んだ。
すぐにドアが閉じられ、先生が前へ。
いつもの神秘的なヨガ服ではなく、今日はど派手である。よくみると顔も違う。
「あれ、いつもの先生は、風邪かな?」といぶかって周りを見ると、いつもの顔見知りが一人も居ない。みなさんいつもより露出が多く、スタイルがよろしい。
その時先生が威勢よく叫んだ。「こんばんは〜!それでは今日も始めましょう。『初めてのジャスダン』の時間です!」
おっとぉ
「皆さんで、ジャズダンスの基本からみっちりやっていきます。今日はちょうど3カ月目。今までやってきた動きをまとめてみましょう!」
ぅおっとぉ
曜日が違うのを忘れて違うクラスに入ったらしい。
しかし、入ってしまった手前、ここで出るのも何となく恥ずかしいし、「初めての・・・」とか言っているから、まあ、試しに一時間やってみるのも悪くないか、と意を決してとどまった。
僕は、踊り音痴である。踊るといえば、国の「山県小国音頭」か、「豊栄(とよさか)おんど」くらいのもので、やったことのある一番「ナウい」ダンスが、フォークダンスのビューティフルサンデーというレベルである。ジャズダンスのようなアクロバティックなものは見ているだけで目が回ってくる。
準備運動を兼ねた体操が始まった。ガンガンと乗りの良い音楽が鳴り、みなさん慣れた体さばきで手足をのばしてゆく。前方一面鏡張りなのだが、鏡など見ている余裕はない。先生の動きをガン見して、0・8秒遅れぐらいでついていく。
一息水飲み休憩が入った。そこで脱出も可能であったが、なんとなく準備運動について行けてしまったので、つい欲を出して続けてみた。その後は、説明付きの動きが、複雑さを増しながらどんどんテンポよく繰り返されてゆく。しかしこの先生、踊りは非常にうまい。つい見とれる。教え方もとても上手。きっと一流の方なのだろう。先生としても抜群だ。受講生の皆さんが全幅の信頼を置いて先生の指示に従い、踊っているのがよくわかる。
しかし、僕にとってはどの動きも人生で一度もしたことのないものばかりで、頭も体もすでに飽和状態。ついに、全員でターンするところで逆走し、お隣さんとクラッシュしてしまった。先生は大笑いしながら、「大丈夫大丈夫、もう一回やってみましょう」と『笑い飛ばして』くださった。きっと、明らかな初心者の僕を思って、救ってくれたのだろう。
しかし僕はひそかに傷ついた。きっと見ていておもしろかったのだろう。でも笑うのはひどい。恥ずかしいし、でも黙ってもう一回繰り返してくれてもいいのではないか?
だが、めげずに頑張った。
動きは一個一個確認され、それを少しずつつなげていく。うまくいったりいかなかったり。そのうち指示のレベルが上がってくる。
「手を上げるときは、重心に対してこう!動きの順番だけではなくて前の鏡を見て、確認して!」
・・・確認など冗談ではない。こちら、左のお隣さんと右のお隣さんのはざまで、ぶつからずに動くだけで精一杯である。
ある決めのポーズがあった。なんども皆で繰り返し、つなげてやってみた。自分では、決まったか!と思った瞬間
「あぁ〜〜〜!そろってない〜〜!!」と先生絶叫。
・・・結構落ち込む。
「もっと手の出しどころを上から、そして肩をこう入れる!」
・・・何やら意味不明な指示が飛んでくる。
再びチャレンジ
「やった〜〜、いまのはよかった!!」
・・・というか、さっきとどう違うのか、まるでその違いが分からない。
でも、まあ、先生が喜んでいるから、それでいいか。
「今の感覚、おぼえておいてね!!」
・・・どれのどの感覚だろう…?でもとりあえずうなずいてみる。
踊っていると先生が(多分心配して)近づいてくる。
・・・お願い。こっちに来ないで。必死なんだから一人にしておいてくれ。
「大丈夫ですか?むりしないで!」
・・・無理せずできるようなことではない。大丈夫ならもっと楽しそうな顔をするぞ。でも笑い返してみる。僕も日本人が板についてきたなぁ。
最後にみんなで通してみた。踊りながら、また先生が、こちらに視線を飛ばしながら叫んでいる。
「はい〜、自分の動きだけじゃなくて、前の鏡を見て、みなさんと腕の角度と、腰の位置を揃えましょう。自分だけで踊らず、みんなで一緒の動きで〜〜〜!」
・・・うるさいなぁ、わかってますよ、そんなこと。できれば苦労しませんよ。少しは僕の気持ちもわかってくれ、
こっちは「初心者」なんだから!!
・・・と思った時、ふと最近友達に誘われてわが聖歌隊に入ってきたまったくの合唱初心者のある学生くんを思い出した。
僕は彼か・・・!
その時、自分がものすごく貴重な体験をしていることを悟った。ああそうか、クワイアのみんなはきっとこんな思いをしているのかもしれん。
考えてみれば、ジャズダンスの先生の言っていることは、連日僕が言っていることとほとんど変わらない。ジャズダンスと合唱の共通点発見も大きな喜びだったが、今こうして、再び「初心者」のつらさや居心地の悪さを味わうことができる喜びで満たされた。
なるほど、こういうことなのか!とおもい、動きはそっちのけでこの一時間の自分の内的感情体験を追認する。
罪悪感に襲われた。結構自分は、自分勝手に相手を思いやっているふりをしていたらしい。この温度差は一体何だろう。
それ以来、考え続けている。
いまだ答えは出ない。
でもいろんなことが分かった。
練習中、彼らも必死なこと。
目をそらすのにも理由があること。
できなくて当たり前だということ。
褒められても、うれしくない時もあること。
指導者の「配慮」が邪魔になることもあること。
放っておいてほしいときがあること。
表情と違うことを考えていることが多々あること。
学生さんも人間。僕も人間。
彼らは20歳そこそこ。僕もまだまだ30代(後半)そこそこ。
お互い、分からないことだらけだ。
でも今回のジャズダンス事件で少し学生さん理解が深まったかもしれない。
もちろんそれがどのように実際の指導メソードに変化をもたらしたかは別問題であるけれど、心構えはちょっと変わったつもり。
しかし僕同様に演奏業務が課されているクワイアの指導者として、譲ってはいけないレベルがあることも厳然とした事実である。新たな自己矛盾が増えた。
そうは言うものの、時間がたつと「喉元過ぎれば、」の如くまた初心を忘れてくる。
幸い、僕の通うジムにはまだまだ僕の知らない世界のクラスがいっぱいある。時に勇気を振り絞り、飛び込んでみたりしている。
しかし、ジャズダンスのクラスにだけは、今後も行くつもりはない・・・・