安積道也 〜教会音楽家のひとりごと〜

ドイツで教会音楽家として働いていましたが、2008年に帰国しました。福岡で活動中です。

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尿管結石 2

尿管結石 2 続き

5分で病院についた。タクシーの運転手さんに、750円(歩けば10分)わたして、
車から這い出る。運転手さんも見守ってくれている。


いつもは素通りするその病院が天国の門に見える。
 
もうまっすぐ立っても座ってもいられない。
下腹部への圧迫を避けるため、ズボンもまともに上げていられない状態だった。


看護婦さんがでてきて、「あ、お電話の方ですね。」
 


おお天使の看護婦さんが!!早くお救いを!
 


「では、ここにお名前とご住所をご記入ください」
 


 
・・・あくまめ。
 
 


震える手で、書きなぐる。だれだ、こんなに画数の多い名前を俺につけたのは!
 
俺の息子の名前は決まった、「一(はじめ)」だ!
 
さあ、これでやっと天使のお医者様が、と思っていたら、またその悪魔の看護婦さん。
 
「ハイでは、これでお熱を測ってください」と悪魔の笑みをうかべて白い棒(体温計)を持ってきた。
 
その3分間の長かったこと長かったこと。
 
でもこれで40度ぐらいの高熱なら恰好がつくな、など朦朧とする頭で考えながら、
高周波の悲鳴を上げつつ、暗い待合室で独り耐えること3分。
 
ピピピ!  いざ!
 
 
  36度2分。
 


思いっきり平熱である。

なぜかちょっと恥ずかしい。
この看護婦さん、ぼくを辱めるために嫌がらせをしているのだろうか。
(すでに痛みで人格も崩壊し始めていたようだ)
 
そこへ寝起きのお医者さま登場。
問診をして、レントゲンをと言われたものの、レントゲンのために立っていることも、腹部を伸ばすこともできない。
 
気がつくと、看護婦さんが3人に増えていた。若い方もいらっしゃるようだが、
人間あそこまで痛いと、本当になりふり構わなくなることが初めて分かった。
少しでも痛みの軽減を求めて、求めるものはすべて言う。
「クーラーを消して!」
「電気まぶしい」
「はきます」
「むりです」
 
そこでまず強力な鎮痛剤を入れてもらい、少し効いてからレントゲンを撮って、採血、採尿をした。
 
もしも、全裸になったら、この痛みがほんのちょっとだけ、楽になると言われたら、多分、まったく躊躇せず、脱ぎ捨てていただろう。
 
 
診断は、尿管結石。
 
「食あたりかと思ったのですが、苦しみ方をみてて、多分と思ったら、立派な血尿ですねえ。多分石でしょうねえ。打つ手はないんで、帰って、水をたっぷり飲んでください」と、飄々と説明してくれる。
 
こちらもやっと鎮痛剤が効いてきて、思考も理性も戻ってきた。
 
「はあ、っていうことは、まだその石、「いる」んですね」
 
「ま、そのうち、おしっこの時に『から〜ん』ってでてきますよ」
 
「いつごろでしょうかねえ。」
 
「人にもよりますが、ま、出るときゃ、出ますって。安心してください」
 
「(・・・安心できるか!)出るときは、やっぱまた痛いんでしょうねえ。」
 
「その時のために、お薬出しておきます。その「コンサート本番」とやらでなったら、あきらめてください」
 


こんな医者も、有事には天使に見える。
 


てくてく歩きながら、朝4時過ぎに一人帰宅。
まだ奥のほうで何かがずきずきしているのが分かるが、鎮痛剤のおかげで、
歩くことも考えることもできる。
普通に息ができるって何て素晴らしいんだ、と明けの明星を見ながら幸せを満喫した。
 
 
しかしその帰路にいろいろ考えた。
 


本当に痛かった。だから、本気で求めた。(この場合は、痛み除去だが)
人間ここまで「求める」ことをすれば、本当に本気で何でも言えるし、なんでもできる。(裸にだってなれる)
 
では、はたして僕は、これほど真剣に西南学院で何かを求めているだろうか。
現状にブツブツ言うが、自分の求めることにたどり着けない現実に、「本当に痛みを感じているのだろうか」
 
本当に痛みを感じている人間の言葉の迫力は、桁が違う。自分でそう思った。
生きるか死ぬか、の瀬戸際で何かを求めることをしなかったら、本当に人には通じないのではないだろうか。
 
本気である、ということと程遠い自分の現在の安穏とした生活を、心から恥じた。
 
 


その後、いろんなところで結石の話をしてみると、実は結構「結石仲間」がいることが分かった。
面白いことに結石さんとは、即座に仲良くなることができる。
あの痛みを共有していることが、なぜかものすごい連帯感を生むのである。
 
 


ある結石「未」経験者の一児の母と話をした。
 
「安積さん、本によると、それって、陣痛に匹敵するほどの痛みらしいですねえ。」
 
「らしいですねえ。でも、女性はすごいな。あんな痛みを長時間こらえて、産むんですもんね・・・」
 
「なんてことないですよ。その後に、自分の赤ちゃんをこの手に抱いた時、そんなの忘れちゃいますよ。」
 

・・・しかし僕の結石はせいぜい『トイレでから〜ん』である・・・割に合わない。
 


のちに専門医に行ってみてもらった。
すでに石は膀胱に落ちているらしく、尿管には残っていなかった。
 
その医者もなかなか面白い人物で、


「一度結石ができた、ってことはそういう体質ってことですよ。ま、あきらめて下さい。もちろん予防はできます。でも石がとれなきゃ、アルコールがだめなのか、お肉がだめなのか、分かりませんから。」
 
「えっ、アルコールか、お肉なんですか?」
 
「他にもありますよ、」
 
「もういいです。聞きたくありません。でも2週間後の本番にまた・・、ってことはないですよね。」
 
「そんなにすぐできることはありません。
安心して下さい。
しっかり水を飲んで、お大事にしてください。


じゃあ、また二年後ぐらいに!」
 


 
二度とお会いしたくないものだ、と本気で思った。







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尿管結石 1

ものすごい経験をした。

忘れるといけないので、ここにまとめておきたい。

 
 

それは、この9月上旬、先の福岡古楽音楽祭本番の2週間ほど前のことだった。来週には師匠シュルト・イェンセンも来日する。そうしたら一週間つきっきりで、自分のことどころではない。そろそろ体調を整え、ロ短調ミサ曲のオルガンパート(通奏低音)の練習を終えていなければ、と思いつつ、あいかわらずの熱帯夜のなか、一日の苦労をいやす睡眠導入用麦芽発酵水(ビールのこと。)を口に、深夜放送を寝転がってみていた。

 

眠くなってきたので、そろそろ寝ごろかと斜めになった体を起こそうとした時、「それ」は何の警告もなく、きた。

 


ぐきっ・・・

 

 

・・・!!・・・??

 


始め、ぎっくり腰かとおもった。

でも動ける。でも痛い。未経験の痛さである。

 

左の腰の後ろの内側がずきずき痛んでいる。

三日間急性下痢を我慢し続けているような、

あるいは、虫歯を麻酔なしでがりがり削られるような痛さである。

 

多分、変なものでも食べたのだろう。まだ夏も真っ盛り。きっと冷蔵庫に入れそこなった何かが当たったのかな。きっと下痢で全部出せばすっきりするはず。

 

何を食べたかな、などと考えつつトイレへ。

 

しかし、きばれどきばれど、何も出てこない。

それどころか痛みは激しくなり、逆に吐き気がしてきた。

体勢を反転し、吐く。

しかし、いくら吐いても、飲んだものと胃液以外は出てこない。

そのうち、顔から滴る脂汗で、トイレの床には水たまりができた。


「温かくすれば、ひょっとしたら」とおもい、布団に入って毛布をかぶってみたが、上を向いても、下を向いても、横になっても丸まっても、楽になれるポジションが見つからない。一呼吸ずつ、もしくは一鼓動ごとにきりきりとえぐられるように痛んでくる。新しいアカペラ作品を、まだ音取りしたばかりの西南クワイアが、はじめてピアノなしで通した時のイントネーションよりひどい痛みだった。

 

しかも、ちょっとずつ動きながら、まんべんなく下腹部をキリで内側から刺すように、痛んでいる。息を吸ってもはいても、止めても、痛む。耳元でセミに鳴かれるよりひどい。

そのうち、着ているパジャマが絞れるほどに脂汗が出てきて、悲鳴に近いひーひーという嗚咽が、他人のもののように聞こえてくる。

 

昔聞いたドイツの田舎の聖歌隊のおばちゃんでも、これほどひどい声はしていなかった。

 

ああ、ラントレギスター(声門側にある、薄い膜状の声帯。)が傷んでしまう。これじゃ明日はよく歌えん。と思いつつも、声を抑えることもできない。

 

時計を見たら、はや2時間たっぷり苦しんでいた。ロ短調一曲分だ。Crucifixusを口ずさむ余裕もない。明日のクワイアの練習に行けるかな、と朦朧とした頭で考えつつ、「もはや救急車か?」と思ったけれど、

まだなんとか歩けるのに、それは無いだろうと思ったが、やはりもう我慢が出来ない。

 

インターネットで「夜間 診察」と私の住居地区の名称を入れたら一件ヒットした。なんと職場のすぐそばのあの病院だ。うん、あそこならチャリでもいける、とおもい、すぐに電話をした。「ハイではすぐに来て下さい」という天使の歌声のような対応を耳に、とりあえず、

保険証と財布に携帯だけ持って、短パンとシャツで外に出て、愕然。

 

うちは、4階で、エレベーターがないことを忘れていた。

 

全部で44段の階段を、一段一段かみしめるようにおりる。

降りるたびに下腹部からあばら骨が飛び出しそうになる。

5分かかっておりきった。

 
 

次引っ越すときは、一階にしよう!

 

そんな固い決意とは裏腹に、多分、思考能力も相当低下していたのだろう。最初の「職場の近く→自転車でいける→いつもどおり、自転車で」という短絡的思考から逃れることができず、なんと、マイ自転車にまたがって漕ぎ出したのだが、もちろん5メートルで力つきた。

 
 

・・・こげない(あたりまえだ)

 

30メートル先に商店街があり、そこまで出れば深夜タクシーが走っている。自転車をつえ代わりにたどり着き、顔面蒼白でわらにもすがる思いで手を挙げたが、

でろでろに酔っぱらったおっさんに見えたのか、運転手も見えないふり。

見事に2台、スルーされた。


3台目で反射的に止まってしまったタクシーにすがりつき、

「○○病院まで」とぜいぜい言いながら告げた。

運転手さんは「大丈夫ですか、お客さん。シートを汚されても・・・」といって 何かをわめいている。

もうなにも、聞けたものではない。

痛みのため、呼吸のコントロールができず、呼気の時にしかしゃべれない。

強引に乗り込み、「はよ・・いって・・」

 

鬼気迫るものを感じた運転手さんは、夜の閑散とした商店街を猛スピードで突っ走り始めたのだが、なぜかこういう時に限って、誰も居ない交差点で、すべての信号に捕まった。あまりに僕がひーひー言っているので、心やさしい運転手さん、意を決して信号無視をしようとしたのを見て、

 

「それはやめよぅ。これで警察の取り調べを受けてたら、本当にしんでしまぃそう」とやめてもらった。

 

5分で病院へ。午前3時半。

扉を開けて待っていてくれた。

 

(尿管結石 2 に続く)

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オルガン紹介

 
しばらく間があいてしまいました。
 
さて、
私の業務に「オルガンを紹介する」ということがあります。西南の大学生や教職員を対象に企画をしたり、あるいは、関係部署(小学校、幼稚園、その他)からの依頼で、訪問グループにオルガンを説明し演奏して見せたりしています。
 
西南学院大学チャペルのオルガン
イメージ 1


 
この大学チャペルでは週三回1限と2限の間にチャペルアワーがあり、20分の講話を主に奏楽、お祈り、聖書、賛美歌に触れる時間があります。私はそこでは奏楽者。オルガン席に常駐しているわけですが、ご覧のように西南のオルガンはみなさんのいる席からは演奏台が見えません。週報には「オルガニスト安積道也」と名前がしっかり出ているのですが、何も知らずにくると、どんな奴が何をどこでどうやっているのか見当もつかないのです。ですから、とりわけこのオルガン紹介はオルガンミッションとして重要な位置を占めてきます。
 
私が行う学生対象のオルガン見学会は昼休みに行い、(演奏席周りが狭いので)一回定員6名でやっています。
見学会では、まずオルガンとは何か?→「パイプとふいごと鍵盤があること」と定義して、電子オルガンとは違うのよ、ということから入りますが、この辺は大体スルーされます。みなさんが驚いてくれるのは、このオルガン(辻宏1987年)が純日本製であるというところ。ボディーにもみの木が使われているなど、瑣末な情報をしゃべると、「日本にもみの木があるんですか?」と話がそれていくので、あまり脱線しないようにしています。
 
オルガン下のふいご室(ステージ正面、オルガンの真下)に入り、オルガンが「息をする楽器」であることを説明して演奏台に上がりスイッチオン!するとふいごが劇的に動き出すので、みなの歓声が聞こえるのがちょっとうれしい。
 
「なんかいつもゴーゴーうるさかったのは、こいつですね。」
 
演奏をしてみせた後にこれを言われなくってよかった。
 
演奏台
イメージ 2


演奏台では3段もある鍵盤にみなさん食いつきます。しかしペダルに関しては、注意を促して足元を見せない限りほどんど気付いてはくれません。ある時ためしに、何もいわずに両手で譜面をいじりながら足で演奏してみたところ、期待はずれの反応が。
 
「先生、なんか鳴ってますよ・・やばくないっすか」
 
故障じゃないっ!!
 
 
その後各自に座って、弾いて、触ってもらいます。
みなさん、いろんな曲を弾こうとする。ラピュタだったり、AKB48だったり。
なかにはラジオ体操第一を持ってきて弾いた学生も。ピアノの弾ける学生さんで、ショパンのワルツをおもむろに弾きはじめ、4オクターブ半しかない鍵盤
のため、左手の低音部で手が飛び出し、バランスを崩して、危うく椅子から落ちそうになったのには、さらに驚きました。(ピアニスト恐るべし)
 
新入生の多い4月か5月に、700人相手にチャペルアワーでもオルガンを紹介します。上の写真のように、基本下からは演奏姿が見えないので、カメラで横から撮って、ステージに設置した大型テレビに映しておこないます。
 
機能を説明し、演奏して見せて、
その後出席カードの裏に任意で感想文を書いてもらうのですが、感想はさまざま。
 
「音色が素敵でした」
「毎回、奏楽をたのしみにしています」
「いやされます」
 
など、読んでいて顔がほころぶものから、
 
 
「今までCDだとおもっていました」
 
 
「男の人が弾くとは思いませんでした」
 
 
「あれは楽器だったのか〜〜!!」
 
 
など、神経がほころびるものまで・・・。
 
 
 
西南の幼稚園(舞鶴幼稚園)からも年長組60人の児童が、いつもこの時期、雀の大群よろしくやってきます。
手を変え品を変え説明するのですが、一番子どもたちに受けるのは、
ステージで話してから、ふいご室裏らせん階段を上って二階演奏台
のわきからにょっと顔を出す瞬間。
 
楽器よりウォーリーを探せ、という感じなのかな?
 
パイプのいろいろな音色を聞かせる時は基本的にすべて即興しています。
子どもたちの知っているメロディーを使いながら、いろんな音を聞かせるのですが、子どもたちは歌える曲を聞くとすぐ一緒に歌いだす習性があるようなので、気がつくと、オルガン見学会ではく、「お歌の時間」になっていることがしばしばです。
 
昨年のことですが、メロディーをバスに入れても、はたして聞き取れるかどうか試してみたくなったので、曲名をあかさず、
 
 
「じゃあ、最後にみんなの良く知っている曲を弾くから、なんだかあててね」
 
っと、そのとたん、ほぼ全員が「ぽにょっっ!!」と叫んだ。
 
・・・・・あたり
 
なんかちょっと悔しかったので、壮大なトッカータポニョにして(歌声なんぞは聞こえない大きさで)ペダルにTuttiでテーマを出した後、声のでにくい調性でソプラノにもう一度メロディーを再現。
案の定「ぽ〜にょぽーにょぽにょ」とみんなで大合唱。
「さかな・・」この辺でみんな声がひっくり返った。
 
・・・・われながら大人げない。
 
 
小学生も来ます。
児童教育学科のゼミ演習か何かで毎年ある小学校から来る子どもたちがいます。
今年も来たので演奏を終えてから、「なにか質問のあるひといるかな?」と
二階演奏席から聞いてみたら最前列の男の子が勢いよく手を挙げました。
 
「はい、前の緑の服を着た子、早かった、どうぞ!」
 
「そのオルガンって、いくらですか!?」
 
 
現金な時代になったものである。
 
 
 
西南も去年度から小学校ができて、その一年目、1年生から3年生まで全員が音楽鑑賞会として西南学院大学チャペルにやってきた。(小学校のチャペルには岡野電子オルガンが入っています)
去年の春のことでした。
一年生から三年生まで合計250名余。全員演奏台に順番にあげ、それぞれ座ってちょっとずつさわってもらいました。
私が真ん中に座り両脇に二人ずつ座らせる。子どもたちがペダルに足をかけないように、またストップを引っ張らないように気をくばりながら、弾いていいよと促してみる。
 
西南小学校のしつけは優秀です。なんとだれも猫ふんじゃったを弾かなかった。おまけに12名もの児童が、西南学院の校歌を弾いたのです。ちなみにこの話をしたら、うちのクワイアの学生は全員のけぞっていました。入学式で
歌うため、苦悶の表情で覚えたばかりだったからです。
 
50分がかりで全員に触ってもらいそれから30分、お話をしながら演奏。
すべて「天使」にちなんだものを選んでいたので、初めに「みんなのなかで天使を見たことある人いる〜?」と聞いてみたら、三分の二ぐらいの子が勢いよく「は〜い」と手を挙げた。きっと本当にみたことがあるのでしょう。
クリスマスや、聖霊降臨祭の天使の様子を話しながら、「そんなときの曲だよ」と演奏を続けること30分。みなさん大満足で帰っていきました。
 
後で小学校から感想文がいくつか届きました。大学生のそれとは幾分趣が違うので紹介しましょう。
 
「おおきなてんしがおりてきて、パイプオルガンのうえにすわりました。パイプオルガンがこわれちゃうとおもったけれど、だいじょうぶでした」
 
「パイプオルガンのおなかにはいってきいているみたいでした」
 
 
次のものは特に心が温まるもので、会議の後、血圧が上がった時によみかえす。
 
「ちいさなてんしがやってきました。でも、わたしのまえのせきがあいていたのに、すわらないでいっちゃいました」
 
 
最後にひとつ。よほど感動したのだろう。
太い字で紙が破れんばかりの筆圧で簡潔に書いてありました。
 
 
「あずみせんせいへ。ぼくはおおきくなったらパイプオルガンになります」
 
 
このなかからオルガニストが育つことを祈る。
 
ちなみにこんどの私のコンサートは2012121日(土)16時から、会場は西南学院大学チャペルです。(以下、チャペルクワイアのサイトです。)
http://chapelchoir.blog108.fc2.com/


カメラ付なので演奏台は画面越しに見えるはず。
またプログラムはお知らせしますが、ぜひ演奏を聴きにいらしてください。入場無料ですが、演奏内容はぎっしりです。
 

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水野源三 と 武義和

二人の方を紹介したい。


 水野源三さんは、戦時中にうまれ戦後間もなく9歳の時に高熱を発し、一週間以上もの高熱との戦いの末、小児麻痺にかかり、まばたき以外自分の意志で動かせるところがなくなっていた。お母さんと家族が献身的に世話をするが、最初の4年間家族は彼を家に隠し、彼もまったく希望の見えぬなか苦しみの時を送る。そんな中ある宣教師がそれを聞きつけ長野の家までやってきて聖書を一冊おいていったことがそもそもの始まりであった。


 かれは、むさぼるように聖書を読み、ラジオのルーテルアワーで勉強をしてのちにキリスト教の洗礼を受けた。そして、お母さんの手伝いで一文字一文字、まばたきをもって五十音の表から文字を選び、詩を書き始めたのだ。


水野源三さん
 
イメージ 1

 
 その一生を六畳一間でおくり、かれにとっての自然と言ったら、縁側から見える軒先と若干の空のみ。しかし、姪っ子が話してくれる木々や花々の話を聞き、実際見ている者よりもリアルに神の被造物を認知していることをその詩から読み取れる。


そんな彼の詩を一つ。
 
 

  こんな美しい朝に     水野源三

   空には 
   夜明けとともに 
   ひばりが鳴き出し
   野辺には 
   つゆに濡れて 
   すみれが咲き匂う

   こんな美しい朝に 
   こんな美しい朝に
   主イエスさまは 
   よみがえられたのだろう



 苦しみの底を見ているはずの源三さんの詩は、自然の描写と希望に満ち、多くの人の心をいまだ動かしつづけている。
 


 彼の詩は、また多くの作曲家の心を刺激し、多数の作曲家が彼の詩に曲をつけている。「武義和(たけよしかず)」さんもその一人である。武さんは私の出身高校(基督教独立学園:山形県の田舎にあり、内村鑑三の流れをくむ無教会派のミッションスクール)の大先輩で、作曲科を出た方だ。
武さんは河野進や星野富弘などをはじめ多くのクリスチャンによる宗教詩に曲をつけているのだが、とりわけその中でも源三さんには、とくに大きな比重を置いている。
 


 このお盆に里帰り(4年前から、私の父が母校の独立学園の校長に赴任し、学校の敷地にすみこんでいるため、里帰りが、母校帰りになるわけだ。)をしたときに、独立学園から車で5分のところに住んでいる武さんに会ってきた。
 


左が作曲家、武義和さん。独立学園で音楽の講師をしている。
イメージ 2

 


 武さんの曲は、親しみやすく歌いやすい。声のことをよく配慮して作られていて、しかし簡素なメロディーの中に心を揺さぶる跳躍が入り、和声から歌詞の内容が香ってくる。もともと「よい讃美歌を作曲したい」と作曲を勉強し始めたと聞いている。簡潔な短い作品が多い。
 
 源三さんの詩を、自分の人生経験とともに読み取り、それを、多くの耳に届きやすい形で作品に置き換えてあるので、何度歌ってもあきは来ず、ゆっくりと深まっていく。言葉と音楽が良く結びついているからだと思う。
 
 
 
 私は高校時代に彼の作品を多く歌ってきた。
 全寮制の学校だから朝起きてから寝るまでクラスメートと一緒である。もちろん友達や先輩後輩同士のいざこざも絶えない。そんな仲間と歌うのであるから、「生活する」=「生きる」=「うたう」のレベルで私は武さんの曲と源三さんの詩に慣れ親しんできた。
 当時は好きではあったが、特に作曲家武さんを意識したことはなく、むしろ曲に乗って語りかけてくる源三さんの詩に、若き魂を震わせたものだ。
今思うと、それを可能にしたのも、作品の力が伴っていたからだと思う。


 
  話は飛ぶが、10年のドイツ滞在で、とりわけドイツの宗教音楽におけるテキスト(詩)と音楽の関係について多く学び、自分なりに譜面を読み込めるようになってはきたと思っている。


 しかし、帰国をしてしばらく、日本語の宗教作品の少なさにまず驚き、そしてテキストと音楽があまりにかけ離れているこの日本の宗教音楽の現状に打ちのめされていた。探せど探せど、納得のいく作品がほとんど見つかず、当時チャペルクワイアのレパートリーを真剣に探していた私は、くたびれ果て、詩と音楽の織り成す世界に飢え果てていた。そんななか、ふと口をついて出てきたのが武さん作曲の「こんな美しい朝に」だった。心が動き、わらをもつかむ思いで彼に連絡を取り一冊送ってもらって、夜を徹して他の作品もあわせて、歌詞と譜を読んだ。


 高校時代の思い出から完全に自由になれたというわけではないが、ノスタルジーに浸る愚だけは犯すまいと、きちっと批判的に読んでなお、魂が揺さぶられた。



その曲集がこれである。
イメージ 3

 
 武義和さんと吉原康さん(やはり独立学園の卒業生)の二人が、信仰を生きる中で出会った源三さんの詩に共鳴した作品が、多数おさめられている。


 20年近くたっても私の中に深く深く根を張っていた作品と詩が、いままた教会音楽家安積をとおして、再び自分の中によみがえってきた。

 


 そんなことがあって、私は今、チャペルクワイアにこの源三シリーズを、確信をもって歌わせている。



 武義和さんは、山形県の小国にフォルケ・ホイスコーレという家を作り、いろんな方を支援もしている。
詳しくは是非彼のブログをご覧いただきたい。
いろいろな詩が紹介されていたり、作曲家としてのコメントが書かれていて面白い。
 
http://www6.ocn.ne.jp/~folke/




武家とフォルケ・ホイスコーレ。大自然の中に立っている。
イメージ 4



 しかし、武さんは最近残念ながら宗教詩への作曲が少ない。チャペルクワイアのため、と言うわけではないが、今後の日本のキリスト教合唱音楽界のために、再び源三さんの詩に正面きって取り組んでいただきたいと、一教会音楽家として切に願っている。
 


 
 ちなみに、先に紹介した「こんな美しい朝に」は演奏時間1分ちょっとの小作品であるが、実に良く構成されていて、内容が深い。チャペルクワイアの学生は、「あれ好き」とは言わず、「あれ、また歌おう」とねだってくる。問答無用に迫ってくる何かがある作品である。
 
 9618時より、西南学院大学チャペルで関西学院大学聖歌隊とともにジョイントコンサートをするのだが、西南チャペルクワイアは第一ステージで「こんな美しい朝に」をプログラムに入れている。興味のある方はぜひご来校いただきたい。
 
 
 

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peinlich

peinlich(パインリッヒ)と言う言葉がある。
Pein(パイン)というのは、果物ではなく、「痛み」とか「苦しみ」とかをあらわすドイツ語で、語尾のリッヒは形容詞化するためのものである。
日本語に訳すと、「辛い、ばつの悪い、心苦しい」などと出てくるが、日常会話で使う場合、もっと具体的に直訳すると「あっちゃ〜〜〜」という感じである。
 
そんな格好の例があった。
 
あるいろんな方の集まったコンサートの打ち上げでのことである。
目の前に座った女性がずいぶんテンションが高い。
合唱談義になり、
 
「結局アルトって、日陰の存在なのよ。ソプラノの影から、そーっとこうして覗かなきゃいけないし、結局合唱団なんてソプラノ上位のソプラノ社会なのよっ」
 
ずいぶん辛い経験をお持ちのようで、その勢いは増すばかり。
しかし、この話で、ある苦い経験を思い出した。ドイツで率いていたある合唱団で、事情があり、僕があまりアルトを顧みず、ソプラノにかかりっきりの時期があった。その時、あるアクの強いアルトのおばちゃんから似たようなことをいわれ、僕の合唱指揮者としてのありかたが痛烈に批判されたのだ。確かに自分に非があったのでその場で謝ったのだが、アルトのかたがたと信頼関係を回復するまでずいぶん時間がかかった。それを思い出してしまって、思わず目の前の女性に、
 
「それは指揮者が悪い!」と言い切った。
 
すると、その女性、「これがその指揮者」といって隣の人を指差すではないか。
そこには、僕を西南学院から見つけ出し、福岡合唱界に引き入れてくれ、しかも、福岡で僕が最も評価し敬愛するM山さんが・・・
 
 
これがpeinlichである。
 
 
「いろんな状況があるし、だめなときはだめですよ」などといって、場を取り繕ったが、
M山さん、申し訳ない。ご存知のように、僕は口が先にしゃべるタイプなので・・
 
ちなみにこの方、コーロ・ピエーノ( http://www6.ocn.ne.jp/~pieno/ )という合唱団を立ち上げ、30年にわたってひきいていらっしゃる。ピエーノの演奏を初めて聴いたのは、まだオルガンが再建築されていない頃の西南学院大学チャペル。福岡に来てすぐのことだった。「九州にもこの手の音楽をしっかりできるグループがあるなんて!」と正直驚いたのがはじめである。実際ご一緒してみると、ほんとうに皆さん合唱を愛していて、一緒にいてとても気持ちが良い。このような「合唱団の風土」というのは、大きくその指揮者と団長に左右されるもので、声に関しても、普段振っている方が、基本的に声と音楽のことをよく知らないと、何をやってもうまくいかないのだが、ピエーノはとても柔軟性がある。それで、非常に好感をもったこともあり、その合唱団とは今に至るまで、喜んで親しくさせていただいているのである。
 
しかし、なんといっても「アフター練習」がとても充実している。練習が終わると突然生き生きと動き回るかたがたもいらっしゃる。酒場の話題は多様を極め、放射能からブラームスに至るまで何でもあり。合唱を愛し、お酒を楽しむ。人生の王道をいくひとたちである。
 
今に至るまで、M山さんには何かと声をかけていただき、演奏の場を作っていただいたり、いろんな方と繋いでもらったりしている。感謝感謝。こんなかたに「指揮者が悪い」とはよく言ったものだ。こんど来る師匠から直接叱ってもらいましょう。
 
そんなM山さんに乾杯!


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