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クルマ、ドライブ関係

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男の遊びは基本クルマ……実はゴミ収集車

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 例年よりうんと早く、ジープをフルオープンにしました。
 とはいえ、すぐにビキニトップ(兵庫県からネットで取り寄せたサントップ)をつけますので、フルオープンでいるのはいっとき。
 実は、ホロをつけていてはできない作業が。
 引っ越してきて以来、ずっと片付けていなかった家の中には、永遠に使わないもの、どうみても捨てるしかないゴミが、大量に散乱しています。高さ178cm重量77キロの生ゴミもあるけどそれはまぁ捨てられない。
 ジープの荷台にダンボールをしき、ガムテで固定し、そこに手当たり次第に袋に詰めたゴミを放り込みました。江部乙にあるゴミ処理センターと自宅を往復。
 やっぱり、フルオープンのジープはそれなりに目立つようで、見知らぬ赤平市内の住民の方から「かっこいいですね」と、声をかけられました。
 素直に嬉しく、感謝の返答をするのですけど、ジープはまぁいいとして運転してる男はひどいもんです。
 ジーパンは日曜大工でペイント塗りにも使用しているものなので汚いのなんの。運転すると風で帽子が飛ぶのでつばを後ろ向きにしてかぶります。ジープのハンドルは細いので作業手袋をしていますがこれまた何にでも使用しているのでボロボロ。
 それで年齢は還暦。ふつうその年齢だともう少し落ち着いた行動を取るもんですが。
 とにかく銀行の窓ガラスに映った自分を信号待ちでふと見ると、公園の浮浪者が盗んで乗っているようにしか見えない。
 
 でも楽しいです。作業が終わっても「降りる気がしない」。
 本日は奥さんの車のタイヤ交換で、卒業生が勤める苫小牧のスタンドへ行きます。冬→夏への交換ではなくて、夏タイヤを新しくするものです。19万キロ走った奥さんのプレミオ、いったいどこまで走る?
 
 ジープはまだ61000キロ。
 
 
 

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旅の日記最終……思い出はいつも路地に

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 1958年から(古いね、どうも)6年間通った小学校の裏です。
 南天の実、「宝蔵町」の文字、古い自転車……。
 この路地が、遊び場でした。そして、かなり大きくなっても(高校生とか)友達とらちもない話をしながらぐるぐる歩いたの、やっぱりこの路地でした。
 
 「太宰治、読んだ?」
 「人間失格と斜陽は読んだ」
 「坂口は?」
 「青鬼の褌を洗う女は読んだよ」
 「堕落論読まなきゃ」
 「ねぇ、やっぱり体の不自由な人の施設で仕事するの?」
 「うん」
 「高校の教員免許とったのに?」
 「その前から決めてたから」
 「大変だよ」
 「大変だから俺がやらなきゃ」
 
 ……昨夜、古い友人からこのブログに書き込みをもらい、とつぜん気付きました。
 40代、50代、そして60歳になる今日まで、高校生に向かい「友達なんていらない」と言い続けた私。
 べたべた依存し合う(トイレも1人じゃ行かない)高校生にいらだち、「俺には親しい友達なんかいないけどそのほうがよっぽど気持ちいいぞ」と言い続けたのでした。それはいったいなぜか。
 バイクのツーリングは1人が良いぞ、と言い続けたのはなぜか。
 テニスやサッカーは集まらないとできない、そりゃわかるけど『モーツァルトを聴く会』とか『アンドレ・ジイドを読む会』とか、ばっかじゃないの。そんなの1人でやれや。
 なんでそんなことを言い続けたのか。
 わかった。
 子どもの頃から、素敵で刺激的なともだちがいっぱいいたからだ。
 前向きでひたむきで自分が今一番考えるべきこと、それから目を逸らさないで一心に見つめ考え続ける、そのことで私(中)に影響を与え続ける、人間として尊敬できる、
 
 ともだち。
 
 が、実はいっぱいいたからだ。
 私は恵まれ、満たされていた。だからそれ以上求める必要がなかった。昨日の書き込みのともだちと、最後にあったのはなんと40年近く前だ。でも、会わない期間がなんぼ長くても、会っていたときの充実と興奮は、ずっと私の中にあった。
 だから、「友達なんて」と言い続け、じっさいに多くのことを1人でしても孤独じゃなかったのだ。
 暴言をはいてごめんなさい。現在高校生である皆さんが、そういう友達に出会うことをあらためて願います。
 
 思い出は、いつも路地に。
 金を持って歩いた場所のことは、実はろくすっぽ憶えていない。でもあてもなく高校の放課後、「山本周五郎ってなんで文章うまいのに教科書に載らないんだろうね」と言いながら歩いた記憶は、この路地に鮮明であります。
 それに気付いた。色んなことに気付いた。
 
 歳を取る、それは案外いいことなのであります。藤木君ありがとう。喫茶フルフルも白十字もとうの昔にないけど、また会おうね。
 
 
 
 

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横浜といえば中華街と珠玉のホテルマンさん

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 リッチモンドホテル横浜馬車道の三宅さんというホテルマンさんのことはもう日記に書きました。
 今なお、横浜、という言葉をつぶやくと勢いよく記憶の中から立ち上がってくるのはあの方が傘をさし雨の中走ってこられた瞬間の映像と、私たちが指示どおり到着時、こんどは傘もささないで背広を濡らし、両手を広げ満面の笑顔で駐車場へ誘導してくださった、あの時の姿です。
 私も、あのように仕事をするべきでした。
 ここまでが仕事でしょ、ここからは給料外でしょ、という感覚ではあの仕事はできない、同じような献身を、私も退職までするべきだった、と思っています。
 
 次に横浜へ行ったら必ずリッチモンドホテルさんに泊まります、でももう、車では行かない。桜木町まで鉄道で行きます。
 
 横浜の思い出は次がマックス・エルンストの絵画と中華街。
 写真は、鯉の丸揚げです。巨大で背骨以外はみんな食べられるのがすごかったし、おいしかったのですがしょうしょう味付けが濃いかな? という気はしました。私はお酒を当夜は飲まなかったので特にそう感じたのかな。
 これを3人で食べ、小龍包や蒸した豚料理その他飲茶料理を数品、青島ビールを5本にウーロン茶を飲んで1万円しないのですから、そりゃ満席にもなるでしょ。3人で非常に広い個室を借りたのですが(予約は東京在住の娘がした)席料は入っていたのかいないのか。
 
 

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贅沢な町、京都

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 京都には三泊しました。
 三人の子どもの保育園時代、おおいにお世話になった方々とのミーティング(三人ともひどいアレルギーで……)、小学校時代からのごく古い友達とのミーティング、そして親族のミーティング。
 どれも楽しいものでした。すべてもちろん夜なので、昼間は本屋さんへ行ったり、伝統文化の展覧会を見学したり、寺社を見学したり。
 
 東山泉涌寺を見学中、位のあるらしい立派な僧侶の方が話されているのを小耳にはさみました。
 「偉いお坊さんというのは言葉が違いますな」
 興味を持って聞き耳をたてる私。
 「普通の人なら、おはようございます、こんにちは、さようなら、ごちそうさま、ありがとう、別々なんですけど、・・・はんの場合は、すべて『ごきげんよう』。朝でも昼でも、どこでもなんでも」
 なるほど。
 ご飯を食べても乗り物に乗っても、別れ際は「ごきげんよう」。
 徳の高い人にして、場違いには聞こえない、ということでしょう。
 各所各場面で言葉を探し続ける私、60歳にして、ほんの「ヒヨコ」。
 そのことにも納得してしまうのでした。あ、皇室ゆかりの有名寺のお坊様とじぶんを比較しちゃいけない。
 
 ところで、京都の人というのは時としてとても贅沢です。
 どう見ても普通の民家なのに、樹齢が確実に50年以上はありそうなしだれ桜がごく深い色の花を大量につけていたりします。
 ちょっとしたものを買いに東洞院六角の池坊会館へ寄ったのですけど、トイレに生の見事なお花が。
 ここで、「このランはいくらするのだろう」と考えると、もう京都にはついてゆけないのであります。
 
 では皆様。
 
 ごきげんよう。
 
 

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2週間の旅行終了

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 4月10日朝にバイクで出発して、22日夜遅く、四輪車で帰還。
 変則的な旅行が終了しました。旅行中お世話になった方々、心配してこのブログに書き込みをくださった全ての皆様に、心よりお礼を申し上げます。
 旅先で出会った方々は、21年ぶり(3人の子どもが通った京都のたかせ保育園の先生&保護者の皆様)30年ぶり(小学校時代の友人、そして大学時代の恩人)、10年ぶり(結婚式を挙げた長野県木曽郡開田村の山小屋の経営者さん)、でありました。もちろん、京都在住の姉たち&その家族の皆さんとも、数年ぶりです。
 
 ほとんどの方々は、何も、全く何も変わっていらっしゃいませんでした。若々しい、言葉も外見も考え方も。
 そして、人間存在は言葉である、その人がどのような言葉を情報として持っているか、それがその人の存在そのものである、という当たり前のことについても、しっかりと確かめることのできた旅でした。
 数年ぶり、数十年ぶりに出会う人の『言葉』の中に、その時代の私が、私とその方との関係が、しっかりとありました。私自身もどのような存在なのか、おぼろげながらつかみ取るその糸口は、見えたような気がしました。
 
 「あんたが来て、今日はめでたい日やから、赤飯をたいた」
 京都の方なのです。
 「あんたが帰るともっとめでたいから、また赤飯をたく」
 
 失礼なのではない、その人との関係性について相互の信頼と確認があるとき、このいささかアイロニカルなジョークは、人間関係がかつても今も、立派に立体的に構成されていることの証拠となる。
 北海道の人はこういう冗談は絶対に使いません。それはそれでよいのだと思います。
 
 ところで私には、深い話をお聞きしたい、と思っている方が、いらっしゃいました。
 天台宗の大きな寺院を3つも経営されている、群馬県の恩人です。
 天台宗の教義について、人間の『罪』贖罪のあり方について、お聞きしたかったのでした。
 もう一人、京都にお住まいの、ある超大手ゼネコンの役職づきの方。
 日本中にダム&高速道路を造っては来たが、実はもう日本の『繁栄』『景気の回復』は、望めないのではないか? 私たちは、これだけの文化を持っているのだから、貧乏だけれど幸せな国、への価値転換を図るべきなのではないか? 
 ……残念ながら、深い話には至りませんでした。
 もちろん、重要なことを聞くことはできました、高速道路とはいっても首都圏などごく限られた場所に集中しているだけで、未整備なまま残されているところは相当な範囲に及ぶものであること、その中でたとえば和歌山県などは完全に置き去り、忘れられている感があること、西日本全体がそうだが、あの3月11日の大災害以来、見直されていること。小水力の発電のように、可能性のあることがまだ手つかずで日本には残っていること。
 ……哲学的な、踏み込んだ話にはなりませんでした。私は私なりに緊張して、その方との食事会には臨んだのでしたが。
 考えてみれば、当たり前だ。
 30年ぶりにふらりと帰ってきた、『通過者』にすぎない。
 天台の教義と日本の国をどうするか、という大きなことについて、もちろん応分の深い考えはあるが、それをやりとりするには、通過者ではいけないだろう。
 
 ……なぜ、話題は結局思い出話と趣味に偏ったのか、帰り道考えて、当たり前であるそのことに、気づきました。
 残念だとは思わない。
 これからそのお話を聞く関係を創ればよいのだ。
 それを聞くためには応分の学習が必要だった、立場の見直しも必要だった、それがわかったことも、大きな収穫でした。
 
 写真は、上が息子のVFR。北海道苫小牧のフェリー乗り場で、乗船を待っているところ。
 2枚目は、新日本海フェリーから、鳥海山。
 今回、ニコンは持って出ませんでした。スマートフォンの描写力、なかなかのものであるようです。
 
 

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