つれずれ

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チミクリ草

マツバ ボタン
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我が家ではこの花を チミクリ草 と呼んでいる。私がチミクリ草と初めて出合ったのは、今から60年前である。男女共学になって大分慣れた中学2年生のときである。写真のように艶やかで華麗なものではなく貧弱な細い枝葉に小さな赤い花が、三々五々咲いていたように記憶している。花を教室に持ってきた女性に聞くと「チミクリ草・・」と教えてくれた。チミクルとは幼児言葉のように、いじらしい語感を持っていた。
 
 
チミクリとは当時の方言で 摘みとる ということである。今ではこんな方言を使う人は居ないだろうが、私は チミクル という表現は大好きである。如何にも親指と人差し指の爪に挟んでギュット摘み取る誘惑を感じるのだ。しかしそれは60年前のチミクリ草で、掲載した写真のようなチミクリ草は既にその面影は微塵も無い。枝葉も太く逞しくなり花も六色にもふえている。立派な マツバボタン になっている。マツバボタン とはいい名前である。
 
 
とは言うものの60年の変化を身につけた立派な マツバ ボタン であるが我が家では暎子さんも私もマツバ ボタンは馴染めない。与論島に来て私達も島の風土に馴染んできた所為か変化を好めなくなっている様である。私たちはこれからも チミクリ草 で扱ってゆきたいと思っている。懐かしい故郷の風景を忘れないように・・・・
 
 
 

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お詫び {遠い思い出}

若き日の思い出をつれずれに、書いてみようと想い三回ほど掲載しましたが、思い出の中心になる 浅草松屋デパート五階にあった かたばみ座 について思い出と違う記事を見ました。
 
歌舞伎の社会は私には思い出だけしか知りませんので、複雑な問題があるようなので、現在その記事の作者に問い合わせておりますが、返信がありません。
 
従って先に筆が進みません。何らかの道筋はわかりましたら又寄稿することにして、停止させて戴きます。大変申し訳ありません。お詫び申し上げます。

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遠い思い出 3

華やかな職場
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洗い場の職場が蕎麦やの厨房で一番職制の高い 花板前 の真後ろと言うことは、カウンターを前にしている つまり客席に一番近いところである。この意味は最も大事なことを表していた。
先ず初めは店内の雰囲気を体に教え込むこと、お客の食べ残しを見てメニューの何が売れているか?花番の話を聞いてお客筋を知ること等々勉強することは、今後に大切なことになる。これだけではなく知らなければならないことは沢山有るのであった。
 
 
花番 というのは注文をとって厨房に通したり、出来上がりを運んだりするのであるが、浅草という土地柄観光客の相談にのったりしなければならなく、骨の折れる仕事で日中軽口なおしゃべりが出来るのは洗い場の者か、花板前ぐらいであるが職制柄、花板に軽口は出来ないから、洗い場の新米としゃべることになる。これが又新米洗い場の者の勉強にも役立つのである。こんな風にして職人の出入りに従って徐々に職制が上がってゆくのである。
 
 
こうして3ヶ月ほどの洗い場修行を終え 時ちゃんは 盛り付け か ら釜前 に変わり、 私は洗い場から 盛り付けに変わった。つまり私も洗い場の後輩が出来て 麺板前と盛り付けの職制を先輩に従って仕事が変わった。此処からが麺を扱う技術の習得が始まるのである。もうその頃になるとお店の常連さん達とも顔見知りも出来て、少しは田舎の匂いも消え白衣姿も 様 になってきた。腰を抜かす程びっくりした松やデパートの電車のホームも見慣れてくる頃・・・
 
 
尾張屋 浅草支店から松屋デパートまでは、吾妻橋の交差点を花川戸方面に左折するとすぐ、右手に建っていた、2階が東武日光線の電車」の始発駅で当時はデパートというよりテナントビルに近かったのではなかろうか?4階がダンスホール 5階が かたばみ座 6階が杵や一門の長唄や踊り 三味線の稽古場になっていたように覚えている。そんなある日 かたばみ座 に出た出前の食器を私が引き取りに行くことになった。たまたまある 助 の仕事である。
 
 
かたばみ座は歌舞伎の劇場であった。勿論私は歌舞伎がなんのことやら、さっぱり判らずただただ食器を下ろしに出かけただけであるが、74歳になる今日までその時出合った人物に影響され続けるとは思いもよらぬことであった。まだ15歳の嘴の黄色な少年の脱皮が其処から始まったのかも知れなかった。もはや月日が記憶を霞の彼方に覆い隠しているが、劇場はそれほど込み入っては居なかったが化粧楽屋の垂れ幕に市川中車とあったのは鮮明に記憶に残っている。
 
 

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遠い思い出 2

光の玄妙
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私の生まれは静岡県の浜松市砂山町である。親父の家業は床屋で私が2歳までは、店は盛況であったらしい。当時の親父の写真が残っていて、蝶ネクタイに山高帽姿の中々の姿で昭和12年以前は、相当な財産家であったことは想像された。しかし当時戦雲の高まりもあり、浜松市は海軍工廠も近くにあって店も袋井に移した。我が家の没落はそこから始まったが、お陰で家族は太平洋戦争から命拾いをしたと言ってもいいのだろう。光と影の接点でもあった。
 
 
だから私には貧乏だとか悲惨とかを知らずに育った。長い間少なくても小学校3年生ぐらいになって、他家と比較できるようになって貧富という格差のあることを知ったようである。今考えると丁度その頃からお金を目的に働くことを知ったらしい。イナゴ獲り お茶実採り 食用蛙獲り
 どじょう獲り 金片拾い お金に換わるものなら なんでも採集した。そんな生活は中学を卒業して、東京に出て 尾張屋 に入るまで続いた。
 
 
だからホワイト ハイボール を飲んでぶっ倒れ 盛り付け役の 時ちゃん に背負われて本店二階の寝床に、放り込まれたりされたことがどんなに嬉しかったか、その後日からもチョイチョイ続いていた。私が大酒飲みになった由来でもある。現代のことは知らないが、その頃の 尾張屋では仕事に役職があって 洗い方と薬味付けから始まり 蕎麦 ご飯等の盛り付け この時期の 時ちゃんの役職である。そして打ち方そばを練り麺玉にするのが麺板前である。
 
 
そしていよいよ出前持ちとなり、蕎麦屋の中核をなす職制を受け持てるのである。しかしながら当然のことながら私は、花板前の真後ろで食器類を洗い 小皿に薬味を付ける仕事を朝から夜まで励んでいたのである。夜の看板を下ろす時間は10時と決まっていたが、眞近になって酔客がご飯ものを注文されると帳場台から「シャリ幾つ・・」と声が掛かるしかしながら 盛り付け役が答えることは出来ない。盛り付けがあと三つ等と花板に囁くと「ハイ丁度結構です」花板が答えご飯ものはその後注文は受け付けられないことになっていた。花板の権限であった。

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遠い思い出

残照
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人にはそれぞれ思い出がある、思い出は良いことも 悪いことも様々であるが、反省は出来てもやり直しは一切出来ないのが価値だろう。私の場合強烈なのは 酒の思い出である。酒以外の思い出は通り一編で忘れてしまえば「ハイそれまでよー」となるが酒での思い出は人生のエポイントとなって現在に繋がっている。お酒は16歳から飲み始めた18歳までの3年間は東京の浅草である。当時は地下鉄も上野から雷門までの1本しか無く、私はその雷門の蕎麦やに居た。
 
 
中卒で当ても無く上京し、東京駅の売店で買った読売新聞の、住み込み店員募集の記事を見て
東京駅から浅草橋そして雷門まで,人づてに歩いた。知らない都会の第一歩の思い出である。
その時はそれだけの道のりを遠くには感じなかったと思う。面接をしてその場で採用されてその日に住み込んだ。意外と緊張感も無くすんなりと感じたが、多分お店の田中社長の人柄であったと後になって気づかされた。背が高く顔が大きく目鼻立ちが整った生粋の江戸っ子であった。
 
 
蕎麦やの屋号は 尾張屋 その頃は北仲町に本店があって、浅草でも当時堂々たる老舗であった。従業員も数多く店構えも大きく、従業員は本店の二階が寝所になっていた。昭和27年頃であって当時の浅草は吉原の花街も近く、その人出の多さは六区の通りを埋め尽くしていた。私の酒との出会いはその日のその夜から始まった。当時はお酒と言っても日本酒など飲める筈も無く ホイスハイボール と呼ばれた焼酎と安ウイスキーに炭酸水を割った強烈な酒だった。
 
 
お店は丸く囲んだテーブルの中央が厨房になっていて、大鍋が皆の目の前になんだか判らない肉がグツグツ煮込まれ、如何にも牛肉らしく、牛の どでかい 頭部が角を付けたまま浮いていた。「なに・・嘘か真か赤犬の肉や ネズミ などなんでも放り込んであるらしい」。との噂話を肴にグラスを傾けるのだが、その頃は一杯空けることが出来なくて、半分あたりで椅子から転がり落ちて先輩の 盛り付け役 の肩に背負われ、笑い話の種にされるのであった。
 
{当分続く・・かな}
 
 
 

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