書は言を尽くさず 言は意を尽くさず

文字は言いたいことを全部書き尽くせてはいない 言葉は心の想いを全部言い表してはいない

親愛なるチングへ

 
                                                ― 威 風 堂 々 ― 
 
 
親愛なるチングヘ
 
 
堂々と前進してね
 
 
貫き通してね
  
 
矜恃
より高く持ってね
 
 
未来 
いま最善を尽くしてね
 
 
気持ち
バランスを取ってね
 
 
強さとゆとりを持ってね
 
 
精神
健全に平静を保ってね
 
 
見えない負の誘惑
弱者ぶり狡猾に哀れを乞うからね
 
 
聞こえない負の囁き
巧な言葉で相手を惑乱させるからね
 
 
負の内面
愛に貪欲・排他的で強か自分本位だからね
 
 
欲心の言葉
決して惑わされないでね
 
 
欲念の涙
決して騙されないでね
 
 
幼稚で卑しい発信
一切拒否無視してね
 
 
負の清算
大切なもの(人)全て失うからね
 
 
 負の連鎖
捕われず断ち切ってね
 
 
負の結末
破壊・害悪・苦艱・疑心・絶望・悔恨
 
 
負の存在
災いの縁は切り捨て遠ざけてね 
 
 
 迷い
強く打ち勝ってね
 
 
後悔
自業自得にならないようにね
 
 
 感情
コントロールしてね
 
 
情熱
冷静に判断してね
 
 
倫理
つまづかないでね
 
 
リセット
恐れないでね
 
 
判断
誤らないでね
 
 
自我
自己分析してね
 
 
責任
重く正しく考えてね
 
 
情け
履き違えないでね
 
 
守る存在
間違わないでね
 
 
大人・親の義務
子どもの権利を優先してね
 
 
正邪 
錯覚しないでね
 
  
向上
進歩的行動をしないとね
 
 
信頼
築き・築き・築きあげてね 
 
 
視野 
広く高く大きく捉えてね
  
 
仕事
誇りを持って挑んでね
 
 
必ず叶えてね
 
 
親友
人生にとても大切だからね
 
 
友情
深く信頼してね
 
 
希望
強く信じ道を創ってね
 
 
自分自身
乗り越え 己に勝ってね
 
 
人生
悔いなく大きく羽ばいてね
 
 
 
わかってます
 
あなたは 大丈夫
  
 負けないで
 
元気で
 
 
「 初  志  貫  徹 」 
 초  지  관  철  
 
 
親愛なるチングへ
 
最後の最後のメッセージ... 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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エゴイスト ナ ネズミ

 
 
 
 
 
エゴイスト ナ ネズミ
 
 
悲しい悲しいと
 
(こと)に出(い)
 
お前は
 
「悲」が何かを
 
知りもしないネズミ
 
 
 
 愛する愛すると
 
書に溺れる
 
お前は
 
「愛」が何かを
 
知りもしないネズミ
 
 
 
エゴイスト ナ ネズミ 
 
オマエ ノ 愛ハ 執着デ  依存デ  錯覚
 
オマエ ノ 悲ハ 煩悩で  妄想デ  理屈
 
 
  
   
イン  ガ  オウ  ホウ
 
天に唾す者よ  悪事身に返る
 
 
 
 
辛い辛いと
 
悲劇を演じる
 
お前は
 
「辛い」が何かを
 
知りもしないネズミ
 
 
 
エゴイスト ナ ネズミ 
満足を知らず
  
エゴイスト ナ ネズミ 
自己愛に沈む
 
 
 
母親ネズミ ハ  エゴイスト
 
オマエ ハ ワカッテイナイ
 
子ノ  子ノ
 
不安ナ 心ヲ
 
 
 
母親ネズミ ハ 幼稚デ 愚カ
 
オマエ ハ シリモシナイ 
 
 子ノ  子ノ
 
悲シイ 心ヲ
             
 
 
イン  ガ  オウ  ホウ
 
天に唾す者よ  悪事身に返る
 
 
 
  
エゴイスト ナ ネズミ 
自己愛に沈み
 
他者を傷つけても
エゴイスト ナ ネズミ 
それは見えず
 
己のためだけに泣く
エゴイスト ナ ネズミ 
大げさな涙
 
エゴイスト ナ ネズミ 
恥を知らず
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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フクシマを歩いて 作家・徐京植

  
こころの時代 シリーズ 私にとっての「3・11」
 
「フクシマを歩いて 作家・徐京植」 NHK教育 
 
イメージ 1
 
徐京植先生の言葉は、一言一言が穏やかで、聞きやすく分かりやすい。 
 
人柄が滲み出ています。
 
適切な単語と表現力、情報や状況、感情までもしっかり整理した上で話されている。
 
「根こぎ」 「現実感」 「想像力」 「逆説」
 
解説がたとえ心理学的で哲学的であったとしてもスーと理解できます。
 
それは先生の話す言葉が素直で、嘘の無い正直な言葉だから。 
 
(放送の内容は↓YouTubeをご覧下さい。) 
 
 
さて、放送を見終わって、感じた事が有ります。
 
今回の震災で、被災地の事、原発の事、地球の事、未来の事
 
色々語り、論じる人が沢山いますが・・・
 
たとえば、話す言葉や、書かれた文章が、まったく同じだったとしても
 
話す人、書いた人の「心の在り方」で、伝わりが何か違って感じ取れます。
 
語る人の「胸の内」や「根底」は、何れ徐々に見えてきてしまうのです。
  
隠しきれないのです…
 
 
 
たとえば自意識過剰な人が
 
理想や夢を美しい言葉で語ったとしても
 
その言葉の空気には
 
「不信感」が常につきまとい
  
やがて人と人との間にストレスが生じ
 
そしてコミュニケーション障害が起きてしまう。
 
 
 
逆に
 
人に語りたければ・・ 人に伝えたければ・・ 人と関わりたければ・・ 
 
常に素直で、利他の心で語り、無私の心で書こうと努力する
 
自分自身に負けない人でなければならない。
 
その前に
 
それが何より大切な事だと気づく人でなければならない。
 
 
 
張りぼての「言葉や文章、嘘の笑顔」では、
 
心の通い合い」どころか
 
些細な揉め事が再々生じるだけなんだと・・
 
思うのです。
 
 
 
「心の在り方」や「人格」「性根」は、
 
すべての「表現」に滲み出て来るものなんですね。
 
 
私も日々精進です。
 
 
 
 

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こんな日は・・・

 
 
 
こんな日は・・・
 
           ちょっと休憩。 
 
 

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東洋の風 Oriental Wind

 
 
 
東洋の風
 
安穏なれ・・・ 亜細亜
 

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亜細亜の心   

 
 


 
亜細亜の音  亜細亜の色  亜細亜の香
 
繋がる記憶
 
温厚  憐憫  深愛  刹那  離別  自由
 
もどらぬ「時」
 
東洋の浪漫
 
心そのまま  亜細亜を感じ
 
懐かしい亜細亜の「流風」を
 
いつか描きたい 
 
亜細亜人だから
 
・・・
 

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−PRIDE−

 
 
 
−PRIDE−

思うようには いかないもんだな
呟きながら 階段を登る

夜明けのドアへ たどり着いたら
昨日のニュースと手紙があった

折れたからだを ベッドに投げ込んで
君の別れを 何度も見つめてた

伝えられない事ばかりが
悲しみの顔で 駆けぬけてく

心の鍵を壊されても
失くせないものがある プライド

光りの糸は レースの向こうに
誰かの影を 運んで来たよ

やさしい気持ちで 目を細めたとき
手を差しのべる マリアが見えた

何が真実か わからない時がある
夢にのり込んで 傷ついて知ること

誰も知らない 涙の跡
抱きしめそこねた 恋や夢や

思い上がりと 笑われても
譲れないものがある プライド

僕は歩く 穏やかな愛で
白い窓辺に 両手を広げた

伝えられない事ばかりが
悲しみの顔で 駆けぬけてく

心の鍵を壊されても
失くせないものがある

誰も知らない 涙の跡
抱きしめそこねた 恋や夢や

思い上がりと 笑われても
譲れないものがある プライド
  
 
 
 
失くせない「プライド」・・・
 
何千年も 心(そこ)にいたかのような
 
重く      深く   尊く
 
言葉では伝えきれない。
 
私の心の一滴(ひとしずく)
 
脈々と・・・ 
 
譲れない「プライド」。
 
 
 

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1995年1月17日午前5時46分52秒・・・ 

1月17日、この日が近付くと、なんだか落ち着かない
 
あの瞬間が・・・
 
スローモーション映像で自分の中に残ってる。
 
鮮明すぎて自分でも驚く・・・
 
物凄く必死だった感覚も生々しくある。
 
もうそろそろ忘れたいんやけど 
 
消えてくれないな・・・
 
忘れたい事は
 
中々忘れられないんやね。
 
こまったこっちゃ・・・・
 
 
 
イメージ 1 
 
 
毎年、震災のつどいが行われます。
 
震災で亡くなられた、6343名の命の炎をじっと見つめる、被災者家族たちの姿を見ていると、
 
最近やたらと多くなった、ピース・エコ・キャンドルのイベント炎とは明らかに違う事を痛感します。
 
別にそれはいいんだけど・・・・ 
 
私はどうしても思ってしまうんですねー。 
 
「この炎ひとつひとつに
 
あの日まで生きていた人たちの重くて尊い命を感じる。
 
16年・・・簡単じゃない炎
 
見た目やカッコだけじゃないんですよね・・・
 
この炎は・・・」と。
 
なにか勘違いしてる人がいるんで・・・ 
 
こまったこっちゃ・・・・
 
 
イメージ 2
 
お墓の隣に「雪だるまウサギ」作ってきました。
寂しくないように・・・
 
  
毎年この日は、無性に寒いです。 
 

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戦争を美化してどうする!!

 
 
イメージ 1
 
生前、司馬氏自身が『坂の上の雲』は、映像化されたくないと明言していた事をご存知ですか。
   
人間愛や家族愛、愛国心、友情や愛情劇を盛り込んで
「戦争ドラマ」を美化し、何がしたいんだろ・・・? 
その人間愛や家族愛、愛国心、友情や愛情は、
相手側にも同じようにあるってこと分かってますか? 
双方共に大切なものを失う悲劇なんです。 戦争は・・・
 
この世に善い戦争などない!
 
「戦争戦術家たち」を美化してはいけない!
 
「戦争」を絶対に賛美してはいけない!
 
戦争はたくさんの人を殺すのです・・・ 
どんな理由があれ、戦争戦術家は、人の命を奪う術を考えるんです。
過去の戦争から学ぶべきことを 履き違えてはいけない。
 仕方がなっかた、ごめんなさい・・・ではすまないのです。
   
この表現者たちは、何が言いたいんだろう・・・  
戦争は何もかも全てを破壊し奪います。 
本当に懲りてない・・・無責任な表現者たち。
戦争の残酷と恐怖を分かっていない、浅はかな表現者たち。 
そして、その「美化された戦争ドラマ」に好感を抱く読者や視聴者たち。 
 
 小さい子供でも戦争はだめだってことわかっている・・・ 
なのに大人が「戦争哲学だ」などと正当化し都合よく騒いでる・・・
 
怖いことだ・・・
  
責任取れますか? 
もっともっとあらゆる角度から深く考えましょう・・・
 
備仲臣道氏の「司馬遼太郎と朝鮮」を読んでみてください。 
 
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 
備仲臣道氏の「司馬遼太郎と朝鮮(新聞に掲載された本の紹介)
 
「思想の根源に横たわる蔑視観」
司馬遼太郎が朝鮮に関するものを素材として、最初に書いた小説が「故郷忘じがたく候」である。
この作品には、豊臣秀吉の朝鮮侵略・壬辰倭乱(日本では文禄・慶長の役)の際に、
拉致してこられた陶工のその後が描かれている。
司馬自身、愛着があると記しており、彼の朝鮮や李朝陶磁に対する思いのたけは、
この作品に余すところなく描かれている。
私が司馬の書いたものを読んだのは、たまたまこれがはじめてであったから、司馬という作家は
朝鮮への愛が強い人なのだと、そのときは思った。
 すでに世間ではそのように評価されていたらしく、司馬自身も、朝鮮に対するよき理解者であり、
かの国の民衆の友人であると自負していたと思われ、「街道をゆく二」(朝日新聞社)に、
私の朝鮮への関心のつよさは、私がうまれて住んでいる町が大阪であるということに多少の関係が
あるかもしれない−と書いている。
 
さて、「故郷忘じがたく候」と「坂の上の雲」の間にある司馬の朝鮮観にはなはだしい隔たりがあると
言われていて、確かにそのとおりであるが、「坂の上の雲」は1968年の4月からサンケイ新聞紙上に
連載を開始しており、不思議なことに「故郷忘じがたく候」も同じ年の6月に発表されている。
司馬は「坂の上の雲」執筆のために、国内外から膨大な資料を蒐集して、読破し構想を練るのに5年を
費やしたと言われるから、「坂の上の雲」の朝鮮観は、このときすでにでき上がっていたと言っていい。
 
司馬が「坂の上の雲」で、日露戦争を自衛戦争あるいは祖国防衛戦争と表現して、正当化したことは
広く知られている。しかしながら、日露戦争が日清戦争とともに朝鮮への侵略戦争であることもまた
自明のことであってみれば、司馬は日清・日露戦争を賛美し、日本の帝国主義的成長を称えたと
非難されても、なんの反論もできないであろう。
自衛と言おうと祖国防衛と書こうと戦争に違いはなく、良い戦争と悪い戦争があるという道理もない。
 
いったい「坂の上の雲」と「故郷忘じがたく候」の間にあるずれは、なにに起因するものなのであろうか。
実は司馬は、「街道をゆく二」の中で、次のように驚くべきことを、すんなりと書いている。
「それは暴虐なる日帝30余年の支配によるものです」と、
韓国の知識人は例によって千枚透しの錐のようにするどい怨恨的発想の政治理論でもって
規定しきってしまうかもしれないが、日帝がいかに暴虐であろうとも−げんにそうだが−
しかし長い朝鮮史のなかでその期間はたかが30余年であるにすぎない。
李朝五百年が、朝鮮の生産力と朝鮮人の心を停滞せしめた影響力のほうがはるかに深刻なように
おもうのだが、しかし私の知りうるかぎりの朝鮮人で、このことをいったひとにただ一人しか
私はめぐりあっていない。
 この文に象徴される朝鮮への蔑視が、司馬の思想の根源にあって、それが「坂の上の雲」では、
日清・日露戦争を美化した、新興国日本の美しい物語となり、朝鮮侵略を隠ぺいしたと思われる。
だから、「故郷忘じがたく候」において、陶工の末裔である沈寿官が韓国の講演で、「36年を言うな」と
学生たちに語ったと、さも意味ありげに書いたのも理由のないことではない。
 
朝鮮を併合という形で奪ってしまうという、愚劣なことが日露戦争ののちに起こるのである−と、
司馬遼太郎は、日清・日露戦争を美化した同じ筆で、きれいに口をぬぐったように書く。
朝鮮半島の友人の前で気が引けるのだ、と。しかも、そうでありながら同じ文のあとの所では、
朝鮮を植民地としたことが、「けっして儲かるものではないと思うのです」とさえ書いているのである
(「『昭和』という国家」)。
 
このどうしようもない自己矛盾こそが、世に「司馬史観」と言われて、もてはやされているものの実態である。
「錦絵の中の朝鮮と中国」(岩波書店)で、著者の姜徳相氏は、つぎのように記している。
「坂の上の雲」の面白さを否定するわけではないが、司馬であれ、誰であれ、どの作品でも他民族の命運に
かかわることは、かかわられた側がどう受容したのか、という視点があってもよいと思う。(備仲臣道、批評社)
 

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☐☐山は、いろんな色・・・

イメージ 1
初 ☐☐山・・・ 天気は、晴れ。
 
鳥の鳴き声、クマよけの鈴の音、地に響く靴の音、息が上がり 乱打する心臓の音・・・
 
木漏れ日が 指揮を取り、 時々吹く風が 観客の拍手・・・・
 
気分はオーケストラ・・・??。
 
 
 
そして ☐☐山の色・・・
 
いろんな色が自然に調和し バランスよく配置されている・・・
 
普通に・・・ 素直に・・・ 本当に ごくごく自然な 山の色・・・ それでいい・・・
 
 
 
しかし・・・・・ しかし・・・・ 残念・・・・ 安らげないね・・・・・
 
無理やり「特別」をつくられると 一番安らげる 「普通」が見えなくなり・・・ わからなくなる・・・。
 
自己主張の強い「特別」は、うそっぽい・・・ その物本来の価値まで下げてしまう・・・。
 
 
 
そして・・・
 
人は、馬鹿じゃない・・・ 肌や感覚で感じとる違和感は、 接するとすぐにわかる・・・
 
(前々から感じてたが・・・) 人前や日によって変わる 理解できない言動 (逆に言うと、利口・・・)、
 
粘着質で 人を見下した視線、何が気に入らないのか・・・もろに挑発的・・・( キツイ・・・)
 
それなりの礼儀で接してきたつもりだ・・・ 
 
だから 彼女の あの意地の悪い言動・・・ 幼稚で強かな態度が・・・・ 理解できない・・・
 
このよどんだ違和感は・・・ まさに理不尽な差別をされた時と同じ 身震いする感覚・・・。
 
 
 
私はごめんやね・・・。  
 
声をひっくり返し 「☐☐山」「☐☐山」と 叫ぶたび・・・ 遠ざけたくなる・・・
 
神聖なものは、「普通」に心から大切にしてればいい・・・ 誰が言うまでもなく昔からそうして来たはず・・・
 
恵まれた環境の中にいて不満を美化し、理想ばかりで実体のないきれいごとを並べ、
 
上辺だけの平和論を叫んで、簡単に愛を語り、度量がないがためオーバーアクションで正論ぶる偽善・・・ 
 
しらけて・・・ 色あせて・・・ どんどん背を向けたくなる・・・・ 
 
(あっちには好都合か・・・)
 
 
心が いけずな人が 愛だの 地球だの 環境だの 感謝だのと・・・ 都合のいい・・ まったく本末転倒だ。
 
私が、私が・・と わがままな自己主張。 上から目線で押付けがましいきれいごと。 排他意識の強いミーハー。
 
あの町に・・・ 知らない間にその価値観の人たちが増え、違う意味の「特別」になってしまったら・・・
 
悲しいね・・・  (現に、集まってきてるし・・・)
 
勝手な解釈で何とでも言える、好都合の「ターゲット」・・・ 「原」があるし・・・・ 
 
やっかいで、しんどいなぁ・・・ 
 
私にとって、そこは・・ 「普通」に行きたい場所・・・ 「素直」に会いたい人たちがいる場所・・・  
 
そこで いっぱい笑って 楽しい時間を 過ごしたいだけ・・・
 
だから こんな事が 度々あると すごく辛い・・・・・・ 
  
 
 ん・・・ この日、(以前から) 感じた事・・・ あえて、ここに書く・・・。
 
胸にしまって置くと 素直な「絵」が描けない・・・から・・・・・・・・・ 
 
でも実に悔しい・・・ 
 
たかがこんな事で、描けないこと・・・ ここに書くこと・・・ 怒ってること・・・ 悔しいこと・・・ 弱いこと・・・ 
 
心が育ってない人に 度々嫌な思いさせられた事が 情けなくて、スッキリしない・・・。 
 
こんなに怒るの めったにない・・・ 
 
ここまで人を不愉快にさせるなんて相当・・・ 
 
しかし、この感情は、私にとって不要なもの。
 
疲れて・・・ 心と心臓が 痛くなるだけ・・・。   
 
 
 
ここに書く事で、失う「縁」もあるかもしれない・・・・ でもそれは、所詮そこまでの「縁」・・・
 
この気持ちを 隠し収めたまま 付き合っても、「信頼」も「絆」も・・・ 深めていけない。
 
人の人生は有限・・・ 常に「時」の締め切りに 追われてる。
 
つまずいても・・・ 怪我しても・・・ わかってもらえなくても・・・ 堂々と歩きたい・・・
 
 「生きる」を楽しむために・・・。
 

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開設日: 2009/10/22(木)


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