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P2511(四三オ)
差遣シテ、擬(レ)令(二)追討一セ。其勢鎮西ヘ下向ス。広嗣聞(二)テ此事(一)ヲ、卒(二)シテ一万
余騎之凶徒一ヲ而都ヘキヲイ登ル。官軍板橋河ノ辺ニ行合ヌ。
広嗣編_木ヲ構テ為船一ト、河ヲ渡サムトス。東人等捨(二)身命一ヲフ
セキ戦シカバ、広嗣海ヘ追ハメラル。俄ニ東風吹シカバ、白浪弥ヨ
                          靡レ濫一コト
荒シテ、松浦ガ々ニ引退ク。官軍ツヾキテ追懸シニ、王事危事
       バシラ
ナケレバ鵲鳩帆柱之上ニ来居シテ、事故ナク備前国府ニ付
ニケリ。広嗣遂ニ橘浦ニシテ、同十一月十五日被誅畢。此御祈
ニ同十一月乙酉日、始テ伊勢大神宮ヘ行幸アリ。今度モ其例トゾ
聞ヘシ。抑彼広嗣被誅給ヘル遺躰、虚空ニ登テ電ヲナス。電
光二ヶ日照曜シテ、宛如(二)日ノ光一。洛陽外土見(二)其光一而夭亡
二底本「危事」と書いて左に傍線を引き、「靡レ濫一コト」と訂正。また第三末の巻末
    ナシモロイコト
に「王事靡レ濫一」と注記。
P2512(四三ウ)

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P2510(四二ウ)
融洞ナレバ、詩賦不(レ)恥(二)ヂ於居易元慎一ニ。於(二)武芸一為(二)良将一、以(二)テ一
箭一ヲ射(二)ル四方一ヲ。於(二)術道一ニ有(二)名誉一、挑(二)テ十燈一ヲ消(二)ヤス一度一ニ。歌舞和雅
而聞人流(二)シ感涙一ヲ、管絃幽微而清濁分(二)ツ呂律一ヲ。就(二)テ吉備真
備一ニ而仰(二)ギ一字千金之師範一ト、習(二)テ天文宿曜一ヲ而究(二)ム陰陽元起之
淵底一ヲ。衆能之中ニ、此業殊ニ勝タリ。又妻室花容ニシテ、天下
無双之美人ナリ。見人心ヲ不悩一ト云事ナシ。爰広嗣憑(二)テ我
身之武勇一ヲ、天平十二年庚辰九月丁亥日、肥前国松浦郡ニテ一
万人ノ凶賊ヲ相語テ、企(二)テ謀反一ヲ奉ント傾帝一ヲハカル由聞ヘケレバ、大将
軍従四位上大野朝臣東人、副将軍従五位上紀朝臣飯
                     ツケテ
麻呂、并ニ諸国軍兵等ニ勅シテ、一万七千人ヲ委(二)東人等一ニ
P2511(四三オ)

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P2509(四二オ)
アルベキ」ヨシ申サセ給ヒケリ。大神宮ト申ハ、高天原ヨリ天降
マシ<シヲ、垂仁天皇ノ御宇廿五年ト申シ戊申三月ニ、
   ワタラヒ       シモツ
伊勢国渡会郡五十鈴川ノ河上、下津磐根ニ、大宮柱広敷
立テ祝始奉リ給シヨリ後、宗廟社稷ノ神ニオワシマセバ、崇
敬シ奉ラセ給事、吾朝六十余州ノ三千七百五十余社ノ大
小ノ神祇、冥道ニ勝テマシ<シカドモ、代々ノ御幸ハナカリシニ、ナ
ラノ帝ノ御時、右大臣不比等ノ孫、式部卿宇合ノ御子、右近衛
権少将兼大宰ノ小弐、藤原ノ広嗣ト云人オワシキ。世上ノ才
人、天下ノ俊者也。其身ニ種々ノ能アリ。形躰端厳ニシテ而強軟自
在ナレバ、朝夕往(二)還シ于花洛鎮西一ニ、文籍通達シテ而内外
P2510(四二ウ)

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P2508(四一ウ)
モ兵革ノ御祈也。御布施ニハ手作ノ布一端、供米袋一。院別当
左中弁兼光朝臣、仰ヲ承テ催シ沙汰有ケリ。行事主典代
庁官、御布施供米ヲ相具テ、西坂本、赤山ノ堂ニテ是ヲ引ホ
ドニ、山ノ小法師原ヲ以請取間、一人シテアマタヲ取ル法師モ有、又
手ヲ空シテ取ヌ者モ有ケリ。然間、行事官ト法師原ト事ヲ出ス。
主典代庁官烏帽子打落サレテ、散々ノ事ニテゾ有ケル。ハ
テニハ主典代ヲ捕メテ山ヘ登ニケリ。平家ノシトスル神事仏
事ノ祈ノ、一トシテ験ハナカリケリ。
十六〔大神宮ヘ可成御幸事付広嗣事并玄防僧正事〕 同日、蔵人右衛門権佐定長仰ヲ奉テ、祭主神祀大副大
仲臣親俊ヲ殿上口ニ召テ、「兵革平カナラズ。大神宮ヘ行幸
一「庁」は底本「广」。
P2509(四二オ)

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P2507(四一オ)
大臣経宗、右大臣兼実、左大将実定、皇后宮大夫実房、
堀川大納言忠親、梅小路中納言長方、此人々被召一ケル。右大
臣兼実、堀川大納言忠親ハ参リ給ワザリケリ。右大臣ヘハ大
蔵卿泰経ヲ御使ニテ御尋アリ。只能々御祈ヲ行ハルベキヨシヲ
                    六
ゾ被申ケル。左大臣経宗ハ、「カナハヌマデモ門々ヲカタメラルベシ」ト
申サレケルゾ、云甲斐ナキ。右大臣、「東大寺秘法有リ。加様ノ
時被行一ベキニヤ。宗ノ長老ニ被仰一ベキ歟」ト申サセ給フニ、長方卿、
「軍兵ノカラ今ハ叶マジキカト、前内大臣ニタヅネラルベシ。其後ノ儀ニテ
有ベキ歟」トゾ被申ケル。
十五〔於延暦寺薬師経読事〕 十一日ニ院ヨリ延暦寺ニテ、薬師経ノ千僧ノ御読経行ワル。是
六「門々」、盛衰記では「閑々」。
P2508(四一ウ)

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