注型室 別宅

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横浜港界隈 <478>

時宗からの知らせを受けた朝廷は、伊勢神宮に祈祷をさせる事を
指示した上で、廟議に入った。この段階で、時宗はすでに元からの
使者への返信を「黙殺」している。

それが功を奏したのか、朝廷の出した結論も「強行策」であった。
幕府の「黙殺」を支持、元の要求をはね付けよ、という意思を表す。
公家の大部分が幕府支持であった、という。

この点が幕末と違った点である。この危機に先立つ40数年前、
後鳥羽上皇が幕府へ戦を挑んで敗れている、という事実や、
土地問題など、決して蜜月な関係ではなかったが、朝廷と幕府は
この国難にあたり、互いの足を引張りあう事をしなかった。

数回に及んだ元からの使者は全て黙殺された。

これを受けクビライは日本侵攻を決定する。

その2度にわたる戦いの詳しい経緯や結果はここでは述べない。
「神風」という言葉を生んだ悪天候によって、元の日本侵攻は頓挫した、
となっているが、実際に台風や暴風雨が原因であったかどうかは、
定かではないという。日本側に台風来襲と記載された記録が無いからだ。

「一夜明けたら、沖合いの艦隊は姿を消していた」となっている。

悪天候が原因の「座礁」により、撤退せざるを得なかった事が
主だった理由でないか、という。少なくとも、天候の影響は
あったようだが、台風で軒並み沈没、という事ではなかったようだ。

近年では最初の侵攻は一種の「偵察行動」ではなかったか、という説もある。
元の記録に「水軍、弓矢1日で全て消費」とあるためで、脅しで日本が
屈すれば「儲けもの」と彼らが考えていたのではないか、という説である。

だが、2度目は日本本土征服後、南宋の人々を強制入植させる
腹積もりであったという。間違いなく国を挙げての「侵攻」であった。
軍団のほとんどが、実は移民であったという説もあるほどだ。 続く。

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