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御家人に新たに土地を与える、という制度を制定したならば、
幕府は常に恩賞用の土地を用意しておかねばならない。
国内に敵対勢力があり、彼らを屈服させて、土地を取り上げ、
御家人達へ分配している頃なら、まだ問題は無かった。
だが、元寇は武家政権が経験する初めての「本土防衛」であった。
事実上、この国の国土で戦われた初めての防衛戦争でもある。
元寇以降、諸外国勢力と本土で戦ったのは、幕末の薩英戦争、
長州戦争を挟んで、先の大戦の沖縄戦、各地への爆撃攻撃以外無い。
余談。
この元寇、つまり日本が元という「超大国」を2度跳ね除けた事実を、
アドルフ・ヒトラーという政治家は、どうやら知っていた、という。
「数千年、他国からの侵略を許さなかった国がアメリカへ宣戦した」
だから、その国と同盟を結んでいる我が国が敗北するはずが無い、と
側近に語り、真珠湾攻撃の報に接した際、非常に機嫌が良かったらしい。
同じ頃、そのドイツのソ連侵攻を「ナポレオンと同じになりはしないか」、
と、当時、天皇という立場にあった人物は危惧していたと伝わる。
鎌倉幕府が成立してからおよそ70年後。
元の皇帝 クビライは日本へ使者を送ってきた。
表向きは通商、となっていたというが、元の支配下に入れ、
という「降服勧告」であった点は間違いないだろう。
鎌倉幕府が、この元からの要求を受け、最初に行った事は、
朝廷への「報告」であった。幕末、アメリカから開国要求を受け、
江戸幕府は朝廷に勅許を得ようとしているが、国難に際し、
幕府が朝廷へ「御意見伺い」をするのは、この元寇が最初である。
およそ、5世紀をまたぐ2つの幕府を比べるのは、強引に過ぎるが、
幕府が朝廷の意見を仰ぐ、という観点から見れば、力が衰えたとはいえ、
江戸幕府の幕閣達の判断は決して「弱腰」のみで語られるものではない。
朝廷に、元からの書簡を送ったのは、執権 北条時宗である。
時宗は先代である北条政村の補佐職にあり、幕府は集団指導体制であったが、
この危機を境にして時宗を頂点とする「危機管理体制」へと移行する。 続く。
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