相田みつを
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『人生の応援歌〜相田みつをの世界』
講師
相田みつを美術館北海道友の会 代表 上野正志 氏
・相田みつをの履歴
1924年(大正13年) 父・喜平、母・エイの三男(四男二女の六人兄弟)として
同年5月20日、栃木県足利市に生まれる。本名光男。
1936年(昭和11年) 旧栃木県足利中学に入学。剣道部で活躍。
1942年(昭和17年) 同中学校を卒業し、歌人山下陸奥に師事し、短歌を学ぶ。
秋の歌会で生涯の師となる曹洞宗・高福寺の禅僧・武井
哲応老師と出逢い、在家のまま師事し、仏法を学ぶ。
1943年(昭和18年) 書家・岩沢渓石に師事し、書の道に入る。
1944年(昭和19年) 召集され、終戦まで通信兵の訓練を受ける。
1947年(昭和22年) 正義感の強い光男は、購買利用組合の不正を暴こうとし
て、暴漢に襲われ瀕死の重傷を負う。
1951年(昭和26年) 関東短期大学夜間部の国文科に入学。
1953年(昭和28年) 関東短期大学夜間部を卒業。
1954年(昭和29年) 第1回個展を足利市で開催。
1954年(昭和29年) 11月に平賀千江と結婚。
第6回毎日書道展に入選。(この後6年連続入選)
1955年(昭和30年) ろうけつ染めの技術を学び、老舗の包装紙や栞のデザ
インを手がける。
長男、一人誕生。
1959年(昭和34年) 長女、直子誕生。
初めてアトリエを持つ。
1973年(昭和48年) 全国各地での講演活動を始める。
1974年(昭和49年) 在家の仏教活動として、「円融会」をつくり、「円融だより」
を発行する。
1984年(昭和59年) 「にんげんだもの」(文化出版局)出版。みつを60歳。
1987年(昭和62年) 「おかげさん」(ダイヤモンド社)出版。
1990年(平成02年) 「一生感動、一生青春」(文化出版局)出版。
1991年(平成03年) 「いのちいっぱい」(ダイヤモンド社)出版。
12月17日 足利市の病院で脳内出血により、永眠。
享年67歳。
1992年(平成04年) 遺稿集「いちずに一本道、いちずに一つ事」(佼成出版
社)出版。
1994年(平成06年) 生誕70年を記念して、全国八大都市で回顧展が開催さ
れる。
1996年(平成08年) 9月 東京銀座に「相田みつを美術館」開館。
1997年(平成09年) NHK「ことばにいかされて〜相田みつを・人生の応援歌」
放映。
日本テレビ系「知ってるつもり〜一生感動、一生青春〜」
放映。
2003年(平成15年) 「相田みつを美術館」千代田区丸の内「国際フォーラム」
に移転。
・相田みつをの作品の特徴(ありのままの自分探し)
①二つの特徴
Ⅰ.徹底的に自分を見つめる内容の内省的作品
Ⅱ.自らの生い立ちや体験を基にした作品
②究極を極めた書道家の「優しくて判りやすい、自然な暖かい人間味溢れる、
慈愛をこめた書」
素朴で力強い独特の書体
ひらがなが中心で、誰にでも読める、平易な言葉
人生の応援歌であり、人間賛歌でもある
③19歳から著名な書道家岩沢渓石氏に師事し、本格的に書道を学び、6年
連続毎日書道展に入選。
しかし、書道界とは距離を置き「独自の道」を開き、奥義を究めた後に生み
出された「こころの芸術表現」、これらの言葉は決して、他人に向けられたも
のではなく、全て自分に向けた言葉
④ノンフィクション作家・宮野澄(とおる)の言葉
『独特の書体と、言葉を飾ろうとせず素直に自分に向かって語りかけるよう
な「詩」にどれだけ多くの人々が慰められ、励まされ、勇気付けられただろう
か、仕事や人生に疲れた時、読む人にほのぼのとした希望を与える彼の作
品、その魅力は限りなく人間にこだわり、自分に拘ったところにある』
⑤多くの人々の心を引き付け、極めて幅広い支持層を持つ
⑥書道家、詩人、教育者、哲学者、思想家、エッセイストデザイナー、
優れたカウンセラー
・著作の書名に見る生涯の姿勢
「人生の師」とも言うべき武井哲応老師に師事し、曹洞宗の改組・道元の著
した「正法眼蔵」を学ぶ
つまり、彼は在家のまま、仏法を学び、厳しく修行した人
「相田みつを」の作品とその背景を見る時、特に注目したいのが、彼の著作
の書名、短い書名に「相田みつを」の人間性が端的に特徴
『にんげんだもの』 『おかげさん』 『一生感動 一生青春』
『いのちいっぱい』 『いちずに一本道 いつずに一つ事』
『雨の日には雨の中を 風の日には風の中を』
・相田みつをの挫折とその母エイの盲愛
①中学校での挫折
②軍事教練不合格
③みつをの人生を決定付ける次兄の遺言
『男たるもの自分が納得した道を生きろ 自分が納得した以上は愚痴や弱音
を吐くな 同じ生きるなら 少しは自分以外の世の中の役に立つ事をしろ』
④母エイの盲愛
2人の兄が戦死し、母エイは1人残った男の子・みつをを盲愛し、手元に置く
みつをは、大学に進学して学問に対する憧れとともに、母の重圧を逃れた
・母エイは「みつを」と「平賀千江」との結婚に反対・その確執(逆縁の菩薩)
両家の反対を押し切って、昭和29年に結婚
しかし、長い間嫁姑の狭間で悩みぬく
そんな母の盲愛に散々悩まされた末に『逆縁の菩薩』と言う心境に辿り着いた
・上野氏が紹介したい作品
①自分の番 いのちのバトン
過去無量の生命に支えられ受け継いだ生命を次の世代へ繋ぐ責任がある
②おかげさま人生
世の中、役に立たない者は1人もいない、みんな何かの役に立っている
③今が大事 こんな顔で
奈良・山田寺の仏頭によせて
私が好きな、相田みつをの言葉
相田みつをの多くの言葉の中で、感動するもの、当たり前だと思うもの、突っ
込みを入れたくなるもの、それは無い、と思うものなど色々とありますが、その
中で好きな言葉も沢山あります。
『しあわせはいつも 自分のこころがきめる』
『ひとの世の幸不幸は 人と人とが逢う事からはじまる よき出逢いを』
『なやみはつきないな 生きているんだもの』 |









