カーネーションは日本の自滅ドラマ。
|
ひふみ神示 第20巻 梅の巻 第九帖 不本意にも、毎朝NHKの連続テレビ小説っつ〜もんを観る果目になっとる。最後までではね〜ども。 丁度その時間、カミさんの出勤時間で、時計代わりにテレビつけるんでよ〜〜。 おらは、その前のニュースはわりと欠かさず観る。政府は今度はどんただボケ発言すっかな〜〜とか、原発知らぬ間にやべ〜〜ことになっとらんべが?とか。ま〜この記事の題材として格好なんだべ〜〜。(朝のニュースって、実はお笑い?) ニュース観ながら、おらはパソコンやったりしとるんだども、その後カミさんが出かけるまで、大抵テレビはつきっぱなし。 そんただわけで、別に観る気はね〜のに、あらすじはなんとなく頭に入っとったりする。 っつ〜か、このドラマ観るたびに、おら〜ある種のやるせなさを感じずにはおられんべ〜〜。 なぜならば、このドラマの時代こそが、日本の文化が西洋に汚染されていく過程そのものだから。 たとえば、テレビコマーシャルでありがちな、こんただ会話。↓ 「50代には見えない」はただのお世辞である。 率直な感想は、「あなた上手にゴマカシタわね〜〜」なんである。 大多数の現代日本人は、この会話になんら不自然さを感じね〜べな〜〜。 どっからど〜見ても不自然なことを不自然と思わなくなる、不自然と感じる感性が鈍化していく。そのはじまりがまさしく「カーネーション」の時代なんである。 番組当初は、登場人物全員が和服姿だった。それが主人公の成長とともに、やれファッションだ〜やれ流行だ〜〜と、どんどんどんどん洋服着たり文鎮島田をショートヘアーにしたりして西洋化していく。 「ファッション」っつ〜言葉の語源は「ファッショ」つまり「ファシズム(全体主義)」だっつ〜話を聞いたことがあるども、まさしくこの時代、「西洋文化を取り入れない者は人にあらず」みたいだ風潮が、最初は控えめだども、次第に本性現してデカイ面しだすわけなんだべ〜〜。 こないだ観とったら、ヘルメットみたいな頭したドギツイ化粧の女子が、「 このヘルメットヘアーの女子がえらそ〜に高飛車に「 「 んだ。別にこの女子が、そんじょそこらじゃ及びもつかない人徳を持っているとか、孤児院の子供達を密かに養っとるとか、そんただことじゃね〜んである。 「一番西洋にかぶれている」っつ〜のが自慢なんである。 一体、ファッションってなによ?流行ってなに? それは形にないもん。形のないもんを高く売りつける。それが西洋文化である。 このファンションっつ〜ファシズムがどんどん巾を利かせていく立役者はテレビだべ〜〜。 見方によっちゃ〜日本の恥みて〜なこのドラマを、厚顔無恥に放映して屁とも思っとらんのが、明白な証拠である。 誰でも知っとることだども、もともとテレビっつ〜のは、自分とこの商品を買ってもらいて〜企業がスポンサーになって、番組の要所要所でコマーシャルを差し込むことで成り立っとるんだべ〜〜。 だから基本的に思想も文化も関係なし。売ったもん勝ち。はやらせたもん勝ち。そんただ世界。 テレビっつ〜目新しいもんに洗脳されて、一般庶民とカテゴライズされた視聴者は、どんどん「見た目文化」の虜になっていく。 「カーネーション」の主人公は、そんただ「見た目文化」の旗振り役。 旗振る姿に視聴者は自己投影していく。主人公がんばれ〜〜!なんて、応援団の心でドラマを観る。 自分が「見た目文化」っつ〜集団妄想の一員だっつ〜ことに何の疑問もなく、日本が消えて行くすがたを、理想社会の実現であるかのよ〜に見守っとる。 したども、そ〜やってどんどん日本を捨てていった挙句の果ての現代社会、おらだは何か一つでも、過去の時代に誇れるもんを手にしたんだべが? ボサボサ頭や無精ヒゲはみっともない、一張羅じゃカッコ悪くて外も歩けない。髪はいつでもサラサラツヤツヤでなければならない。そ〜でなけりゃ〜ファッションセンスがないと馬鹿にされる。 それがファンションっつ〜ファシズムの姿。 その代償としておらだが手にしたのは、タンスの中に溢れとる1〜2度袖を通しただけで見捨てられるいつぞやの流行ルックとか、年取った今じゃ〜恥ずかしくて着れない洋服とか。 朝シャンで大量に使用される水道水と電力は、ダムや原発の必要性の根拠になっとる。 最大の弊害は、内なるゝ魂を磨くことを怠けたって、誰にも咎められないっつ〜風潮。心を磨くなんてめんどくさ〜〜、お化粧塗って誤魔化しましょ〜、っつ〜安易さ。 現代の精神性は、確実に100年前よか堕落しとる。 「カーネーション」の主人公は、日本人を堕落させることを商売にしとる。そ〜言っても過言ではね〜〜べ〜〜。↓ ひふみ神示 第08巻 磐戸の巻 第10帖 まさに、神示に書かれたとおりの世の中である。 「カーネーション」見てへらへら笑っとるおめはん。そのへらへらこそが、おめはんのミタマの曇り度を計るバロメーターだべ〜〜。 学歴っつ〜ミタマ磨きにゃ〜一切関係のね〜〜格付けで人間の優劣を決めるシステムに、すっかり「人間の生き方」を見失った人々。そんただ人々が絶賛するもんは、ことごとくがカスである。↓ ひふみ神示 第06巻 日月の巻 第三十六帖 こないだもニュースでやっとったども、海外の高級ブランド品のニセモンを犯罪行為だとして没収廃棄するっつ〜話。 ニセモンだろ〜がなんだろ〜が、カバンはカバンとして使えるんである。 それなのに、ちょこっとロゴが違うだけで捨てることが法律で義務付けられとる。 これが正しいことだときっぱり言い切れるけ?まさに世の中を愚かにするための法律。 それらの法律がおらだに強要するのは、大企業の利益を損なってはいけないっつ〜こと。 そんただニュース見て、フムフムうなずくな〜〜。中国製だろ〜がなんだろ〜が、ケータイはケータイの機能を果たしとればいいんだべ〜〜。だまされんなよ〜〜。 とはいえ。 この時代があったればこそ、今おらだは「愚かだったね〜〜」と言えるんである。 それを今だに愚かだと気づかんもんは、もは好きにやらせとけ〜〜。 結局、外見をモノで飾るにゃ〜限界があるんである。 内面がしおれとる人は、いくら飾っても外見もシワクチャなんである。 それでいながら、一度「見た目地獄」にハマっちゃった人は、抜け出したくても抜けれないんである。 そのなれの果てが黒柳哲子である。中年演歌歌手どもである。 彼らにゃ〜、「も〜そろそろ年相応の格好がしたい」が許されないんである。 結局、「見た目地獄」はいつかは断念しねばならんし、年をとればとるほどつらいんである。 それが、「カーネーション」の時代がおらだに押し付けた負の遺産なんである。 そんただ見た目にこだわる時代はも〜すぐ終焉するんである。 だから、資本主義の崩壊は万々歳なんである。 おらは、一足先に、見た目気にしない主義を実践しとるべ〜〜。 はやいとこ、みなさんも始めたほ〜がいいど〜〜。 今日の神示。↓ ひふみ神示 第20巻 梅の巻 第二十四帖 |

