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小説アンブロークンとそれに関する話題について語ります。
ごめんなさい。途中で切れていました。

巣鴨プリズンの中に入れるザンペリー二

(続きです。)
不思議なのはザンペリー二がどうやって巣鴨までたどり着けたのか、どうして簡単に巣鴨プリズンの中に入れたのか、全く原作にも書いてないことです。

後年ザンペリー二はキリスト教系のテレビインタビューで自分のおかげで、巣鴨に戦犯としてとらえられた元看守たちにはキリスト教の改宗したものもあったと語っています。
http://en.wikipedia.org/wiki/Louis_Zamperini
http://www.cbn.com/tv/1422057738001

長野五輪の聖火リレーに参加

(町山智浩)っていうのは、長野オリンピックでザンペリーニさんは元金メダリストとして聖火ランナーをすることになってたからなんです。


だーかーらー金メダリストではありませんって。


(町山智浩)すごい人生なんですよ。彼はとにかく日本とアメリカとの友情を結びたいんだってことで、そういう活動をしてたんですね。それで彼は直江津って ところで、炭鉱でものすごい強制労働を渡邊軍曹にやらされていたんですけども。その直江津の町でですね、聖火を持って走ったんですよ。


一般の人生とはかなり違いますね。1949年には「赦した」にも関わらず、その後ずっと自分の戦争体験を語ることで生活してきたんですから。ただ生活できたのではなく、有名になったし、本も何冊かでたし、映画化の話もでるし。ある意味日本のおかげですよね。

長野五輪の聖火リレーにはどういった人達の協力で直江津で走れることになったのか調べてみるのもおもしろいかもしれません。

戦後のワタナベ氏 手記について

前述のとおりワタナベ氏は文芸春秋昭和31年4月号に手記を発表しています。
「アメリカに裁かれるのは厭だ!」

(町山智浩)この人ね、敗戦と同時に逃亡してね、7年間、山の奥で暮らしていたんですよ。隠れて。で、占領が終わって進駐軍が引き上げた1952年にやっと出てきて。で、文藝春秋にその逃亡記を書いているんですよ(笑)。


と、いうことはこの人も手記を読んだのですね。やっぱり国会図書館で?それとも協力者が提供してくれたのですか?

この手記には当然ワタナベ氏の立場が書かれています。秩序維持のために暴力はあったこと、戦況が悪化するにつれ、捕虜たちの態度が変わっていったこと。捕虜達に直接関わった自分は真っ先に復讐されると思い逃亡したこと。

またおもしろいのは、手記には直江津の「な」の字もでてきません。自己保身のために話をぼかしている可能性もありますが、もし直江津にいなかったのなら、ザンペリー二の証言と大きく喰い違います。
〔続きます。次回でおわるはずです。)

この記事に



続きです。

東京大空襲の場面

町山氏は東京大空襲の場面もちゃんと描いていて公平だと述べています。


(町山智浩)で、たとえば東京大空襲のシーンがあって。それではその、日本の民間人が家を焼かれて、ものすごくもう、大虐殺されるっていう画もちゃんと見せてるんですね。


前回書いたとおり、わたしはこの意見には賛成できません。原作はさらにひどいです。前回のコメント欄にpickyさんへの回答として書いたとおり、原作では民間人の犠牲者に関して一切触れられていません。それどころか司令官のカーティスルメイが民間人殺戮を正当化するために主張した民間人も家内工業も軍需産業に携わっているということをあとづけするような証言をザンペリー二は行っています。
"...Louie noticed something shining.  Standing in the remains of many houses were large industrial machines.  What Louie was seeing was a small fragment of a giant cottage industry, war production farmed out to innumerable private homes, schools, and small 'shadow factories'."(27章、p438)
(ルイ(ザンペリー二)は何かが光るのに気づいた。多くの家のがれきに残っているのは大きな産業機械だった。ルイが目にしたのは巨大な家内制産業のほんの一部だった。軍需産業は数え切れないほど多くの個人家屋、学校、そして小さな隠された工場が請け負っていた。)

戦後のザンペリー二

映画には出てこないザンペリー二の後半生について。

伝道師Billy Graham により「再生」する。

戦後ザンペリー二はしばらく荒れた生活を送ったのち、1949年に福音派のBilly Grahamに出会い感化されます。
(町山智浩)で、限界まで追い詰められたところで、この人、結局、やっぱり教会にいって救われたんですね。で、キリストの言葉でね、『汝の敵を愛せ』って言葉がありますよね。

Billy Grahamについて言及がありませんが、彼なくして戦後のザンペリーには語れないとおもいます。
ザンペリー二は福音派(Evangelicals)(プロテスタントです)の伝道師Billy Grahamに出会います。彼によって”Born-again” 再生したのです。このBilly Graham という伝道師は政界にも多大な影響力を持っています。歴代の大統領とも親しく関わってきました。ニクソンとの関わりはとくに有名ですが、以前ジョージブッシュJr.の強力な支援団体は福音派だと話題になったと思います。がちがちの共和党支持者だとばかり思っていましたが、今回調べて本来は民主党支持だったのに、アイルランド系カトリックのケネディが大統領候補になったことに反発して、共和党とのつながりが強めたと初めて知りました。融通の利く人みたいで、2012年の大統領選でモルモン教徒のロムニー支持にまわると、それまで彼のサイトにあったモルモン教はカルトであるとの記述があっという間に消去されたとか。民主党のオバマ大統領とのツーショットもみられます。



ザンペリー二は1949年にはこういった大物の知己を得、感化され、「赦し」たのだそうです。案外あっという間ですね。その後、彼は2014年に亡くなるまでChristian inspirational speaker として、自分の体験を語ることで生活しました。

Inspirational speakerとは講話者とでも訳すのでしょうか。人々を啓蒙するため自分の経験を話して聞かせる仕事をします。私は信者ではありませんが、プロテスタントの礼拝に参加すると、誰かが自分の経験等を話した後で、神に祈ったりしますね。ザンペリー二のテーマは「赦し」戦後70年一貫して自分の戦争体験を語ることで生活してきました。

こちらは、Billy Grahamの伝道の集会で話すザンペリー二。日本人が一般に思い浮かべる礼拝(大草原の小さな家みたいな)とは随分趣きが違いますが、米国で日曜日の朝テレビをつけると、こういうのを見かけます。


https://youtu.be/O5UkPM0mTh8
Louis Zamperini Testimony at 1958 San Francisco Billy Graham Crusade

(ビデオがうまく貼れません。ごめんなさい。)

巣鴨プリズンの中に入れるザンペリー二

(町山智浩)で、救われたってことで、それをザンペリーニ氏がですね、それを渡邊軍曹に伝えたくなったんですって。私は救われたよ!と。


1949年に感化されたワタナベを赦したザンペリー二は1950年突然巣鴨プリズンを訪れます。これは39章に書かれています。彼の生活は貧しかったと話しているにもかかわらず、です。いったいどうやって飛行機代を工面したのか、誰かが出してくれたのか、巣鴨へいく目的はなんだったのか、何かの任務でもあったのか。何も書かれていません。

巣鴨ではワタナベ以外の自分を虐待した看守達に再会し和解したとあります。捕虜収容所の看守達は巣鴨に収監されていたので巣鴨を訪ねたとあります。巣鴨の850名の元看守達の中に自分を虐待した連中をみつけたけれでも、ワタナベはいなかったと。「赦した」わりには執念深いですね。

そして彼らと和解したと。

Inbewilderment, the men who had abused him watched him come to them, his handsextended, a radiant smile on his face.

(奇妙にもザンペリー二を虐待した連中はザンペリー二が腕を伸ばし輝く笑みで自分たちのところにやってくるのを見たのだった。)

だから、町山氏の言う彼を虐待したのはワタナベだけという話は誤りです。

(町山智浩)これは周りの証言から照らし合わせると、事実ですよね。他の人は虐待してなかったんで。


不思議なのは、ザ

この記事に

町山智浩という人がラジオでアンブロークンは反日映画ではないと主張しており、それについてどう思うかと聞かれたので、その番組の書き起こしを読ませていただきました。書かれた方に感謝します。picky様情報ありがとうございます。


町山智浩 アンジェリーナ・ジョリー監督作『アンブロークン』を語る

http://miyearnzzlabo.com/archives/22240


論評の中には明らかな事実誤認があります。世論誘導のために言葉を選んだり大事な場面についてあえて言及しなかったのかと思わせるところもありました。また映画の内容には含まれていないことにも言及していますが(例えば、戦後の生活)、その点についても考えを述べてみたいと思います。


立派な映画?

(町山智浩)それで、見ましてですね。すごく立派な映画でしたよ。


この放送の中で映画「アンブロークン」を高く評価しているようですね。これは米国での一般的な評価や興行成績とは著しくずれていますが、この人は在米だそうですが米国でもこういった意見を英文でどこかの雑誌にでも寄稿していますか?それとも日本向けに話しているだけですか?


今年は戦後70年ということで、戦争関連の映画が多く公開されると思いますが、他の戦争映画に比べてどうですか?例えば、「The Imitation Game」(邦題イミテーションゲーム)。昨年11月末に全米公開され、現在でも上映されています。日本でも公開されています。わたしも「アンブロークン」と同時期に観ました。

こちらは、英国の対独戦を扱った映画ですが、「我々はいかに戦ったか」を描いています。天才数学者でコンピューターの父と呼ばれるアランツーリン(Alain Turing)はMI6の監督のもと仲間たちと解読不可能といわれていたドイツの暗号エニグマを解読します。暗号解読は最高機密だったため、プロジェクトが終了するとすべての記録が消されてしまい戦時中の彼の行動記録も消えてしまいます。戦後疑いの目を向けられたツーリンは当時違法であった同性愛者だったことが発覚し自殺に追い込まれてしまいます。英国の戦勝に多大な貢献をした彼を英国はどう遇したのかも描いているわけです。これに比較して「アンブロークン」は日本はこんなに悪かったあんなに悪かったでも米国は許してやった!という話です。随分幼稚だと思わないんでしょうか。興行成績の違いがすべてを物語っていると思いますが。


金メダリスト??? 本当は8位入賞です!

彼はザンペリー二のことを何度も何度も1936年ベルリン五輪の金メダリストと話しています。


(町山智浩)。。。

これは、主人公 は実在の人物で、ルイス・ザンペリーニっていう、オリンピックの金メダリストです。


彼はベルリン五輪で5000m一種目に出場しています。成績は8位入賞でした。金メダルどころか、メダリストですらありません。少し調べればわかるはずなんですが。ラジオ放送に際して誰かに間違った情報を教えてもらっていたのでしょうか?

http://en.wikipedia.org/wiki/Louis_Zamperini


ちなみにその5000mで日本人の村社講平選手は4位入賞しています。


たとえ調べなくても映画を素直に観ていたらこんな誤解をするはずないです。映画では5000m競走の場面はかなり時間をかけられていました。映画では初めはザンペリー二がほとんど最後のあたりを走っています。L.A.の彼の実家では家族や友人昔お世話になった!おまわりさんたちが心配そうにラジオの実況に耳を傾けています。そして後半ザンペリー二は追い上げていき8位入賞を果たし、みんなを喜ばせます。ちなみに日本人選手はずーっと前を走っています。


この記事に

時間ができたので、もう一度みて、訂正したり、書き足しました。(2月12日)

アンジーが、読売新聞のインタビューに書面で答えたそうですね。
http://www.yomiuri.co.jp/culture/20150203-OYT1T50014.html
まあ本当に彼女が書いたのかは誰にもわかりませんが。回答の内容は大まかにいって

この映画の主題は反日ではなく、赦しだ。
日本兵にはザンペリー二を助けた良い人もいた。
ザンペリー二は日本を愛し、長野五輪のトーチリレーで走ったことを誇りにしていた。映画をみればわかる。

だそうです。なので、映画を観にいきました。
現在二月一週目で、もう新作をかける大手の映画館ではあまりやっていません。新作映画はAMCとか、Edwards とかの大きな映画館で上映され、そういったところでは、人気の映画はロングランで上映されますが、そうでないものはどんどん次の新作にとってかわります。もう上映する映画館も少ないし、わざわざ遠出してそんな高い料金払うの嫌だったので、どうしようかと思っていました。たまたま滞在先のIrvineで昼は2ドル、夜は3ドルで上映している小さな映画館があったので、ついに決心しました。
Woodbridge 5という映画館です。
イメージ 1
見えにくいかもですが、右側一番上、1日4回上映


イメージ 2
次の週に行ったら1日2回の上映になっていた。右側一番上。



平日の昼間ということで、観客数は20人ちょっと。内訳は大半が白人のおじいちゃんおばあちゃん、あと韓国からの留学生(髪型、服装、言葉から判断)とおぼしき若いひとたち、白人の若い人、ヒスパニック少しとあと韓国系ではなさそうなアジア系といった感じでした。

A true story (真実の物語)

映画は、ハリウッド映画らしく、製作会社名、タイトルから始まります。
まず、
"Universal Pictures and Legendary Pictures Present,"
そして
"Unbroken"
と画面がかわります。で、次の画面では、はっきりと、
"a true story"  (真実の物語)
と出てきます。

評判どうりの駄作でした。最初は目を凝らして画面を見ていましたが、だんだんそこまでするほどじゃないなと思い、スマホでメモを取ったりしながらで話の筋を追っていきました。それで十分でした。どうしても目が話せないということもありませんでした。

念のため書いておきますが、できの悪い反日映画という意味です。

映画のあらすじ

おおまかな映画の構成はこうです。ザンペリー二が陸上選手となり、その後第二次世界大戦中乗っていた飛行機が太平洋に墜落、二人の仲間とともに漂流、そのうち仲間の一人が死亡。日本軍に捕虜として捕らえられ、尋問をうける。その間たった一人で狭い独房に押し込まれ、外から他の捕虜が拷問でも受けているのか、延々とうめき声や暴力を振るわれている音が聞こえ、恐怖にさいなまれる。で、日本本土に送られ収容所生活を送ります。そこでは延々と、Miyavi 演じるワタナベやその部下に殴る蹴るの暴行を受けます。収容所の描写はほとんどそればっかり。

製作側は捕虜生活の悲惨さを表現する手段は、暴力以外ないと考えているようでした。この単純さがこの映画のつまらなくしている主な原因だと思います。

終戦となりザンペリー二が故郷のL.A.の地を踏んだところで、映画の本体は終わります。原作では、ザンペリー二の戦後の生活にかなりのページが割かれていますが、そこは映像化されていません。

終わりに、ザンペリー二、彼と友に太平洋を漂流した戦友のPhilのおそらく結婚記念写真と思われる写真一枚ずつ出されて、戦後誰それと結婚、子供の名前はとかのキャプションつきで紹介され、続いてBirdことワタナベ氏の原作でも使われた写真が出てきて、戦後戦犯指名され数年にわたって逃亡し、その後、米国側が日本と和解しようとしたため恩赦で放免された(たしか、amnesty granted by the U.S. in efforts to reconcile with Japan)と書かれていました。

それからごく短い文章で、戦後ザンペリー二が、Christian inspirational speaker (日本語でどう訳すのかわからないですが、牧師ではなく、自分の経験等を語って人々のモチベーションをあげたり、救ったりするような仕事をする人です)として神に仕えたこと(戦後妻の影響で伝道師Billy Grahamに感化された)。戦時中自分を虐待した人達を赦し、日本に戻って戦時中に出会った看守たちと再会し和解した。しかし、ワタナベだけは、ザンペリー二と会うことを拒絶したと書いてありました。

一番最後に長野五輪の聖火リレーで直江津を走る80歳のザンペリー二の映像がほんの少し写されて映画は終わります。

インタビューについて

読売に掲載されたインタビューの回答について。まず、主題は赦しの物語と回答していますが、映画だけではそれは伝わってきません。まさにそれがアメリカで映画の評判が芳しくなかった理由でしょう。原作では戦後荒れた生活を送っていたザンペリー二が著名な伝道師のBilly Grahamに出会い感化され、自分を虐待したワタナベら日本軍を「赦した」とあり、米国の読者が「感動した!」というのはまさにそこなのですが、映画では上述したとおり、戦後のことは省かれています。確かに最後文章でそういったことがごく短く語られ、80歳のザンペリー二が長野五輪のトーチリレーで走っているところは入っていましたが、で?っていう感じでした。映画だけで「赦し」を感じ取るのは、無理です。

また「赦し」というのはあくまでも、日本軍は残虐だったということを前提にして、それでもザンペリー二は日本兵を赦してやった、ということです。「赦し」と言いながら、小説ではいわゆる日本軍の蛮行というものが散々書かれ、映画も最後にチラッと「赦した」ということが出てくるだけで、本体では日本兵が捕虜に暴行する場面が延々と流されます。結果として「赦し」という言葉を免罪符に使って、日本がどれだけ残酷だったかを宣伝することになっています。日本だってこれだけひどかったんだから、原爆投下も仕方なかったというわけですね。

日本兵には良い人もいたとザンペリー二が語り、彼女もそう認識しているそうです。確かに原作には親切な看守もいたと書かれていますが、映画にはそんな日本兵は出てきません。収容所ではMiyavi演じるワタナベとその部下たちが延々と暴力を振い続けます。Miyavi 以外の日本人看守はほとんどせりふもないし、黙ってワタナベの命令に従っているのみです。表情すら読み取れません。捕虜たちとの会話も交流もありません。収容所では、日本人看守の早くしろ!といった罵声はずっと聞こえますが、誰が怒鳴っているのかもわかりません。日本人看守たちの人間的な面というのは描かれていません。このインタビューではワタナべのことを日本人代表とは考えていないと回答していますが、映画をみたら、まずワタナベの出てこない南洋でもザンペリー二たちが暴行を受ける場面がでてきますし、ワタナベ以外の看守たちも映画では彼の言いなりで動くだけなので、日本の捕虜収容所ではああいった虐待が一般的だったととられても仕方ないと思います。

ザンペリー二が日本を好きだった?映画ではわかりません。日本人から虐待されるところだけを描写して、どうやってそれを感じ取れというんでしょうか。長野五輪の聖火リレーに参加している映像を加えてそれを表現したつもりでしょうか?でも反日でありながら日本に滞在し活動する人達も大勢いますしね。あれで日本が好きだったことを察しろといわれても、無理です。もうひとつは1936年ベルリン五輪の開会式で5000m競争のファイナルを共に走った日本人選手とだけ会釈しあうシーンがありました。(この日本人選手は、4位入賞した村社講平のことだと思われます。ザンペリー二は8位でした)でもほんの一瞬でした。なぜ会釈をかわしたのかもよくわかりませんでした。

彼女は「この映画を反日に利用されるのは不本意だ」と語っていますが、それを彼女はハリウッドや中国韓国含む世界に向けて発信していますか?今回のインタビューだって日本で反発が大きくなかったら行われなかったでしょう。さすがに日本市場を敵にまわすのが怖くなったのしょうか。少なくとも彼女のまわりの人達は。

薄っぺらな人物描写

映画がおもしろくない理由のもうひとつは、登場人物の描写が物足りないことにあると思います。映画の主要人物は、ザンペリー二と彼を虐待したとされるワタナベ軍曹(Corporal)です。この2人は単純な善玉と悪玉として描かれています。アンジーがボスニア紛争を扱った前作でセルビア人をまるで子供向けアニメの悪役のように単純に描いていると批判されましたが、それはこの映画にも当てはまると思います。今回はコーエン兄弟が脚本を担当したので、少しはましかと思ったんですが。失礼ながら、彼女のおつむの程度や、薄っぺらい人間観がうかがい知れると思います。

映画のなかのザンペリー二

映画の中でのザンペリー二はどんな困難にもくじけないヒーローとしてわかりやすく描かれていました。とても単純なヒーロー。彼は子供時代盗み癖があり、逃げ足も速かったらしいですが、盗みのエピソードは五分程度でした。足の速さを見込まれて陸上選手になり、大きな大会の試合中にライバルにスパイクで蹴られ遅れをとるも、必死で追い上げ見事優勝!ベルリンオリンピックでは出遅れるも、後半がんばって見事入賞(メダルは取れなかったけど!)。戦時中飛行機事故で太平洋を漂流中絶望する仲間を最後まで望みは捨てないでいよう!と勇気付ける、など。

盗癖があり喫煙、飲酒までしていた子供が陸上競技に出会い、練習を重ね、その中でどう人間として成長していったかといった内面の成長は、描かれていません。

日本での捕虜生活では、虐待を黙々と受け入れるのみ。他の捕虜たちとの交流もほとんど描かれていなし、彼の心の中をうかがい知ることはできません。捕虜生活中、日本のラジオ局に招かれ、一度は米国の家族に無事を知らせるためマイクの前に立ちますが、その後日本のプロパガンダ放送に協力するよう要請され、拒絶します。日本での彼が唯一意志らしいものをみせたのはそこだけだったと思います。

映画の中のワタナベ

Miyavi 扮するワタナベに対しても、人間としての色々な側面を描いて人物を掘り下げるといった作業はなされていません。
映画の中のワタナベは、ほとんどいつも同じ表情をしています。もうちょっとで眉間にしわがよりそうな、なんとも悩ましい表情で時々あごを突き出し、ねっとりした目線でザンペリー二をみつめ、ザンペリー二を竹刀で叩いたり、部下に叩かせたりします。
また、Miyavi が甘いうわずった声で、しょっちゅうザンペリー二に

"Look at me, look at me, ...look me in the eye"

(目は二つなので、正しくはeyesのはずですが、脚本にそうあるのか、Miavi が間違えたのか、eyeと言っていて、観客が、eyes!と怒鳴っていました)と言い、その後突然 "Don't look at me!"と言いだして、ザンペリー二を竹刀で殴る、または部下に命じて全身を打たせる。彼のねっとりした声と目つきもあいまって、なんだか特殊な趣味の映画のように思えてきたりもしました。

彼はそればっかりなので、そのうちMiyaviが登場すると観客から笑い声が漏れるようになりました。わたしも思わず笑っていました。こんな科白は原作にはありませんでした。 原作では大森でワタナベが初対面のザンペリー二が彼から目線を落とすと、ザンペリー二を殴り、ブロークンな英語で、"Why you no look in my eye?" (なぜ俺の目を見ない?)そしてザンペリー二がワタナベに対して顔を上げて目を向けると、また殴りつけ、"You no look at me!" (俺の方を見るな!)とワタナベは言います。

でも映画のようにそれが、同じ科白が繰り返しでてくるということはありません。
原作にワタナベは捕虜を虐待して性的に倒錯した歓びを感じていたとか書いてあるので、それを表現しようとしたのだと思いますが、安直すぎるというか、「戦場のメリークリスマス」なんかには足元にも及ばないお粗末さだと思います。

捕虜を虐待する彼の内面に葛藤はあったのか、もともと冷酷な人間だったのか、捕虜に接していないところではどんな人間だったのか、敗戦を知って彼はどう反応したのか、そういったエピソードは皆無。ザンペリー二のいるところに登場しては、ねっとりした目つきで暴力をふるう。ただそれだけ。

それとMiyaviは日本の軍人役ですが、坊主頭にしていません。西竹一大佐も坊主にはしていらっしゃらなかったそうなので、そんな人もいたのかもしれませんが。とにかく軍人らしからぬ雰囲気でした。本物のワタナベ氏の写真の雰囲気とも随分違いました。

南洋で日本軍の捕虜となる

ザンペリー二とフィル(Phil)は45日間の漂流を生き延びた後、日本軍に捕らえられ、マーシャル諸島のクェゼリン環礁へ連れて行かれます。上に書いたように、狭い真っ暗な独房に押し込められ、他の捕虜達が罵声を浴びせられ、暴行を加えられているのを耳にします。食事は、ご飯が、そのまま、上から投げ入れられ、それを手づかみで拾って食べる。
別々に軍事機密等の尋問を受けた後、二人は一緒に外に出され、数人の日本兵に囲まれます。あるものは、銃を向け、あるものは刀に手を置いています。その中で、服を脱げといわれ、膝まづけと命令されます。ザンペリー二は膝まづくのを拒否しますが、すると日本兵から棒で打ち付けられます。ザンペリー二は屈辱を感じ泣きながら膝まづき、日本兵から水をかけられます。
おそらく長い間漂流していた二人を清潔にするために、水浴びをさせたのではないでしょうか。捕虜にここまで暴行が加えられていたのかは、わたしにはわかりません。ここだけでも、暴力シーンはおなかいっぱいでした。親切な日本兵なんかひとりも出てきません。
ただ、役作りは素晴らしいと思いました。捕虜になった役者さんが良くここまでやったなと思うほど体重を落として、特にフィル役の人は本当に骨と皮になっていました。

収容所の描写

ザンペリー二と彼の仲間は南方で捕虜となった後、目隠しをしたまま日本本土に送られます。原作と違い、大船の収容所は描かれておらず、まず大森キャンプ、それから直江津キャンプにいきます。とにかく暴力シーンばっかり。捕虜生活の悲惨さを訴えるためにそれ以外の手段を思いつかなかったみたいです。
小説では収容所の食事に関する不満が沢山書かれていましたが、なぜか食事や食料に関するシーンはゼロ。外の日本人や日本人看守達との交流はおろか、捕虜同士の交流もろくに描かれていません。

大森収容所

南洋から目隠しをされたまま日本本土に送られたザンペリー二ら捕虜は大森収容所に入所します。大森に到着した初日から、ザンペリー二はワタナベに目をつけられ、竹刀で打たれます。その他の捕虜たちは黙っておびえた目をしてそれを見ているのみです。突然暴力を振るうワタナベにその部下達は全く無表情でいます。これが製作側の人達の考える日本人なのでしょうか。

大森の捕虜たちは徴用で外へ働きにでていたはずですが、そういった話はでてきません。ルイスブッシュの「おかわいそうに」に書かれ、それを引用するかたちで小説の「アンブロークン」にも描かれたとうり大森収容所には闇市までできており、なかには大儲けした捕虜もいましたが、闇市の話は映画のどこにもでてきません。

収容所の中で毎日何をしているかというと、しょっちゅうラジオ体操、それと作業らしきもの。日本人の看守が「作業始め!」というと、捕虜たちが、「イチ、ニ、サン、シ。。。」と体操し始めるなんていう場面もありました。捕虜たちが自分たちで便所の肥を汲んで海に捨てにいく場面で大森が海に近いとわかります。

捕虜同士の交流もほとんど描かれていません。例えば小説ではザンペリー二が病気の仲間のために、闇市で稼いでいるスコットランド人から物資をただで分けてもらったというエピソードが語られていましたが、そういった話もありません。闇市まで立っていたというのが都合悪かったのでしょうか。唯一捕虜同士のつながりらしきものを描写しているのは、捕虜たちがどうも戦況が日本に不利になりつつあるとか、サイパン島が陥落したといったメモをこっそりまわしたりしているところでしょうか。

とにかくメインは暴力シーンです。戦況のメモを隠し持っていた捕虜たちのところへワタナベたちが現れ、竹刀で打ちつけたり。ワタナベがザンペリー二に対して、「お前はオリンピック選手だったな、走って見せろ」と言ってふらふらなザンペリー二と日本兵を競争させ、足がもつれて転倒したザンペリー二を「お前の負けだ、お前なんかなんの価値もない(You fail. You are nothing)と言い殴る。B29が東京に姿を見せるようになると、夜中に一人で突然ザンペリー二のところにやってきて、ベルトのバックルのところで打ち付ける。

大森のクライマックスはワタナベが、他の捕虜たち全員にザンペリー二を延々と殴らせるシーンでしょう。ザンペリー二は一度米国の家族に向けてしゃべらせてやる、といわれ、東京のラジオ局に招かれますが、日本側のプロパガンダ放送に協力するよういわれたのを拒否し、大森に戻ってきます。そこで、ワタナベのまるで愛の告白のような科白が聞けます。「初めて会ったとき、おれはお前の心のなかに強いものを見つけた。お前は俺と同じだ。俺たちは友達になれそうだ。でも我々は敵同士なんだ。。。」
そして、他の捕虜たちに彼を殴るよう命じます。倒れても部下に命じ立たせてなお殴らせ続け、最後は傷だらけになって倒れたまま放置させる、映画中で最も残酷なシーンです。ここでは観客席で声をあげる人達もいました。(小説ではこれは直江津で起きたことになっていました。)

ある日ワタナベは収容所内のレクリエーション?で捕虜達の芝居を観劇していたザンペリー二の横に座り、例のねっとりした目つきで、「自分は昇進してよそへ行くことになった。祝ってくれるだろ?」と言い去っていきます。

原作ではワタナベが去って、大森収容所の待遇は著しく改善されたと書かれていますが(第27章)、そこは映画には出てきません。

東京の空襲後の場面

ザンペリー二は1945年2月の空襲を受けた後、3月2日に直江津へ移されます。東京の空襲後の惨状は、確かに映画に描かれています。ただ日付からいって、3月10日のいわゆる「東京大空襲」ではないです。1944年の夏にサイパンとテニアンが陥落し、B29が日本本土に直接攻撃することが可能となりました。特に1945年2月ごろはすでに断続的に東京へ空襲があり、連日100人から200人の犠牲が出ていたそうです。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E5%A4%A7%E7%A9%BA%E8%A5%B2

映画の中では、空襲警報が鳴って収容所の屋根にも火が燃え移り、捕虜たち収容所内の火消しに駆り出されます。B29がやってくれた!という者もいますが、東京にすごい勢いで火の手が上がるのを屋根からみて、捕虜達も言葉を失います。どの空襲か特定はされていなかったと思いますが、初めて爆弾の9割が焼夷弾にされたという2月25日の「ミーティングハウス一号作戦」かもしれません、わかりません。火の中を逃げ惑う日本の一般市民といった場面は出てきません。

その後突然捕虜たちは直江津に移ることになります。大森キャンプを出て空襲の惨状を目の当たりにします。うなだれて歩く日本人、死体を抱えて歩くひと。俯瞰で、街中が瓦礫になり、多くの死体が布を掛けて置かれているのが見えます。20−30人程度?数十人です。100人単位ではなかったと思います。ところどころ遺体の足がみえますが、みんなきれいな肌の足です。たしかに、泥がついたり、血の跡がついていたりしますが、焼け焦げになった死体はありません

B29の行った空襲の残虐性は、焼夷弾を使って家屋も人間も焼き尽くしたところにあると思います。米国側は日本の木製の家屋を研究し、効率よく燃やしつくすために、焼夷弾を開発しました。それが空からばら撒かれたから、建物だけではなく、人間も焼き尽くされました。ふつうの火の粉と違い、焼夷弾で着いた火は振り払うことはできませんね。それで、東京大空襲の写真で目にする遺体は真っ黒に焼け焦げています。映像の中にそういった真っ黒に焼けた死体は出てきません。

わたしは性格が悪いので、空襲で大森収容所で火事が起きたところから、捕虜達が東京の空襲後の様子を目にしながら直江津へ向かう場面の時間を計りました。せいぜい4−5分でした。一方、ザンペリー二が捕虜になって虐待されるのは、2時間程の映画の半分、1時間です。

どなたかが映画では「東京大空襲」のことも入れてあるのだから、バランスのとれた映画だとおっしゃているそうです。扱った時間の長さからいっても、そうは思えないです。また、たったの4−5分であっても、焼夷弾で焼き殺されるとはどういうことかちゃんと描写されていれば、その意見も納得したかもしれませんが、それもありませんでした。

(真実の東京大空襲の姿)

もうすぐ東京でわずか一晩で約10万人(主に民間人)の犠牲者をだした東京大空襲から70年になりますね。まず実際の空襲はどんなものだったのか、学んでいかないと、と思いました。

こちらは少し古い記事ですが、700枚の東京大空襲後を撮影した写真が発見されたことと共に、B-29の投下した焼夷弾によりわずか一夜にして広島、長崎の原爆以上の犠牲者を出したこと、また、犠牲者のほとんどは軍需産業に関わりのない民間人であったという日本人の言葉も紹介してあります。
「忘れられた恐怖、東京大空襲」
(A Forgotten Horror; The Great Tokyo Air Raid)

http://nation.time.com/2012/03/27/a-forgotten-horror-the-great-tokyo-air-raid/

あまりに酷いご遺体なのでここに貼るのはどうかと思ったのですが、これが本当の空襲後の姿なので。

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母と子と思われる焼け焦げた遺体
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焼け焦げた遺体の山


直江津収容所

直江津に到着してザンペリー二たちがまず目にするのは、頭のてっぺんから、つま先まですすで真っ黒になって炭鉱?で働かされている捕虜達の姿です。顔の区別ができないほど真っ黒で、無表情のまま働いています。原作によると、日本人男性は兵隊に取られてしまったので、捕虜がさまざまな仕事をとってかわって「奴隷として」働かされており、直江津はザンペリー二が戦争中に体験した地獄のなかでも最悪だったと語ったそうです(第28章)。映画ではその地獄をこの真っ黒になった集団で表現しようとしたのだと思われます。直江津では夜は捕虜達はすし詰め状態で土間で眠っていました。

ワタナベが再登場します。建物の高いところから降りてきて、例のねっとりした目でザンペリー二を見つめます。もし映画のできがよかったら、ここでザンペリー二の気持ちになって、嫌悪感や、恐怖心をもってワタナベをみたとおもいますが、それまでの描き方が描き方なので、悪役キター!という感じで、笑ってしまいました。アメリカ人の観客にも'Uh-oh'と言って笑う人たちがいました。

ワタナベと再会したザンペリー二はショックでよろめきます。ここでは、ワタナベはザンペリー二たち新入りの捕虜に、「ここでは働かない奴は処刑する」(Anyone who (does) not work will be executed.)と告げます。そして、ザンペリー二のもとにきて、例の科白、 "Why don't you look me in the eye?" と言い、殴ります。

ザンペリー二も真っ黒になって他の捕虜達と共に炭鉱で掘り出された炭をかごに背負って連日運びます。ある日彼の後ろにいた捕虜が疲れのため?ふらついて、10メートル下へ落ちてしまいます。ある日ワタナベが捕虜たちにルーズベルト大統領が亡くなったことを伝えます。泣き崩れる捕虜がいます。

映像ではこのように捕虜達の絶望的な状況を描いていますが、原作では、ワタナベ達の虐待に抵抗するためと称して、食料や、看守の弁当を盗んだり、ワタナベの食事に何かの菌?まぜて、病気にさせたり、英語を教えてほしいと捕虜に頼んだ門番にひどい英語を(いわゆるF word)を教えたり、結構やりたい放題やっています。

そして映画最大の見せ場のはずのシーン。ある日ザンペリー二は足がふらついて、歩いていた板から落ちてしまい、足を傷めます。次の日から足を引きずりながら炭を運ぶ作業を行いますが、看守に「邪魔だ!」と言われ、ワタナベのところに呼ばれます。ワタナベが近寄ってきて、ザンペリー二に6フィートもある木の梁(beam)を持ち上げるよう言います。肩まであげると、もっと高く!頭の上まであげろ!おろしたら撃つぞと言い、部下に銃を向けさせます。(原作では銃で殴らせるぞ、となっていますが、映画では shoot himと言いました。部下は無表情のままザンペリー二に銃を向けていました)

恐怖心と梁の重さに押しつぶされそうになるザンペリー二。すすで真っ黒の捕虜達も足を止めて見つめています。「がんばれ、ルイ!(ザンペリー二のこと)」とつぶやく捕虜もいます。何度もふらつきながら、ワタナベの目をじっと見つめながら、梁を頭の上まで持ち上げます。彼に圧倒され動揺したワタナベは、

'Don't look at me!' 「見るな!」

と繰り返し叫び、竹刀でザンペリー二を打ち続けます。ザンペリー二が倒れ、ワタナベもついに膝をついてしまいます。
ザンペリー二の強い精神は勝利したのです。ワタナベがどんなに暴力を振るっても虐待しても彼の心はくじけなかったのです!という感動的な場面のはずですが、何しろそれまでの人物描写が薄っぺらいので、ヒーロー勝った!悪いやつ負けた!という程度の仕上がりだと私には感じられました。あくまでも私見です。

そして、唐突にワタナベは画面に出てこなくなります。

ついに直江津の上空にもB-29が飛ぶようになります。日本は戦争に負け、捕虜達は川で水浴びをすることが許されます。以前から、日本が負けたら報復のため?捕虜は皆殺しにされるのでは、といううわさがあり、日本兵が銃を向けているなかを恐る恐る川に入っていきます。すると、そこへB-29がやってきます。兵士達は、動揺したのか、銃を収めます。そこが唯一といっていい、ワタナベ以外の日本兵の心の動きが感じとれた場面でした。

身奇麗になったザンペリー二は、以前は日本軍のワタナベが使っていたと思われる部屋に入ります。そこには、ワタナベの子供時代のものと思われる写真がありました。それを手にするザンペリー二。これが、相手を赦したという表現なんでしょうか?写真立て投げたり、写真を破ったりしないから?アンジーに赦しがテーマといわれても、そのくらいしか思い浮かびませんでした。

そしてザンペリー二は、L.A.に帰郷します。

映画の中の日本

映画のなかでの日本の描き方はかなり大雑把です。ハリウッド映画に出てくる日本は別に反日映画でなくても、「ええ、なんなのこれ!」と思うものが多いのでこんなもんかなとも思いますが、ここら辺もっと丁寧に撮ってあれば、もう少しまともな映画になったのでは、とも思います。

ジャングルでお茶碗を手にする日本軍

日本軍に太平洋で捕虜にされたザンペリー二は、まずクェゼリン環礁に留め置かれ尋問を受けますが、そこの隊長と思しき人物は彼に背をむけたままB-24のレーダーなど軍事情報に関して質問を日本語をして、それを部下がザンペリー二に対して英語に通訳します。

隊長さんは背を向けて何をしているかというと、食事を取っています。真っ赤な模様入りのお茶碗でご飯を食べ、同じ形のお茶碗で(木のお椀ではなく、どんぶりでもありません)麺の入った汁物を口にします。うどんにもおそばにもみえない色のついていない汁に入った麺です。日本食というより英語でいうNoodle Soupといった感じのもの。ああいった南洋の部隊でも日本軍は陶器のお茶碗で食事をしていたんでしょうか?飯盒で食べていたのではないですか?日本の男性が赤い模様のお茶碗を喜んで使いますか?

また、隊長のテーブルには、アメリカ人のおうちでよくみられるようなフルーツを盛ったお皿(かご?)がありました。たしかオレンジとか柑橘系の果物が飾られていました。当時の日本軍にそんな習慣があったんでしょうか?

一般道になぜか鳥居

アンジーがインタビューで回答したように、東京の空襲後の情景はでてきます。両脇で大きなビルが破壊されている一般道になぜか、大きな鳥居がたっています。あれを置けば日本にみえるといった安易な気持ちで置いたのでしょうか。鳥居は神社の参道に建てられるものとアドヴァイスする人がいなかったみたいです。
ものすごい善意で解釈すると、破壊された土地に日本の神道の象徴の鳥居が無傷で立っており、この場面で、どんなに物理的に日本を破壊しても、日本の精神は破壊されないということをアンジーは表現しようとしたに違いないと曲解できます(笑)。冗談です。

季節感のない日本

この映画のロケは主にオーストラリアで行われました。乾燥した土地で撮影されたので、日本のしっとりした空気感はありません。カリフォルニアやオーストラリアでは空気中にフィルターとなる水分があまり含まれないので景色がきらきらしてみえますね。それでは湿気の多い日本にはみえません。

はっきりとした四季のある日本は映画では表現されません。雪がうっすら地面を覆っている冬と思しき季節と、それ以外の春なのか夏なのか秋なのかわからない季節、そのふたつだけ。
もし、木枯らしの吹く晩秋とか、延々と雨の降り続く梅雨とか、せみの鳴き声のきこえる湿度の高いうだるような暑い夏とかが描かれていれば、L.A.育ちのザンペリー二にとって日本の捕虜生活がどれほどつらいものだったかもっと説得力をもったと思います。捕虜の悲惨さを表現するのは暴力だけではないでしょうに。
また、東京の大森と、北国の直江津の違いも画面ではあまりわかりません。3月初めに直江津に移動の途中確かに雪は残っていましたが、捕虜が直江津で作業を始めると雪は消えていた思います。原作では直江津の寒さが身に堪えたと書いてあります。

製作スタッフにそういうアドヴァイスをできる人間がいなかったのでしょうね。また、アンジーは何度も来日経験があるといっても、空港に着いてファンにちょっと手を振ったら車でホテルへ、どこへ行くにも車で移動し、レストランなんかは貸切り、そういった滞在では、日本の季節なんか感じたこともないんでしょうね。



この記事に

こんにちは。どなたかがここの記事をTweetしていらっしゃったのをみて、びっくりして5ヶ月ぶりにこちらをのぞき、閲覧数が増えているのに驚いています。テニアンの件を書いた当初はほとんど閲覧もなかったので、やっぱり無意味な努力かと思い(他の理由もありますが)更新していませんでした。

日本語のTweetを見る限り、日本人が人喰いと書かれているところに反発が大きいように感じます。この件については作者がその根拠としている資料を検証し反論するのはそう困難なことではないと思います。

Forgiving a war criminal (戦犯に赦しをあたえる

http://www.youtube.com/watch?v=sTTAcy0Skjw

(ザンペリー二は戦犯狩りに協力したが、復讐はしなかった!)

アメリカ人がこの本をすばらしい、感動した!という理由は、主人公のザンペリー二が自分を奴隷扱いし虐待した日本兵を赦してやったというからだと思います。わたしは個人的にはそこに一番いらついています。本当にそんなひどい虐待があったのか?いまだに実名を挙げて写真までのせて、こいつはあの時ああやったこうやった、でも我々は赦したと言わなくてはならないほど? 仮にそうだとして、日本軍は組織的に捕虜を虐待したのか?連合国側はひとのことを言えるほど立派だったのか?日本人捕虜に対する虐待やその他の犯罪に謝罪したのか?等々。

”アンブロークン 小説と映画化。。。”の文章の中で映画化の計画は50年代にすでにあったが、まず小説化というかたちで映画化に向けて本格的に始動したのは2003年だったとLATimesの記事をもとに書きました。どうして2003年だったのか?この年にザンペリー二ら捕虜を虐待したとされるBirdと呼ばれた人物がなくなっています。わたしはこの人が亡くなり死人に口なしの状態になったからではと邪推しています。ユニヴァーサル映画側の説明をききたいです。この人物はワタナベムツヒロといい、英文ではウイキペディアのぺージも作られています。

テニアン島の件に関してこちらとほぼ同じ内容を英文で書いております。よろしければ、ご参考になさってください。何分英語は私にとって外国語ですので、間違いがあればご容赦願います。
ブログ全体
http://shobara-jp.blogspot.kr/
テニアン島朝鮮人虐殺についてー1
http://shobara-jp.blogspot.kr/2014/07/the-japanese-slaughtered-5000-koreans.html
テニアン島朝鮮人虐殺についてー2
http://shobara-jp.blogspot.kr/2014/07/the-japanese-slaughtered-5000-koreans_15.html
こちらの日本語版と少しちがうのは、東洋大学の論文にあった、終戦直後のテニアン島の調査について言及していることです。

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