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小説アンブロークンとそれに関する話題について語ります。

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時間ができたので、もう一度みて、訂正したり、書き足しました。(2月12日)

アンジーが、読売新聞のインタビューに書面で答えたそうですね。
http://www.yomiuri.co.jp/culture/20150203-OYT1T50014.html
まあ本当に彼女が書いたのかは誰にもわかりませんが。回答の内容は大まかにいって

この映画の主題は反日ではなく、赦しだ。
日本兵にはザンペリー二を助けた良い人もいた。
ザンペリー二は日本を愛し、長野五輪のトーチリレーで走ったことを誇りにしていた。映画をみればわかる。

だそうです。なので、映画を観にいきました。
現在二月一週目で、もう新作をかける大手の映画館ではあまりやっていません。新作映画はAMCとか、Edwards とかの大きな映画館で上映され、そういったところでは、人気の映画はロングランで上映されますが、そうでないものはどんどん次の新作にとってかわります。もう上映する映画館も少ないし、わざわざ遠出してそんな高い料金払うの嫌だったので、どうしようかと思っていました。たまたま滞在先のIrvineで昼は2ドル、夜は3ドルで上映している小さな映画館があったので、ついに決心しました。
Woodbridge 5という映画館です。
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見えにくいかもですが、右側一番上、1日4回上映


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次の週に行ったら1日2回の上映になっていた。右側一番上。



平日の昼間ということで、観客数は20人ちょっと。内訳は大半が白人のおじいちゃんおばあちゃん、あと韓国からの留学生(髪型、服装、言葉から判断)とおぼしき若いひとたち、白人の若い人、ヒスパニック少しとあと韓国系ではなさそうなアジア系といった感じでした。

A true story (真実の物語)

映画は、ハリウッド映画らしく、製作会社名、タイトルから始まります。
まず、
"Universal Pictures and Legendary Pictures Present,"
そして
"Unbroken"
と画面がかわります。で、次の画面では、はっきりと、
"a true story"  (真実の物語)
と出てきます。

評判どうりの駄作でした。最初は目を凝らして画面を見ていましたが、だんだんそこまでするほどじゃないなと思い、スマホでメモを取ったりしながらで話の筋を追っていきました。それで十分でした。どうしても目が話せないということもありませんでした。

念のため書いておきますが、できの悪い反日映画という意味です。

映画のあらすじ

おおまかな映画の構成はこうです。ザンペリー二が陸上選手となり、その後第二次世界大戦中乗っていた飛行機が太平洋に墜落、二人の仲間とともに漂流、そのうち仲間の一人が死亡。日本軍に捕虜として捕らえられ、尋問をうける。その間たった一人で狭い独房に押し込まれ、外から他の捕虜が拷問でも受けているのか、延々とうめき声や暴力を振るわれている音が聞こえ、恐怖にさいなまれる。で、日本本土に送られ収容所生活を送ります。そこでは延々と、Miyavi 演じるワタナベやその部下に殴る蹴るの暴行を受けます。収容所の描写はほとんどそればっかり。

製作側は捕虜生活の悲惨さを表現する手段は、暴力以外ないと考えているようでした。この単純さがこの映画のつまらなくしている主な原因だと思います。

終戦となりザンペリー二が故郷のL.A.の地を踏んだところで、映画の本体は終わります。原作では、ザンペリー二の戦後の生活にかなりのページが割かれていますが、そこは映像化されていません。

終わりに、ザンペリー二、彼と友に太平洋を漂流した戦友のPhilのおそらく結婚記念写真と思われる写真一枚ずつ出されて、戦後誰それと結婚、子供の名前はとかのキャプションつきで紹介され、続いてBirdことワタナベ氏の原作でも使われた写真が出てきて、戦後戦犯指名され数年にわたって逃亡し、その後、米国側が日本と和解しようとしたため恩赦で放免された(たしか、amnesty granted by the U.S. in efforts to reconcile with Japan)と書かれていました。

それからごく短い文章で、戦後ザンペリー二が、Christian inspirational speaker (日本語でどう訳すのかわからないですが、牧師ではなく、自分の経験等を語って人々のモチベーションをあげたり、救ったりするような仕事をする人です)として神に仕えたこと(戦後妻の影響で伝道師Billy Grahamに感化された)。戦時中自分を虐待した人達を赦し、日本に戻って戦時中に出会った看守たちと再会し和解した。しかし、ワタナベだけは、ザンペリー二と会うことを拒絶したと書いてありました。

一番最後に長野五輪の聖火リレーで直江津を走る80歳のザンペリー二の映像がほんの少し写されて映画は終わります。

インタビューについて

読売に掲載されたインタビューの回答について。まず、主題は赦しの物語と回答していますが、映画だけではそれは伝わってきません。まさにそれがアメリカで映画の評判が芳しくなかった理由でしょう。原作では戦後荒れた生活を送っていたザンペリー二が著名な伝道師のBilly Grahamに出会い感化され、自分を虐待したワタナベら日本軍を「赦した」とあり、米国の読者が「感動した!」というのはまさにそこなのですが、映画では上述したとおり、戦後のことは省かれています。確かに最後文章でそういったことがごく短く語られ、80歳のザンペリー二が長野五輪のトーチリレーで走っているところは入っていましたが、で?っていう感じでした。映画だけで「赦し」を感じ取るのは、無理です。

また「赦し」というのはあくまでも、日本軍は残虐だったということを前提にして、それでもザンペリー二は日本兵を赦してやった、ということです。「赦し」と言いながら、小説ではいわゆる日本軍の蛮行というものが散々書かれ、映画も最後にチラッと「赦した」ということが出てくるだけで、本体では日本兵が捕虜に暴行する場面が延々と流されます。結果として「赦し」という言葉を免罪符に使って、日本がどれだけ残酷だったかを宣伝することになっています。日本だってこれだけひどかったんだから、原爆投下も仕方なかったというわけですね。

日本兵には良い人もいたとザンペリー二が語り、彼女もそう認識しているそうです。確かに原作には親切な看守もいたと書かれていますが、映画にはそんな日本兵は出てきません。収容所ではMiyavi演じるワタナベとその部下たちが延々と暴力を振い続けます。Miyavi 以外の日本人看守はほとんどせりふもないし、黙ってワタナベの命令に従っているのみです。表情すら読み取れません。捕虜たちとの会話も交流もありません。収容所では、日本人看守の早くしろ!といった罵声はずっと聞こえますが、誰が怒鳴っているのかもわかりません。日本人看守たちの人間的な面というのは描かれていません。このインタビューではワタナべのことを日本人代表とは考えていないと回答していますが、映画をみたら、まずワタナベの出てこない南洋でもザンペリー二たちが暴行を受ける場面がでてきますし、ワタナベ以外の看守たちも映画では彼の言いなりで動くだけなので、日本の捕虜収容所ではああいった虐待が一般的だったととられても仕方ないと思います。

ザンペリー二が日本を好きだった?映画ではわかりません。日本人から虐待されるところだけを描写して、どうやってそれを感じ取れというんでしょうか。長野五輪の聖火リレーに参加している映像を加えてそれを表現したつもりでしょうか?でも反日でありながら日本に滞在し活動する人達も大勢いますしね。あれで日本が好きだったことを察しろといわれても、無理です。もうひとつは1936年ベルリン五輪の開会式で5000m競争のファイナルを共に走った日本人選手とだけ会釈しあうシーンがありました。(この日本人選手は、4位入賞した村社講平のことだと思われます。ザンペリー二は8位でした)でもほんの一瞬でした。なぜ会釈をかわしたのかもよくわかりませんでした。

彼女は「この映画を反日に利用されるのは不本意だ」と語っていますが、それを彼女はハリウッドや中国韓国含む世界に向けて発信していますか?今回のインタビューだって日本で反発が大きくなかったら行われなかったでしょう。さすがに日本市場を敵にまわすのが怖くなったのしょうか。少なくとも彼女のまわりの人達は。

薄っぺらな人物描写

映画がおもしろくない理由のもうひとつは、登場人物の描写が物足りないことにあると思います。映画の主要人物は、ザンペリー二と彼を虐待したとされるワタナベ軍曹(Corporal)です。この2人は単純な善玉と悪玉として描かれています。アンジーがボスニア紛争を扱った前作でセルビア人をまるで子供向けアニメの悪役のように単純に描いていると批判されましたが、それはこの映画にも当てはまると思います。今回はコーエン兄弟が脚本を担当したので、少しはましかと思ったんですが。失礼ながら、彼女のおつむの程度や、薄っぺらい人間観がうかがい知れると思います。

映画のなかのザンペリー二

映画の中でのザンペリー二はどんな困難にもくじけないヒーローとしてわかりやすく描かれていました。とても単純なヒーロー。彼は子供時代盗み癖があり、逃げ足も速かったらしいですが、盗みのエピソードは五分程度でした。足の速さを見込まれて陸上選手になり、大きな大会の試合中にライバルにスパイクで蹴られ遅れをとるも、必死で追い上げ見事優勝!ベルリンオリンピックでは出遅れるも、後半がんばって見事入賞(メダルは取れなかったけど!)。戦時中飛行機事故で太平洋を漂流中絶望する仲間を最後まで望みは捨てないでいよう!と勇気付ける、など。

盗癖があり喫煙、飲酒までしていた子供が陸上競技に出会い、練習を重ね、その中でどう人間として成長していったかといった内面の成長は、描かれていません。

日本での捕虜生活では、虐待を黙々と受け入れるのみ。他の捕虜たちとの交流もほとんど描かれていなし、彼の心の中をうかがい知ることはできません。捕虜生活中、日本のラジオ局に招かれ、一度は米国の家族に無事を知らせるためマイクの前に立ちますが、その後日本のプロパガンダ放送に協力するよう要請され、拒絶します。日本での彼が唯一意志らしいものをみせたのはそこだけだったと思います。

映画の中のワタナベ

Miyavi 扮するワタナベに対しても、人間としての色々な側面を描いて人物を掘り下げるといった作業はなされていません。
映画の中のワタナベは、ほとんどいつも同じ表情をしています。もうちょっとで眉間にしわがよりそうな、なんとも悩ましい表情で時々あごを突き出し、ねっとりした目線でザンペリー二をみつめ、ザンペリー二を竹刀で叩いたり、部下に叩かせたりします。
また、Miyavi が甘いうわずった声で、しょっちゅうザンペリー二に

"Look at me, look at me, ...look me in the eye"

(目は二つなので、正しくはeyesのはずですが、脚本にそうあるのか、Miavi が間違えたのか、eyeと言っていて、観客が、eyes!と怒鳴っていました)と言い、その後突然 "Don't look at me!"と言いだして、ザンペリー二を竹刀で殴る、または部下に命じて全身を打たせる。彼のねっとりした声と目つきもあいまって、なんだか特殊な趣味の映画のように思えてきたりもしました。

彼はそればっかりなので、そのうちMiyaviが登場すると観客から笑い声が漏れるようになりました。わたしも思わず笑っていました。こんな科白は原作にはありませんでした。 原作では大森でワタナベが初対面のザンペリー二が彼から目線を落とすと、ザンペリー二を殴り、ブロークンな英語で、"Why you no look in my eye?" (なぜ俺の目を見ない?)そしてザンペリー二がワタナベに対して顔を上げて目を向けると、また殴りつけ、"You no look at me!" (俺の方を見るな!)とワタナベは言います。

でも映画のようにそれが、同じ科白が繰り返しでてくるということはありません。
原作にワタナベは捕虜を虐待して性的に倒錯した歓びを感じていたとか書いてあるので、それを表現しようとしたのだと思いますが、安直すぎるというか、「戦場のメリークリスマス」なんかには足元にも及ばないお粗末さだと思います。

捕虜を虐待する彼の内面に葛藤はあったのか、もともと冷酷な人間だったのか、捕虜に接していないところではどんな人間だったのか、敗戦を知って彼はどう反応したのか、そういったエピソードは皆無。ザンペリー二のいるところに登場しては、ねっとりした目つきで暴力をふるう。ただそれだけ。

それとMiyaviは日本の軍人役ですが、坊主頭にしていません。西竹一大佐も坊主にはしていらっしゃらなかったそうなので、そんな人もいたのかもしれませんが。とにかく軍人らしからぬ雰囲気でした。本物のワタナベ氏の写真の雰囲気とも随分違いました。

南洋で日本軍の捕虜となる

ザンペリー二とフィル(Phil)は45日間の漂流を生き延びた後、日本軍に捕らえられ、マーシャル諸島のクェゼリン環礁へ連れて行かれます。上に書いたように、狭い真っ暗な独房に押し込められ、他の捕虜達が罵声を浴びせられ、暴行を加えられているのを耳にします。食事は、ご飯が、そのまま、上から投げ入れられ、それを手づかみで拾って食べる。
別々に軍事機密等の尋問を受けた後、二人は一緒に外に出され、数人の日本兵に囲まれます。あるものは、銃を向け、あるものは刀に手を置いています。その中で、服を脱げといわれ、膝まづけと命令されます。ザンペリー二は膝まづくのを拒否しますが、すると日本兵から棒で打ち付けられます。ザンペリー二は屈辱を感じ泣きながら膝まづき、日本兵から水をかけられます。
おそらく長い間漂流していた二人を清潔にするために、水浴びをさせたのではないでしょうか。捕虜にここまで暴行が加えられていたのかは、わたしにはわかりません。ここだけでも、暴力シーンはおなかいっぱいでした。親切な日本兵なんかひとりも出てきません。
ただ、役作りは素晴らしいと思いました。捕虜になった役者さんが良くここまでやったなと思うほど体重を落として、特にフィル役の人は本当に骨と皮になっていました。

収容所の描写

ザンペリー二と彼の仲間は南方で捕虜となった後、目隠しをしたまま日本本土に送られます。原作と違い、大船の収容所は描かれておらず、まず大森キャンプ、それから直江津キャンプにいきます。とにかく暴力シーンばっかり。捕虜生活の悲惨さを訴えるためにそれ以外の手段を思いつかなかったみたいです。
小説では収容所の食事に関する不満が沢山書かれていましたが、なぜか食事や食料に関するシーンはゼロ。外の日本人や日本人看守達との交流はおろか、捕虜同士の交流もろくに描かれていません。

大森収容所

南洋から目隠しをされたまま日本本土に送られたザンペリー二ら捕虜は大森収容所に入所します。大森に到着した初日から、ザンペリー二はワタナベに目をつけられ、竹刀で打たれます。その他の捕虜たちは黙っておびえた目をしてそれを見ているのみです。突然暴力を振るうワタナベにその部下達は全く無表情でいます。これが製作側の人達の考える日本人なのでしょうか。

大森の捕虜たちは徴用で外へ働きにでていたはずですが、そういった話はでてきません。ルイスブッシュの「おかわいそうに」に書かれ、それを引用するかたちで小説の「アンブロークン」にも描かれたとうり大森収容所には闇市までできており、なかには大儲けした捕虜もいましたが、闇市の話は映画のどこにもでてきません。

収容所の中で毎日何をしているかというと、しょっちゅうラジオ体操、それと作業らしきもの。日本人の看守が「作業始め!」というと、捕虜たちが、「イチ、ニ、サン、シ。。。」と体操し始めるなんていう場面もありました。捕虜たちが自分たちで便所の肥を汲んで海に捨てにいく場面で大森が海に近いとわかります。

捕虜同士の交流もほとんど描かれていません。例えば小説ではザンペリー二が病気の仲間のために、闇市で稼いでいるスコットランド人から物資をただで分けてもらったというエピソードが語られていましたが、そういった話もありません。闇市まで立っていたというのが都合悪かったのでしょうか。唯一捕虜同士のつながりらしきものを描写しているのは、捕虜たちがどうも戦況が日本に不利になりつつあるとか、サイパン島が陥落したといったメモをこっそりまわしたりしているところでしょうか。

とにかくメインは暴力シーンです。戦況のメモを隠し持っていた捕虜たちのところへワタナベたちが現れ、竹刀で打ちつけたり。ワタナベがザンペリー二に対して、「お前はオリンピック選手だったな、走って見せろ」と言ってふらふらなザンペリー二と日本兵を競争させ、足がもつれて転倒したザンペリー二を「お前の負けだ、お前なんかなんの価値もない(You fail. You are nothing)と言い殴る。B29が東京に姿を見せるようになると、夜中に一人で突然ザンペリー二のところにやってきて、ベルトのバックルのところで打ち付ける。

大森のクライマックスはワタナベが、他の捕虜たち全員にザンペリー二を延々と殴らせるシーンでしょう。ザンペリー二は一度米国の家族に向けてしゃべらせてやる、といわれ、東京のラジオ局に招かれますが、日本側のプロパガンダ放送に協力するよういわれたのを拒否し、大森に戻ってきます。そこで、ワタナベのまるで愛の告白のような科白が聞けます。「初めて会ったとき、おれはお前の心のなかに強いものを見つけた。お前は俺と同じだ。俺たちは友達になれそうだ。でも我々は敵同士なんだ。。。」
そして、他の捕虜たちに彼を殴るよう命じます。倒れても部下に命じ立たせてなお殴らせ続け、最後は傷だらけになって倒れたまま放置させる、映画中で最も残酷なシーンです。ここでは観客席で声をあげる人達もいました。(小説ではこれは直江津で起きたことになっていました。)

ある日ワタナベは収容所内のレクリエーション?で捕虜達の芝居を観劇していたザンペリー二の横に座り、例のねっとりした目つきで、「自分は昇進してよそへ行くことになった。祝ってくれるだろ?」と言い去っていきます。

原作ではワタナベが去って、大森収容所の待遇は著しく改善されたと書かれていますが(第27章)、そこは映画には出てきません。

東京の空襲後の場面

ザンペリー二は1945年2月の空襲を受けた後、3月2日に直江津へ移されます。東京の空襲後の惨状は、確かに映画に描かれています。ただ日付からいって、3月10日のいわゆる「東京大空襲」ではないです。1944年の夏にサイパンとテニアンが陥落し、B29が日本本土に直接攻撃することが可能となりました。特に1945年2月ごろはすでに断続的に東京へ空襲があり、連日100人から200人の犠牲が出ていたそうです。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E5%A4%A7%E7%A9%BA%E8%A5%B2

映画の中では、空襲警報が鳴って収容所の屋根にも火が燃え移り、捕虜たち収容所内の火消しに駆り出されます。B29がやってくれた!という者もいますが、東京にすごい勢いで火の手が上がるのを屋根からみて、捕虜達も言葉を失います。どの空襲か特定はされていなかったと思いますが、初めて爆弾の9割が焼夷弾にされたという2月25日の「ミーティングハウス一号作戦」かもしれません、わかりません。火の中を逃げ惑う日本の一般市民といった場面は出てきません。

その後突然捕虜たちは直江津に移ることになります。大森キャンプを出て空襲の惨状を目の当たりにします。うなだれて歩く日本人、死体を抱えて歩くひと。俯瞰で、街中が瓦礫になり、多くの死体が布を掛けて置かれているのが見えます。20−30人程度?数十人です。100人単位ではなかったと思います。ところどころ遺体の足がみえますが、みんなきれいな肌の足です。たしかに、泥がついたり、血の跡がついていたりしますが、焼け焦げになった死体はありません

B29の行った空襲の残虐性は、焼夷弾を使って家屋も人間も焼き尽くしたところにあると思います。米国側は日本の木製の家屋を研究し、効率よく燃やしつくすために、焼夷弾を開発しました。それが空からばら撒かれたから、建物だけではなく、人間も焼き尽くされました。ふつうの火の粉と違い、焼夷弾で着いた火は振り払うことはできませんね。それで、東京大空襲の写真で目にする遺体は真っ黒に焼け焦げています。映像の中にそういった真っ黒に焼けた死体は出てきません。

わたしは性格が悪いので、空襲で大森収容所で火事が起きたところから、捕虜達が東京の空襲後の様子を目にしながら直江津へ向かう場面の時間を計りました。せいぜい4−5分でした。一方、ザンペリー二が捕虜になって虐待されるのは、2時間程の映画の半分、1時間です。

どなたかが映画では「東京大空襲」のことも入れてあるのだから、バランスのとれた映画だとおっしゃているそうです。扱った時間の長さからいっても、そうは思えないです。また、たったの4−5分であっても、焼夷弾で焼き殺されるとはどういうことかちゃんと描写されていれば、その意見も納得したかもしれませんが、それもありませんでした。

(真実の東京大空襲の姿)

もうすぐ東京でわずか一晩で約10万人(主に民間人)の犠牲者をだした東京大空襲から70年になりますね。まず実際の空襲はどんなものだったのか、学んでいかないと、と思いました。

こちらは少し古い記事ですが、700枚の東京大空襲後を撮影した写真が発見されたことと共に、B-29の投下した焼夷弾によりわずか一夜にして広島、長崎の原爆以上の犠牲者を出したこと、また、犠牲者のほとんどは軍需産業に関わりのない民間人であったという日本人の言葉も紹介してあります。
「忘れられた恐怖、東京大空襲」
(A Forgotten Horror; The Great Tokyo Air Raid)

http://nation.time.com/2012/03/27/a-forgotten-horror-the-great-tokyo-air-raid/

あまりに酷いご遺体なのでここに貼るのはどうかと思ったのですが、これが本当の空襲後の姿なので。

イメージ 3
母と子と思われる焼け焦げた遺体
イメージ 4
焼け焦げた遺体の山


直江津収容所

直江津に到着してザンペリー二たちがまず目にするのは、頭のてっぺんから、つま先まですすで真っ黒になって炭鉱?で働かされている捕虜達の姿です。顔の区別ができないほど真っ黒で、無表情のまま働いています。原作によると、日本人男性は兵隊に取られてしまったので、捕虜がさまざまな仕事をとってかわって「奴隷として」働かされており、直江津はザンペリー二が戦争中に体験した地獄のなかでも最悪だったと語ったそうです(第28章)。映画ではその地獄をこの真っ黒になった集団で表現しようとしたのだと思われます。直江津では夜は捕虜達はすし詰め状態で土間で眠っていました。

ワタナベが再登場します。建物の高いところから降りてきて、例のねっとりした目でザンペリー二を見つめます。もし映画のできがよかったら、ここでザンペリー二の気持ちになって、嫌悪感や、恐怖心をもってワタナベをみたとおもいますが、それまでの描き方が描き方なので、悪役キター!という感じで、笑ってしまいました。アメリカ人の観客にも'Uh-oh'と言って笑う人たちがいました。

ワタナベと再会したザンペリー二はショックでよろめきます。ここでは、ワタナベはザンペリー二たち新入りの捕虜に、「ここでは働かない奴は処刑する」(Anyone who (does) not work will be executed.)と告げます。そして、ザンペリー二のもとにきて、例の科白、 "Why don't you look me in the eye?" と言い、殴ります。

ザンペリー二も真っ黒になって他の捕虜達と共に炭鉱で掘り出された炭をかごに背負って連日運びます。ある日彼の後ろにいた捕虜が疲れのため?ふらついて、10メートル下へ落ちてしまいます。ある日ワタナベが捕虜たちにルーズベルト大統領が亡くなったことを伝えます。泣き崩れる捕虜がいます。

映像ではこのように捕虜達の絶望的な状況を描いていますが、原作では、ワタナベ達の虐待に抵抗するためと称して、食料や、看守の弁当を盗んだり、ワタナベの食事に何かの菌?まぜて、病気にさせたり、英語を教えてほしいと捕虜に頼んだ門番にひどい英語を(いわゆるF word)を教えたり、結構やりたい放題やっています。

そして映画最大の見せ場のはずのシーン。ある日ザンペリー二は足がふらついて、歩いていた板から落ちてしまい、足を傷めます。次の日から足を引きずりながら炭を運ぶ作業を行いますが、看守に「邪魔だ!」と言われ、ワタナベのところに呼ばれます。ワタナベが近寄ってきて、ザンペリー二に6フィートもある木の梁(beam)を持ち上げるよう言います。肩まであげると、もっと高く!頭の上まであげろ!おろしたら撃つぞと言い、部下に銃を向けさせます。(原作では銃で殴らせるぞ、となっていますが、映画では shoot himと言いました。部下は無表情のままザンペリー二に銃を向けていました)

恐怖心と梁の重さに押しつぶされそうになるザンペリー二。すすで真っ黒の捕虜達も足を止めて見つめています。「がんばれ、ルイ!(ザンペリー二のこと)」とつぶやく捕虜もいます。何度もふらつきながら、ワタナベの目をじっと見つめながら、梁を頭の上まで持ち上げます。彼に圧倒され動揺したワタナベは、

'Don't look at me!' 「見るな!」

と繰り返し叫び、竹刀でザンペリー二を打ち続けます。ザンペリー二が倒れ、ワタナベもついに膝をついてしまいます。
ザンペリー二の強い精神は勝利したのです。ワタナベがどんなに暴力を振るっても虐待しても彼の心はくじけなかったのです!という感動的な場面のはずですが、何しろそれまでの人物描写が薄っぺらいので、ヒーロー勝った!悪いやつ負けた!という程度の仕上がりだと私には感じられました。あくまでも私見です。

そして、唐突にワタナベは画面に出てこなくなります。

ついに直江津の上空にもB-29が飛ぶようになります。日本は戦争に負け、捕虜達は川で水浴びをすることが許されます。以前から、日本が負けたら報復のため?捕虜は皆殺しにされるのでは、といううわさがあり、日本兵が銃を向けているなかを恐る恐る川に入っていきます。すると、そこへB-29がやってきます。兵士達は、動揺したのか、銃を収めます。そこが唯一といっていい、ワタナベ以外の日本兵の心の動きが感じとれた場面でした。

身奇麗になったザンペリー二は、以前は日本軍のワタナベが使っていたと思われる部屋に入ります。そこには、ワタナベの子供時代のものと思われる写真がありました。それを手にするザンペリー二。これが、相手を赦したという表現なんでしょうか?写真立て投げたり、写真を破ったりしないから?アンジーに赦しがテーマといわれても、そのくらいしか思い浮かびませんでした。

そしてザンペリー二は、L.A.に帰郷します。

映画の中の日本

映画のなかでの日本の描き方はかなり大雑把です。ハリウッド映画に出てくる日本は別に反日映画でなくても、「ええ、なんなのこれ!」と思うものが多いのでこんなもんかなとも思いますが、ここら辺もっと丁寧に撮ってあれば、もう少しまともな映画になったのでは、とも思います。

ジャングルでお茶碗を手にする日本軍

日本軍に太平洋で捕虜にされたザンペリー二は、まずクェゼリン環礁に留め置かれ尋問を受けますが、そこの隊長と思しき人物は彼に背をむけたままB-24のレーダーなど軍事情報に関して質問を日本語をして、それを部下がザンペリー二に対して英語に通訳します。

隊長さんは背を向けて何をしているかというと、食事を取っています。真っ赤な模様入りのお茶碗でご飯を食べ、同じ形のお茶碗で(木のお椀ではなく、どんぶりでもありません)麺の入った汁物を口にします。うどんにもおそばにもみえない色のついていない汁に入った麺です。日本食というより英語でいうNoodle Soupといった感じのもの。ああいった南洋の部隊でも日本軍は陶器のお茶碗で食事をしていたんでしょうか?飯盒で食べていたのではないですか?日本の男性が赤い模様のお茶碗を喜んで使いますか?

また、隊長のテーブルには、アメリカ人のおうちでよくみられるようなフルーツを盛ったお皿(かご?)がありました。たしかオレンジとか柑橘系の果物が飾られていました。当時の日本軍にそんな習慣があったんでしょうか?

一般道になぜか鳥居

アンジーがインタビューで回答したように、東京の空襲後の情景はでてきます。両脇で大きなビルが破壊されている一般道になぜか、大きな鳥居がたっています。あれを置けば日本にみえるといった安易な気持ちで置いたのでしょうか。鳥居は神社の参道に建てられるものとアドヴァイスする人がいなかったみたいです。
ものすごい善意で解釈すると、破壊された土地に日本の神道の象徴の鳥居が無傷で立っており、この場面で、どんなに物理的に日本を破壊しても、日本の精神は破壊されないということをアンジーは表現しようとしたに違いないと曲解できます(笑)。冗談です。

季節感のない日本

この映画のロケは主にオーストラリアで行われました。乾燥した土地で撮影されたので、日本のしっとりした空気感はありません。カリフォルニアやオーストラリアでは空気中にフィルターとなる水分があまり含まれないので景色がきらきらしてみえますね。それでは湿気の多い日本にはみえません。

はっきりとした四季のある日本は映画では表現されません。雪がうっすら地面を覆っている冬と思しき季節と、それ以外の春なのか夏なのか秋なのかわからない季節、そのふたつだけ。
もし、木枯らしの吹く晩秋とか、延々と雨の降り続く梅雨とか、せみの鳴き声のきこえる湿度の高いうだるような暑い夏とかが描かれていれば、L.A.育ちのザンペリー二にとって日本の捕虜生活がどれほどつらいものだったかもっと説得力をもったと思います。捕虜の悲惨さを表現するのは暴力だけではないでしょうに。
また、東京の大森と、北国の直江津の違いも画面ではあまりわかりません。3月初めに直江津に移動の途中確かに雪は残っていましたが、捕虜が直江津で作業を始めると雪は消えていた思います。原作では直江津の寒さが身に堪えたと書いてあります。

製作スタッフにそういうアドヴァイスをできる人間がいなかったのでしょうね。また、アンジーは何度も来日経験があるといっても、空港に着いてファンにちょっと手を振ったら車でホテルへ、どこへ行くにも車で移動し、レストランなんかは貸切り、そういった滞在では、日本の季節なんか感じたこともないんでしょうね。



この記事に

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    今回も詳細な解説をありがとうございました。今現在、見たくてもみれない私はとても助かります。

    ラジオでこの映画を解説した町山智浩氏によると、この映画は反日ではないそうで、その根拠として、日本兵がみんな残虐だという描き方をしていないのと、東京大空襲のシーンも入れることで、どっちもやっている、という描き方をしているから、だそうです。
    「東京大空襲のシーンがあって。それではその、日本の民間人が家を焼かれて、ものすごくもう、大虐殺されるっていう画もちゃんと見せてるんですね」と。

    この東京大空襲のシーンは、どんな感じで挿入されていたのでしょうか? 観客は、日本もひどいがアメリカもひどい、と認識するようなものだったのでしょうか?

    [ picky ]

    2015/2/11(水) 午後 8:04

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    こんにちは。鑑賞されての丁寧な説明を有難うございます!
    直江津はやはり炭鉱労働の描写ばかりなんですね・・
    ザンペリーニの体験記は「アンブロークン」より先に"Devil at My Heels"との題名で出版されているのですが、内容がかなり違っています。
    直江津で足を痛めたザンペリーニは my injury kept me from working. とあり
    I spent half a day cleaning the machine,oiling it,adjusting it.そして
    I tailored everyone's clothes until I ran out of work.
    機械の油さしや縫い物をしていたのです。

    「Devil〜」→「アンブロークン」原作→映画、と造られるうちに人間味ある普通の生活が削り取られ、悪い出来事はより悪魔的に描かれている事が分かります。 削除

    [ 紺屋の鼠 ]

    2015/2/12(木) 午前 2:09

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    > pickyさん
    コメントありがとうございます。わたしは、その人の説には同意はできません。わたしは二度映画をみました。
    映画に、良心的な日本兵?ワタナベの命令に黙々と従う部下たちしかいませんでした。自ら積極的に虐待しなかった兵士もいた、ぐらいにしかいえません。どこのシーンのことか、逆にその人に聞いてみたいです。小説では、良心的な看守や通訳、待遇の改善に骨を折った赤十字の徳川義知の話がでてきます。でも映画にはそういった人物はでてきません。ワタナベ以外はその他大勢といった扱いで、人間らしさのわかる日本兵はみつかりませんでした。

    [ san diego confidential ]

    2015/2/13(金) 午後 0:39

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    > pickyさん
    東京大空襲が取り入れられている?上に書き足しましたが、これは1945年3月10日のいわゆる東京大空襲ではなく、二月の終わりごろの空襲だと思います。大森キャンプから移動したのが3月1日の夜と原作にあります。このエピソードは5分足らずで終わりました。街が瓦礫の山になっていて、建物も破壊されています。民家も壊されていたのかもしれませんが、わかりません。焼夷弾を落とされ火の中を逃げまわる一般市民も出てきません。空襲後うなだれて歩く人々や、布をかぶせた死体はでてきますが、上に書いたとおり、焼夷弾で黒こげになった遺体はありませんでした。たったの5分でも、焼夷弾の恐ろしさがわかるような演出ではあれば同意したかもしれませんが。これでバランスが取れているとは思えません。

    [ san diego confidential ]

    2015/2/13(金) 午後 0:40

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    > 紺屋の鼠さん
    いつもコメントありがとうございます。映画では怪我をしたままザンペリー二は働かされています。小説アンブロークンでは配給を減らされないようミシンの仕事をしその後ワタナベに頼んで豚の世話の仕事をもらいます。豚の糞尿の処理を素手でしなくてはならず、きれい好きの彼には耐えられなかったとあります。

    [ san diego confidential ]

    2015/2/13(金) 午後 0:45

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    日本語もハングルもそして中国語も理解できないアメリカ人のほとんど(ほぼ全員に近い)は東アジアの近現代史を実資料に基づいて研究などしていません。有名大学の歴史学者と称する人たちも同じです。とにかく日本軍、日本兵は残虐非道で、それに関しては実資料を基に検証など不要であると考えています。ましたそうした人たちとは遥かに浅い歴史の知識しかないアンジェリーナ・ジョリーに公平な歴史描写など期待する方が無理です。原作の著者のローラ・ヒルブランドも小説の舞台である太平洋上の島にも、日本にも行ったこともないはずです。このあたりが一昔前の徹底的な取材に基づいて書いていた歴史家のバーバラ・タックマンとは全く異なります。タックマンの”Stilwell and the American Experience in China, 1911–45”を読むと日本軍と国民党軍、そしてそれを支援するアメリカ軍のやり取りが事実に基づき詳細に記載されています。

    [ dtb*m*000 ]

    2015/2/15(日) 午前 3:12

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    空襲についての部分のご説明、ありがとうございました!
    だいたい映画での描かれ方がわかりました。

    町山智浩氏のラジオはかなり影響力をもち、この映画は反日映画などではない、という意見がネット上でかなり力をもつようになりましたので、町山氏の主張をこのブログで徹底的に分析してもらえれば、と思います。
    ツイッターをみるかぎり、映画をみたあと反日的な感情をもった人がかなりいるようです。

    町山智浩 アンジェリーナ・ジョリー監督作『アンブロークン』を語る
    http://miyearnzzlabo.com/archives/22240

    「Fuck Jap!」 反日映画ではないとされる「アンブロークン」を観た人の声を集めました
    http://togetter.com/li/777208

    [ picky ]

    2015/2/16(月) 午前 9:22

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    こんにちは。原作のほうでは、大森収容所がその二月末の空襲で被災する描写はありましたでしょうか?

    そして、映画ではその空襲は昼間だったでしょうか? 3月10日以前は、昼間爆撃だったと思います。

    2月25〜3月4日の東京の空襲は昼間爆撃なのは確認しました。

    [ picky ]

    2015/2/17(火) 午前 9:57

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    > pickyさん
    2月16日の明け方大森に煤が落ちてきた。16−17日夜までの空中戦を眺めていた。大森収容所が被災したとはありません。そして、2月25日の焼夷弾が主として使用された空襲も眺めていたとあります。被災はありません。

    [ san diego confidential ]

    2015/2/18(水) 午後 4:44

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    > pickyさん
    ザンペリー二たちは3月1日の夜大森収容所から出発します。東京で彼が目撃したのは、一般の家屋の焼け跡の中で、光っていたのは産業用機械の残骸だった。軍需産業を家内工業が請け負っており、ザンペリー二が目にしたのはそれだと。要は米国側の無差別爆撃正当化の理由をそのまま書いています。一般市民の犠牲者や遺体のことは一言も触れていません。

    [ san diego confidential ]

    2015/2/18(水) 午後 5:02

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    > pickyさん
    もうひとつ。2月25日と思われる焼夷弾が爆弾の9割とされる空襲も午前7時からとなっています。

    [ san diego confidential ]

    2015/2/18(水) 午後 5:06

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    > pickyさん
    町山という人の書いたもの読んでみようとは思います。
    これは個人の経験なので書かないでおこうかと思いましたが、私は映画館を出るときアメリカ人の白人のおばあちゃんからにらみつけられました。ずっと目を離さないでにらみ続けていました。(ということは私も睨み返していたわけですが)人種差別は経験したことは当然ありますが、こういった経験は米国では初めてでした。

    [ san diego confidential ]

    2015/2/18(水) 午後 5:14

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    お教えいただきありがとうございました。本の中では2月25日朝の空襲による被災跡をザンペリーニが3月1日に大森を発つときに目撃しているのですね。映画の中の空襲のシーンも朝だったでしょうか?
    本の中では大森収容所は被災していないのですね。私も日本側による収容所の被災記録を見ましたが、昭和20年の2月3月には、東京俘虜収容所の被災記録はありませんでした。

    ルメイが市街地空襲を正当化した強引な理由を、ヒレンブランドも受け継いでいるのですね。この本は、原爆も含めた空襲による民間人大量殺戮の正当化が重要なテーマの一つになっているのだと思います。

    白人の老女からにらみつけられたという体験、やはりこの映画を見たことによって、反日的な感情をもつ人がいるのですね。
    この映画を見た海外在住の日本人も同じような体験をツイッターで次のようにつぶやいていましたが、この映画を見た外国人の多くがこんな感情をもったのだとすると、本当に恐ろしい映画だと思います。
    「Unbroken 観に行ったらめっちゃ肩身狭かった。笑 四方八方からfuck japって言われた。笑……映画に向かって皆言ってたから肩身狭

    [ picky ]

    2015/2/19(木) 午前 7:45

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    > pickyさん
    遅くなりました。その空襲は夜でした。
    町山という人のラジオ放送に関してやっと書き始めたので、よかったらお読みください。ご意見等いただければ幸いです。

    [ san diego confidential ]

    2015/3/15(日) 午後 9:29

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    ありがとうございます。やっぱり3月10日の空襲のつもりで描いていたのですね。

    [ picky ]

    2015/3/21(土) 午後 9:42

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