第2河和海軍航空隊の門柱、現在
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もう何回もこのブログで紹介しているが、写真は第2河和海軍航空隊の門柱である。
河和中学校の敷地にあり、写真の右側は道路である。
現在でも「隊門」と呼ぶ人がいる。
河和海軍航空隊を調査している山下泉氏が数年前に、ある冊子へ終戦間際に隊門付近で戦死された方の話を書いた。
冊子が出た翌日か翌々日に、この門柱の上にコップ酒とタバコが供えてあったそうである。
もちろん、誰が供えたのかわからない。
戦後になっても、このような出来事が起こる門柱である。
現在の文化財保護行政において、日本に人間が住み始めてから中世までの遺跡は工事などで破壊されるおそれがある場合、事前に届出が義務づけられている。
届出は先ず市町村教育委員会に出され、意見が付けられて都道府県教育委員会に送られる。
中世までの遺跡は、破壊されるにしてもワンクッションあって、制度上緊急調査なりなんらかの措置が一度は講じられる。
しかし、太平洋戦争に関係する遺跡には、このワンクッションがないので調査もされないまま消えていくこともある。
基本的な制度外なので戦争遺跡に対して、どう考えるかで対応は全く異なる。
一方で調査が及ばず戦争遺跡かどうかもわからないまま壊されることもある。
先日、久しぶりに門柱の前を通った。
いつの間にか、門柱付近に縁石が造られていた。
でも、門柱の横で止まっていた。
破壊も検討されたのだろうか、工事の事情は知らない。
でも、門柱は航空隊の時から残っている。
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