『ドカベン』で描かれた1990〜94年
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┌1990年〜93年――『よみがえれ侍』 ↓ 1990年 秋の北信越大会で星稜高校と新潟明訓が対戦し、星稜が勝利。当時、星稜の松井秀喜は高校1年(『ドカベン』6巻、鷹丘中学年終了、松井秀喜の巻末コメントより)。 『ドカベン・プロ野球編』の基準では、1990年度(1990年4月から91年3月まで)当時、山田世代は中学2年であり、東郷学園と西南中学の試合で里中が山田の存在を知り、小林が山田のスライディングによって目を負傷した時期である。 殿馬と山田が別々の学校から鷹丘中学に轉校、山田は柔道部に入った。 1991年 春の選抜は第63回選抜高等学校野球大会。 同じく91年、夏の甲子園は第73回全国高等学校野球選手権大会。 この1991年を最後に甲子園球場のラッキーゾーンが撤去される。 『プロ野球編』の基準では、91年春から92年春まで山田世代は中学3年であり、柔道部から野球部に轉部。東郷学園との試合で敗れる。サチ子は91年の春から小学校に入学したことになる。 └→山田サチ子と山田太郎の年齢差 この年、新潟明訓が甲子園初出場。 『ドカベン(番外編)新潟明訓対神奈川明訓』によると、当時、新潟明訓高校の3年生だった小林幹英投手は神奈川明訓高校の山田世代(当時高3で同学年)と対戦している。 ちなみに『ドカベン・プロ野球編』の土井垣はこの年、高校2年で、『新潟明訓対〜』における渚と同学年である。 『ドカベン・プロ野球編』の設定による1992〜94年 1992年 春、『ドカベン・プロ野球編』における山田世代が神奈川明訓高校に入学した。92年夏の甲子園に初出場。 夏の甲子園は第74回全国高等学校野球選手権大会。明訓は準決勝で土佐丸に勝利し、里中が頭を負傷。いわき東との決勝が雨で1日延期され、決勝で明訓が優勝。 この大会で星稜高校の松井秀喜が明徳義塾によって5打席連続敬遠され、松井の星稜は負ける。翌日の某スポーツ紙で水島新司の怒りのコメントが載っていたらしい。 夏の大会終了後、轉校先を間違えた微笑三太郎が明訓に入学。横浜学院の土門は谷津吾朗を捕手にする。 関東大会の明訓×甲府戦で山田が記憶喪失に。次の明訓×クリーンハイスクール戦で記憶を取り戻し、決勝で明訓が赤城山を破って翌年3月からの春(山田世代高1末〜高2初)の選抜出場。 準優勝の赤城山も春の選抜に出場できるので木下は山田と里中に「甲子園であおう」。里中は「そうか。関東からは二校でるんだ」と言っていたが、実際に『ドカベン』文庫18巻でその選抜のトーナメント表を観ると、関東地方の代表は飯田橋実業(東京)、小金井大付属高(東京)、江川学院(栃木)、明訓高校(神奈川)、赤城山高校(群馬)。つまり、関東からは5校、そのうち、東京から2校出た。 もちろん、5校出たということは、そのうち、確かに2校が出たことになるが、関東代表が2校だけでないことが重要だ。 秋のドラフトで日本ハムが土井垣を、ダイエーが犬飼小次郎を指名。 作中で犬飼小次郎は南海時代のホークスから指名されたが、すぐには入団せず、翌年の夏、甲子園で明訓が敗れたのを見届けて、ホークスに入団した。 しかし、『ドカベン・プロ野球編』少年チャンピオン・コミックス7巻での西武の佐々木誠が小次郎と対戦したシーンで回想した過去によると、小次郎は佐々木誠がダイエーにいた92年(96年のシーズンから4年前)にダイエーから1位指名されて、即、入団し、続く93年の2月(山田世代高1の3学期)、紅白戦で佐々木誠と初対戦した。 1993年 春の選抜、『プロ野球編』における明訓が江川学院と対戦、山田が5打席連続敬遠されるが、明訓が勝利。明訓の次に新潟代表の信濃川と対戦。さとるボール誕生。土佐丸の犬神が背面投法。 └→明訓初出場と5打席連続敬遠 春の選抜は第65回選抜高等学校野球大会。 夏の甲子園は第75回全国高等学校野球選手権大会。 『プロ野球編』の時代設定では明訓とBT学園、弁慶高校が対戦した夏の大会はこの年。明訓が負けて土井垣が日本ハムに、犬飼小次郎がダイエーホークスに入団。夏の甲子園の優勝校は通天閣、準優勝は甲府学院。 1994年 春の選抜は第66回選抜高等学校野球大会。 同じく94年、夏の甲子園は第76回全国高等学校野球選手権大会。 『ドカベン・プロ野球編』の設定では、この1994年の春と夏の大会で神奈川明訓が連続優勝。 └→1994〜95年、山田太郎世代プロ入り |


