水戸(徳川)光圀が隠居して42年後も生きていたら何歳になっていたか
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光圀の時代 1628_001歳 1629_002 1630_003 1631_004 1632_005 1633_006 1634_007 1635_008 1636_009 1637_010 1638_011 1639_012 1640_013 1641_014 1642_015 1643_016 1644_017 1645_018 1646_019 1647_020 1648_021 1649_022 1650_023 1651_024 1652_025 1653_026 1654_027 1655_028 1656_029 1657_030 1658_031 1659_032 1660_033 1661_034 1662_035 1663_036 1664_037 1665_038 1666_039 1667_040 1668_041 1669_042 1670_043 1671_044 1672_045 1673_046 1674_047 1675_048 1676_049 1677_050 1678_051 1679_052 1680_053 1681_054 1682_055 1683_056 1684_057 1685_058 1686_059 1687_060 1688_061 1689_062__テレビ『水戸黄門』の時代 1690_063隠_1969_00周年※ 1691_064居_1970_01 1692_065__1971_02 1693_066__1972_03 1694_067__1973_04 1695_068__1974_05 1696_069__1975_06 1697_070__1976_07 1698_071__1977_08 1699_072__1978_09 1700_073没_1979_10 1701_074↓_1980_11 1702_075存_1981_12 1703_076命_1982_13 1704_077の_1983_14 1705_078場_1984_15 1706_079合_1985_16 1707_080__1986_17 1708_081__1987_18 1709_082__1988_19 1710_083__1989_20 1711_084__1990_21 1712_085__1991_22 1713_086__1992_23 1714_087__1993_24 1715_088__1994_25 1716_089__1995_26 1717_090__1996_27 1718_091__1997_28 1719_092__1998_29 1720_093__1999_30 1721_094__2000_31 1722_095__2001_32 1723_096__2002_33 1724_097__2003_34 1725_098__2004_35 1726_099__2005_36 1727_100__2006_37 1728_101__2007_38 1729_102__2008_39 1730_103__2009_40 1731_104__2010_41 1732_105__2011_42 ※この数字は1969年生まれの東幹久と的場浩司の満年齢に等しい。左にある江戸時代の西暦1690年以降の数字と対照させると、光圀が隠居してから何年たったかを示す年数にもなる。 水戸光圀こと徳川光圀が隠居して42年たった時期は1732年。 『水戸黄門』第38部第5話で光圀と出会った少年・源六が第8代将軍・吉宗となって享保の改革を進めていた時期である。 もし光圀がこのときまで存命であれば数え年105歳。江戸時代ではまずありえない長寿である。 光圀が隠居して10年たって他界していたはずなのに、20年、30年とシリーズを続けていたことに無理があった。 30周年を過ぎたとき、石坂浩二シリーズで「血を入れ替えた」お陰で、21世紀になっても『水戸黄門』が10年続いたのである。その石坂シリーズでのリニューアルから数えても10年。すでに初代と2代目は鬼籍に入り、実際の光圀のもとに旅立っている。そろそろこのシリーズも潮時であろう。 光圀の隠居は10年間だけなのに、第29部でのリニューアルを除くと区切りを曖昧にして42年も続けていたほうが問題であった。 T-CupBlog>光圀が隠居して42年たった場合の計算上の年齢
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幕末の「水戸黄門」こと徳川斉昭が創作したという説もある
2011/8/10(水) 午前 5:11 [ IB ]