虚実ヒストリー〜ものがたりの歴史II(Yahoo!Blog版)〜

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「太田貴子世代」と「森沢優世代」・解説

「太田貴子世代」と「森沢優世代」のデビュー比較

太田貴子と同世代の歌手はデビュー期間が大体、83年から85年までに集中しており、太田貴子は83年で16歳であった。一方、森沢優は1989年で16歳であり、同世代の歌手のデビューは89年から90年までに集中している。
早かったのが中山忍の1988年、15歳でデビュー。
遅かったのは中澤裕子が1998年に25歳でモーニング娘。としてデビューした例である。

「森沢優世代」の誕生とデビュー
1973年生まれの田村英里子は89年デビューで、田中陽子は90年デビュー。
└→『魔法の天使クリィミーマミ』年表と年齢変遷

乙女塾の第1期生も73年生まれが多く、89年デビューであった。
すでに述べたように、「森沢優世代」の中で、デビューが早めだったのは中山忍で、88年に15歳でデビューしていた。一方、中澤裕子は25歳になってから1998年にモーニング娘。の初代リーダーとしてレビューし、ソロ活動も始めた。中山忍と中澤裕子はいずれも73年生まれでありながら、デビューの年には10年の開きがある。

「森沢優世代」の中でも、KEIKO が23歳、岡本真夜が21歳(いずれも誕生日のあとの場合)になった年にデビューしたのも同様である。
モーニング娘。の第1期メンバーの中で年齢が下の人には、「太田貴子世代」がデビューした80年代半ばに生まれた人が多かった。

野球選手で言えば、1967〜68年に生まれた清原和博と桑田真澄は1983〜84年で16歳、84〜85年で17歳、85〜
86年で18歳であった。
1973年生まれのイチローは1989年で16歳、90年で17歳、91年で18歳。
1974年生まれの松井秀喜は1990年で16歳、91年で17歳、92年で18歳であり、5打席連続敬遠されたのはこのときであった。

「太田貴子世代」の誕生とデビュー
太田貴子より1歳年下の生稲晃子は87年にうしろ髪ひかれ隊でデビューしたとき、19歳で、その翌年に森沢優と同い年の中山忍が15歳でデビューしたことになる。

太田貴子は1983年デビューだが、同期では藤井フミヤが1962年生まれ、飯島真理が1963年生まれ、野村義男と伊藤麻衣子が1964年生まれ、尾崎豊が65年生まれというように年上が多く、太田貴子は「若手」であった。
一方、太田貴子と世代的に近い人たちは、大体、クリィミーマミが終了した84年以降にデビューした人が多い。

「太田貴子世代」の中で「森沢優世代」とほぼ同期
そんな中で、「太田貴子世代」であった坂井泉水がZARDとしてデビューしたのが91年というのは珍しい「遅咲き」の例で、デビューした年の誕生日で24歳であった。
└→もし、森沢優が魔法なしでデビューしていたら



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春と夏の甲子園・索引

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『ドカベン』で描かれた1990〜94年

1990年〜93年――『よみがえれ侍』

1990年
秋の北信越大会で星稜高校と新潟明訓が対戦し、星稜が勝利。当時、星稜の松井秀喜は高校1年(『ドカベン』6巻、鷹丘中学年終了、松井秀喜の巻末コメントより)。
『ドカベン・プロ野球編』の基準では、1990年度(1990年4月から91年3月まで)当時、山田世代は中学2年であり、東郷学園と西南中学の試合で里中が山田の存在を知り、小林が山田のスライディングによって目を負傷した時期である。
殿馬と山田が別々の学校から鷹丘中学に轉校、山田は柔道部に入った。

1991年
春の選抜は第63回選抜高等学校野球大会
同じく91年、夏の甲子園は第73回全国高等学校野球選手権大会
この1991年を最後に甲子園球場のラッキーゾーンが撤去される。
『プロ野球編』の基準では、91年春から92年春まで山田世代は中学3年であり、柔道部から野球部に轉部。東郷学園との試合で敗れる。サチ子は91年の春から小学校に入学したことになる。
└→山田サチ子と山田太郎の年齢差

この年、新潟明訓が甲子園初出場。
『ドカベン(番外編)新潟明訓対神奈川明訓』によると、当時、新潟明訓高校の3年生だった小林幹英投手は神奈川明訓高校の山田世代(当時高3で同学年)と対戦している。
ちなみに『ドカベン・プロ野球編』の土井垣はこの年、高校2年で、『新潟明訓対〜』における渚と同学年である。

『ドカベン・プロ野球編』の設定による1992〜94年
1992年
春、『ドカベン・プロ野球編』における山田世代が神奈川明訓高校に入学した。92年夏の甲子園に初出場。
夏の甲子園は第74回全国高等学校野球選手権大会。明訓は準決勝で土佐丸に勝利し、里中が頭を負傷。いわき東との決勝が雨で1日延期され、決勝で明訓が優勝。
この大会で星稜高校の松井秀喜が明徳義塾によって5打席連続敬遠され、松井の星稜は負ける。翌日の某スポーツ紙で水島新司の怒りのコメントが載っていたらしい。
夏の大会終了後、轉校先を間違えた微笑三太郎が明訓に入学。横浜学院の土門は谷津吾朗を捕手にする。
関東大会の明訓×甲府戦で山田が記憶喪失に。次の明訓×クリーンハイスクール戦で記憶を取り戻し、決勝で明訓が赤城山を破って翌年3月からの春(山田世代高1末〜高2初)の選抜出場。

準優勝の赤城山も春の選抜に出場できるので木下は山田と里中に「甲子園であおう」。里中は「そうか。関東からは二校でるんだ」と言っていたが、実際に『ドカベン』文庫18巻でその選抜のトーナメント表を観ると、関東地方の代表は飯田橋実業(東京)、小金井大付属高(東京)、江川学院(栃木)、明訓高校(神奈川)、赤城山高校(群馬)。つまり、関東からは5校、そのうち、東京から2校出た。
もちろん、5校出たということは、そのうち、確かに2校が出たことになるが、関東代表が2校だけでないことが重要だ。
秋のドラフトで日本ハムが土井垣を、ダイエーが犬飼小次郎を指名。
作中で犬飼小次郎は南海時代のホークスから指名されたが、すぐには入団せず、翌年の夏、甲子園で明訓が敗れたのを見届けて、ホークスに入団した。
しかし、『ドカベン・プロ野球編』少年チャンピオン・コミックス7巻での西武の佐々木誠が小次郎と対戦したシーンで回想した過去によると、小次郎は佐々木誠がダイエーにいた92年(96年のシーズンから4年前)にダイエーから1位指名されて、即、入団し、続く93年の2月(山田世代高1の3学期)、紅白戦で佐々木誠と初対戦した。

1993年
春の選抜、『プロ野球編』における明訓が江川学院と対戦、山田が5打席連続敬遠されるが、明訓が勝利。明訓の次に新潟代表の信濃川と対戦。さとるボール誕生。土佐丸の犬神が背面投法。
└→明訓初出場と5打席連続敬遠

春の選抜は第65回選抜高等学校野球大会
夏の甲子園は第75回全国高等学校野球選手権大会
『プロ野球編』の時代設定では明訓とBT学園、弁慶高校が対戦した夏の大会はこの年。明訓が負けて土井垣が日本ハムに、犬飼小次郎がダイエーホークスに入団。夏の甲子園の優勝校は通天閣、準優勝は甲府学院。

1994年
春の選抜は第66回選抜高等学校野球大会
同じく94年、夏の甲子園は第76回全国高等学校野球選手権大会
『ドカベン・プロ野球編』の設定では、この1994年の春と夏の大会で神奈川明訓が連続優勝。
└→1994〜95年、山田太郎世代プロ入り

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2008年11/24


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1966年生まれ〜67年度生まれ

1966年生まれ〜67年度生まれではこういう人たちがいる。
Wikipedia
1966年4 誕生
1967年4 誕生
1968年4 誕生

○1966年の早生まれで65年度生まれに相当
長嶋一茂、小泉今日子、川上麻衣子

○1966年度かつ年内生まれ
渡辺美里

○1967年の早生まれで66年度生まれに相当
坂井泉水、伊藤つかさ(→『ドラえもん』に出てきた歌手・伊藤翼のモデル)、三浦知良、林原めぐみ

○1967年度かつ年内生まれ
本田美奈子、太田貴子、清原和博、岡田有希子、緒形直人、三石琴乃
└→クリィミーマミ・注釋と補足1

○1968年の早生まれで67年度生まれに相当
長山洋子、桑田真澄
└→「太田貴子世代」と「森沢優世代」のデビュー比較

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2008年11/24


参照
2008年11月

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アニメ『巨人の星』第161話「飛雄馬の母」

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満洲事変日中戦争、第2次世界大戦太平洋戦争東京大空襲と沖縄戦原爆満洲の悲劇
─────└→昭和の初めの戦争


春江の話は第33話「甲子園へのVサイン」と第48話「父・一徹のスパイク」にも出てきたと想う。

「飛雄馬の母」は原作の「青春のぬけがら」で星一家の長屋が取り壊された話に戦争中と「終戦」直後の回想シーンを追加したもの。

東京MXでの再放送は、奇しくも中居正広、仲間由紀恵、加藤翼主演で、TBSが応援している映画『私は貝になりたい』公開のときである。

原作の第1章、第1話では、星一徹は1942年(昭和17年)と1948年(昭和23年)に巨人軍に登録されていた。

一徹が巨人選手になった直後、赤紙が来たのは原作で1942年(昭和17年)だが、「飛雄馬の母」では1944年(昭和19年)になっている。これは採用しがたい。

東京大空襲のとき、春江は赤ん坊(明子か)を人に預け、燃える自宅に戻って一徹のスパイクを持ち出した。

一徹の復員は1946年(昭和21年)。

一徹が巨人に復帰したのは原作で1943年。
川上によって巨人から追放された一徹は飲んだくれの日々。綺麗な着物を箪笥から出し、幼い明子を連れ、混雑した列車で農村に物々交換に行き、10〜20個ほどの芋をもらった。

一徹が飛雄馬にボールの握り方を教えようとしたが、春江が批判。しかし、別のときの回想シーンでは飛雄馬が野球の絵を描いたとき、一徹が破ったはず。春江は最期に「飛雄馬を立派な野球人に」と頼んでいた。

一徹が巨人から追放されたとき、たしか、幼い明子が春江と一緒にいただけでなく、赤ん坊がいて、飛雄馬もすでに生まれていたことがわかる。
すると、飛雄馬は1948年ごろに生まれたことになり、『巨人の星』(少年野球編)における「飛雄馬は1948年生まれ、1958年で10歳」という基準を採用する必要が出てくる。
└→第163話「京子の真心」

2010年8月11日から1週間、GyaO!で配信された。飛雄馬の長屋が壊される3ページほどの話をアニメでは30分番組1回にしている。
1970年の前半、開幕直後の2試合のあと、球宴まで飛雄馬は登板せず、アニメではアルバイトまでしていた。やはり飛雄馬は1969年秋まで大リーグボール1号で乗り切るべきであった。

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