僕的「日めくり万葉集」 2011年12月9日 巻20/4508
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長生きも芸のうち
―時代を生き抜いた男、中臣清麻呂⑥― 《題詞》
二月に、式部大輔中臣清麻呂朝臣の宅にして宴する歌十五首 (※この歌は13首目)
興に依りて各、高円の離宮処を思ひて作る歌 (※この歌は3首目)
《訓読》 高円の 野辺はふ葛の 末つひに 千代に忘れむ 我が大王かも
(巻20/4508) 《通解》 高円山の 野辺に這っている葛の葉がどこまでも続くように いつまでも 千年までもお忘れしようか 我が大君を 《原文》 多可麻刀能 努敝波布久受乃 須恵都比尓 知与尓和須礼牟 和我於保伎美加母 《左注》 右の一首、主人中臣清麻呂朝臣 【語句解説】 ▼高円(たかまと)の離宮処(とつみやところ) 《高円離宮説のある白毫寺》 ※画像は「ウィキペディア」提供
・「離宮処(とつみやところ)」は「離宮のある場所」の意。「とつみや」は「外(と)つ宮(みや)」のこと。
・場所ははっきりとはわかっていない。白毫寺(白毫寺町392番地)が離宮跡という説もあるが、昭和58年(1983)の奈良県立高円高校(白毫寺町633番地)建設の際、発掘調査が実施され、その際の出土遺物と遺構から、高円離宮跡の可能性が高いといわれている。 ・なお、高円高校は奈良県の公立高等学校で唯一、「音楽科」「美術科」「デザイン科」を有し、県下では芸術系の高校として有名だ。 《奈良県立高円高校》 ※画像は「奈良県立高円高校」提供
①高円の 野辺(のへ)はふ葛(くず)の
・「葛(くず)」はマメ科のつる性の多年草。根を用いて食品の葛粉(くずこ)や漢方薬が作られる。秋の七草の一つ。 ・名称は、大和国の国栖(くず、奈良県吉野町)が葛粉の産地であったことに由来する。 ・葉は三出複葉、小葉は草質で幅広く、とても大きい。つるは年がたつと太くなり、やや木質化する。地面を這うつるは、節から根を出し、あちこちに根付く。根は非常に深く、太って長芋状となる。花は8月〜9月の秋 咲き、穂状花序が立ち上がり、赤紫の豆の花を咲かせる。 花は甘い芳香を発する。果実は枝豆に似て、やや小型。 ・クズの蔓は長いことから、切り取った蔓部が乾燥して固くなる前に編むことで、籠などの生活用品を作ることができる。また、蔓を煮てから発酵させ、取りだした繊維で編んだ布は「葛布(くずふ)」と呼ばれる。平安時代ころから作られていたとされる。江戸時代には『和漢三才図会』でも紹介された。かつては衣服・壁紙などに幅広く使われたが、現在では生活雑貨や土産物として、数少ない専門店によって小規模ながら生産がつづけられている。遠州、現在の静岡県掛川市の特産品である。 《クズの葉と花》 ※画像は「ウィキペディア」提供 ②末(すゑ)つひに ・「その末までどみまでも」の意。 ・「つひに」は副詞で「最後に」「とうとう」の意と、「どこまでも」「最後まで」の意がある。ここでは、後者の意。 ③千代(ちよ)に忘れむ 我が大王(おほきみ)かも ・「幾代にも忘れるような わが聖武帝であろうか、いやそんなことはない」の意。
・「千代」は「千年」の意だが、そこから「長い年月」の意が生まれた。 ・奈良時代には、既に天皇号は一般化しているが、歌の中では「天皇(すめろぎ)」と詠まれるよりも、圧倒的に「大王(おほきみ)」が多い。 ・歌が詠まれたときの時の天皇は孝謙天皇だが、この歌では、高円離宮を営んだ先帝を思慕しているので、聖武天皇を指している。 ・「かも」は終助詞で、この場合は反語を表す。「〜だろうか、いや〜ない」の意。 《後日談》
この宴から一旬ほどを経た2月20日、孝謙天皇は民間の宴会を取り締まる詔を出した。「同悪の者が集まってみだりに聖王の政治をそしり、酔いしれて節度を失う」ことを非難したものである。 これにより祭祀・治療以外の飲酒 《聖武天皇像》 は一切禁じられ、私的な会合も官に ※画像は「ウィキペディア」提供
よる許可が必要とされるようになった。
酒宴を歌作の場として何より楽しんだと思われる万葉びとにとっては、厳しい勅であった。あるいは、清麻呂宅の宴の噂をどこからか耳に挟んだ天皇が、不快の念をもったのだろうか。この年の6月に家持は因幡守に左遷されている。
【参考】 このシリーズの締めくくりとして、この宴で読まれた歌をすべて載せる。 Ⅰ群 二月(きさらぎ)に、式部大輔(しきぶのたいふ)中臣清麻呂朝臣の宅(いへ)にして宴(うたげ)する歌十五首
①恨めしく 君はもあるか やどの梅の 散り過ぐるまで 見しめずありける (右の一首、治部少輔大原今城真人) ②見むと言はば 否と言はめや 梅の花 散り過ぐるまで 君が来まさぬ (右の一首、主人中臣清麻呂朝臣) ③はしきよし 今日の主人(あろじ)は 磯松の 常にいまさね 今も見るごと (右の一首、右中弁大伴宿禰家持) ④我が背子し かくし聞こさば 天地の 神を乞ひ祈(の)み 長くとそ思ふ (右の一首、主人中臣清麻呂朝臣) ⑤梅の花 香をかぐはしみ 遠けども 心もしのに 君をしそ思ふ
(右の一首、治部大輔市原王) ⑥八千種(やちぐさ)の 花はうつろふ 常磐なる 松のさ枝を 我は結ばな (右の一首、右中弁大伴宿禰家持) ⑦梅の花 咲き散る春の 長き日を 見れども飽かぬ 磯にもあるかも
(右の一首、大蔵大輔甘南備伊香真人) ⑧君が家の 池の白波 磯に寄せ しばしば見とも 飽かむ君かも (右の一首、右中弁大伴宿禰家持) ⑨愛しと 我が思ふ君は いや日異に 来ませ我が背子 絶ゆる日なしに (右の一首、主人中臣清麻呂朝臣) ⑩磯の裏に 常夜日来住む 鴛鴦(をしどり)の 惜しき我が身は 君がまにまに (右の一首、治部少輔大原今城真人) Ⅱ群 興に依り、各高円の離宮処(とつみやところ)を思ひて作る歌五首 ⑪高円の 野の上の宮は 荒れにけり 立たしし君の 御代遠そけば (右の一首、右中弁大伴宿禰家持) ⑫高円の 尾の上の宮は 荒れぬとも 立たしし君の 御名忘れめや (右の一首、治部少輔大原今城真人) ⑬高円の 野辺延(は)ふ葛の 末つひに 千代に忘れむ 我が大君かも (右の一首、主人中臣清麻呂朝臣) ⑭延ふ葛の 絶えず偲はむ 大君の 見しし野辺には 標(しめ)結ふべしも (右の一首、右中弁大伴宿禰家持) ⑮大君の 継ぎて見すらし 高円の 野辺見るごとに 音(ね)のみし泣かゆ (右の一首、大蔵大輔甘南備伊香真人) Ⅲ群 山斎(しま)を属目(しよくもく)して作る歌三首 ⑯鴛鴦(をし)の住む 君がこの山斎 今日見れば あしびの花も 咲きにけるかも (右の一首、大監物三形王)
⑰池水に 影さへ見えて 咲きにほふ あしびの花を 袖に扱入(こき)れな (右の一首、右中弁大伴宿禰家持) ⑱磯影の 見ゆる池水 照るまでに 咲けるあしびの 散らまく惜しも (右の一首、大蔵大輔甘南備伊香真人) [以上巻20の4496〜4513] この一連の歌群の後、
4514「二月十日於内相宅餞渤海大使小野田守朝臣等宴歌一首」
4515「七月五日於治部少輔大原今城真人宅餞因幡守大伴宿祢家持宴歌一首」 を経て『万葉集』掉尾の歌、
4516「三年春正月一日於因幡国庁賜饗国郡司等之宴歌一首」
新(あらた)しき 年の初めの初春の 今日降る雪の いやしけ吉事(よごと)
をもって『万葉集』は幕を閉じる。 |




宴の参加者の中に不穏な動きを感じさせる人物がいたのでしょうか。
せっかく、開放的な気分で、楽しげに開催されていた宴が禁止されて、殺伐とした世になってしまったのですね。
永遠を歌うのに、葛のつるを持ち出すのは、面白い歌い方だと思いました。
2011/12/10(土) 午後 0:19 [ sofashiroihana ]
sofashiroihanaさん! (*´∇`)ノ こんばんは〜
コメント(^人^)感謝♪です。
孝謙女帝が宴会を禁止したのは、おそらく宴会にかこつけて実際に謀議を巡らすというようなことがあったからでしょう。本意は叛逆を計画するような会合の察知にあったのではないかと思います。こうした会合は酒宴に名を借りて集まることが多かったと思われますから、酒宴でもないのに集まっていれば、それは怪しい集まりとすぐわかります。
根這う葛は、記紀歌謡などでも詠われており、地中を長く這う葛の根は、長く続くもの、また目に見えぬものの譬えとしてよく用いられます。
夏葛の 絶えぬ使の よどめれば 事しもあるごと 思ひつるかも(巻4/649)
(夏葛のように 絶えることなく 来る使いが淀んだので 何事かあったのかと思ってしまいましたよ)
藤波の 咲く春の野に 延ふ葛の 下よし恋ひば 久しくもあらむ(巻10/)
( 藤が波のように 咲く春の野に 這って延びている葛のように 人目につかぬように密かに恋していると 想いが叶うまでずいぶん時がかかります)
2011/12/11(日) 午前 0:27