岩本康志のブログ

経済,財政の話題を折に触れて取り上げます

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 日本銀行が2001年から2006年までとった「量的緩和政策」は,3つの政策が複合されたものである。1つは,「時間軸政策」。金融緩和を将来にわたって続けることを表明して,長期金利を低下させることがねらいである。2つ目は,「純粋な量的緩和」。日銀当座預金額を増加させ,マネタリーベースを増加させることである。3つ目は,長期国債,社債,株式等の伝統的なオペの対象でない資産の購入である。
 日銀がとった「量的緩和政策」は,固有名詞として広く使われているが,ゼロ金利での金融政策を理論的に整理する場合は,「非伝統的金融政策」という言葉が用いられることが多い。「量的緩和」は,非伝統的金融政策のなかのひとつの政策になる。
 非伝統的金融政策の整理はまだ流動的であるが,ここではMeier (2009)に大体したがって整理する。非伝統的金融政策は,まず中央銀行の資産側に着目し,伝統的なオペ対象資産(短期国債,CP等)以外に,長期国債,社債・企業への直接融資,外貨建て資産等を購入する手段を考える。同時に通常のオペ対象資産を同額だけ売却すると,中央銀行のバランスシートは膨らまない。このことから,こうした政策は「質的緩和」と呼ばれる。企業の債券を購入する場合は「信用緩和」,外貨建て資産を購入する場合は「不胎化介入」になる。
 同額の資産売却と組み合わせない場合は,結果として中央銀行のバランスシートが膨らみ,「量的緩和」になる。別の見方をすると,「質的緩和」から伝統的な供給オペをおこなうと「量的緩和」になる。そこで,質的緩和と量的緩和の差の部分を「狭義の量的緩和」と呼んでおこう。この違いは外国資産を購入する場合が一番わかりやすく,量的緩和では「非不胎化介入」になる。企業の債券を購入する場合は区別なく「信用緩和」と呼ばれる。
 以上のことかから,質的緩和+狭義の量的緩和=量的緩和,となる。

 狭義の量的緩和政策(つまり大量の資金供給オペ)は,金利が正の場合は,金利が低下して,マネタリーベースとマネーストックは増加していく。これは,通常の貨幣需要関数の想定するところである。また,金利が正の範囲内では,貨幣と物価は長期的には安定的な関係をもつ。つまり,貨幣数量説が示唆するような「貨幣が倍になれば物価が倍」のような関係が成立する。
 日銀の「量的緩和政策」では,政策金利をゼロにまで引き上げた後に一層の金融緩和を求めて,当座預金の拡大政策をとったのだが,その背景には貨幣数量説的な効果に対する期待が幾分あったと思われる。しかし,貨幣数量説的な効果があれば物価が50%上がっても不思議でないくらいのマネタリーベースの拡大があったが,物価は一向に上がらなかった。
 これは,ゼロ金利になると,短期の金融資産が貨幣とほぼ完全代替になり,そこで短期金融資産を貨幣に置き換えても,民間主体の行動には影響を与えなくなるからである。「流動性の罠」と呼ばれる現象であり,日本の経験では,Krugman (1998)から有名になった。Eggertsson and Woodford (2003), Curdia and Woodford (2010)のような,現在の標準的なニューケインジアンモデルでも同様な性質が成立する。このことが理論的にも日本の経験からも確かめられているので,米国は「信用緩和」政策のために,マネタリーベースを大きく増やしたが,力点は狭義の量的緩和にはない。貨幣数量説的に考えて,そんなにマネタリーベースを増やせば高インフレが起こるのではないかと懸念する人もいるが,バーナンキ議長はそうはならないとわかっているから,マネタリーベースを大胆に増やしているのである。

 狭義の量的緩和は,短期金融市場に甚大な影響を与えた。銀行にとって,日々の資金過不足に合わせて,資金を運用・調達することは非常に重要な仕事である。当座預金があれだけ膨れ上がると,単に当座預金を積んでおけばよくなり,その仕事がまったくなくなってしまう。量的緩和政策の期間中は,人とディーリングルームが必要でなくなるので撤収するが,量的緩和政策が解除されると,重要な仕事がまた復活する。急にいわれてできる仕事ではないので,人材をどのように確保しておくか,量的緩和期間中に難題を抱え込む。
 それだけの代償を払って,狭義の量的緩和に何の効果があったのか。量的緩和政策の効果を分析した研究を展望した鵜飼(2006)によれば,当座預金が増えることで,民間部門が保有する資産の構成が変わり,それが企業の資金調達に好影響を与えたという結果を得ている研究と,そうではないという研究がある,とされている。つまり,明確に強い効果がないということである(日銀の「量的緩和政策」全体の評価ではなく,「狭義の量的緩和」政策だけをいまは取り上げている)。この効果は,短期金融市場で起こったことが社債市場に波及していくという,ずいぶんと迂遠な経路をたどっている。それによって短期金融市場に大きな混乱が生じるのであれば,直接に信用緩和政策をとればよいのではないか,というのが自然な考え方である。
 つまり,より効果が直接的で副作用の少ない治療法があることがわかったので,まずはそちらを使用すればよいことになる。
 これが現在,狭義の量的緩和自体を目的とした政策が重きを置かれていない理由である。

(注)
「狭義の量的緩和」は個人的には「純粋な量的緩和」と呼びたいが,Meier (2009)が違った政策を指して使っているので,ここでは避けることにする。

(参考文献)
Vasco Curdia and Michael Woodford (2009), “Conventional and Unconventional Monetary Policy,” mimeo.

Gauti B. Eggertsson and Michael Woodford (2003), “The Zero Bound on Interest Rates and Optimal Monetary Policy,” Brookings Papers on Economic Activity, 1, pp. 139-211.

Paul R. Krugman (1998), “It’s Baaack: Japan’s Slump and the Return of the Liquidity Trap,” Brookings Papers on Economic Activity, 2, pp. 137-187.

Andre Meier (2009), “Panacea, Curse, or Nonevent? Unconventional Monetary Policy in the United Kingdom,” IMF Working Paper 09/163.

鵜飼博史(2006),「量的緩和政策の効果:実証研究のサーベイ」,『金融研究』,第25巻第3号,10月,1-45頁

(関係する過去記事)
「リフレ政策」に対する私見(とりあえずのまとめ)」
http://blogs.yahoo.co.jp/iwamotoseminar/32738553.html

[2010年8月17日追記]
 量的緩和政策が短期金融市場に与える影響については,「「市場機能論」は成立するか?」(http://blogs.yahoo.co.jp/iwamotoseminar/33828680.html )も参照されたい。

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