岩本康志のブログ

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望ましいインフレ率

 中央銀行に物価安定目標を課すとして[2010年8月11日追記:「中央銀行は物価の安定を目的とするが」を修正しました],どの水準のインフレ率に誘導するのが望ましいのか。現在の日銀は物価安定目標をもたないが,「中長期的な物価安定の理解」(中長期的にみて物価が安定していると各政策委員が理解する物価上昇率)を,「消費者物価指数の前年比で2%以下のプラスの領域にあり、委員の大勢は1%程度を中心と考えている」(「経済・物価情勢の展望(展望レポート)」,2010年4月)。先進国の大勢は,範囲では1〜3%であり,1つの値としては2%である。
 1%と2%のどちらがいいのか。

 望ましい(中長期的に安定した)インフレ率に関する最近までの研究動向をまとめたSchmitt-Grohe and Uribe (2009)は,先進国で実際に採用されている2%の目標を望ましいとする理論的な根拠はなく,望ましいインフレ率は0%付近としている。主な論点は以下の通りである。
(1)価格が伸縮的な場合,ゼロ金利・デフレが望ましい(フリードマン・ルール,あるいはシカゴ・ルールと呼ばれる)。
(2)価格調整に費用がかかる場合,物価は変動しないのが望ましい。
(3)物価指数統計のバイアスは,価格が硬直的な財のみに注目すべきである。
(4)ゼロ金利制約にかかる事態を減らすために,若干の正のインフレ率とすべきである。
その他にも多様な論点が経済学的に議論されているが,詳細は上記論文に譲る。
 これらの論点を解説すると,まず(1)は,貨幣保有の機会費用(利子を生む資産ではなく貨幣を保有することで失われている金利収入)に着目している。貨幣を保有するのは,この機会費用を払って貨幣によるサービスを享受するためである。金利を操作できる中央銀行は,この機会費用をゼロにして貨幣サービスを供給することができ,そうすることが望ましい,という考え方である。(2)は,金融政策の変化で価格が調整されなければいけない事態が生じることは,経済にとって費用といえる。外的要因がなければ物価が動かないように,金融政策を運営することが望ましいことになる。
 現実の経済では価格が伸縮的な市場と価格が硬直的な市場が混在しているので,(1)と(2)を同時に選べないが,この2つの論点からは,望ましいインフレ率は正にはならないことがいえる。
 中央銀行は伸縮的な価格を安定化させる必要はない。安定化を図ることは,逆に価格メカニズムを阻害して,効率的な資源配分の達成を妨げる。硬直的な価格だけに着目して,その安定化を目指すべきである。したがって,中央銀行は価格変動の激しい品目を除いた物価指数に着目するのがよいとされる。そこから(3)が導かれる。
(4)の理由で大きなインフレ率が必要でないのは,ゼロ金利制約にかかりそうな深刻なショックの場合は,早期に大規模な金融緩和をすれば,ゼロ金利制約にかかる事態を減らせるという見解が,現在の研究の主流になっているからである。
 経済理論は世界共通でも,各国の事情が考慮されることがある。米ドルは国外での流通量が非常に大きく,外国人が払うインフレ税が米国民の利益になるため,米国の望ましいインフレ率が高くなる。また,ユーロ圏では国ごとの物価変動の違いによって,デフレになる国が出ることを避けるという,ユーロ圏特有の事情もある。物価指数のバイアスも各国の事情を考慮する必要があるだろう。
(1)と(2)の理論構成は,これから大きく転換することはなさそうに思われる。(3)の理論構成も同様であるが,その数量的な影響は,時期と国によって変わるだろう。
 今後に見解が変わる可能性もあるのは(4)であり,ゼロ金利制約に直面する国が増えてきたことから,新しい研究が進んでいくかもしれない。例えば,Blanchard, Dell’Ariccia and Mauro (2010)は,ゼロ金利とデフレの深刻さに配慮して,物価安定目標を4%に設定してはどうか,という問題提起をして,話題になったところである(問題提起であって,Schmitt-Grohe and Uribe, 2009のまとめが主流の見解といえる)。

 物価安定目標を判断する基準としては,経済理論と実際の運用経験が考えられる。
 世界標準の2%は,Schmitt-Grohe and Uribe (2009)にしたがえば,経済理論による正当性を欠く。現在これを正当化する根拠は,実際の運用でこれまでうまくいっているから,というものである。4%の提言に対して,ほぼ世界の中央銀行が拒否反応を示したが,その理由も同様に,現状でうまくいっているから,というものである。こういう運用の「保守的」要素は,実際の物価安定目標の選択に大きな影響をもっているといえる。
 日本が2%を選択する場合は1%からの変更になるので,保守的要素からの支持がなくなる。強いて言えば,「外国でうまくいっているから」という理由になる。
 日銀がとる1%については,「『物価の安定』についての考え方」で示されているように,上の(2)から(4)までを考慮に入れている。経済理論による正当性は,2%よりは高そうである。また,他の国より低めの理由については,最近時(1985〜2005年,あるいはデフレ期をのぞく1985〜1997年)のインフレ率が他国よりも低く,「経済活動にかかる意思決定はそうした低い物価上昇率を前提として行われている可能性がある」と指摘している。しかし,この論理構成は現状追認であり,デフレが続く現在ではデフレ追認になりかねない。さすがにそれはまずいので,「『中長期的な物価安定の理解』の明確化」では,デフレは許容していないことが明確にされている。しかし,デフレが続く日本では物価安定目標としてはうまくいっていないので,実際の運用経験を根拠とした正当化はしづらい。
 1%も2%も,はっきりと望ましいと断定できる根拠はなさそうである。私の個人的な意見としては,強いて言えば1%の方が望ましいだろうか(注)。しかし,はっきりと決着をつけるのは難しそうである。

(注) 個人的な意見では,範囲で考えるならば1〜2%になる。指標とする物価指数は,消費者物価指数(食料(酒類を除く)及びエネルギーを除く)である。[2011年9月6日追記:「個人的に」の誤字を修正]

(参考文献)
Olivier Blanchard, Giovanni Dell’Ariccia, and Paolo Mauro (2010), “Rethinking Macroeconomic Policy.”
http://www.imf.org/external/pubs/ft/spn/2010/spn1003.pdf

Paul R. Krugman (1998), “It’s Baaack: Japan’s Slump and the Return of the Liquidity Trap,” Brookings Paper on Economic Activity, No. 2, pp. 137-187.

Stephanie Schmitt-Grohe and Martin Uribe (2009), “The Optimal Rate of Inflation.”
http://www.ecb.europa.eu/events/pdf/conferences/monetaryeconomics/item1_paper.pdf?592c4e0302a6a2e3b1f6d45dda08356b

(参考)
「『物価の安定』についての考え方」(日本銀行,2006年3月10日)
http://www.boj.or.jp/type/release/zuiji_new/mpo0603a.htm

「『中長期的な物価安定の理解』の明確化」(日本銀行,2009年12月)
http://www.boj.or.jp/type/release/adhoc09/un0912c.pdf

「経済・物価情勢の展望(展望レポート)」(日本銀行)
http://www.boj.or.jp/theme/seisaku/sakiyuki/tenbo/index.htm

(関係する過去記事)
「リフレ政策」に対する私見(とりあえずのまとめ)
http://blogs.yahoo.co.jp/iwamotoseminar/32738553.html

(関係する記事)
物価安定目標の法制化がもたらす「物価安定目標の不安定化」
http://blogs.yahoo.co.jp/iwamotoseminar/33797482.html

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