岩本康志のブログ

経済,財政の話題を折に触れて取り上げます

全体表示

[ リスト ]

 デフレ脱却策のひとつとして,物価安定目標の法制化,が議論されている。
 日本銀行法2条は,「日本銀行は、通貨及び金融の調節を行うに当たっては、物価の安定を図ることを通じて国民経済の健全な発展に資することをもって、その理念とする」と規定している。
 この条文中の「物価の安定」が何を指すのかが明確ではなかったため,政策運営が不透明であるという批判が長らくされている。日銀法上の「物価の安定」の意味を明確にし,具体的に数値化することが必要であり,それは政府から与えられるべきものである。そういう明文規定がないことから,日銀法を改正して,物価安定目標を法制化しようという意見がある。
 きわめてもっともな意見ではあるが,現状では政府側の「物価の安定」についての考え方がまとまっておらず,政府側の体制整備がないまま物価安定目標の法制化を急いだ場合,物価安定目標の不安定化が起こるかもしれない。

 現在,物価安定目標に近いものは,日本銀行が2006年3月にまとめた「『物価の安定』についての考え方」のなかで示された「中長期的な物価安定の理解」(中長期的にみて物価が安定していると各政策委員が理解する物価上昇率)であり,

「消費者物価指数の前年比で表現すると、0〜2%程度であれば、各委員の『中長期的な物価安定の理解』の範囲と大きくは異ならないとの見方で一致した。また、委員の中心値は、大勢として、概ね1%の前後で分散していた。」

となっていた。
 原則としてほぼ1年ごとに点検することになっており,毎年4月の「物価展望レポート」に点検結果が記されている。また,2009年12月には,「『中長期的な物価安定の理解』の明確化」で,

「消費者物価指数の前年比で2%以下のプラスの領域にあり、委員の大勢は1%程度を中心と考えている」

と表現が変わり,2010年4月の「物価展望レポート」では,この文言が継承されている。

「中長期的な物価安定の理解」は,日本銀行で作られたものである。
 政府側が物価安定の目標を決めて,政府と日銀の協定のなかにそれを組み込む形式に移行する場合,政府側の体制を十分に整備する必要がある。
 物価安定目標については,おもに政治家の発言によって関心が高まる。最近では,鳩山政権時の菅直人財務相の発言があったが,発言以上の形で政府の見解としてまとまっていくことはなかった。こうした「前例」を踏襲したまま物価安定目標が法制化されると,ときの財務大臣がぽんと数字を発言すれば,それがそのまま目標になってしまうかもしれない。政治家の考えも様々で,ある人は高目のインフレがいいと思い,ある人はインフレを嫌うということがあるだろう。そうすると,ときの財務大臣の考え方次第で目標も変わってしまうかもしれない。物価安定の目標が不安定に変動するようになったら,笑い話にもならない。
 政府側でしっかり検討する体制を作って,現在の日銀が公開しているものと同等か,それ以上の形で,その考え方を説明することが必要であろう。
 しかし,政府内でしっかり調整すればいいか,といえば,現状ではそう一筋縄ではいかない。
 政治家個人の発言ではなく,政府内で調整されたもので,政府側の物価安定目標に相当するのは,6月に閣議決定された「財政運営戦略」と同時に発表され,内閣府が作成した「経済財政の中長期試算」に示された数値である。この試算は2023年度までの経済変数の予測が示されているが,2023年度のCPI成長率は,「慎重シナリオ」では1.2%,「成長戦略シナリオ」で1.8%となっている。これに類似する資料は,自公政権のもとでは1月に発表されるのが恒例だったが,最も新しい(2009年1月)「経済財政の中長期方針と10年展望 比較試算」では,2018年度のCPI成長率が2.3%であり,シナリオによって1.3%〜2.8%に分布している。
 この種の試算が出されるときに,将来の成長率を高目に見積もるのか,控え目に見積もるのかは,いつも激しい議論になる。最近では,財政再建派と上げ潮派の対立が記憶に新しい。経済の先行きが不透明な場合には,複数のシナリオを念頭に政策運営をしていくことが望ましいが,基準ケースはそのときの政権の考え方によって設定される。今年は堅実なシナリオを選択しているが,それ以前は楽観的な設定がとられることもあった。そして,この成長率の設定がインフレ率の設定と連動している。
 政治家を含んだ政府側の動きをかなり単純化して整理すると,長期的なCPI成長率を1%程度と考える「堅実路線」と,2%程度と考える「成長路線」の間で基準ケースを奪い合う争いが続けられている。「最適なインフレ率」(http://blogs.yahoo.co.jp/iwamotoseminar/33788971.html )で説明した通り,どちらかがはっきり望ましいという根拠はない。政府のなかでも決着がついておらず,基準ケースはどちらかになるが,両論併記の形でシナリオが作られている。
 したがって,現状のままで進めば,政府内できちんと調整をして物価安定目標を決定したとしても,そのときの勢力争いの結果で揺れ動く可能性があり,その結果,物価安定目標が不安定化してしまう(注1)。
 物価安定目標の効能のひとつは,民間部門が将来の物価について安定した見通しをもてるようになり,経済活動を阻害する不確実性を減らすことにある。物価安定目標を法制化していない現状は,政府側の路線対立を表に出さないことで,結果的に将来の物価の見通しに対する不確実性を減じる働きをしている。
 もちろん,こうした現状が望ましい姿ではないことは事実であるが,拙速な法制化は,現状で「不明確」であるものを「明確に不安定化」することになる(注2)。まず必要なことは,目標とするインフレ率について,政府内の意見の幅を狭くすることである。
 まずテブレをとめよ(注3)。

(注1) 1〜2%の範囲として設定すれば,2つの路線が共存できるかもしれないが,中心はどこかを詰め始めると,路線の対立は顕わになる。

(注2) 日銀内の意見が1%で一枚岩ということでは必ずしもない。政策委員の多数の意見で決まるのならば,2%程度が望ましいという意見が多くなれば,そちらに変更になるだろう。ただし,任期5年の委員の多数の意見が反映するのであれば,意見が揺れる度合いは政府よりも少なくなるだろう。

(注3) これは,金融政策の目標がぶれることを指して,知人の財政学者が名づけた言葉である。

(参考)
「『物価の安定』についての考え方」(日本銀行,2006年3月10日)
http://www.boj.or.jp/type/release/zuiji_new/mpo0603a.htm

「『中長期的な物価安定の理解』の明確化」(日本銀行,2009年12月18日)
http://www.boj.or.jp/type/release/adhoc09/un0912c.pdf

「経済財政の中長期試算」(内閣府・2010年6月22日)
http://www5.cao.go.jp/keizai3/econome/h22chuuchouki.pdf

「経済財政の中長期方針と10年展望 比較試算」(内閣府・2009年1月16日)
http://www5.cao.go.jp/keizai-shimon/minutes/2009/0116/item2.pdf

(関係する過去記事)
「リフレ政策」に対する私見(とりあえずのまとめ)
http://blogs.yahoo.co.jp/iwamotoseminar/32738553.html

望ましいインフレ率
http://blogs.yahoo.co.jp/iwamotoseminar/33788971.html

この記事に


.


みんなの更新記事