岩本康志のブログ

経済,財政の話題を折に触れて取り上げます

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 日銀が5日に導入を発表した「包括的な金融緩和策」(包括緩和)について,小幡績・慶応大学准教授[2010年10月23日誤記修正]は,ブログで以下のようにのべている。

「今回の政策の包括的なプラスの効果は、日銀への圧力に対して、すべて先回りして屈することにより、屈する中では、極めて理論的には最終手段としては取る価値のある政策を採ることができた、ということだろう。
日銀の気持ちとしては、これで、玉は政府の側に移り、日銀はやれることはすべてやった、あとは政府が頑張ってくれ、という政治的な弱さを前提にした、弱者の戦略に出たということだろう。
しかし、日本の政治、メディア、そして金融業界はおろか極まりなく、際限なく、金融市場と経済を分かっている人なら理不尽と思うようなことを要求し続けてくるだろう。その誤りと罪に気づかないのだから、始末が悪く、理屈が割っている[原文ママ]人と、理屈が判っていない人との勝負では常に後者が勝つという定理からすると、日銀はとことんまで、責め続けられるだろう。
かたぎとすじの闘いのようなものだ。
つまり、勝負は既についてしまった。これで。」(http://blog.livedoor.jp/sobata2005/archives/51570201.html )

 政治との関係についての小幡教授の見立てには同感である。私の記事「『包括的な金融緩和政策』について」(http://blogs.yahoo.co.jp/iwamotoseminar/34208019.html )では,この政治的な負け戦のなかで歯止めをかける手段として,日銀の資産買入について政府保証をつけることを提案した。政府の責任で政策が実行されることをはっきりさせるためである。しかし,その記事では,この「信用緩和」政策の是非には触れなかった。4月5日の記事「『リフレ政策』に対する私見(とりあえずのまとめ)」(http://blogs.yahoo.co.jp/iwamotoseminar/32738553.html )では,信用緩和については,「現時点で必要なし。民間企業への直接の資金供給は,まずは政策金融機関の仕事である。なお,中央銀行がバランスシートにリスクを負うことは財政政策であるとの認識が必要」とまとめてあった。
 これは端折った書き方だったので,改めて信用緩和政策の是非をここで論じる。とくに,まだ十分説明されてなかった「副作用」の面に焦点を当てる。
 この政策は,短期金利ではなく,他の市場金利に直接,影響を与えようとするものである。いいかえると,信用スプレッドないしリスクプレミアムを圧縮して,経済への刺激効果を出す政策である。
 広い意味では,3種類の政策が考えられる。
 第1は,金融システムの危機によってリスクプレミアムが拡大した場合に,中央銀行がその縮小を図ることである。今回の金融危機への対応で米国がとった信用緩和政策がその代表例である。日本がかつて不良債権問題に苦しんだ時期にもこのような問題があり,大規模ではなかったが,信用緩和的な政策も実行された。
 第2は,日本の政策金融のように,金融市場のなかでの個別の問題に対して政府が介入するものである。しかし,政策金融には肥大化の批判があって改革がおこなわれたように,適切に介入することが難しいという問題がある。
 これら2つは,金融市場に何か問題があって,リスクプレミスムが適切に決定されておらず,それを是正するように政府が介入するものである。
 ところが現在の日本は,不良債権問題を抱えていた時期の日本やサブプライム危機後の米国のような金融システム上の問題はなく,この問題によって各市場につけられたリスクプレミアムが歪んでいるという現象は(少なくとも目立った形では)起こっていない。日銀に現在の米国並みの量的緩和を要求する意見は,この違いを無視している。米国の信用緩和は,従来の中央銀行の行動から大きく逸脱する異例のものだったが,歪んでしまった資産価格の体系を正しい方向に歪め直すという大義があった。今回の日銀の包括緩和のなかの信用緩和は,このような大義がない。白川日銀総裁は5日の記者会見で,「現在のリスク・プレミアムが全般として大き過ぎると判断される状況では必ずしもありません。金融政策として、今よりリスク・プレミアムの水準を下げていくという形で、金融緩和の効果を追求しようとするものです。」と明言している。
 したがって,米国型信用緩和と日本型信用緩和ははっきり区別した方がいい。歪んでいないリスクプレミアムを歪めることに日銀が乗り出すことに,当然に市場関係者は反発するだろう。「うまく働いているものをなぜ壊すのだ」と。

 日本型信用緩和の効果が不確実なことについては,説明が少し技術的になるので,別の記事[2010年10月23日追記:「日本型信用緩和の効果についての技術的説明(http://blogs.yahoo.co.jp/iwamotoseminar/34331091.html )」に回す(本当は一緒にしたかったのだが,字数制限に引っかかってしまった)。その結論を先取りして,先に進む。
 効果が副作用を上回る政策は実施されるべきである。しかし日本型信用緩和のような政策はこれまで実際に試されたことはなく,現在の知見では,その効果と副作用がともに不確実で,定量的な情報も乏しい。定性的には,副作用は見た目に明らかである。事前に評価するのに必要な情報(どの資産間に裁定が働いていないか,どの資産間の裁定が強いか。これらの情報がなぜ必要かは別記事で説明する)は,なかなか検証が困難である。実践が研究の先をいっているわけだ。
 見解が分かれるなかで1億人余が運命をともにする政策を決めなければいけないならば,処方箋は簡明なものにする,というのが私の考え方である。つまり,信用緩和は信用危機が生じた場合に,その問題に直接働きかける政策として用いる。信用危機でない状態では信用緩和は用いず,これまでの経験で効果と副作用がもう少しよくわかっている財政政策で対応する。
 すると,日銀の対応として現在必要なのは,包括緩和のなかの第2の措置の,時間軸政策をしっかり働かせるように,ゼロ金利政策の透明性を高めることだ。そのつぎに打つ手として,時と場合によっては,包括緩和に含まれるような信用緩和に踏み出すことはあるかもしれない。時と場合というのは,財政政策の実行が限界に達したとき,実体経済の悪化が金融システムの悪化まで波及したとき,あるいは効果と副作用がより詳しくわかったときである(これが,4月5日の記事での「現時点で必要なし」の理由である)。
 日銀は私よりも多くの資源を使って,信用緩和の効果と副作用を点検していただろうから,私の処方箋の考え方が間違っていて,日銀の今回の判断が正しいという可能性はあり得る。日本型信用緩和は実行に移されることになったので,その方が国民にとっては望ましいことだ。私が納得できるような説明が日銀から与えられるならば,それは喜んで認めたいところだ,しかし,包括緩和決定後の白川総裁の記者会見では説得的な説明はなかった。この政策の正当性が今後,どう説明されるのかを見守っている。
 白川総裁が「経済の状況が異例であるからこそ、政策も異例になっている」と発言しているように,日本型信用緩和は異例の政策である。しかし,この政策が選択されたのは経済が異例だっただけだろうか。このところの日銀をめぐる政治状況を鑑みると,異例の政策がとられたのは,政治が異例だった影響があるようにも思う。
 おそらく今回の規模では大きな効果は期待できないだろうから,すぐに拡大の圧力が高まるだろう。さらに政策の詳細と解除条件が曖昧で,どこまで広がり,いつまで続くかわからない。異例が持続するかもしれない怖さを抱えている。

(参考)
「日銀政策の包括的な影響」(小幡積)
http://blog.livedoor.jp/sobata2005/archives/51570201.html

「『包括的な金融緩和政策』の実施について」(日本銀行,2010年10月5日)
http://www.boj.or.jp/type/release/adhoc10/k101005.pdf

「総裁定例記者会見(10月5日)要旨」(日本銀行,2010年10月6日)
http://www.boj.or.jp/type/press/kaiken07/kk1010a.pdf

(関係する過去記事)
「リフレ政策」に対する私見(とりあえずのまとめ)
http://blogs.yahoo.co.jp/iwamotoseminar/32738553.html

「包括的な金融緩和政策」について
http://blogs.yahoo.co.jp/iwamotoseminar/34208019.html

[2010年10月23日追記]
(関係する記事)
日本型信用緩和の効果についての技術的説明
http://blogs.yahoo.co.jp/iwamotoseminar/34331091.html

この記事に


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