岩本康志のブログ

経済,財政の話題を折に触れて取り上げます

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 復興国債の日銀引き受けが最近取り沙汰されていたが,ゼロ金利で貨幣量が増えている現在の環境のもとで国債の日銀引き受けから財源を得ようとすると,かりに国債と通貨の信認が揺らがないとしても,制御できないインフレが生じるだろう(注1)。これに対する「インフレが過熱するなら金融を引き締めればいい」という反論は,財源を得るということはそれが不可能であるという事実に気づいていない。貨幣を増やしたままにしないと財源にならないのだが,貨幣を増やしたままで金融引き締めはできないからである。別の角度から言えば,インフレを制御しようとすれば,国債の日銀引き受けは財源にならない。
 以上のことは,目新しい話ではなく,ゼロ金利解除のときに何が起こるかについて10年ほど前の金融政策の論争過程で明らかになっていることから導かれるものである。また,池尾和人・慶応大学教授が「既視感が漂うデフレ脱却論議」(http://agora-web.jp/archives/938282.html )で,ヘリコプター・ドロップ政策について論じていることと共通の背景をもつ(注2)。私の「貨幣数量説と流動性の罠」(http://blogs.yahoo.co.jp/iwamotoseminar/35329635.html )とも趣旨が共通しているが,以下では財源の視点から論じ直してみたい。

 日銀が国債を引き受けることが財源になるというのは,おおむね以下のような考え方による。中央銀行は資産に国債,負債側に貨幣(日銀券と準備預金)をもつので,国債を引き受けると,その分貨幣が増加する。日銀が国債を引き受けることは,政府が貨幣を増加させるのと同じことになる(日銀が市場で国債を購入しても同様な効果があるが,今回の記事では日銀引き受けだけに関心をしぼる)。国債はやがて税を財源にして償還しなければならず,償還までの間に利子を払わなければいけない。一方,貨幣は償還する必要はなく,利子を払う必要もない。となれば,国債ではなく貨幣を発行することで,財源が生じそうである(注3)。
 以上の議論では貨幣が民間で保有され続けることが必要になるので,それが何を意味するのかを貨幣需要関数を使って考えよう。典型的な貨幣需要関数は

M/P=L(i,Y)

であり,Mは名目貨幣,Pは物価水準,iは名目金利,Yは実質所得である。PかYが増えて名目所得が上昇すれば,(名目金利がさほど変化しなければ)名目貨幣Mへの需要が増える。マイルドインフレが継続しているとき,インフレに合わせて増加する貨幣は償還されることはなく,政府の財源とみなすことができる。
 ところが,「貨幣数量説と流動性の罠」(http://blogs.yahoo.co.jp/iwamotoseminar/35329635.html )で紹介した通り,1995年に政策金利が0.5%となる前の日本ではマネタリーベース(M)と名目GDP(PY)に安定した関係が見られるが,1995年以降は,この関係から大きく外れてMだけが増えている。今後デフレから脱却して金利が上がった場合に,貨幣の需要と供給が均衡する経済の姿がどのようになるのかは,この事実を踏まえて考えないといけない。若干面倒だが場合分けが必要である。まず,現在の貨幣需要がどうなっているかで,3つに分けられる。

(1)ゼロ金利を解除すると貨幣需要が1995年以前に見られた関係に戻る場合。このとき,ゼロ金利が解除された時点で最近の名目GDP水準と整合的な貨幣需要は,現在の水準よりも大幅に小さくなる。さらに,ゼロ金利の解除のタイミングで2つに場合分けされる。
(1a)ゼロ金利を早晩解除するならば,マネタリーベースを大幅に縮小させないといけない。このため,貨幣が償還されないという前提が崩れて,国債引き受けは財源とならない。
(1b)財源を得るためにマネタリーベースを縮小させなければ,名目GDPがそれと整合的水準(それは現在の名目GDPよりも非常に高い)になるまでゼロ金利を継続しなければいけない。それがいつまで続くかで,とりあえず2つの場合を考える。
(1b1)比較的短い時間で非常に高い名目GDPに到達するには,その間に猛インフレが起こらないといけない(注4)。
(1b2)マイルドインフレで非常に高い名目GDPに到達しようとすれば非常に長い時間がかかる。これはマイルドインフレが持続するので万々歳のように見えるが,この期間中はゼロ金利でなければいけないことに注意されたい。インフレターゲットを採用している中央銀行でも,物価の安定のためには政策金利を操作して経済の安定化を図っている。それでも,大きなショックがあったときには,インフレ率がターゲットの範囲を外れることがある。ゼロ金利を維持するというのは金利の操作という強力なツールを奪われたことになるので,そのもとでインフレターゲットをもつだけでターゲット内のインフレが実現できる,という考え方はご都合主義であり,とても根拠がつけられない。「インフレが加熱すれば金融を引き締めればいい」は通用しない。ゼロ金利を維持したままで,どうやって金融を引き締めればいいのか。結局は,日銀は物価の安定を図れなくなるだろう。
(2)じつは低金利が続いているうちに貨幣需要関数が変化(需要が増えている)していて,ゼロ金利が解除されたときに最近の名目GDPと整合的な貨幣需要は現在の水準とほぼ同じところにある場合。これは,マネタリーベースを縮小させることなく,マイルドインフレに着地できそうなので,日銀の国債引き受けで財源確保を考えている人たちには望ましい事態である。しかし,マイルドインフレにちょうど着地するように貨幣需要が変化していた,という考え方にはおよそ合理的な根拠はなく,やはりご都合主義である。
(3)貨幣需要がある程度変化していて,(1)と(2)の間にある場合。これは,15年以上もゼロ金利か,その近傍にあったので,金利が上がったときの貨幣需要がどこにあるのかはよくわからない,という慎重な態度である。本当にわからなければ何も言えなくなるが,まずは過去の経験(つまり1995年以前の貨幣需要関数)に沿った水準をおさえて,そこから幅をもって考える,というのが妥当な推論だろう。これが,「貨幣数量説と流動性の罠」において私が「1995年以前の貨幣の流通速度をもとにしているので,着地すべき名目GDPにはある程度の幅をもってみる必要はある」としたものである。何が起こるかは,定性的には(1)の場合の帰結があてはまる。

 場合分けが多くなったが,まともな金融政策の運営は(1a)である。他は,
(1b1)猛インフレ
(1b2)制御できないインフレ
(2)ご都合主義で,現実にはあり得ない
という帰結になる。
(1a)では,いま国債引き受けで増えた貨幣はゼロ金利政策を解除するところで国債に変わってしまうので,「貨幣が償還されないから」という財源の根拠がなくなってしまう。ゼロ金利の期間中は短期国債もほぼゼロ金利で発行できるから,「金利を払う必要がない」という財源の根拠もなくなってしまう。したがって,物価の安定が図れても,日銀引き受けが財源にはならない。「貨幣が償還されない」を貫くと,(1b)のように物価の安定化が図れない。

 経済学のなかでは,マイルドインフレでの通貨発行益と通常の税とをどう組み合わせて財源調達するかという議論(注5)はあるが,制御できないインフレは経済の混乱が大きくて,比較の対象にならない。
 以上,復興国債の日銀引き受けは,流動性の罠にある現在の日本の状態では,財源にはならない。したがって,復興財源は通常の手段,つまり現在か将来の税でまかなうことになる。震災は稀なショックであるから,ある程度長期に分散した税で財源調達するのは,「課税平準化」[2011年6月5日追記:「平準化」を「標準化」と誤記していました]と呼ばれる合理的な考え方である。つまり,国債を発行して時間をかけて償還していくことになる。ただし,今後に高齢化が進行することを考えると,償還期間は最長でも20年間程度だろう。償還期間は復興予算の規模との兼ね合いで決まるべきものである。増税はいますぐである必要はなく,現状の混乱期を避けて2年程度後からでもいいだろう。
 復興計画の作成では,復興のために何をするかを考えることが先である。復興構想会議にはそれが期待されていたはずである。それが最初から増税が注目を集めてしまうのは,会議の不手際である。軌道修正が必要だ。

(注1)
 今回の記事では,日銀引き受けが国債や通貨の信認を損なうことはないと考えている人の意見の問題点を扱うので,信認が損なわれないとの前提で議論するが,これは戦略的仮定であって,私の意見ではない。[2011年6月21日追記:「信認」の誤記を修正。]
「財政法第5条(日銀の国債引き受け)について」(http://blogs.yahoo.co.jp/iwamotoseminar/33213494.html )でのべた通り,私は,国債の日銀引き受けに反対である。日銀引き受けの禁止は,財政規律を保つための防ぐ安全装置であり,それを外すメリットはない。
(注2)
厳密なモデル分析の基礎を与えるものとしては,Ball (2008)がある。
(注3)
 貨幣が償還されない前提で,貨幣の増加が財源とみなせる議論は「通貨発行益」の標準的な議論である。このことは,「通貨発行益」(http://blogs.yahoo.co.jp/iwamotoseminar/33222258.html )で説明した。
(注4)
 ただし,これは「ハイパーインフレーションの理論」(http://blogs.yahoo.co.jp/iwamotoseminar/32519668.html )で示した,ハイパーインフレーションとは違った現象である。そこでは,国債は市中で消化できずにすべて中央銀行が消化せざるを得ず,貨幣の増加が中央銀行にとっては外生的な財政赤字で決定されている。今回の記事では,貨幣の量は財政赤字とは関係をもたない。
(注5)
 例えば,2006年にノーベル経済学賞を受賞したフェルプス教授の研究(Phelps, 1973)。

(参考文献)
Laurence Ball (2008), “Helicopter Drops and Japan’s Liquidity Trap,” Monetary and Economic Studies, December, Vol. 26, pp. 87-105.
http://www.imes.boj.or.jp/research/papers/english/me26-7.pdf

Edmund S. Phelps (1973), “Inflation in the Theory of Public Finance,” Swedish Journal of Economics, Vol. 75, No. 1, March, pp. 67-82.
http://www.jstor.org/stable/3439275

(参考)
「既視感が漂うデフレ脱却論議」(池尾和人)
http://agora-web.jp/archives/938282.html

(関係する過去記事)
「ハイパーインフレーションの理論」
http://blogs.yahoo.co.jp/iwamotoseminar/32519668.html

「財政法第5条(日銀の国債引き受け)について」
http://blogs.yahoo.co.jp/iwamotoseminar/33213494.html

「通貨発行益」
http://blogs.yahoo.co.jp/iwamotoseminar/33222258.html

「貨幣数量説と流動性の罠」
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