愛媛の海 小旅行

愛媛の海で楽しんでいます。

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(2)豊後水道 − 保内町 川之石港
保内町は佐田岬半島の付け根に位置していて北と南はそれぞれ、瀬戸内海と宇和海に面しています。
高台から見下ろすと保内湾が宇和海へとつづき前方に「愛媛20選」に選ばれた景勝地「諏訪崎」や国の天然記念物に指定されている地震の化石とも言われている「シュードタキ」ライト」という珍しい岩石と「変成岩類」が分布する「大島」等が見渡せ、まさに絶景です・・・
又、川之石港周辺は東洋紡績赤レンガ倉庫跡等明治の町並みを残してるちょっとハイカラでレトロさを感じさせる港町です。

●川之石港歴史
 
  川之石港は西側からも岬に抱かれて、湾の入口も回り込んで広く、船の停泊地としては理想的で
 宇和島藩が物資の積出港として指定するなど江戸時代から(天保年間)から海運業が栄えていました。
  「おやけ」(菊池家)「ほていや」(兵頭家)「いずみや」(和田家)等の大きな廻船問屋は、
 千石船を持ち、地域特産の櫨、木蝋、魚や、九州方面の米・材木等を大阪方面に輸送していました。
  明治45年(1912)の川之石港の船舶は493隻にのぼり航路は四国はもちろん関西・九州鹿児島
 まで及んでいました。
  1年間出港2851隻、入港2549隻もありました。
 海運業の繁栄は太平洋戦争まで続きましたが、明治末から大正にかけての電信電話の発達から
 相場取引が帆船では不利になり、次第に石炭輸送が中心となりましたが戦争中の徴用等や陸路の
 発達によりかつての繁栄は消えてしましました。
  現在、川之石湾では魚の養殖が盛んに行われています。
 

●宇和海のコロンブス吉田亀三郎、初の太平洋帆走横断出発港 川之石港

  吉田亀三郎ら5人は1912(明治45)個人が自主的に企てた航海で、この港から地元宇和海の帆曳き
 漁船(打瀬船)に乗って、日本人として初めて太平洋を帆走横断しました。
 翌年もまた25人の仲間を引き連れて2度目の太平洋帆走横断をなしとげました。
 その航海を通じて、日本の伝統的な和式帆船の航洋船としての性能を、初めて国際的に認めさせ
 ました。
  彼の航海に影響されて、その後も真網代や三瓶から4隻もの帆走漁船(密航船)が太平洋を横断
 する先駆者となったそうです。

 ◇吉田亀三郎顕彰費碑全文 小島敦夫「密航漁夫」より
  表 − 渡米 先覚  吉田亀三郎顕彰碑 安岡正篤書
  裏 − 吉田亀三郎は、明治五年二月二十八日、川之石村楠浜に生る。
      幼少より海に親しむ。長じて海外雄飛の大志を立て、明治四十四年合衆国に
      密航するも、捕らえられ送還さる。しかれども雄心なお止み難く、同志あい
      語らい、再度渡航を計画す。
      大正二年五月八日自ら船長となり、2間×7間半(13メートル足らず)の
      打瀬船に身を託し、一行二十六名、川之石を出港、太平洋横断の壮挙に出ず。
      途中、暴風雨に遭遇すること再度、無卿、不安、生死の間を彷徨し、あらゆ
      る困苦に迫られるも、船長の統御よろしきを得、乗員一同の結束かたく、遂
      に日本出発以来四十有六日にしてカナダ、クインシャーロット島を経、七十
      五日目、ベラベラに上陸す。
      思うに、この壮挙は、米国移民法により当時は密航の謝り謗りは免れざりし
      も、自ら萬里波濤を蹴って困苦欠乏に耐え、海外雄飛の大望を決行せしは、
      まことに世人をして驚嘆振起せしむると共に、今日、一行中の平家宗春、現
      在カナダ人としてトロント市に在住するも、船長の恩義忘れ灘く、墓参帰国
      の機に郷薫有志と相はかり、この地を定め碑を建立し、後世に遺す。
                   昭和三十八年十一月吉祥日。


●東洋紡績川之石工場跡
  
  明治20年(1887)川之石に四国初の紡績工場の宇和紡績会社が設立されました。
  (宇和紡績は明治40年(1907)大阪紡績が買収、大正3年(1914)東洋紡績川之石工場となる)
  昭和35年(1960)に閉鎖され、現在は赤レンガ倉庫だけが残り川之石地区の黄金時代を象徴
 する貴重な建物の一部が残っています。
 東洋紡績の広大な敷地跡は、現在、保内中学校、八幡浜紙業、八興産業などになっています。

●あわしま堂
  
   川之石にある西日本随一と言われるあわしま堂の本社工場。愛媛県西宇和の美しい海を望む
  工場は、一歩中に入るとそこはガラス張り。誰でも気軽に生産ラインを見学できるようになっ
  ています。
  ガラスの中は高い天井とゆったりしたスペース。
  そこに整然とレイアウトされた業界でも最新のテクノロジーが導入された生産設備とお菓子を愛
 するスタッフの手によって、1日110万個という数の「おいしさ」が生みだされます。そして、
 この驚異的な生産能力の高さが、ほんもののお菓子の低価格化を実現しているのです。
  
  以上、あわしま堂さんのHPから抜粋させていただきましたが、なぜ海の旅でお菓子やさんを
 とりあげたかといいますとそれは湾内に接して工場があるにも関わらず公害・海洋汚染等一切起こ
 さず宇和海と共存しているのに驚かされたからです。
  「伊予の三本年貢」と世に知られる、家の窓一つ、畳から雨戸一枚にまで課税され、寝具として
 布団を用いるなどもってのほか、ゴザさえ使うことはならぬという苛酷な圧政で生きてきた土地で
 時代が違うとはいえ近隣住人の雇用機会を最大限与え、生産したものは全国各地で販売して稼いだ
 お金は主に地元に還元するという理想を現実にしているんですね!
  普通の企業であれば販売先が広がれば物流費等の経費を考え消費地に近い所に工場を作って行く
 のが常道で地域のことなんか考えませんもんね。
  社長さんがどんな人かは、知りませんが海と地域を大切にして、又、成功者としてそれらを守り
 抜く度量をお持ちになっているんですね! すばらしいです。


 

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