愛媛の海 小旅行

愛媛の海で楽しんでいます。

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 豊後水道 - 八幡浜⇔ 真穴・三瓶 八幡浜から海岸沿い

主な見所
・諏訪崎
八幡浜港から海岸沿いに三瓶方面に行くとすぐ諏訪崎の入り口に着きます。
諏訪崎はは宇和海に突き出した約4kmほどの小さな岬です。正式には「自然休養林諏訪崎」と言います。「四国20景」に選ばれています。 
駐車場をおりて自然道を通って海岸へ降りて行くと展望台があります。
対岸(佐田三崎側や真網代側)から小さく見える赤い灯台と白亜の塔が真近に見えます。

・冒険とロマンの浜 源蔵前
大正2年、今から80年以上も前のことです小さな入り江、八幡浜市真穴地区の真網代源蔵前。アメリカに夢を馳せた川上の浦人15名が、太平洋横断を期し、小さな入り江真網代源蔵前からわずか15メートルほどの打瀬船と呼ばれる帆船でこの地を出航したのです。
北針(きたばり)と呼ばれる木枠の磁石を頼りに、伊豆大島から日本海流に乗った航海は、まさに死と背中合わせの危険をはらんでいました。
 途中何度も暴風雨に遭うなど、沈没の危機にもさらされたといいます。
苦難を乗り越えた船は日本を発ってから58日目、ついに憧れの地アメリカ、サンフランシスコ北のアレナ海岸に到着しました。。距離にして1万1000キロの移動――まさに大偉業でした。
 残念ながら数日後、乗組員一行は密航者として日本へ強制送還されました。
わずか50トンの小船で太平洋を横断し、勇躍新天地へと向かった15人の行動は、全米の新聞に「コロンブスのアメリカ発見にもあるまじき奇蹟なり」と報道された。また、そのことは真穴村の地元民にも勇気を与え、翌年、翌々年と夢を求める多くの若人たちが航海に挑んだといいます。そして、現実にアメリカで一旗揚げる者もかなりの数に上ったそうである。
この話は北針物語として浦人に語り継がれ、真穴の船出の浦に顕彰碑が建っています。
又、この話は「北針」 (1982年): 大野 芳著という本にも書かれました。
 八幡浜市保内町川之石の吉田亀三郎を始めとする5人が川之石港出航してアメリカ、サンディエゴ市北郊のフラットロック海岸に着いてから3年後のことでした。

・愛媛の海にあった巴里島

須崎鼻(須崎観音がある)北側に平行している島ですが地図で調べて見るとなんと!!島の名前は巴里島
一見ひょっこりひょうたん島の形にそっくりでまたびっくりです。
名前の由来をご存知の方いましたらご一報下さい。


 ◎愛媛の釣り情報はこちらからどうぞ!リアルに釣果情報もわかります。
        愛媛の遊漁船   
        http://dayzi.com

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一見ひょっこりひょうたん島の形にそっくりでまたびっくりです。
名前の由来をご存知の方いましたらご一報下さい。

この島は「パリ島」ではありません。「ビリ島」といいます。鯨の形をしています。昔々、鯨が入江に迷い込んで昼寝をしていました。対岸の道に大きな牛が歩いてきて、鯨を見つけて吃驚して「モォー」と大きな声で鳴きました。
鯨はこの音で眼覚め、大きな「牛」を発見しました。祭りの出し物「牛鬼」です。鯨は見たこともない怪物を目の当たりにして、余りの恐怖に「ビリ・ビリ・ビリ」と震え上がり、息絶えてしまったそうです。月日が流れ、鯨の死体が固まって、木が生えてきて、「島」になったそうです。
小生、還暦男。子供の頃に聞いた話です。地元でも、正式な漢字は「巴里」で、フランスの巴里と関連付ける人はあまりいないのではないでしょうか?あの島は、ビリシマでしかありません。 削除

2010/4/14(水) 午前 5:37 [ 周木の人 ] 返信する

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