マイクロワームホールでエネルギーを送る
最初に前回の補足。
ブラックホールは小型のものも作れるのだからそんなに高エネルギーにならないとお考えの方がいたらそれは科学的にはちょっと外れていると思う。
あるコミックで「マイクロワームホールでエネルギーを送る」というシーンに出くわした。確かに今超小型のブラックホールをLHCで作ろうとしているから、そこからマイクロワームホールも難なく作れるだろうと考えたのかと思われるが、困った話だ。
まず小型だからといって扱いが困難なことは何も変わらないし、周囲の時空を歪ませることも何も変わらない。大体周囲の時空を歪ませなければ超光速移動なんか出来ないのだから。出発点と、目的地の2箇所に高エネルギーの仕組みが「あらかじめ」必要なことも何も変わらない。このコミックではロボットに「マイクロワームホール炉」というものが組み込まれているという設定だ。移動体では困難なことは先に書いた。
宇宙船や人ではなくエネルギーを送るだけだからトンネルは小さくていいのだと主張するなら、答は簡単。生のエネルギーをどーんと流せるはず無いじゃないか。ワームホールに吸収されちやうよ。結局保護のためのパイプとかエネルギーを一定方向に流す仕組みとか何やらでそんなに小さく出来ない。
このコミックではマイクロワームホール炉なるものを搭載したロボットは少しも時空を歪ませておらず穏やかである。しかも時代設定が西暦25-26世紀くらいなんだから・・・
事象が複雑になると事の大小の感覚が鈍るのか、このコミックの最も凄いところは、このマイクロワームホール炉によって送られるエネルギーがしょぼいことである。作中の台詞では「無尽蔵のエネルギヤ」による「ユピテル・ビーム」と威勢が良いが、実際は宇宙都市の外壁に穴を開ける程度の威力である。それだったら、マイクロワームホールを形成するのに必要なエネルギーのほうが何桁も強大であることは論を待たない。つまりちぐはぐなのである。
LHCで作ろうとしているマイクロブラックホールは一瞬にして消滅する代物で実用とは無縁である。しかも出来るかどうかはわからない。超ひも理論による極小重力の振る舞いの予測に基づくものなので、出来ない可能性もある。出来れば超ひも理論の勝利だ。とにかくこれはミクロの世界に限定された話であり、現実世界には関係ないのだ。
リアリティーについて
私は確かに厳密に科学的に裏打ちされたいわゆるハードSFが好きだが、全てのSFにそれを求めるつもりは少しも無い。ただリアリティーは断固要求する。ただしここでいうリアリティーは「本物っぽい」ということであり、嘘でも本物らしく見せる技である。
あるアニメで、主人公を乗せたティルトローダーが夜に高層ビルの屋上から上昇していくシーンがあった。カメラはビルの屋上の上空に配置されていて、機体が上昇するのを最初は見下ろし、さらにカメラ位置よりさらに上空に上昇していく機体を追い続ける。従って最初は機体の背景はビルの屋上とその周囲の街並みであり、それから機体が接近して大写しとなり、さらに夜空を背景に機体がだんだん遠ざかると言う数秒のシーンだ。この数秒のシーンで、地上の町の灯は大気の揺らぎで瞬いており、上空の夜空の星は全く瞬かないというコントラストが表現されていた。現実には、少々の高度、例えば地上500mにカメラが配置されたとして、地上は大気が濃いからより揺らぐとしても、地上500mから見た夜空がまったく揺らがないということは無い。(注1)いや相当揺らぐ。だからこのシーンは現実にはあり得ない。ただ、ここははっきりとコントラストを強調し明確に意識して表現しているのだから良い仕事をしていると賞賛すべきだろう。
松本大先生の某アニメでは宇宙空間から見た銀河を瞬かせるという、とんでもない無知ぶりを発揮しているから、やはり老兵は消え去るのみ・・・と思う。(注2)
先に例題としてあげたコミック「L.O.」(注2)は、紹介したとおり数百年先の時代設定であるから、近未来の範疇に属するものだが、別に荒唐無稽であっても作品に首尾一貫した世界観とリアリティーがあれば私は何も文句は無い。このコミック実はストーリーはなかなかなのである。ただ作者に変な癖があって、作品を台無しにしているのが大変惜しいと思っている。
変な癖というのは説明癖、注釈癖である。20年以上前になるが士郎正宗という個性的なコミック作家が登場し、彼がものすごく注釈を書き込む特異なタイプであったため、その影響がコミック界に広がったのだが、彼のように振舞うのはとても難しいと思う。しっかりとした世界観、ウソをリアルに見せる卓越した表現力が無ければ出来ないことだ。
「L.O.」の説明は嘘っぽい。都合の良い半端な知識の羅列、先の例題のようにバズーカ砲で蚊を撃つような、あるいはポルシェに乗ってコンビニに煙草を買いに行くようななちぐはぐさ、科学的な知識の欠如を露呈する未熟な表現、整合性が取れていないことおびただしい。
私はこの作品に関しては、注釈、説明を殆どやめてしまえば、凄く価値が高くなると思っている。現状ではいちいちそこらじゅうにある注釈を読んではその拙さに立腹し、読書のリズムが崩れ、気まずい思いで先を読むとまた注釈で躓くという切り返しで、とても疲れる。
作者の勘違いはあの注釈を書き込むことによって「俺の描いてる事はこれだけ根拠があるんだぞ、これだけ豊富な知識を背景に持っているんだぞ。」と主張しているらしいところにある。士郎正宗に対する対抗意識だろうか?はっきり言ってまるでだめ。
この際、説明するのは不得手であるという正しい自覚をしっかり持ち、士郎正宗に対する歪んだライバル意識も捨て、余計な説明をそぎ落とし、自分の得意分野であるストーリで勝負して欲しい。と、心から思う。
思い起こせば、この作品の前編に相当する「銃夢」は牧歌的な作品だった。まあビカレスクもののサイバーパンクというところかな。時代設定も曖昧でぼかしてあり、注釈もまださほど多くなかったから笑って済ませることができた。
ところが続編では、1957年を元年とする「宇宙暦」が登場して大まかには時代が推定できるようになり、やたらリ注釈が増えるようになった。リアリティーを志向しているらしいのだが、底の浅いリアリティーはむしろリアルさを損なうという悪循環の中にあるように見える。
いったい作者のスタッフや編集者はなにやってんだろうと思う。きっちり変な注釈は指摘して直すなり出来ないのか。良いブレーンがついていないということは断言できるのである。
くどいが断っておく。私はこの作品が好きである。だからよく読む。そして読むたびに残念に思う。そういうことだ。
注1:この大気の揺らぎの影響を回避するため「すばる望遠鏡」は高度6000m以上の場所に設置されている。
注2:自分が高名であることを利用して、不当に年下の人物をマスコミを利用して糾弾するなんて老害だ。この方は星雲をアメーバーのように動かしてみせる癖もあるが、たとえ実際に星やガスが光速で運動していたとしても、それが銀河全体を俯瞰できるほどの遠距離から、見て取れるはずは無い。これはただの無知蒙昧でしかない。(退屈な証明になるので説明は略す)松本氏は南部陽一郎博士より若いのだから、彼の青年時代だって、とっくに相対論も、量子論も完成していたし、素粒子論も大分進展していたのに、科学をまじめに学んだことが無いとしか思えないほど初歩的な誤りが多い人だ。
注3「銃夢 Last Oerder」 木城ゆきと作
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