ADHD + アスペルガー中年の人生

一言メッセージ :ADHDをご存知ですか?注意欠陥・多動性障害の事ですが、当事者として、少しでも情報を残すべく、私の過去の人生に関して、記

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興味を持ったもの・・・カメラ

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ミノルタCLE

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90年代、空前のクラシックカメラブームの中で、一躍脚光を浴びる様になったレンジファインダー機ですが、80年代、それらは殆ど注目を浴びることも無く、その値段の高さから、一般ユーザーには余り縁のある存在ではありませんでした。

私がカメラに興味を持ち始めた82年当時、ライカM4-Pは、キヤノン・ニューF-1の50mm付きの倍以上していたと記憶しています。当時、正にライカは雲の上の存在でしたし、TTLさえ内蔵されていない前時代的なカメラにそんな大金を払うのは、正に狂気の沙汰でもあったと思います。

70年代に、ミノルタとライカが技術提携を開始し、ライカの一眼レフがミノルタをベースする様になりましたが、レンジファインダーでは、M型よりも更にコンパクトなシリーズが、ミノルタから発売され、国内では「ライツ・ミノルタCL」と呼ばれていました。

CLEはその後継機として、ミノルタXG-Eをベースとした絞り優先AEを採用していました。ライカよりも遥かにコンパクトで廉価であったとは言え、一眼レフと比べると非常に割高なのは当然で、何も知らない私は、何でコンパクトカメラがこんなに高いの?程度にしか思いませんでした。

まあ、コンパクトカメラ???の割りには、妙にガラスケース内でのディスプレイの仕方が高級であったのも不思議な感じがしたものです。

このカメラは、生産中は然程話題になる事も無く、どちらかと言うと、80年代後半に生産中止になって以降、より注目を集めた様に思います。当時の新品価格は10万程度だったでしょうか?それよりも遥かに高価なプレミア価格で取引されていたものです。本命のライカが余りに高価であった為でもありますが、一般ユーザーがライカを手にする様になったのは、バブル崩壊後、90年代に入ってからのことですが、それは、AF化された国産高級一眼レフのニコンF4やキヤノンEOS1辺りが非常に高価であったこと、そして円高のお陰でライカ自身の値段が下がった事で、相対的な割高感が薄れたことによります。

そして、後にコシナからフォクトレンダー・ベッサシリーズが、コニカ・ヘキさーRFという国産レンジファインダー機が再び登場するまでになりました。

ミノルタというメーカーは、非常に良心的なところがあり、カタログに現れない操作フィーリングの作り込み等に定評がありましたが、決して大ヒットする事の無い、この様なレンジファインダー機を、あの時代に細々とながら作り続けていたというのは、80年代のマルチモードAE+モータードライブ+ズームレンズという時代風潮からすると、驚きに値することだと思います。

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キヤノンT-70 インテリジェント・シューター

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このカメラを最初に目にしたのが、84年春の日本カメラショー総合カタログでした。正直コレがニューモデルだとは全く思えず、T-50オートマンだと思って完全に見過ごしてしまいました。

このカメラの最大の特徴は、プログラムを3種類用意したことでしょう。ソレまでのAシリーズに見られた標準プログラムでしたが、後に出てきたミノルタX-700は、より高速シャッター寄りであり、その事が簡単に失敗無く撮るという意味で評価されました。
そして、ニコンFAでは、レンズの焦点距離によってプログラムラインが切り替わるという方法を取っており、用途によってプログラムラインを変化させるべき・・・という考えが一般的になりつつある時代だったのです。

T-70は深度重視、標準、高速シャッター重視の3本のプログラムラインを用意しており、それを自由に切り替えることが出来ました。

そして、もう一つの話題が、ダイヤル類が一切無く、全てがLCD画面を見ながらボタンによる操作方法でした。レリーズボタンの近くにアップ/ダウンのボタンがあり、ボディー左側のモード、ISOといったボタンと併用するのです。


この方法は、非常に新しい試みであったものの、正直アップダウンボタンというのは操作性に欠けるもので、煩わしかったものです。その解決法として、後にT-90が電子ダイヤルを採用して、現在に到るのです。

他にも、測光方式を中央部重点平均測光と部分測光を切り替え可能など、測光方式の多様化という新たな流れにも対応していました。

これだけ先進技術を搭載していながら、このカメラは決して成功することはありませんでした。
理由を挙げるとするならば

1.AE-1プログラムで出来たフォーカシングスクリーンの交換が出来ない

2.折角ISO1600のフィルムが出始めたのに、ISO1600までというのは、物足りなかった

3.ワインダー内蔵で巻き上げ速度が0.7秒/コマと非常に遅く、モータードライブが人気合った当時、非常に大きなハンデとなった。

4.相変わらずフラッシュのTTLダイレクト調光が出来なかった。

この辺りは、当時の他の中級機と比較して、明らかに物足りないものがありました。当時、各社がキヤノンA-1を超えるマルチモード機を登場させた時代でもあり、噂になって久しいA-1の新型は出ないし、やっと出てきたのがコレ・・・とあり、キヤノンのファンにとって、非常にもどかしい時代でもありました。

そして、最大の問題は、やはりデザインにあったと思います。
T-50という廉価版を最初に同じデザインで出してしまったため、必要以上に安物に見えてしまったのです。この辺りは明らかにマーケティングの失敗だと言えるでしょう。

後のキヤノンのコメントでは、T-50、T70は顧客の反応をモニターする為の実験機というニュアンスがあった様です。なるほど・・・色々なスペックを搭載して置きながら、イマイチ詰めが甘いと思えるのは、それが原因だったのかも知れません。同時に、後世に与えた影響が非常に大きいと言う意味でも、何とも不思議なカメラです。

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キヤノンT−50オートマン

イメージ 1

コレが発売された時、正に「何だコレ???」と誰もが思ったことでしょう。
露出モードはプログラムAEのみ(当然プログラムシフトも無し)、単三電池を2本使用したワインダーを内蔵しており、最初から35〜70mmの標準ズームがセット販売されているのが新しいところでした。

オートマンという愛称の通り、当時爆発的な人気を誇った、コンパクトカメラのオートボーイの兄貴分という位置付けでしたが、当然当時はAFの時代では無く、ピント合わせは、通常のマニュアルでした。

このカメラの新しいところは、割り切った機能の他に、完全なプラスチックボディーを挙げることが出来ます。従来から、例えばAV-1の様なプラスチックのシャシーを使用したカメラはありましたが、当時のボディーは、出来る限り金属的な質感を出す様な工夫をした上に、デザイン的にも、金属時代と余り変わらなかったところを、T-50では、プラスチックであることを隠さない、そしてプラスチックだからこそ出来る造形を売りにしているのが特徴でした。

標準ズームも、従来の35〜70mmF4と比べると、全てがプラスチックいなっており、F値を3.5〜4.5と変動式にしたお陰で、大幅なコンパクト化とコストダウンを両立しました。
当時はまだマニュアル露出に頼る頻度も高く、特にキヤノンはフラッシュのTTLダイレクト調光を採用していなかった為、F値変動式のレンズは余り嬉しいものでは無く、旧型のF4を探したものでした。

因みに、プラスチック鏡筒のメリットとしては、金属鏡筒の様にレンズとの隙間が必用無い為、組み付け時の芯出し作業を省略できる為、生産コストを下げることが出来ます、

カメラとしては、然程人気があった様には思いませんが、後に当たり前になるプラスチックであることを「隠さない」デザインが、このカメラの最大の功績であると思います。


写真:キヤノンT50

当時のカメラは黒とシルバーが用意されているのが一般的でしたが、このカメラは黒・・・というよりは、青っぽい灰色の様な独特な色一色でした。レンズも、T50のデザインに合わせたデザインになっていますが、コレが従来のAシリーズのユーザーから不評で、後にデザインを従来のニューFDレンズ風にしたタイプAも後に併売される様になりました。

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ミノルタX-1、X-1モーター

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私がカメラに興味を持った1982年、キヤノンのフラッグシップといえばニューF-1、ニコンはF3、ペンタックスはLX、そしてミノルタはX-1モーターでした。

ミノルタX-1が発売されたのは73年、世代的には、むしろ旧F-1及びF2に近いことになりますが、ファインダー交換式の高級機としては初の電子シャッターを搭載し、AEファインダーを使用することで、絞り優先AE機として使うことが出来ました。

当時は、各社第一世代のAE機を揃えていた時期でもあり、それを考えると、まだ出て間もない電子シャッターを、いきなり高級機に採用するというのは、かなりの冒険であったと言えるでしょう。
逆に、他社がやっていない事をして、後発のハンデを乗り越えようとしたのでしょうか?

当時は、まだTTL露出計を使用しないプロが多い時代でもあり、少し登場が早すぎたというのが正直なところでした。そして、モータードライブが用意されていなかったのも、高級機としては、大きなマイナスポイントであったことでしょう。

そして1976年、モータードライブ専用ボディーとして、X-1モーターが追加されました。ミノルタ初のモータードライブは、SR-Mというカメラで、かつての人気機種SR-1にモータードライブを取り付けたモデルでしたが、こちらも固定式でした。当時のミノルタは着脱式に慎重であった様で、確かに構造的に楽ということなのでしょうが、だとしたら、問題はその価格でした。

82年当時、その価格の高さで驚かせたニューF-1+AEファインダー+モータードライブFNよりも、更に高価だったのです。ボディーのみで28万円程していたと思います。前述のニューF-1は、24万円です。
更に、X-1の10万円高という価格は、誰がどう見ても、「買うな」と言わんばかりのものに見えたものです。

最も一般的なAEファインダーで絞り優先AE+マニュアル、追針式マニュアルのMファインダー、露出計を持たないPファインダー、そしてウェストレベルファインダーが用意されていました。
折角電子シャッターを採用していながら、露出計無し・・・という組み合わせも出来た訳です。

カメラとしては、決して悪いものでは無く、むしろ、設計された時代を考えると、非常に良く考えて設計されている様に思うのですが、やはり、その価格と、時代を先取りし過ぎた辺りが仇となり、極少量が販売されただけで終わってしまいました。
因みに、電子シャッターを採用した高級機で、最初に認知されたのは、コンタックスRTSになると思いますが、コレは、カメラ本体云々よりも、カール・ツァイスレンズによるものが大きく、事実、カメラ本体は、少なからず信頼性には疑問をもたれていました。

ミノルタは、後にAFで先陣を切った時、高級機のα9000を発売したものの、やはり早すぎた登場は、後発組に対し、明らかに不利な戦いとなってしまいました。

結局X-1モーターは、α7000が登場した85年頃までカタログに載っていましたが、カメラ店のショーウィンドーに飾られている姿を見ることは、一度も無かったと思います。



写真:ミノルタXKモーター

X-1モーターの輸出仕様です。人間工学的なグリップのデザインは、当時のキヤノンやニコンに比べても進んでいるものでした。単三電池10本で秒3.5コマというスペックは、当時の標準的なものです。
モータードライブが固定装備されているにも関わらず、巻き上げればーも装備されています。

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キヤノン ぺリックス

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キヤノンフレックスの不振で始まった一眼レフを再構築する為、僅か4年後に新たなFLレンズ群、そしてFX、FPという新機種を発売しました。因みに従来のRレンズ群とは、マウント口金のみが同じで、取り付けられても手動絞りで使用する事になります。

非常に個性の強かったキヤノンフレックスと比べると、あらゆる面で常識的といえる設計でしたが、それは、取り合えず無難に売れる機種を用意したということでしたが、それでも生真面目なキヤノンの技術者たちにとって、一眼レフというものに対して、懐疑的であった事は容易に想像出来ます。

一眼レフには、現在でも全く改良されていない決定的な問題が幾つかあるのです。

1.シャッターを切った時にファインダー像が消失する。一眼レフのファインダーで見えるのは、撮影前後なのです。

2.ミラーの上下によるレリーズ時の音、ショックの大きさ。

3.レンズ後方でミラーが上下するという構造上、普通の広角レンズが使用出来ない。


これ等の欠点は、現在のデジタル一眼レフでも同じ事なのです。

この問題を解決すべく開発されたのが、今回紹介するキヤノン・ぺリックスでした。
ぺリックスという名前の通り、通常の一眼レフの様な上下式の反射ミラーを使わず、半透明ミラー(ペリクルミラー)を使用しているのが大きな特徴です。

半透明ミラー故に、レンズから入ってきた光の一部がファインダーに行き、残りが通過してフィルムに届く・・・という訳です。

ミラーの上下が無い為、レリーズ時の音もショックも小さく、ファインダー像の消失も無い、正に理想の一眼レフ・・・になる予定だったのですが・・・。

実際のところ、半透明ミラー故に、布幕シャッターの代わりにチタン幕を使用した為、余り音的には静かになりませんでした。流石にショックは小さいのですが・・・。

ファインダー像も消失はしないものの、自動絞りの関係で、レリーズ時に暗くなるため、特に絞りを絞った状態では、通常の一眼レフと余り変わらないことになります。

他にも面白いのが、TTLの受光素子でしょう。素子を置く位置として、最も理想的なのがフィルム面、若しくはそれと等しい距離=フォーカシングスクリーン面ということになるのですが、ぺリックスの場合、その半透明ミラーのお陰で、フィルムの直前で測光することが出来たのです。

絞込み測光故に、露出計スイッチ兼プレビューレバーを押すと、フィルムの直前に受光素子が立ち上がり測光するという方式で、この辺りも、当時の生真面目なキヤノンならではの、理想高い設計と言えるでしょう。後にレンジファインダーのライカM5でも似たような構造になっています。

半透明ミラーの短所としては、やはり通常ミラーよりも反射率が低い為に、ファインダーが暗くなること、そして透過率の関係で、1/3EVの光量損失というデメリットもありました。

価格的にも、同時期のFTに比べて高価だったこともあり、余り人気は出ませんでしたが、半透明ミラーと言う技術は、後にF-1高速モータードライブ、最近ではEOS-RT、EOS-1N RSといったカメラにも採用されました。

昔から最大のライバルであるニコンという会社は、人の技術を使うことが平気で、それを上手くまとめて商売すると言う傾向がありますが、そういう体質からは絶対に生まれることの無い類のカメラと言えるかも知れません。

レンズに関しては、ぺリックス専用の38mmF2.8というのが用意されていましたが、所謂レトロフォーカスでは無く、通常の形の広角レンズであった為、ミラーが上下する他の機種では使えません。実際にぺリックスにしか取り付けられなくなっているのですが、この手のレンズをもう少し充実させていたら、もう少し支持されたのでは?と思います。

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