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第二部 カリフォルニア大学時代(1964年〜1968年)とベトナム反戦運動

ベトナム戦争と私(第七回):Free Speech Movement(言論の自由運動)とcivil disobedience(市民的不服従)

 話は、私がカリフォルニア大学に入学した1964年9月に戻る。

 私が大学一年生となった頃、一学期が始まり学生達が帰ってきた9月の半ばから、いわゆるFSMという運動がカリフォルニア大学で本格的に動き始まり、これが後にベトナム反戦運動が全米に広がっていく土台となり、カリフォルニア大学がこれらの運動のメッカとなったのである。

 FSM、公民権運動、ベトナム反戦運動の三つの関係を解りやすくするために簡単な年表を作りました。

1962年〜1975年4月30日 ベトナム戦争
1963年 キング牧師ワシントン大行進で、有名な“I Have a Dream”(私には夢がある)
    その後、キング牧師はベトナム戦争反対運動にも立ち上がる
1963年 ケネディー大統領がダラスにて暗殺される
1964年 7月2日:公民権法(Civil Rights Act)が制定される
1964年 12月3日:カリフォルニア大学で言論の自由を求めて座り込んでいた814人(多くが大学生)が逮捕される
1965年 FSMは反ベトナム戦争運動へと拡大していく
1968年 キング牧師が暗殺される

 学生に対する言論の自由の束縛をカリフォルニア大学長に抗議して、デモや事務局の建物に座り込みというシーンを目の前にして、波乱な四年間の私の大学生活が始まった。

 この運動は、大学内において学生がどの程度に知識を実践できるのかという、いわば教育の根本的な哲学を課題としたものだった。多くの教授達は当初、大学は知識のやりとりをする場と位置付けた。FSMに携わった学生達は、実践無く推論だけのインテリは無意味で、大学は自分達の信念を自由に表現・実行出来る場であるべきと主張した。大学側は、学内は一定のルールの基で教授と学生だけの知識の交流を計る場であるという姿勢を固持し、大学側と学生の対立が続いた。

 12月の初めには事務局に座り込んでいた814人が一斉に逮捕された。大学内の警官に加わり、周りの幾つかの市から応援に来た警官や、郡のシェリフ、ハイウェイ・パトロール、などが防毒マスクを腰につけてオートバイやパトカーに乗って大学前の通りをふさいで待機していた物々しい光景は、今でも鮮明に私の記憶に残っている。

 私は、移民ビザを取得していたもののアメリカの市民権を持ってはいなかったので、学生運動に参加することは故意に避けていた。これは、移民ビザでは場合によっては取り消されて日本に強制送還される危険があり、信じた道を一気に突っ走る私自身の性格を戒めていたのであるが、当初事情がよく呑み込めなくてFSMに反感を持っていた私も、次第に学生達の考えに同調していった。

 私がFSMに好意を持った理由は、その信念に魅せられたと共に、マリオ・サビオ氏を筆頭にリーダー達の行為が非常に良心的であったことである。FSMとその後の反ベトナム戦争運動には、アメリカの哲学者ヘンリー・デイヴィッド・ソローの著書の「civil disobedience(国家に対する市民的不服従)」という概念が背景には大きく存在していた。ソローの「市民的不服従」思想が大きく影響したケースでは、無抵抗主義を貫いてインドの独立を勝ち取ったマハトマ・ガンジーや、同じく無抵抗主義でアメリカを公権法の制定に導いたマーティン・ルーサー・キング・ジュニア牧師がおり、FSMも大学権力に対抗するのに無抵抗主義の「市民的不服従」を実践した。

 これは同じ「市民的不服従」ではあるが、私がこのブログで書いた記事「バージニア工科大学拳銃乱射事件」の中で述べた、暴力を象徴する銃を持って、不正に傾いた場合のアメリカ国家に立ち向かう権利とは、手段に於いて正反対である。


写真:FSMのリーダー〜マリオ・サビオ氏と、バークレー校を度々訪れてFSMや反戦運動に協力したフォークシンガー〜ジョアン・バイエズ女史
著作権あり(http://home.att.net/~enfield/index.html

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60年代初頭というとパージされてた人が復帰した時代と重なるんでしょうか。これの影響もあったのかな、と当時を全く知らない私は憶測するしかないんですけど。公民権運動は建前上巧く機能してるんですけど根っ子の部分では未だに、みたいな印象を持ってます。

2007/5/12(土) 午前 9:04 [ c1491jp ] 返信する

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ゴンチャンさん、ありがとうございます。名前バナーを新しくしたのですね。ゴンチャンさんのブログと同様に、優しさと迫力が共に出てきました。

2007/5/12(土) 午前 10:03 JDreamR 返信する

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c1491jpさん、こんにちは。パージというと多分、HUAC(非米活動調査委員会)がアメリカ国内で行った、二次大戦中ではナチ狩り、戦後ではハリウッドなどの赤狩りを指していられると思いますが。私が大学在学当時、共産主義や社会主義のグループはあったのではありますが、彼らは学生には全然人気がありませんでした。一つには、アメリカ人は個人の自由というものを極限までに愛しており、共産主義は受け入れられないものだったからです。

2007/5/12(土) 午前 10:18 JDreamR 返信する

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公民権は、私の印象ですが、50%くらい機能しています。しかし、人種問題は根が深く、世界中どの国が解決しようとしても絶対に50%以上は出来ないでしょう。日本が同じ状況であったら1%の解決も出来ないでしょうね。それほど、日本社会のどんな問題に対してもも解決力には弱いものがあります。

2007/5/12(土) 午前 10:26 JDreamR 返信する

こんにちは。東大であった学生運動と根本的に違うと思いますが、単純にこれで何が変わったのでしょうか?

2007/5/12(土) 午前 11:29 縞 二郎 返信する

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キオスクさん、こんにちは。この続きで徐々に説明していきますが、結論としては大きく言えば人々の意識改革でしょう。具体的には‖膤愨Δ龍軌蕕紡个垢覦媼韻大きく変わり、▲戰肇淵狎鐐茲鮖澆瓩襪燭瓩梁腓な原動力が生まれ、B膤悗領拂のサンフランシスコのヒッピー・ムーブメントが発祥する大きな要因となる、等でしょう。

2007/5/12(土) 午前 11:46 JDreamR 返信する

FSM運動っていうのですね、そんな時代に現場にいらしたのがスゴイです。。しかも市民権取得申請中。。。この熱い時代からヒッピーへの流れがどうなっていったのか、興味があります。。。日本の学生運動の時期にも近いんですね???

2007/5/12(土) 午後 3:33 [ Coming From A Barn ] 返信する

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カミフロさん、こんにちは。偶然そこに居合わせ、この眼でじっくり観察したことで、今の私の体験主義的な人生観が形成されました。私は日本の学生運動を見てはいないのですが、アメリカのとは全然ちがうものだと感じています。

2007/5/12(土) 午後 5:38 JDreamR 返信する

私が持つ米国のイメージ・・・ファイティングネイション・・・ずっと変わらず・・・そういった意味では σ(・・)ステレオタイプかも。

2007/5/15(火) 午後 0:25 木石木留the黒 返信する

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ざくろさん、こんにちは。目の前の問題は実用的に解決するという、いわゆる開拓者精神が、今も存在しており、と同時に物事の解決手段もカウボーイ的要素があるのだと思います

2007/5/15(火) 午後 0:44 JDreamR 返信する

なるほど・・・開拓者精神、解る様な気がします。カウボーイ的要素・・・カウボーイ的解決手段って、強引な感じがしますが・・・イメージが湧きません(笑)

2007/5/15(火) 午後 0:57 木石木留the黒 返信する

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私がカウボーイ的といったのは、全ての人と全ての行為を、「善人と悪人」&「善と悪」とはっきり区別し、強引な手段で解決するという意味です。説明不足ですいませんでした。

2007/5/15(火) 午後 1:04 JDreamR 返信する

解り易い説明を有難うございます。実際のカウボーイを想像しないで、素直に西部劇のカウボーイを想像すれば良かったみたいです(笑)

2007/5/15(火) 午後 1:17 木石木留the黒 返信する

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はじめまして。 日本では「いちご白書をもう一度」というユーミンの名曲があります。

2007/5/29(火) 午後 2:28 - 返信する

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あきひとさん、こんにちは。今、ネットで検索して、曲を聴きながら歌詞を読んでみました。前に聞いたことがあるような良い曲で、昔を想いださせるようなノスタルジックな歌詞でした。ありがとうございます。

2007/5/29(火) 午後 2:47 JDreamR 返信する

JDreamRさん、おはようございます。今少し前(8:05〜15)NHKBS2で放送された、<アメリカ魂のふるさと「若者たちの砦〜カリフォルニア州・サンフランシスコ」> を観ました。
まさに、ここの記事に書かれていることそのままのフィルム・映像、JDreamRさんが書かれた記事の内容と全く同じ内容が、番組内で説明されました。
あまりにも同じで感激しました。上記のFree Speashの写真の映像も出てきました。写真ではないので、皆さん歩いていました。(当たり前ですが・笑)「12月の初めには事務局に座り込んでいた814人が一斉に逮捕された。」ということも、説明とともに、事務局内の当時の映像も出てきました。当時大学に赴任してきたばかりの若い教授(名前忘れてしまいました)が、教授の中で学生側について運動に参加したと、当時のその教授も紹介され、現在もまだお元気でインタビューもありました。事前にこの番組について知っていたら、JDramRさんにもお知らせできたのですが、残念です。JDreamRさんにとっても、きっと懐かしくご覧になったと思います。一緒に番組をシェアしたかったです。

2007/6/21(木) 午前 9:30 [ - ] 返信する

私のアメリカ人の友人は、海兵隊の退役軍人でベトナムで従軍しました。多くの友人が彼の腕の中で亡くなったそうです。私は彼から彼の心情とともに、そのような血生臭い話をほんの少し聞いています。でも、そのような彼ですが、彼は反戦派ではありません。当時ベトナム戦争に対して反戦活動をしていた人々(退役軍人も含む)を嫌っていますし、バリバリの保守派で、今でもブッシュ大統領のイラク政策を支持しています。また、イラクの反戦運動をする人々を嫌います。そのような彼ですが、戦争自体はどんな戦争に対しても反対なので、イラク戦争開戦前は、戦争になりそうなことを悲しんでいました。しかし、いざイラク戦争が開戦したときは、海兵隊員として志願しました。結果的に軍に採用される事はありませんでしたが、ベテランとしてイラクに出兵している兵士を今でも支えています。

2007/6/21(木) 午前 9:32 [ - ] 返信する

彼は私をmy sisiterと呼んで愛してくれますし、私も彼をmy brotherと呼んでお互い信頼し助け合っています。類は類を呼ぶで、彼の友人等も海兵隊のベテランで、息子さんがアフガンに従軍されている方もおり、イラク戦争やアフガン戦争のメディアでは流れない現地の写真が、私に送られてきたこともあります。ベトナム戦争を経験してきた退役軍人の中には、民主党のケリー議員のように反戦派に回る退役軍人もいれば、彼のように反戦運動をする人々を嫌う退役軍人もいます。私自身個人的には反戦派ですが、彼が戦争を支持する気持も良く分かります。ですから、私の気持はとても複雑で、彼の気持も分かるので、彼とは戦争を巡る政治的な話はしないようにしています。JDreamRさんのお兄様方は、ベトナムに従軍されて反戦派に回れたのですよね。
本当、私の気持は複雑です。
体調があまり良くないので、大事をとって2週間ほど休もうとおもったのですが、TVを観て、どうしてもお話したくなりました。JDreamRさんも、梅雨で体調を崩さないようご自愛くださいね。

2007/6/21(木) 午前 9:33 [ - ] 返信する

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大学の隣町のサンフランシスコのヒッピー・ムーブメントもでてきました。ヒッピーは麻薬を回し飲みし、反社会・反戦を訴えるだけの集団ではなく、現代の政府の福祉政策に繋がる活動をしていた事などが紹介されました。アメリカの経済市場主義の農薬を使用した大量生産を批判し、青空市でオーガニックの野菜を売っていた、と番組内での説明を聞きました。現在有機リン系農薬や化学物質の被害にあった私達が訴えていることを既に訴えて活動していた事を知り、時代の先駆者だったのかと、驚きました。 削除

2007/6/21(木) 午前 11:45 [ nakiusagi05 ] 返信する

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ナキウサギさん、ありがとうございます。「ベトナム戦争と私」をしばらく休んでいましたが、近々再開します。
私の兄の一人は従軍しましたが、反戦運動はしていません。もう一人の兄は、大学院にいったために徴兵は免れました。
私は当時のヒッピーの文化に同調していたので彼らの文化を色々と見てきたので、ナキウサギさんの話は非常に懐かしいものです。

2007/6/21(木) 午後 0:10 JDreamR 返信する

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