竹の寺地蔵院おくりさんのブログ

竹と紅葉と苔に覆われた小さな寺のおくりさん(住職夫人を指す言葉)の独り言

地蔵盆のご案内

 ご先祖様を送り火と共にお見送りし、今年の夏も終盤となりました。皆様には短い夏のときをいかがお過ごしになられましたでしょうか。
 さて、子どもたちにとって夏休み最後のお楽しみの地蔵盆が近付いてまいりました。
当院の地蔵盆は、今年度は823()に開催いたします。今年の企画は、お菓子とジュースをお配りするほかに、テント内には、折り紙や妖怪ウォッチめんこを置き、自由に遊んでお持ち帰りいただけるようにしています。方丈では、一休さん修行体験コーナーもあり、数珠回しや坐禅指導、音楽付き紙芝居を楽しんでいただきます。坐禅の体験のみ、各回先着30名限定ですので、ご希望の場はなるべくお電話でご予約ください。
通常拝観は500円の参拝料をいただいておりますが、地蔵盆当日は、小学生以下のお子様はもちろん、お子様お一人につき保護者お一人も無料とさせていただきますので、この機会に、約650年の歴史ある地蔵院に、お子様と共に御参り下さいませ。
尚、同時開催と致しまして、仮設駐車場にてバザーをしておりますので、こちらにも是非お立ち寄りください。
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地蔵盆のお知らせ

 地蔵院では、子どもたちの心身の成長を応援したいと思っています。そう、タケノコのように、まっすぐ、すくすくと!
 そこで、年に一度ではありますが、お地蔵様の日である8月24日に近い日曜日に「地蔵盆」として子どもさんたちを無料ご招待することとしました。今年は、第2回目で、23日(日)に開催いたします。「地蔵盆」は、今ではほとんど京都のみに残る行事です。この日は、各ご町内で、子どもたちがお地蔵様にお参りし、和尚さんのお話を聴き、そのあとは、お菓子をもらい、いちにち遊んでいても怒られません。近頃は、夏休みも短くなり、お地蔵様の日が、夏休みの最終日であったりします。
 地蔵院では、この町内会の垣根をとりはらい、日本全国いえ外国の方も、こどもさんが、お地蔵様の大悲に包まれて、ちょっぴり神妙に背筋を伸ばして、あとはおいしくてたのしい一日を過ごしてくださるように、知恵を絞ってお迎えしたいと思っています。
 また、地蔵院では、平成28年度より、方丈の修理を計画しており、文化財を後世に残すための浄財のご協力を仰ぐべく、チャリティーバザーも同時開催いたします。
品目は、おもに、有志の方から寄せられた台所用品などです。レアものとしては、昭和40年代〜近年の宝塚歌劇スターカレンダーがあります。
 バザーは、地蔵院の仮設駐車場で行いますので、地蔵盆にお参りされる・されないとを問わず、お散歩のついでにお立ち寄りくださってのぞいて見てください。

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すでにお知らせ致しました通り、細川護煕元首相筆・ご奉納の襖絵の通年公開を、劣化防止のため、12月中旬〜2月末日限定公開に切り換えることに伴い、参拝冥加料を、600円から、襖絵ご奉納前の500円に戻します。また、お抹茶も、リニューアルした上で、ご奉納前の500円に戻させていただきます。
ただいま、方丈裏庭のガクアジサイが見頃です。今年は雨が多く、深緑のもみじ・青竹・ふかふかの絨毯のような苔 がひときわ美しく、‘今’の地蔵院は、おススメです。

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勝手口と土間

勝手口
土間

このことばを聞いてなんのことかわからない人が多いことに気付きました。つまり、ほとんど死語ですね。

お台所のことをお勝手と言い、家計のことを勝手向きといいます。台所に通ずる出入り口を勝手口と言い、表玄関と厳然と区別されていました。私が子供の頃、表玄関を出入りできるのは、家族では父親のみ。そのほかは、お客様。母と子どもらは、勝手口を出入りしていました。酒屋さんやお米屋さんの御用聞きなどは、みなさん勝手口にきます。御用聞きも、もしかして死語ですね。今のように、ディスカウントストアやコンビニのない時代、お米はお米屋さんから、お酒・醤油・油などは酒屋さんから、配達してもらうものでした。地蔵院には、いまも、出入りのお米屋さん、酒屋さんが来てくださいます。地蔵院の場合、正門から本堂や方丈に通ずるところが表で、庫裏が裏ですので、庫裏に通ずる出入り口をさして勝手口といいます。庫裏ということばは、寺のお勝手を指しています。

土間も使わない言葉ですね。靴を脱いで高さのある床に「あがる」形態の日本の家なら、いまでも土間は存在しているように思いますが。。。方丈の入り口に「靴は土間で脱いでください」と書いておいても、意味不明らしく、式台に一段上がってから靴を脱ぐひと続出です。式台とか上り框なんかも死語ですね。私たちは、土間にかわる表現がよくわからず……。日本人同士でも言葉の壁を感じる今日この頃です。

もう一つは、敬語の使い方が無茶苦茶で。聞いた私が困ってもじもじしてしまうことがよくあります。
最近の例では、「このお菓子はどう召し上がったら良いですか?」と問われもじもじ。
召し上がるという敬語を知らずに、「頂いてください。」という人はいまやゴマンといますが、「召し上がる」という言葉を知っていて、しかし勘違い(おそらく丁寧語だと思っているのでしょう)されていて、惜しいと言いますか。

こういう場合、教えて上げるべきかどうか悩んで、もじもじして、結局直さないのですが、教えて上げるほうがよいでしょうか。みなさんは、どう思われますか?

わたしは、落語をきくのが好きですが、古典落語は、死語だらけです。すなわち生活スタイル全体が分からないひとに、説明しながら笑わせねばならず、古典落語を語り継いでいくのも相当大変だなあと思います。
これからの時代に、古き良きもの、日本人の心を守り伝えるのには、知恵と努力が求められるということです。私も、噺家さんに倣って、聞いた人が笑顔で理解できるような表現方法を考えないと。でも、ムズカシイ!

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居住まいを正す

 好きな言葉に、「居住まいを正す」というのがあります。正座をする日本の独特の表現で、日本人の礼儀正しき文化をあらわしています。
 
 このことばは、正座しているのが前提にあって、その上、なお改めて、着物の裾の乱れがないか確認しつつ座り直し、背筋をピンと伸ばす……といった情景です。私の中では、この言葉から連想するのは、決して、足を投げ出していたのを正座した、というニュアンスではありません。

 椅子の文化の場合、目上の人から座っても良いといわれ、尚且つ、目上の人全員が座られたのちに、ようやく自分が座るというのが順序です。また、椅子に座っているところに目上の人が来られたら、立ち上がって背筋を伸ばします。これも、居住まいを正すの一種と言えましょうが、すこし、動きが大きいですね。

 日本では、靴を脱いで家に上がるので、たとえば、玄関にお客様が入って来られた時、お帰りになるのに靴を履かれたとき、こちらは上がり口で正座をします。また、訪問先でお座敷に通されて、目上の方が入って来られるまで、正座して待っています。このとき、決してだらけてはいません。そこに、目上の人が入って来られたら、自分の衣服の乱れ(基本的に乱れていない状態ですが。)を整えて、背筋をのばして座り直す。これが「居住まいを正す」です。居住まいを正したのちに、初めてご挨拶です。そもそもきちんとしていたのですから、さほど動くわけではありません。つまり、相手に対する尊敬の心をそのわずかなる動きで表現していると、私は思います。精神論ですね。椅子から立ち上がるといった大きな動きでないぶん、おしつけがましさが感じられにくく、品よくスマートで、日本人として大事にしたいことば(生活習慣)です。

 地蔵院では、方丈に緋毛氈を敷き、お抹茶をお出ししていますが、そのとき、ほんの1〜2年前までは、ほとんどの人が正座をして待っておられ、お茶を目前にさらに居住まいを正されていました。本当に、最近、急激に正座をしておられる人が減り、足を投げ出している人が増えました。寝転んでいる人さえいます。むかしは、そうであっても、私を見ると、恥ずかしそうに居住まいを正されたものですが、いまは、正されません。お茶をお出しして、私が手をついて礼をしても、無視されることがしばしばです。これは、茶道の心得あるなし以前の問題です。おそらく何の悪気もないとは思います。悪気もないけれど、相手に対する思い遣りの心もありません。おみ足の不自由な方にまで正座をせよとは、申しません。「居住まいを正す」とは精神論なのですから。でも、お茶をもって出た私とのお出会いの一瞬だけ、互いに居住まいを正し、一期一会を心に刻んでこその禅寺参拝ではないでしょうか。ここは喫茶店ではなく、禅寺です。

 日本人の心が、音を立てて、ガラガラと崩れていくのをヒシヒシと感じる今日この頃です。

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