建仁関東暴風雨、高潮災害(1201年)
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2012年4月21(土)日記
建仁関東暴風雨、高潮災害(1201年)
小清水集落に伝わる「各氏歴代史」と「各氏家記録 佐藤家巻」によると
金子三左衛門 佐藤源作 東側の山の辺に暮らして居り小清水最古の住民である。
一、佐藤源作とは往古より之有候処建仁二年(1202)源作夫婦の嫡死仕り空家となりしを何国の浪人か夫婦男の子一人連れて来たり
当社へ頼み入りこの源作の跡を建立 名は佐藤源左衛門と言へ源氏の落人と言へ伝ふ也
之即ち佐藤家の先祖也
この一年前の建仁元年(1201年)に鎌倉時代の事跡を記した日記『吾妻鏡』八月十一日の条に次のような記述がある。原文は添付写真
○建仁関東暴風雨、高潮災害(811年前)
1201年9月16日、28日(建仁元年8月11日、23日)
「甚雨。午剋(刻)大風。郷里穿屋。江浦覆船」
午前中から降り続いた激しい雨に加え、昼過ぎからは強風が吹き荒れ、村里では風や洪水によって家々が倒壊した。沿岸部では船の転覆が相次いでいる。とあり、関東地方が大型台風に襲われたことが記されている。
この時、鎌倉では
「鶴丘寺廻廊。八足門已下。所々仏閣塔廟転倒。凡万家一宇無全所」
鶴ヶ岡八幡宮寺の廻廊や八足門をはじめ、いたる所の仏閣や塔、廟などが倒壊し、市中に無事な家屋など万に一つも無いという状況になっていた。
また
「下総国葛西郡(東京都江戸川区、葛飾区)海辺。潮牽人屋。千余人漂没」
現在の東京湾北部沿岸部では高潮が押し寄せて、家屋と共に千余人の人が流された。と記録している。
それに加え12日後の23日には、またも
「甚雨大風。如去十一日」
11日の時のように暴風雨が吹き荒れ、
「両度暴風。於国土。損亡五穀。於庫倉不納一物」
この二度の暴風雨によって稲作などに大きな被害があり、米倉には一物の蓄えもなく、人びとに飢饉の不安が押し寄せているという状況になった。
(出典:「吾妻鏡・第11巻」、講談社刊「日本全史」、池田正一郎編「日本災変通史」)
前後の年表
1185年(文治元年) 壇ノ浦で平家滅亡
1186年(文治二年) 西行 鎌倉で頼朝に面談 http://www.st.rim.or.jp/~success/saigyou3.html
1189年(文治5年)義経衣川で自刃(31歳)
1190年(建久元年) 西行 入寂 享年73
1192年(建久3年)頼朝征夷大将軍に任命 鎌倉幕府成立
1199年2月9日(建久10年1月13日) 頼朝死没 享年53(満51歳没)
当時の日本の推定人口:750万人 |
